第二話:マテウス
「三年ぶりなのに、男装して、口調まで変えられて気が付くはずがないだろう。それにどうして、初めから名乗らなかった?」
「仕方ないじゃないか。僕はきみと違って王女として認知されているから、一般市民まで顔が割れている、君と違っていろいろ気をつけないといけない。最初から名乗らなかったのは、マテウスには自分で気がついて欲しかったから……あやうく乙女心が原因で死ぬところだった」
ユーリは苦笑しながら、自分の首を撫でる。俺が首を絞めたあとが、赤く残っていた。
「確かに俺とお前とは違う。本物の王族だからな」
「刺のある言い方だね。僕は別に嫌味で言ったわけではないのだけれど」
落ちこぼれの俺と、正当なる王族として認められているユーリ。
胸の中に押えきれない嫉妬の炎が巻き起こる。
ヴォルデ王国には、変わった風習が二つある。
一つ目、王は正妻を取らない。
二つ目、無能は王の血筋を名乗ることは許されない。
王は生涯、独身を強いられて、世継ぎを作るために、数え切れないほどの女と性交する。
その結果、王位継承者が多数生まれ、そして二つ目の風習によってそのほとんどが権利を失ってしまう。
俺たち、王の子供は十二歳になるまでは莫大な金をかけて、徹底的な英才教育を施設で受けた後に適性審査を受ける。
王族の器ではないと判断されたものは、王族との一切の関わりを断たれ、一市民として生きることになり、適格者は次の試練を与えられる。
「成人してから十年以内に、自分の力で民の誰もが認める功績をあげよ」
王からの直々の命令が下るのだ。
思えば、直接、父が俺にたいして放った最初の言葉はこれだった。
例えば軍人として獅子奮迅の働きをして勲章を得ればいい。
研究者として偉大な発明をしてもいい。
いっそ医者になり、難病の特効薬を開発するのもありだ。
この試練はひどく自由だ。
援助金と、どの道を志しても困らないように貴族の私生児としての戸籍を与えられ、後は本人の意思に任されてしまう。
だからこそ、大半のものは堕落してしまう。
俺は、軍人になり身を立てようとした。
士官学校を主席で卒業できれば、若輩の身でもすぐに自分の部隊を持つことができる。そうすればチャンスが回ってくる。
そう考えていたが、メアに主席の座を奪われ俺は半ば挫折した。
それに対し、ユーリはわずか十五歳で研究者として偉大な功績を残して王族として認められている。
「俺にお説教しておいて自分のほうがよほど危ない橋を渡っているじゃないか」
「僕はいいの。捕まっても殺されることはないから。なにせ、僕がいないと人造巨人は完成しない。せいぜい、監禁されたり、拷問されるくらいかな? ああ、でも道理が通らない人たちに見つかるとちょっと、まずいかも」
そう、それこそが彼女が王位継承者として認められた功績だ。巨人は疑いようもなく最強の兵器である。今日の革命でも活躍していた。
巨人と戦車の戦力比は戦車二十台に対して、巨人一体とも言われている。
ただ、一つ問題があった。数が揃えられない。
巨人の製法は既に失われ、発掘されるか、敵から奪うしか増やす方法はない。しかも、破損しても直すことすらおぼつかない。
今の戦場は巨人の数で勝敗が決まると言っても過言ではない。
もし巨人を生産することができれば、今の戦場におけるパワーバランスを容易に突き崩すことができるだろう。
「ぜんぜん、大丈夫じゃないだろ。第一、俺たちが逃げられる場所なんてどこにもない」
「ちゃんと、そこは考えているよ。隣国のネルーフに亡命する。僕は人造巨人の資料も持ち出しているから、きっと大歓迎されると思うよ。さすがにすんなりとはいかないかもしれないけど、普通に暮らせば一生困らないだけの資産もネルーフに用意してある」
ひどく魅力的な提案だ。
いつ自分が追われる立場になるか分からない。
それどころか国そのものの先行きも見えないこの状況でこの提案を断るなんてことは普通に考えればありえない。
「ユーリ。俺は残る。ひとりで行け」
だが、俺は馬鹿だった。どうしようもなく。
「ねえ、君は正気? 一応理由は聞いてあげるよ」
「父も兄も死ぬとわかっていて逃げなかった。俺だけがこの国を見捨てて逃げることなんてできない」
俺の言葉を聞いたユーリは目を丸くして、そして呆れたとでもいうふうに深くため息をついてから、ゆっくりと口を開いた。
「マテウス。君は自分の状況がわかっている? 君は王族として認められていない、なんの力も持たない一軍人で一般人のレンツなんだ。そんな君が、父さんや兄さんと同じ責任を負う必要なんてない。そんな君が一人この国に残ったところで何もできないよ。だいたい君は勘違いをしている。僕たちがこの国を見捨てるわけじゃない。この国と民が僕らを捨てたんだ」
ユーリの言う事は正論だ。そして自分が言った言葉がどれだけ薄っぺらいものかを嫌になるほど自覚している。
俺はこの国を出ることをよしとしないそれは間違いない。
では、本心はどこにあるのかと自問自答する。理由はいくらでも探せるが、この場に相応しい、もっとシンプルで力強い言葉を慎重に選ぶ。
「好きな人がいる」
口に出してやけにしっくりときた。
俺はメアを放っておけない。それが根底にあった。
きっと俺は、メアを止められなかったわけじゃない。止めなかった。
「あはははは。マテウスは馬鹿だ。だけど、君がそう言うなら仕方ない。僕もこの国に残るよ」
ユーリは、俺の言った理由がよほど可笑しかったのか、涙ぐんでしまうほど、大声で笑う。
「ユーリまで無理に付き合う必要なんかない。おまえがこの国に残る理由なんてどこにもないだろう?」
「君がそれを言う? だったら、僕がどうして残るのかを教えてあげるよ。それはね、この国に好きな人がいるから。君と同じ理由だよ。ほかの理由を君が言っていれば、無理やりにでも連れて行けたのに」
「……その理由を否定する事はできないが、現実問題としてお前は既に逃げた。殺されないにしても、今から戻るとまずいことになるだろ?」
「それなら大丈夫。三日前から僕は表向きには誘拐されたことになっている。ちなみに明日が身代金の受け渡しの日だから、そのタイミングで戻れば、僕自身が罰せられることはないよ」
得意げに薄い胸をはるユーリ。
俺よりはよっぽどしっかりしているようだ。ひどく身勝手な話だが、俺が断ることを想定して動いていること自体がショックだった。
「それでも、俺は」
「しつこい。僕が、ネルーフに人造巨人を売る意味がわかってる? 下手したらこんな国すぐに滅ぼされちゃうよ。そうなったら真っ先に死ぬのは軍人の君だ。それがわかっていて行けるはずがないじゃないか」
ユーリが声を荒らげる。ここで彼女が俺に求めているのは、きっと謝罪なんかじゃない。
自分についていくという言葉だけだ。それがわかっていて俺は……
「すまない」
謝ることしかできなかった。
「ねえ、マリウス。僕といっしょに逃げていたらマリウスも僕も幸せになれたはずだよ」
ユーリの提案に従ってネールフに逃げていれば、俺は、いつ自分の正体がばれるか、心配する必要がなくなったし、ユーリだってこの国にいるよりはずっと自由になれるはずだった。
「君は、自分だけじゃなく、僕も不幸にした」
「すまない」
「だから、責任をとって」
「俺にできる事ならなんでもする」
偽らざる本心だった。俺はそれだけの借りをユーリに作ってしまった。
「小さい頃みたいに抱きしめて」
ユーリをぎゅっと抱きしめる。
彼女の小さな体は腕の中にすっぽりと収まってしまった。
やましい気持ちを無理やり、抑えつける。触れ合った肌から鼓動がどくんどくんと伝わってくる。
「頭を優しく撫でて」
言われるがまま、ユーリの頭に手を伸ばして、ガラス細工を扱うように優しく撫ぜる。銀色の髪がさらさらと流れていく。
「次は、いい夢が見られるおまじないをして」
昔を思い出し暖かな気持ちになる。
彼女の前髪をかきあげ、白い額にキスをした。
「そのまま一緒に眠って」
「……それはまずいだろう」
「お願い」
「できない」
たぶん、俺は、まだユーリを妹のユーリとして見ることができていない。
昔の弱弱しく、俺を頼っていた妹ではなく、心のどこかで一人の女として今のユーリを見ている。
「お願い。僕を眠らせて。三日前に逃げてから眠れない。周りのみんなが僕を殺そうとしているように思えてどうしようもなく怖いよ。マテウスが側に居てくれたら眠れる気がする」
必死に懇願してくるユーリ。
だが、その仕草と言葉ですら俺にとっては、違和感を助長させるものにしかならなかった。
変装を止めてからも、ユーリの口調はまるで男のようだった。
記憶の中のユーリは、もっと女の子らしかった。
頭の中のユーリと今のユーリのイメージが重ならない。
それは口調だけではなく、内面も。
昔も一緒に眠ることはあった。
同じ王族専用の教育機関に居たころ、厳しい訓練。とりわけ人を殺した後に、ユーリはベッドに潜り込んできた。優しい子だったから、殺してしまったことを悔いて泣いていた。
だが、今のユーリは既に何人もの人間を犠牲にしている。
ユーリが逃げた際に護衛は罰せられただろう。
誘拐犯の演技をした人間はいずれ裁かれるだろう。
ユーリの言うとおり、隣国に逃げていれば、この国の民が何万人も死ぬことになったのかもしれない。
あの頃のユーリは自分が殺してしまったことを、相手の人生を奪ったことを悲しみ泣いていた。でも、今のユーリは自分が利用した人間が報復することを恐れているようにしか見えない。
そんなユーリを抱きしめ、行動でユーリの願いを聞き届けると伝えた。体ばかり近づいて心は離れたままで。
「なあ、ユーリ」
「何?」
「生きるって難しいな」
「君はそんな哲学的なことを言う人だった?」
「俺たちが生きていれば、それだけで周りが不幸になっていくような気がするんだ」
「否定はしないよ。でもね、私は生きていたいし、マテウスにも死んで欲しくない。それにさ、今更の話だよ。マテウスだって何人も殺しているでしょ?
第一、僕に人の命に貴賎があるって教えてくれたのはマテウスじゃないか。知らない誰かが犠牲になろうと知ったことじゃない。感謝している。本当に。マテウスが教えてくれたから、落ちこぼれずに済んだ」
その一言が、俺の中の記憶を呼び覚ました。
施設でユーリは落ちこぼれだった。
どうしてもあるカリキュラムがクリアできなかった。その科目は殺人。試験でも落第し、王族の権利に失う直前だった。
俺は講師に必死に頼み込み、自分がリスクを負うことと引き換えに追試をユーリに受けさせることに成功した。
講師曰く、人を信じるということには責任が伴うと。
今でも鮮明に思い出せる。
両手、両足を縛られ鉄の檻の中に閉じ込められ、死刑囚の男と二人きり、死刑囚には俺を殺せば、ここから出られると冗談のような言葉が投げかけられる。
その言葉を聞いた瞬間、死刑囚は鬼気迫る表情で俺に跳びかかってきた。
黄ばんだ肌、吐き気を催す強烈な腐敗臭、全身やつれて頼りないくせに爛々と別の生き物のように輝く瞳。
初めて死を身近に感じた。
幼い自分ではどうしようもない絶望感。
俺が助かるには、檻の外で銃を構え震えているユーリがその引き金を引くしかなかった。
男との距離がどれだけ縮もうとユーリは震えるばかりで引き金を引かない。だから俺は叫んだ。
「僕はあんなゴミに殺されたくない!」
そして、男の指先が俺に触れた瞬間、銃声が響きわたり、男は生き絶えた。
ユーリが初めて人を殺した瞬間だった。
「私が殺したのは人じゃない。ただのゴミだ。私が殺したのは人じゃない。ただ、のゴミだ」
うわごとのように呟くユーリ。その声が、その姿が頭の中に焼き付いていたようで、今この瞬間もあのときの声と同じものが頭に響いている気がする。
「そうだな。お前をそうしたの俺だったな」
「その言い方では、後悔しているように聞こえるな。ちょっとだけ心外だよ。僕はマテウスのおかげで変われたことがすごく、嬉しかったんだ」
「後悔していない。あれが最善だった」
嘘ではなかった。ただ、悲しい。ああするしかなかったことが。
「もう、遅い。お休みユーリ」
ユーリとこれ以上会話をするのが辛い。
強引に、俺は話を打ち切った。
「うん、お休みマテウス」
ふとんを被って目をつむろうが、いつまでたっても夢のなかに逃げこむことができなかった。
結局、一睡もせずに、朝になって、黙って部屋を出て行くユーリを、引き留めようともせず、寝たふりをしながら、立ち去っていく姿を、ただただ息を殺して見送っていた。
「さよなら、マテウス。君の気持ちはわかった。だけど覚えておいて、僕は一生君をレンツとは呼ばない」
頬から涙がこぼれた。
拒絶しておいて、内心では、ユーリが変わってしまったと何度も呟いて、それでも俺は、ユーリが立ち去っていくのが悲しかった。
そして、俺をマテウスと呼んでくれるのがどうしようもなく嬉しかった。