第五話:再開
俺は久しぶりに住み慣れていた街に出た。
砦に引き籠っていた二ヶ月で随分と街が変わってしまっていた。
戦争のせいか、浮浪者が町に溢れ、以前はにぎやかだった商店街も、ほとんどの店が閉まっている。
「ねえ、私を買わない?」
見知らぬ女が話しかけてきた。
整った輪郭と大きな目が特徴的な美しい女性だったが、頬がこけ、目元には殴られた後があり、見る影もなくなっていた。
「いくらだ?」
「三ガルク」
安すぎる。酒屋でいっぱいひっかける程度の金額だった。
「遠慮しておく」
「お願い。なんでもするから。それとも高いの? 二ガルクならどう?」
さすがに同情してしまう。
買う気はないが財布を取りだして施しをやろうとした瞬間、女は目の色を変えて跳びかかってきた。
訓練の成果か、たやすく腕の関節を固め取り押さえることができた。
財布が地面に落ち、そのはずみで硬貨が転がっていく。そこに何人も群がり殴りあいをはじめてしまった。
「どういうつもりだ?」
「お金が、お金が欲しいの」
遊ぶ金欲しさじゃないだろう。それならここまで必死になれない。
「働け」
「どこでよ。今じゃ女の仕事は娼婦くらいしかないわよ。パン一切れのために抱かれろって? 冗談じゃない」
ああ、胸くそ悪い。
襲いかかる前にその台詞を聞いていれば、施しに色をつけてもよかった。だが、もうこの女に同情はできない。
「なら、野垂れ死ね」
彼女の手を離し、背を向ける。一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
町を抜け、郊外にでた。そこに迎えが来るはずだった。
待ち合わせの時間は十一時だが、既に十分以上すぎている。
場所を間違えたか? 地図を取りだし確認しようとした矢先、轟音が聞こえそちらを向く。
遙か前方に見慣れた軍用車が見えた。
ただ、その速度が尋常じゃない。目測だが、時速二百キロメートル程度。それもほとんど舗装されていないような悪路を。
「おい、待て」
轟音でかき消されるが必死に叫ぶ。
距離が五十メートルを切ったというのに減速する気配がない。
死を覚悟した瞬間、軍用車は、悲鳴のような甲高い音をたてながら急ブレーキ。そのままタイヤを横滑りさせ、完璧なターンを決め、俺の鼻先三十センチで止まった。
「マテウス。君のために急いできたよ」
返事をしようとするが声がでない。
「どうしたの? ああ、僕にあえて嬉しくて声もでないの。マテウスって可愛いところもあるんだ」
見当はずれなユーリの言葉を聞き流していると、鼓動が治まってきて、話せる状態になる。
「……久しぶり、ユーリ」
「うん、久しぶりマテウス。早速だけど乗って。はやく戻らないと」
エルク・フーベルト中隊長から話を聞いた時に、ユーリの研究が絡んでいることは予想がついていた。
しかし、本人が直々にくるのは想定外だ。
「なあ、ユーリ。お前今日はひとりか?」
「違うよ。後部座席を見て、失神している人がいるから」
「どうやったらそうなる」
「う~ん。この辺の道は、結構揺れるから酔っちゃたと思う。護衛失格だね。この人」
ごまかそうとしているが、直前に見た光景が全てを台無しにしている。助手席に座っていいかを確認してからユーリの隣に座る。
「ユーリ。今回の異動はお前の差金か?」
「そうだよ」
わかっていたことだが、ユーリに助けられたらしい。
巨人を失ったにしては、あまりに処罰が軽すぎる。
「ありがとう。本当に助かった。ユーリがそうしてくれなかったら、ひどいことになっていた」
「どういたしまして。でも、勘違いしないで」
若干声色を固くしたユーリは、こらちに目を向けずに口を開いた。
「僕が君を助けたのには、個人的な感情が多分に含まれているのは認めるけど、ちゃんと僕の作る巨人の適任者と判断してここに呼んだ。なぁなぁで仕事をするつもりだったら、君を許さない」
その目は本気だった。
ユーリに助けられた負い目にばかり目を向けてしまったが、人造巨人のプロジェクトにかかる期待と責任は想像を絶するものがある。
生半可な気持ち行っていい類のものではない。それに自分自身、撃墜王としてのプライドもある。
「肝に銘じておくよ。ユーリの期待は絶対に裏切らないと約束する」
「ねえ、マテウス。君はここの仕事をどう聞いている?」
「人造巨人のテストパイロットを努める」
「じゃあ、もっと具体的には?」
思いつくのは各種調整。
様々な耐久実験の中でトライアンドエラーを繰り返し、実践に耐えうると判断されるまでその機体に乗り続ける。
考えたことを、そのままユーリに伝える。
「うん、確かにそういう仕事もある。でもね、マテウス。その段階はずっと前に終わっている。君に求めているのはそこじゃない」
「なら、俺に何をして欲しい?」
ユーリは勿体つけるように、こちらの顔を上目遣いに見つめて勿体つけるようにしてから口を開いた。
「人造巨人の存在価値証明。僕の人造巨人。ブラオクーゲルを駆って敵の巨人を叩き潰す。それが君の仕事だよ」
そこまでやって初めて、人造巨人の意味があるとユーリは続けた。
「わかった。やって見せる。俺はお前の巨人を信じてもいんだな」
「もちろん、僕の巨人、ブラオクーゲルは最強だよ」
ユーリは、嘘を言わない。
それに、自信がなければ俺を乗せようとしないはずだ。ブラオクーゲルの性能を信じることを決めた。
「ねえ、マテウス。研究所についたら君のことをなんて呼ぼうか?」
「何を迷う必要があるんだ。レンツでいいだろう」
「前、別れ際に言ったよね。僕は君のことをレンツと呼ばないって」
「だったら、マテウスのままでいい」
「まぁその名前を知っている人もいないし問題ないか……ねえ、マテウス。前の隊で除隊になった経緯を僕は知っている。でも、あえて聞かせてほしい。まだ、メア・スーンのことが好きなの?」
「ああ好きだよ」
「そっか、バカだな。マテウスは。どうせ、好きになるなら、もっとめんどくさくないのを選べばいいのに」
ユーリはアクセルを踏み込んだ。
爆発的な加速。乱暴なステアリング。まるで何かから逃げているようにユーリはただ全力で車を走らせた。
「今日から君の仕事場だよ。宿舎に君の部屋も用意してある」
「それは、助かる。結構街から距離があるし、通うのしんどいと思っていたところだ」
案内された研究所は、外観からすればただの工場だった。腹に響く重低音と、鼻につく油のにおい。
「ここから先も、案内してあげたいけど……ごめん。仕事があるから僕は先に行く。案内はそこに寝ている人にさせて。じゃあ、また後で。話ができてよかった」
こちらの返答も聞かずユーリは去っていった。
ユーリは案内を頼むといった男は乱暴な運転のせいでダウンして起きる様子がない。
「えっと、大丈夫か? そろそろ起きてくれ」
車に再び乗りこんだ俺は、男の耳元で大声を上げるが反応する様子はない。
しかたがないので思い切り体を何度も揺する。そうすると、ようやく目を覚ましてくれた。
「もう、起きていいですか?」
わけがわからない。まるで意図的にダウンしていたような言い方だ。
「本当に、大丈夫か?」
「ええ、演技ですし。体を商売道具にしていますからね。あれくらいで参ったりはしないですよ」
「どうして、そんな面倒なことをしたんだ? 正直、わけがわからない」
「ユーリさんが、あなたと二人きりで話したそうにしていたので。秘密ですよ」
さっきの会話が聞かれていたことになる。冷や汗が頬を伝う。
「そんなに警戒しないでください。まず、お互いの親睦を深めるために、自己紹介からいきましょうか?」
白々しい言葉を。
「俺は、レンツ・ビヤンキ。今日からここでテストパイロットをさせてもらうことになった。よろしく頼む」
「あなたのことは、ユーリさんから聞いています。私はここの副主任兼、主任であるユーリさんの護衛を勤めさせていただいているシーゲルです。レンツさん。ユーリさんから何か話を聞いていますか?」
「あなたに宿舎と研究所を案内してもらえと」
「了解です。行きましょうか」
「副主任にそんなことはさせられない。地図だけもらえれば構わない」
建前だった。ユーリに彼のことを詳しく聞きたい。そして、状況によって早急に対処が必要だ。
「そういうわけにはいかないですよ。君と話がしたい。案内はそのついでだ。マテウス・ヴォルデくん」
どこまで知っている? 警戒を込めた視線をシーゲルに向けるがひょうひょうとした様子でまったく動じていない。
「心配しないでください。私は君の……違うか、ユーリさんの味方だ」
「ユーリとはどういう関係だ」
「さっきも言ったように、副主任兼彼女の護衛。あえて付け加えるなら、彼女を世界で一番愛している男です。まぁ、君と同じで叶わぬ恋だけどね」
「気が変わった。早速案内してもらおうか。誰も邪魔の入らないところに」
「OK.いいところがありますよ」
彼の後をついていく。なぜか後ろめたい気持ちになった。その理由がどうしてもわからなかった。
「ここなんてどうかな?」
研究所の中にある仮眠室。シーゲルは後ろ手で鍵を閉める。先日のメアとの話し合いと同じシチュエーションだ。
あの夜を思い出し、胸にほろ苦い何かがこみ上げた。
「ああ、間違いなく邪魔は入らないだろうが、男と二人きりで居たいとは到底思えない場所だ」
「まぁ、そんなことを言わないでください。お兄さん」
気持ち悪い。いや違う。今の気持ちを正確に言うと胸くそ悪い。
「嫌そうな顔をしないでください。そうなる可能性もゼロではないでしょう? まぁ、私がお兄さんになる可能性もありますが……これは秘密でしたね忘れてください」
「好きにしろ。応援はしないが邪魔をする気はない。でっ、話はなんだ? 俺の秘密を黙っておくかわりにユーリに何かしろとでもいうのか?」
シーゲルは俺の嫌みを鼻で笑う。
「そんなつもりはありませんよ。それは彼女を好きな人間がすることじゃない。私は知っておいて欲しいだけです。あなたがどれだけ彼女の負担になっているのかを」
ユーリに負担?
腹の中に冷たい何かが落ちてきた。
「今回の異動についてのことか?」
「本気で言っているのですか? めでたい脳味噌ですね。彼女がいなければ、革命の一週間後にはあなたは死んでいたはずですよ」
予測はつくが、考えたくない。
耳を両手で覆いたくなる衝動にかられる。
「革命の後、表に出ていない王の血筋の洗い出しは実施されて、もちろん君の名前も出ていました。君は処刑されるはずだった。でも、君は、逃亡した彼女の身柄と引き替えに助かった」
嘘だ。だってユーリは、自分は誘拐を演じていたって言っていたはずだ。否定材料を必死に探す。
「ああ、あなたはあのつまらない嘘を信じているとでも?」
そして、その淡い希望も一瞬で打ち壊される。
「わかっていますよね? さすがにそこまで世の中は甘くないですよ。あの夜、本当にユーリさんはすべてを賭けて逃げ出すつもりだった。あなたを連れてね。
でも、あなたは拒んだ。だからユーリさんはこの国に戻り、自分の身柄と知識のすべてを捧げることを条件にあなたの身の安全を守った」
聞きたくない。俺は、俺は、
「ああ、まだありますよ。
この前メア……スーン家の娘の罪被ったじゃないですか? あれも本来だったら、もっとひどいことになっていたはずですよ。今度はユーリさんから動いたのではなく、軍からのアプローチでユーリさんが脅しを受けましたよ。
来月中に試作機を実践投入させろ。完成後は、その功績のすべてを指定した研究者に差し出せ。それが、兄を助ける条件だ。
これをユーリさんは飲みました。ふつうは見捨てますよね。彼女にそこまでする義理はないし、あなたにはそこまでされる価値はない」
「俺に、どうしろと?」
なんて格好悪いのだろう。
なにも言い返すことができず、子供のようにわめいているだけだ。
そんな俺をシーゲルは冷たく見下ろしていた。
「私はあなたに何かを求めているわけじゃない。当然ユーリさんも。ただね、ムカつく。自分一人が不幸顔して、勝手に自己解決して、その結果どれだけユーリさんに迷惑をかけているかなんて気にもしない」
「……」
「覚えておいてほしい。ここでの、これからのあなたの行動は全てユーリさんの負担になりうることを」
「ああ」
「ということで、お説教は終わりです。次は研究所の中を案内しましょうか」
「一つ聞いていいか。おまえはユーリのことが好きだろう? だったら俺をどうしたい?」
聞いておかなければならなかった。
俺には彼の気持ちを受け止める義務がある。
「本音を言うと、死んでほしいです。でも、ユーリさんが悲しみますし、新しいパイロットの手配も難しいしだめですね。
だから、私からは一つだけお願いをさせていただきます。せめて仕事でだけは、ユーリさんに迷惑をかけないでください」
「そのつもりだ」
これからどうするかは定まらない。ただ、ユーリの期待には応えたい。
それが恩返しになるとは思わない。ただ、それ以外俺がユーリに何をしてやれるのかが、わからなかった。