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竜と傭兵  作者:
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 遥か彼方まで見渡せる地平線から今日も眩い朝日が顔を出した。


 僕はできるだけ遠くまで聞こえるようにと、大きく息を吸った。



 グウォォォォーー!!!



 鋭い牙が並ぶ口から大気を振動させる咆哮を上げる。


 ついでに朝日を照り返す黒い鱗に覆われた身体についてる大きな翼を一、二度はためかせた。



 そう、僕はこの世界で最も古い種族ーー竜なのだ。





 ✳︎✳︎✳︎





 地上から天高くそびえ立つ岩山【マロイ】に今はただ一匹だけとなってしまった黒竜の僕。

 今日みたいな朝日を見ると、仲間達が旅立った日の朝を思い出してしまい、吼えずにはいられない。


 皆がいなくなって三十年、変わらぬ毎日を幾度繰り返しても竜どころか鳥すらまともに降り立ちもしない。


  ーー寂しい。生きてるのが無意味にすら思えてくる。



 しょんぼりと項垂れて切り立った崖から棲み家である岩棚へと戻る途中、雲の切れ間に《鳥トカゲ》が群れてやけに騒いでいるのを見かけた。

 《鳥トカゲ》が台地まで上がってくるのはとても珍しい。

 何せ彼らからしたら、僕は捕食する側の天敵なのだ。訳あってもう何年も食べてはいないけど……。


 まるで久しぶりの獲物を逃がすまいと息巻いている様子に何となく興味が湧いて岩棚へと向いていた筈の足は自然にギャアギャア喚いているそちら側へと向かっていた。


 群れに近づいて行くと《鳥トカゲ》達はグゲェェ!と警戒の鳴き声を発した。それに負けじと腹の底から吼えればあっと言う間に鈍色の翼をはためかせて空へと散り散りになる。


 《鳥トカゲ》はマロイの崖に棲み、地上の動物を餌にしている。そしてこの台地に棲む竜の主食だ。

 地上から遥か上にある隔離された環境と食物連鎖の頂点に君臨する竜がいるせいで、この台地にいる生き物は少ない。

 なのにあんなに群れて一体全体何を食べる気だったのか。


 不思議に思いながら更に近づくと、霧状の雲が晴れて予想もしなかったものが目に飛び込んできた。

 それとともに嗅いだ事の無い血の匂いも。


 竜よりもずっと小さくて、手足が長く鱗も翼も無い柔い生き物。


 これは…………人間だ。


 僕は初めて見る人間に興奮しながらも、まじまじとその姿を眺めた。


 まだ仲間達がいた頃、翼を休める為に白竜が【マロイ】にやって来た事があった。

 白竜は一所にいない竜で群れを作らない。それ故に世界中を飛び周り色んな事を知っていた。

 たった数日の滞在だったがそんな白竜の話はここから出た事の無い僕にはとても興味深かった。人間の事を面白い生き物だと話してくれたのもその時で、それからずっと人間に会ってみたいとは思っていたのだ。


 それが、今目の前にいるなんて!


 感動に浸っていると、倒れている人間から漂う血の匂いが濃くなった。


 そうだった。《鳥トカゲ》達に襲われていたんだった……!


 すっかり舞い上がっていたけど、見るからに倒れている人間は意識もなくて傷だらけの血だらけだ。


 わたわたと胸に耳を近づければ、やはり鼓動が弱くなっている。


 た、大変だ。早くしないと出会ってそうそうまだ話もしないまま死んでしまう!


 あの方法なら助かるかもしれないけど……どうしよう。


  「ガハッ!」


 僕がおろおろしていると、人間が口から大量に血を吐き出した。


 それを見て、考える余裕も無く大急ぎで額の秘石に溜めている膨大な魔力を解放する。

 手の爪でもう片方の掌に傷をつけ、じんわりと溢れ出す血に全神経を集中させた。


 頑強な竜は自然治癒力が高く自分を癒す術を持たない。けれど黒竜にだけ、傷を負って瀕死になった仲間を救う術を持っている。

 だがそれは長の許しが無い限り使う事ができない竜の秘術なのだ。

 とても繊細で難しい術で、加減を間違った竜を昔一度だけ見たことがあったけど、傷は癒えるどころか身体が歪に変形して弾け飛んだ。


 もし、長がいたら間違いなく僕は掟を破った罰で噛み殺されていただろうけど、もう長はここにいない。気にするのはそこじゃなくて、その対象があくまで竜同士だという事だ。

 人間相手にそれをした竜はまず今までにいないだろう。


 だから人間にその術を行うのはかなり無謀といえるし、そもそも人間だから術が効くかすらわからない。


 それでも、僕はこの人間を放っておくなどできない。


  僕は意を決して凝縮させた魔力を血に籠めると、震える手先から数滴、人間の口元へと落とした。





 ✳︎✳︎✳︎




 あれから丸一日。

 人間は起きる様子が無い。



  確かに傷は癒えて成功したように見えたのに、目を覚まさないのだ。

 

 秘術を終え、いくら待っても目覚めないので棲み家である岩棚へと運ぶことにした。なるべく傷つけないように丁重に口に咥えたら、ガキン!と思いの外硬いものが当たり取り落としそうになってしまったがーー柔いと聞いていたけど硬い殻を持つ人間もいるのだろうか?


 岩棚は入口は狭いけど中は大きな空洞になっていて幾つもの横穴があいている。

 たくさんの横穴はかつての仲間達が使っていた寝床だけど今は僕以外使う事は無い。


 とりあえず自分の寝床である横穴に人間を寝かせて、隣の横穴にせっせと枯れ草を敷き詰めていく。するとあっと言う間に竜の寝床の完成だ。すぐ様新しい寝床へと人間を寝かせて目覚めを待った。



  ーーで、今に至る。やっぱり全く起きる気配は無い。

 


 はぁ。何だか、僕も頭がぐらぐらしてきた。


 秘術を使って魔力がかなり少なくなっているからかもしれないけど、かなり身体が怠い。想像以上に大量の魔力を使うんだね、秘術って……。


 穏やかそうに規則正しい呼吸をする人間をちらりと伺い見る。


 僕も、少し休もう。


 隣の僕の寝床へと行き、ぐてっと横になると、少し人間を寝せていたからか、敷いてある枯れ草からは嗅ぎ慣れない匂いがした。

 けれど不思議と心地よさを感じる。

 他者の存在がある事が凄く、嬉しい。


 早く話してみたいなあ……。


 うつらうつら、そんな事を思いながら僕の意識は遠ざかった。





 ✳︎✳︎





 微かな物音に僕はピクリと反応して目を覚ました。

 多分真夜中すぎだろうか。

 壁に耳を当てると何やら声が聞こえる。


 どうやら人間が目を覚ましたようで、何かをしきりに言っている。

  僕はすぐさま人間の元へと急いだ。なるべく驚かさないよう、慎重に人間に近づく。

  意識ははっきりしないようだけど、やはり何かをしきりに呟いている。


 竜には人間の言葉はわからない。竜の理解する唯一の言語は古すぎて、人間はその言葉を使わないからだ。


 しかしそれは魔法ですぐ解決する事だ。


 僕は相手の言葉を理解する事ができる言語魔法を人間にかけた。


  「み……み、ず」



 みみず?…………あ、もしかして水?


 僕は大慌てで泉のある地下まで行き、その辺りに転がる石に爪で窪みをつくり水を溜めた。

 器用に動かない手でなんとかこぼさない様にそれを運び人間の元へと向かったが、横穴の手前でぴたっと足をとめた。


  『人間は僕らの姿を見ると決まって恐怖する。彼らにとっては僕らの姿は恐ろしい化け物に見えるらしい』


 ふいに白竜が言った言葉を思い出し、このまま姿を現していいものか迷ってしまう。

 でも水を渡さないといけないし、どうしても話をしてみたい。


 意を決して横穴にそろそろと入り、あまり近づかないように水の入った石を鼻先に置いて、出来るだけ遠くから長い首を伸ばして移動させる。

 驚かさないように、物音を立てないよう、息を潜めて慎重にゆっくりと。


 人間の顔の真横まで来ると薄っすらと目が開いて、バチっと目が合った。


 白竜と同じ若草の色だ。


 真っ暗な横穴でなく、陽光の下だったらもっと美しい色合いなんだろうか。


 ついうっとり魅入っていると徐に腕が伸びてきて慌てて首を引っ込めた。


  「水?」


 水に気がついたらしい人間がそれに口をつけるのを見て胸を撫で下ろしてからはたと気づいたーーもしかして人間には僕の姿が見えてないのだろうか?


  「ちッ! 暗くて見えねぇ……そこに誰かいるのか? ここはどこだ?」


 竜にとってこの岩棚の中の暗闇など外とそんなに変わりないくらいに見えているのだが、どうやら人間にとっては違うらしい。


 これなら、驚かれないで会話が出来るかもしれない。

 とりあえず竜は人の言葉を喋る喉を持たないので意思疎通は念で行う。力の弱い僕ではかなり近づかないと送れないが、長などは台地中に送れたりするのだ。


 この念話を使って僕の意思を送り、相手の言葉は言語魔法で受け取る。

 こうすれば竜と人間とで会話が成立する。


  『ここは【マロイ】の台地だよ。身体の具合はどう?』


 上手く伝わっただろうかとドキマギしながら返答を待った。

 念話は人間同士ではしない方法らしいから驚いたに違いない。

 その証拠のように人間は目を丸くして辺りを見回している。


  「お前、魔法使エルグいか。お前が助けたのか?」

 

 エルグ?

 たしか大昔、長が一度戦ったという魔法を使う人間達の事だ。どうやら僕の事をソレと勘違いしているようだった。


  『助けたのは僕だけど、エルグではないよ。えっと、あなたの名前は?』


 暫く間があいて、一言、「イェシル」と人間が呟く。


 イェシルーーーーイェシルか。

 それがこの人間の名前。

 人間と会話している事実をひしひしと実感し、何とも言えない感動が湧き上がってくる。


  『僕は《尾切れの黒》』

  「あ? 妙な名前だな」


 イェシルと名乗った人間は眉間に皺をよせていた。

 古の言葉だから聞きずらいんだろうか。


 それから僕が見つけた経緯を秘術の事を省いてざっと教えると、さらに眉間の皺が深くなる。


  「俺の他に誰もいなかったのか?」

  『そうだよ』

  「台地には竜が棲んでいると聞いた。ここは、大丈夫なのか?」


 内心ギクリとする。


  『竜は、30年前に遠い地へ旅立ったよ』


 僕以外は。とは言えなかった。

 今自分が竜だと言ったらイェシルはどう思うだろう?

  折角目覚めたのに、恐怖でもう話をしてくれないのではないかと思ってしまう。


  「お前、この台地に暮らしているのか? 一人で?」

  『えっと、そんな所かな? 今度、話すよ。今は真夜中だからもう身体を休めないと。また朝日が昇る頃に様子を見に来るよ』

  「そうなのか? こう暗くちゃわかんねーな」

  『うん。僕は隣の穴にいるから、何かあったら呼んでね?』

 

 僕はそう言い、うっそりと横穴を出た。


 やっぱり竜だと言えず誤魔化してしまった。きっとイェシルの身体が回復すれば僕の正体などすぐ知れてしまうのに。


 でも、こんなに誰かと話をしたのなんて白竜が来た時以来で、むずむずと沸き立つ喜びを噛み締めながら自分の寝床に蹲る。


 明日か明後日か……イェシルが回復するまでは普通に話をしたい。

 これから死ぬまで孤独な僕にもせめてそれくらいの願いは叶うだろうか?


 結局、そんな事をぐるぐると考えていたらあっという間に夜明けになってしまった。


 僕は起き出すとすぐに隣の横穴へと向かった。


『イェシル。朝だけど気分はどうかな?』


 眠っていたらしいイェシルは呻きながら身を起こそうとしていたが、まだ身体はうまく力が入らないようだ。


  『新しい水を持ってくるよ』


 僕は窪み石を回収して新鮮な水を掬うため泉へと向かう。


 戻って横穴を覗くとイェシルは上半身を起こしていたのだが、その身体を見て僕は飛び上がりそうになる。


  『イェシル!か、殻が剥がれてしまったの?あぁ!やっぱり僕のせいで……』

  「殻?」


 イェシルは自身の身体をペタペタと触り、横にあった剥がれた殻を手にとった。


  「もしかして、防具の事か?」

  『ボーグ?』

  「そう……知らねぇのか? 身体につけて身を守るんだよ」


 僕はそれを聞いてヘナヘナと脱力した。

 あの殻みたいなものは柔い肌を守るもので、きっと僕の身体の鱗のような役目をしているのだろう。


  『よかった……てっきり僕のせいで剥がれてしまったのかと思ったよ。たしかに言われてみれば咥えた時、やけに硬いし不思議な味だった』


  「……」


 妙な沈黙が流れる。

 イェシルは暗闇の中でしきりに目を動かして僕の姿を捉えようとしていた。


  『あの……僕はずっとここで一匹でいるものだから、あまりものを知らないんだ。何か気を悪くしたならごめん』

  「あ、あぁ……」


 また微妙な沈黙。

 やっぱり僕はおかしな事を言ってしまったらしい。

 イェシルは落ち着かない様子で纏う空気も若干ピリピリとしていた。


  「俺を拾った場所に袋や剣……金属の棒みたいのは落ちてなかったか?大事なもんなんだ。探してくれねぇか?」


  イェシルの態度がおかしかった気がするけど、気のせいだったみたいだ。

  出来損ないの僕を頼ってくれるなんて、生まれて初めての経験だった。


  『昨日は気づかなかったけど、イェシルの頼みならもう一度よく探してみるよ!』


 見つけたらイェシルは喜んでくれる。

 僕は嬉々として横穴を飛び出した。


 岩棚を出て、大急ぎでイェシルが倒れていた湿地のあたりに行ってみる。

 あの時は慌てていたから周りなんて見ていなかった。


 すると倒れていた場所から少し離れた所にきらりと光るものがある。

 その近くには動物の皮のような袋があった。


 袋と艶のある棒を拾い上げ、しげしげとそれを見る。

 棒の方は緩く湾曲して先が鋭く尖り、見た事の無い硬い材質で出来ていてる。どうやらつるりとした面が陽光を反射し光っていたらしい。


 一体何に使うのかはわからないけど、まるで薄っぺらい竜の角のような形だ。それにとても美しい。

 人間は自分で道具を創り出すと聞いたけど、これもそうなんだろうか?


 あぁ、もっともっと色々知りたいなぁ。


 僕は拾った袋と棒を持ってイェシルの元へと上機嫌で戻った。



  『イェシル?寝てるの?言ってた棒と袋が見つかったよ?』


 語りかけると、僅かにピクリと反応してイェシルは上半身を起こした。


  「あぁ。助かった」


 イェシルは袋から何かを取り出すとペラペラと木の皮のようなものを捲り、中に入っていた何かを口に放り込んだ。


  『それは何?』

  「干し肉。獣の肉を干したもんだ。食べるか?」

  『うーん。いらない』


 肉というには随分と水分が無さそうだし硬そうだ。イェシルも何度も噛んで咀嚼している。あれが普段の食事なんだろうか?


  「普段何を食べてるんだ?」


 考えていた事を逆に質問されてどきりと心臓が跳ねた。


  『え、えーと……虫かな』

  「虫!?」


 イェシルの綺麗な目が真ん丸く開いている。どうやら人間は驚いたときなどは顔が奇妙に変わるらしい。


  『あ、虫を食べるのは変わってるよね?《鳥トカゲ》の肉が食べれないから仕方無くなんだけど』

  「なんの肉だって?」

  『イェシルが襲われた人間が魔獣と呼ぶ鳥達だよ』


 イェシルは黙り込んで目を閉じてしまった。

 沈黙にどうしたものかと狼狽えていると、イェシルが徐に口を開いた。


  「触った感触だと傷跡も無ぇし、おかしいと思ったんだ。俺の記憶じゃ魔獣に襲われた時、腹をバッサリやられてた。死んでたっておかしくねぇ」

  『う、うん……』

  「魔法使エルグいには傷口や毒を浄化する事は出来ても、傷口を再生する術は無い。お前、一体何者だ?」


 イェシルの目が鋭く光る。


 あぁ、もうダメだ。

 遅かれ早かれこうなる事はわかっていたけど……これ以上隠してはおけない。


  『イェシルは、僕を見たらきっと驚いてしまう。もう話をしてくれなくなるかもしれない。僕はそれが嫌だった』


 僕は落胆しつつ、爪の先に魔力で小さな光を灯した。

 イェシルの眩しそうに眇めた若草の瞳が開くと、そこに僕の姿が浮かび上がる。


  「魔獣! いや、竜!??」


  『そうーーーー僕は竜。古より【マロイ】に棲む黒竜だよ』


 イェシルは今まで見たことが無い程に目をカッと開いたかと思うと、剣呑な眼差しを向けてきた。

 そして全身から立ち昇る敵意がびりびりと僕に突き刺ささる。


 やっぱり、白竜が言っていた通りだった。

 人間は僕らを見ると恐怖する。


 わかってはいたのに、さっきまで普通だったイェシルの変化に僕の心が痛み出す。


  『どうか、僕を恐れないで。傷つけるつもりなんてない。とても酷く弱って死にかけていたイェシルを見て、放ってはおけなかった』


 俯きながら懇願するように言うと、僅かにカチャという音がした。

 顔を上げるとイェシルが大事だと言った角のような棒が突きつけられ、鋭い先端が光を反射して煌めいた。


 そうか、これはこういう道具だったのか……。

 僕にこれを取って来させたのは、僕を殺す為だったんだ。


 少し前から動けるようになっていたのだろう。イェシルはいつの間にか立ち上がり間を詰め始めていた。


  「お前、なんのつもりだ? 何で俺を助けた」


  『ただ、人間と……イェシルと話したかったんだ』


 鼻先に触れそうなくらい近く突きつけられた先端が僅かに揺れる。

 僕の言葉の意味がわからないと言うように眉間には深い皺が寄せらていた。


  『僕は《尾切れの黒》と呼ばれていた生まれつき飛べない出来損ないでね。僕とまともに話してくれた竜は一匹もいなかった。それでもいつか認めてもらえるんじゃないかと思ってたんだけど、皆僕を置いて旅立ってしまって30年、誰もこの台地に来た者はいなかった。

 そんな時、傷ついたイェシルを見つけた。人間は竜を恐れるとわかっていたけど、イェシルと話しができて、僕は嬉しくてね。正体を知ればきっと驚いて恐がるだろうと思ったから中々言い出せなかった。イェシルがそうしたいなら、僕を殺すなら……そうして良いよ? どうせこの台地から出れず、孤独に死ぬ運命だもの。だったらイェシルに殺された方が幸せだ』


  「……」


 ありのままの気持ちを伝えれば、眼前に迫っていたイェシルの鋭い角はゆるゆると下がっていく。


  「ちッ!」


 イェシルから殺気が消え、脱力した様にその場に腰を下ろした。

 もしかしたら、急に動いて身体が辛いのかもしれない。


  『イェシル? 大丈夫?』


 応答は無い。

 暫く動かないので、僕も動かずにイェシルの頭を見下ろしていた。

 泥に汚れているが、イェシルの頭に生える毛は金鉱石のような色をしていて、とても綺麗で思わず見惚れてしまう。


  「イェシルの毛色はとても綺麗だね」

  「お前、わかってんのか? 俺はお前を殺そうとしたんだぞ」


 イェシルは下を向いたまま、ぼそりと呟いた。


  『うん? イェシルになら僕は殺されてもいいよ』


 はぁーーーーと、長々した溜息がイェシルから溢れる。

 殺さないのかな?どうしたんだろう?


  「竜ってのは皆そんななのか?」

  『そんなって?』

  「伝説でしか知らねぇが、人と馴れ合うのを好まねぇ生き物だと思ってた」

  『殆どの竜は人間は嫌いかな? だからこの地から離れてしまったし。僕は白竜に聞いた人間の話がとても興味深くて、ずっと会ってみたいと思っていたんだけどね!』


  「……お前が変わってんだな」


 イェシルはじとっと半眼で僕を見た。

 その表情が語るものが何かはよく分からないけど、とりあえず僕を殺すのはやめたのかな?

 じゃあ、僕ともっと話をしてくれるの?


 期待に満ちた目でイェシルを覗き込むと、「疲れた」と言ってごろりと横になる。


  『イェシル?』

  「……」

  『寝ちゃった?』

  「……」

  『もっとお喋り』

  「しねぇ。疲れたから寝る」


 がくし。


  『あ、イェシル!泉へ連れてってあげる。イェシルの魔力も泉に入れば回復も早い筈だよ?』


 この誘い文句にむくっとイェシルが起き上がった。

 半分はイェシルの為だけど、半分は僕がまだ話をしたいからなんだけど。





 ✳︎✳︎





  『ここが泉だよ』


 洞穴の地下にある更に大きな空間。その空間を埋め尽くす岩盤は青白く淡い光を発し、奥にある広い泉は更に輝くように青く澄んでいて全体が薄青い光に包まれている。


 見慣れている僕もこの場所は何度見ても美しく目が奪われてしまう。

 僕の真下にいるイェシルも……後姿で顔は見えないけど、この景色には驚いているようだ。


 僕はふらりと泉に入り、その中央にある岩の側面にへばりついた。


 中央の岩には魔獣に似た性質の虫がいるのだ。昔仲間がいた頃は憐れんで餌の欠片をくれたりもしたが、もうそんな事はあり得ない。仲間が旅立ってからずっと、僕の餌は虫だけだった。


 薄暗い中で青く発光する人間の掌程の幼虫をガリガリと岩ごと削り落とすようにして食べる。

 真横に来たイェシルが眉間に皺を寄せ、口を歪めた。


  『イェシルも食べる?』

  「そんなもん食えるかよ」


 さっきの石みたいに硬そうな肉よりよっぽど美味しいと思うのに。

 とりあえず、今日のごはんを食べてしまおうと僕は岩の虫達に集中した。


 食事を終え、振り返ると僕はまたしても飛び上がりそうになった。


 イェシルの姿が変わっていたのだ。


  『こ、今度は皮が剥けてる!』

  「皮? ああ、服の事か? 身体を洗う時は人間はこうやって脱ぐんだ」


 ふ、ふく?皮じゃないのか。

 びっくりした。脱皮したのかと思った。


  『本当、人間て不思議だなぁ……いちいち付けたり外したり大変だね』

  「まぁ、人間の世界じゃ、着てねーと色々まずいからな」


 イェシルはそう言いながら浅瀬に向かったので慌てて僕も後を追った。

 浅瀬につくと、ザブザブと手荒に服とやらを泉に浸して擦っている。


  『それは何してるの?』

  「血だらけで汚ねえから洗ってる」

  『へ〜〜!』

  「乾かしたらまた着るんだよ」


 イェシルが泉から出て岩に腰を降ろしたので、傍に僕も蹲る。

 寒くならないようにと少し大きめな炎を灯してやると、イェシルの本当の肌は滑らかそうで、蜜色に輝いて見えた。


  『人間は柔いから服や防具で身を守るんだよね?でもその身体の色とっても綺麗だから隠してしまうのが残念だなぁ』


 イェシルの身体に顔を近づけてまじまじと見ていたら腹辺りに奇妙な小さい穴を見つけ、少しだけ鼻先で触れてみる。


  『この小さな穴は何? この下のは? 尻尾?』


 イェシルは慌てて僕から距離をとった。


  「尻尾じゃねぇ。食い千切ったら呪うぞ」


 そんな睨まなくても僕は人間なんて食べないのに……ていうか、尻尾じゃないなら何だろ?

  期待に満ちた目で見つめていると、イェシルは濡れたままの下半身を覆う方の服をさっさと着てしまう。更にじろりと目つきを鋭くした。


  「魔力が全然戻らねぇ。話が違う」

  『う、うん。普通少しは回復するんだけどね……僕のやった秘術のせいかも 』

  「秘術?」


 イェシルは炎の前に残りの服を翳しながら僕を胡乱な眼差しで見上げた。


  「秘術ってのは傷を治したやつか? それ、いったい何なんだ?」


 他の黒竜はいないし、第一イェシルには、いや人間には絶対出来ないんだし言ってもいいかな?


  『これは……黒竜だけが使う秘術だけど、イェシルには教えてあげる。竜は膨大な魔力を額の石に蓄積させてるんだ。それを解放して魔力を練り上げる。この時、魔力の4大性質全てを合わせて練り上げるんだ。そして濃縮した魔力を癒したい対象の身体に合わせた量で与える。魔力の練り上げ方と血の量のバランスがとても重要なんだ。じつは僕、初めて術をおこなったんだけどイェシルは成功したと思うんだよね。失敗した竜を見た事があるけど、秘術の後直ぐに酷い姿に歪んで絶命してしまったからね』


  僕は少し得意げになって、秘術について語った。


  「全ての魔力の性質だ? 人じゃ絶対あり得ねぇな。でも成功したならなんで魔力が戻らねぇんだ?」

  『魔力は自らが持っているもので通常は与えられない。それを黒竜の四大性質の魔力を合わせる事で無性質化してから流し入れるんだけど、そもそも竜と人間の魔力では根本的に違うのかもしれない。考えられるのは魔力の器を壊したとか、イェシルが持つ魔力を無力化しちゃったとか……でも、そうするとイェシルの傷は何故癒えたのかって話になるんだよね。初めてだし前例も無くて僕にはわからないんだ』


 言っているうちに咄嗟の判断とはいえ、大変な事をしてしまったと僕は今更大いに実感し項垂れた。

 これでも魔力操作と魔法知識は自信があるんだけど、こればかりは本当に僕にもわからないし、他に僕以外の黒竜もいないから聞くことも出来ない。


  「別に、こんなクソみたいな命ほっときゃ良かったのに。戦えなきゃ生きてる意味ねぇ」

  『そんな事ないよ! イェシルが生きてくれて僕はとっても嬉しいよ? 生きてるからこうやって今話せてる訳だし』

  「……」


 イェシルは何にも言わない。

 度々こういう沈黙があるけど、いったい何を考えてるんだろう。

 顔を覗き込んでも、その表情も眼差しも静かで僕にはよくわからない。


  『他に、聞きたいことは無い?』

  「そうだな……お前、なんで飛べないんだ?」


 もっと別の事聞かれるかと思ったら、意外にもイェシルは僕自身の事を聞いてきた。

 僕は身体をずらして醜い尾尻をくいっと上に持ち上げる。


  『名前の通り、僕の尻尾は生まれつきこんな形だから上手く飛べないんだよ。それで魔獣を狩る事もままならない。あの虫くらいしか僕には食べれないから身体も小さくてね……とても醜いでしょ?』


 鱗がないひしゃげた尻尾は短く、他の竜の足先程も無い。短く千切れてしまった様にも見える。


  『こんなだから仲間には疎まれ、親にも見捨てられたんだ』

  「……」


 それからイェシルも少しだけ自分の話をしてくれた。

 イェシルはエルヴァダルという国に住んでいて、エルヴァダルには魔法を使う人間エルグと使えない人間、亜人がたくさんいるらしい。そして、さっきの薄っぺらい竜の角のような形をした剣という武器を扱う魔剣士という生業・・をしているのだそうだ。


 この地から出る事が出来ない僕はそんなイェシルの話に目を輝かせ聞き入っていた。


 けれど楽しい時間はそう長く続かなかった。

 ふいに地響が聞こえ、洞穴の天井から石がパラパラと微に落ちた。


  「なんだ!?」


 何事だとイェシルとともに急いで岩棚の入り口へと向かう。


 先に入り口に辿り着いた僕が岩棚から台地を見渡すと、台地の端で騒がしく鳴く《鳥トカゲ》を見つけた。

 そこで炎が膨れ上がり爆発が起きる。

 どうやらさっきの地響の正体はあれらしい。

 煙りがもうもうと上がる中、身体中を鈍い光を放つ防具で覆ったような格好の人間が数人《鳥トカゲ》と交戦している様子が見えた。


 イェシルも息を切らし、入り口へとやってきたが長く暗闇にいたからか眩しさに目が開かないようだった。


  「くそ!目が…!ぐぁっ?!」


 その上、無理をして身体が辛いようでイェシルが岩の上に崩れるように両手をついている。


  『イェシル? まだ無理をしたら駄目だよ。人間が《鳥トカゲ》と戦ってる。イェシルの仲間でしょ? 僕が助けに行くからここで待ってて!』


 苦しそうにもがくイェシルの頬を舐めながら僕は念話でそう言うと、岩棚から飛び出した。


 ズン!!と地面に着地し、そのまま勢いをつけて走り出す。


 岩棚の入り口でイェシルが何か叫んでいたが、喚く《鳥トカゲ》達に掻き消され、僕には何と言っているかわからなかった。

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