1.恋文がもたらした。
あまりに突拍子のない出来事を眼前に捉えているおかげで、状況と似合わず妙に冷静な自分がいる。
クリスマスを二ヶ月後に控えた今日、吹き付ける風はすっかり冬のものになっていて、学ランひとつでは体温を維持することはさすがに難しい。くわえて俺が立っているのは学校の屋上であり、地上よりもひときわ強い風にさらされる。
でも今は、そんなことが気になる状態ではなかった。いや、気にしている場合ではないのだ。
つい先ほど、下校しようと下駄箱を開けたら一枚の手紙が入っていた。
『宮間涼太くんへ。放課後屋上で待ってます。来てね。』
という可愛らしい丸ったい字で書かれていたものだから、
「なんだ今時こんな方法を使う古き良き時代を重んじるしとやかで麗しい感性をお持ちの生徒さんが我が校にもいるのか日本もまだまだ捨てたものじゃないなしかも俺に好意があるなんて」
と思いながらスキップで階段を上がっていったというのに、いざ屋上への扉を開けてみたら可憐な女の子はそこにおらず。
かわりに鬼のお面をかぶったスーツ姿の男が立っていた。
お面で顔は見えないが、スラッと伸びる長身とパンツスタイルのスーツで間違いなく雄だと判断できた。
屋上に来てから依然として微動だにせず、俺も無言のままひたすらに対峙を続けていた。
視線を目標に捉えたまま、周囲に意識を向けてみる。「はい残念ドッキリでしたばーか」とプラカードを掲げながら登場する生徒が息を潜めてスタンバイしているのではないかと考えてみたが、その気配は感じられない。
我慢に窮して、俺の方から口を開くことにした。
「なあ、これはいったいどういうドッキリなんだ?」
直後に強い風が吹くも、それに負けるような声量ではないつもりだった。それなのに男は黙ったまま鬼の面で俺を睨みつけたままでいる。
男の真後ろでは太陽がゆっくりと空を下っていて、あたりを赤色に染め上げていく。男は逆光で姿が捉えにくくなった瞬間に、動き出した。
反応する間もなく男は俺との距離を詰める。視界を覆うは鬼の面。
あまりの早さに硬直していた。俺は男にぴったりと体を密着させている状態で、腹だけに何かが触れているような感触があった。
「空が、鮮やかな血の色をしていますね」
耳元で、男は優しく囁く。少し甲高い声だった。
男が体を離そうとした途端、腹から何かが抜かれていった。なにかはわからないが、全身が震えるほど気味の悪い感触。
感触の正体を確認する前に、男がナイフを払い血を散らせているのを見た瞬間に腹部に激痛が走った。反射的に両手で抑えこむ。生ぬるい液体が鼓動に合わせて溢れ出ていて、膝をついた地面は血が溜まりこんでいた。上を向けば、まるで俺を嘲笑っているような鬼と目が合う。
男は俺の腕を掴むと無理やり引っ張った。
「おい……やめ、ろ……」
ずるずるとコンクリートの上を引きづられていくたびに、腹部で痛みが暴れまわる。階段棟の裏まで連れてこられた時には、目の前がモヤがかかったように曖昧なものとなっていた。
手を離されたあと、即座に蹴りを入れられ地面に勢い良く転がる。
転がりきったときに腕が柔らかいものを叩き、それが人だとわかるまで一拍ほどの時間がかかった。制服を着た女の子だった。
這うようにして転がる彼女の周囲も血で染まっており、男のナイフの餌食になったことは一目でわかる。
考えを巡らせられるのもここまでだ。目の前が真っ白に染まっていく。自分が呼吸しているのかも、痛みを感じているのかもわからなくなってきた。
体がゆらゆらと揺れている気がしたが、地面に転がっているだけだ。腹部から温もりさえも感じなくなり、意識が飛び立とうとする。
遠くの方で、鬼が手を振っている姿が見えた。これが実際の光景なのか、それとも混沌と化した意識が見せている錯覚なのかはわからない。
「それでは、よい旅を」
鬼は最後に、そう言った。