妹よ
◇◆◇
高校生の妹が、彼氏を家に連れてきた。
「お姉ちゃん、あたしの彼氏を紹介するね!」
ふんわり乗せた桃色のチークが愛らしい妹が、嬉しそうに笑いながら、どこか自慢げにそう言ってきた。
私はそのとき、リビングのソファに横になってスルメを貪り食べながら漫画を読んでいた。Tシャツにショートパンツというモロ部屋着な服に、すっぴんメガネにちょんまげ前髪。そんな、決して他人様の目に触れさせてはいけないみすぼらしい格好で。
妹よ、客が来るなら来ると、事前に言っててほしかったな、お姉ちゃんは。
「いきなりお邪魔してすみません。真山京介といいます」
くつろぎモードの私を見て目を丸くして驚いていた男が、にこりと爽やかに笑いながら言った。
妹の彼氏とやらは、たいそうなイケメンだった。
雑誌のモデルのように手足が長く、服装はシンプルだけど品が良さそうで、髪の毛先はおしゃれに遊んでいる。顔立ちは整っていて、目尻がすこしだけ垂れているのが甘い雰囲気を醸し出している。
「……どうもはじめまして。こんなひどい格好でごめんなさい。可奈子の姉の凪沙です。ゆっくりしていってくださいね。では私はこれで……」
お菓子と漫画を持って私はそそくさと自室へと引っ込んだ。彼氏いない歴もかれこれ二十年目に突入したこの身に、高校生カップルと同じ空間は辛い。それに大人として、こんな姿をいつまでも晒してはいけない。これは戦略的撤退だ。決してイケメンに恐れをなしたわけではない、決して。
無事にことなきを得てホッとしていたが、彼氏君が帰ったあと、妹に怒られた。
「お姉ちゃんのばか。お姉ちゃんがあんな態度とるから、京介ってば自分が何かしたのかってずっと気にしてたんだよ?」
そんなに言うほど私の態度はひどかっただろうか? ちゃんと挨拶もしたし、自分では上出来だと思ったのに……。高校生とは難しい年頃だな。
それから数日後、また彼氏君と出くわしてしまった。
「あ、凪沙さん、おかえりなさい」
大学から帰るとうちにイケメンがいた。
この彼氏君、前に会ったときは私服姿だったけど、制服姿もまた眩しい。なんだこのキラキラした生き物は。ていうかこの子、今私のこと名前で呼んだ? それを馴れ馴れしいと思う私は、古臭いのだろうか。私が知らないだけでこれが普通なのか? 彼女の姉というだけで、親しくもない女の名前を呼ぶのがイケメンの流儀なのか? ふ、相容れないな……。
「ちょっとお姉ちゃん、京介が話しかけてるのに無視しないでよ!」
「あ、ごめん。ええと、ただいま。そしていらっしゃい。ゆっくりしていってくださいね」
「凪沙さん、行かないで」
「え」
また敵前逃亡をしようとしたが、彼氏君に腕を掴まれて引き止められ、あえなく失敗した。なぜ止める。
「あの……前に会ったとき、俺何か気に障ることしましたか? いきなりお邪魔したりしたので迷惑だったとか……」
「はあ……? いえ特に何も気にしてませんけど」
突然の来訪に身嗜みを整えることも出来ずに醜態を晒したのは私で、報告連絡相談を怠ったのは妹だ。彼氏君はべつに悪くない。
「じゃあ俺のことが嫌いですか?」
眉尻を下げた情けない顔もまたイケメンだな……じゃなくて、突然何を言い出すんだ、この子。今時の若者は考えが読めなさすぎて怖い。
「嫌いも何も、君のことよく知りませんし、どうも思ってないですよ」
「――。そう、ですか」
「はい、そうです。だから何も気にしないでください。では」
「だったら、俺のこともっと知ってほしいから、こっちで一緒に話しませんか?」
嫌です話しません勘弁してください。
そうハッキリと言えたらどんなにいいだろう。彼氏君の背後から睨みをきかせてる妹が怖い。その視線は「ふたりの邪魔するな早くどっか行け」なのか、それとも「あたしの彼氏のお願いをまさか断るわけないよね?」なのか、どっちなんだい、妹よ。
ええい、一か八かだ!
「ごめんなさい。今日はレポートを仕上げなくちゃいけないから忙しいんです」
ぎしぎしの愛想笑いを浮かべて断った。
瞬時に妹の顔を確認すると、彼女は「お姉ちゃんわかってるじゃん」と言わんばかりの満足げな笑みを浮かべていた。よかった! お姉ちゃんはやったよ!
「……わかりました。今日のところは諦めます」
しかし彼氏君よ、君はなぜそんなに不満げなんだ。私に何か恨みでもあるのか。
それからまた数日後。
大学の図書館で本を読みふけってしまい、帰宅が遅くなった。
「ただいまー。あー、お腹へっ……え」
「おかえりなさい、凪沙さん。今日は遅かったですね」
またもや我が家にイケメンが出没していた。
しかも家族と仲良く食卓を囲んでいる。すでに母と父とも面識があるのか。すごいな彼氏君。
「あまり暗くなる前に帰ってきたほうがいいですよ。あなたのような綺麗な女性の一人歩きは、夜道じゃなくても危険なのに……。あ、なんなら俺、凪沙さんが遅くなるときは迎えに行きましょうか? 連絡くれたらすぐに行きますよ。携帯の番号とアドレス交換しましょう」
イケメンが何やらたたみかけてくるんだが、私はどうしたらいいんだこれ。
母は娘の容姿を誉められて嬉しそうだし、父は彼氏君の謎の心意気に感心しているし、妹は彼氏君の影から私を睨んでいる。
妹よ、決してお姉ちゃんは悪くないと思うんだ。彼氏君の生態がちょっとフェミニストなイケメンなだけであって、女とみれば誰にでも美辞麗句を並べて紳士的に振る舞う悪癖でもあるんだろう。綺麗とかお迎え発言もその延長だ。
「大丈夫です、迎えは要りません」
「遠慮しなくてもいいのに……」
遠慮じゃない。本音丸出しの拒否だ。
「私なんかより、君は可奈子のことをしっかり守ってあげてください。私と違って妹は可愛いから姉としても心配なんです」
「……俺の思ったとおり、凪沙さんはとても謙虚で心優しい素敵な女性なんですね」
どうしてそうなった。とりあえず彼女の前で、たとえ彼女の姉だとしてもそんなにおだてることを言うのはよくないと思うぞ。ちょっと後ろ見てみ。妹の愛らしい顔が嫉妬に狂った般若みたいになってるから。妹よ、怒るならこのたらし気質な彼氏君に怒ってくれ。
その日は結局、この空気の中で一緒に夕飯を食べる気にはなれず、体調が悪いふりをして彼氏君が帰るまで自室待機を余儀なくされた。
そしてまた妹に怒られた。
「お姉ちゃん、京介が優しいからって変な色目つかうのやめてよ。あたしのお姉ちゃんだから、京介も気を遣って優しくしてるんだから。勘違いしないでよね!」
妹よ、お姉ちゃんのどこを見てそんな発言に至ったのだ。
◇◆◇
それから1ヶ月くらい経つが、彼氏君は頻繁に我が家に来ている。
おうちデートばかりで飽きないのだかろうか。妹は彼氏君と一緒にいるだけで幸せそうだから、私が口出すことでもないのだが。
妹カップルはなぜかいつもリビングでおしゃべりていて、ほとんど部屋には行かない。2人で部屋にこもられるよりは親も安心だとは思う。でもちと健全すぎやしないかい。
まあ2人がそれでいいならいいのだろう。しかしその恋人の時間に私まで巻き込むのはいい加減やめてほしい。
「凪沙さんおかえりなさい。今日はお土産があるんです。凪沙さんはこのお店のビスコッティが好きだと聞いたので、これ。一緒に食べませんか?」
大学から帰って彼氏君の靴を発見した瞬間に部屋に逃げようとしたが、やはりにこにこ笑顔の彼氏君に引き止められてしまった。
私も断ればいいのに、彼氏君が手に持っている箱のロゴを見てついふらふらとおびき寄せられてしまった。
大好きなお店のビスコッティ。
あの固い歯ごたえが癖になるビスコッティ。
コーヒーにつけてふやかして食べてもおいしいビスコッティ。
「ふふ、ありがとう。じゃあ少しだけお相伴にあずかろうかな。あ、私コーヒー入れるね!」
好物を前に機嫌よくへらへら笑う私を、彼氏君がほけっと放心したように凝視してくる。な、なんだ、そんな見つめられても今さら撤回なんてしないぞ。彼氏君は社交辞令で誘ったのかも知れないが、そうはいかない。私はビスコッティを食べるんだ。これだけは譲れん。
「あ……、お、俺もコーヒーいれるの手伝いますっ」
「大丈夫です。君は妹と一緒にゆっくりしていてください。ひとりにしたらあの子が寂しがっちゃいます」
というか私が睨まれちゃいます。手土産は本当に嬉しいが、あまり私に構わないでほしい。じゃないと妹に嫌われてしまう。
私はさっさとキッチンに行き、コーヒーマシンに豆と水を準備した。こいつは全自動で一杯分ずつミル挽きから抽出までしてくれるので、ボタンを押して放置でいい。だから手伝ってもらうことなんかそもそもないのだ。
コーヒーを三杯分入れて、ブラックが飲めない妹のために角砂糖と温めたミルクも用意する。
「お待たせ」
「ありがと、お姉ちゃん。あー、やっぱりお姉ちゃんのコーヒーはおいしいなぁ」
砂糖とミルクをどばどば入れちゃう妹のは、もはやコーヒーというより甘いカフェオレだけどね。でも笑顔が可愛いのでよし。
「ありがとうございます。良い香りですね。……本当に、おいしい 」
褒められて悪い気はしない。
「よかった。このほのかな甘い香りが私も大好きなんです」
「――、大好き、ですか。大好き……。あの、あとでどこの豆か教えてもらってもいいですか? 俺も気に入ったから、家でも飲みたいです」
「いいですよ。あ、それならこの豆、よかったら少し持って帰りません? お包みしますから」
「いいんですか?」
「ええ、もちろん。おいしいお菓子を頂いたお礼です」
好物を前にしてすこぶる機嫌が良い私は、普段はこれっぽっちもない愛想をこれでもかと振りまいている。
そんな私の奇行に、彼氏君は小さな声で「……ありがとうございます」と言いつつも顔を片手で隠して俯いてしまった。怯えさせたか? まあいい。引いてくれたほうが、変に構われるより妹に怒られないで済むしな。
「――かわい」
何やらもにょもにょと独り言を呟いている彼氏君は放置で、私はビスコッティをごりごりとおいしく頂いた。
夢中で食べるあまり、妹の殺気混じりの視線には気づけなかった。
◇◆◇
「お姉ちゃんなんか大っ嫌い!」
「えええ!?」
ある日突然、可愛い妹から嫌われた。
私は驚き、読んでいた漫画を落とした。
「な、何? どうしたの可奈ちゃん! いきなりお姉ちゃんのことがき、き、きらい……、なんて!」
「嫌い嫌い大嫌い! 京介はあたしの彼氏なのに! 最低最低最低! お姉ちゃんのばかー!」
うわあああんと大声で泣き喚きだした妹にうろたえてオロオロする私。一体何があったというのか。
とにかく落ち着いてもらおうと、妹の好きな甘ったるいカフェオレを作り、ソファに座らせた。何と声をかけたらいいかわからないので、無言で、とん、とん、とゆっくり背中を撫でてみる。
そのうち落ち着いた妹は、目を真っ赤にして、涙声で言った。
「……京介にふられた」
「そっか……えええ!? なんで! あんなに仲良かったじゃない」
「お姉ちゃんのせいだ。お姉ちゃんが、あたしの彼氏なのに、ひっく、色目をつかって京介を誘惑したからぁっ、うっく、ひっく、うう、うわあああん!」
「ちょちょちょっと待って可奈ちゃん。なんの話? 誘惑?」
私が? 彼氏いない歴年齢のこの私が男子高校生を誘惑?
「そうだよ! 初対面のときだって、あんなあられもないカッコで誘惑してたじゃん! 京介ってばお姉ちゃんの生足めっちゃ見てたもん。しかも、コーヒーなんかいれて家庭的アピールまでしちゃってさ! お姉ちゃんみたいな美人にあんな色っぽい姿見せられて、しかもおいしいコーヒーでおもてなしされて、にこにこ可愛く笑いかけられたら、男なんてイチコロで落ちるに決まってるじゃん!」
「ごめん可奈ちゃんが何言ってるかお姉ちゃんちょっとわからない」
「ひっく、うう、今日言われちゃったんだよ。凪沙さんのこと好きになってしまったから俺と別れてくれって。どうしてもお姉ちゃんがいいって! あたしほんとに好きだったのにぃ! お姉ちゃんのばかばかばか! このドロボーネコ!」
まさか可愛い妹に泥棒猫なんて言われる日が来るなんて……。
あの彼氏君は、本当に妹が言ったような理由で妹を振ったのか? にわかに信じがたい話だ。もしかしたら、ただ単に妹を振る口実に使われただけかも知れない。そう言われたほうがしっくりくる。だって相手は今時のイケメン高校生だぞ。わざわざ彼女の姉なんていう面倒な相手を選ばなくとも、同じような女なんかその辺にゴロゴロいるだろうし、あの顔なら選び放題だろう。
うん、きっとそうだ。まったく、はた迷惑な振り方しおって。
しかし妹と別れたということは、あの彼氏君、もとい元彼君はもう二度とこの家に来ることはないということだ。よかった。なんか苦手な部類だったから、妹には悪いが別れてくれて安心した。
そう、思っていたのに……。
「凪沙さん、好きです。俺と付き合ってください」
「無理です嫌ですごめんなさい」
「どうして?……もしかして、彼氏がいるの?」
翌日に大学で待ち伏せられ告白された。まさかの事態だ。
「凪沙さん、答えてよ。俺以外の男が、あなたに触れたことがあるの?……許せないなぁ。ねえ、それはどこの誰? 教えてください」
「いませんでも無理です嫌ですごめんなさい」
「そっか! いないんですね! やっぱり思った通りだ。清楚で美しい凪沙さんには純潔が似合いますからね。あなたを汚すのは俺だ」
「何を言ってるかわかりません無理です嫌ですごめんなさい」
「好き、本当に好きなんです。キスしたい、触りたい。俺のこと好きになって、凪沙さん。それで毎朝おいしいコーヒーをいれてください。俺だけ見て、俺だけに笑いかけてください」
「妹の元彼と付き合うなんて考えられませんので無理です嫌ですごめんなさい」
本当に無理。早く解放してくれないだろうか。
「……それって、まさか嫉妬ですか? ああ可愛いな凪沙さん! 安心して? 可奈子とは手も繋いでないから。彼女とは凪沙さんと初めて会った日の三日前に付き合い始めたんだけど、どうしても家に来てほしいって言うから行ったんだ。もちろん何もする気なんかありませんでした。すぐに家に男を連れ込むような子だと知って幻滅していたし。でもそこで、俺はあなたに出逢ってしまった。可奈子とはすぐにでも別れたかったけど、そうしてしまうと凪沙さんとも接点がなくなってしまうから、我慢して付き合い続けたんだ」
何を、言ってるんだろう、この男。妹のことは最初から好きじゃなかったと? 私との接点を切りたくないがためにずっと妹を利用ていたと? 振られてあんなに目を真っ赤にして泣いていた、私の可愛い妹を?
カッと頭に血が上り、私は目の前の端正な顔に拳を叩き込んでいた。
「私が君を好きになることは未来永劫ないわ。二度と私と妹の前に姿を見せないで。虫唾が走る」
大学の校門前という目立つ場所で、イケメン高校生を殴り飛ばした私はその日、伝説になった――。
それで終わると思ったのに。
翌日からも懲りずに散々つきまとわれて辟易するはめになった。それを知った妹は怒るどころか、なぜか元彼君に同情して「お姉ちゃんもいい加減諦めて付き合ってあげたら?」なんて言ってくる始末。
ちなみに妹はあれだけ大泣きしていたのに、もう新しい彼氏を作っている。今度はワイルド系イケメンだ。新しい彼氏君は、家で鉢合わせするとなぜか執拗に私を睨んでくる。きっと私のことが嫌いなのだろう。そのギラギラした瞳が怖くて私は睨まれるたびにガクブルしている。
そしてこの彼氏君もおうちデートが好きみたいで、いつも大抵うちにいる。決まってリビングに。若いのだからもっと外で遊べばいいのに。そう言ったら、ならおまえも来いと彼氏君に言われて震え上がった。あの子、きっと私を財布にするつもりなのだ。やっぱり怖いな最近の子は。
しかもそれを知った元彼君が「その男は危険だ。凪沙さんは俺が守る」とかトチ狂ったことを言いだして、またうちに上がり込むようになってしまった。もちろん私は家に入れたことなどない。妹や母が招き入れてしまっているのだ。最悪だ。
妹の彼氏君と元彼君は相性がすこぶる悪いらしく、会えばいつも睨み合っている。まあ妹の新旧彼氏だもんな。仲良くなんかできないだろう。それはいいが、なんだかんだでいつも私を巻き込むのはなぜだ。私は関係ないだろう。
妹よ、もう彼氏をうちに連れてくるのはやめてくれ。