エピローグ:笑顔
二ヶ月後戦争は終結した。
俺は、隊長としてブラオクーゲル部隊を駆り、誇張ではなく戦争の勝因の一つになった。
「メア、俺のことが好きか?」
「ええ、とても」
メアも、今では政界の重鎮になっている。
彼女は今や不動の人気を誇っていた。革命の立役者、最前線で戦い続けた女、国の腐敗を憂い立ち上がった政治家。
そして、ブラオクーゲル部隊を軍に認めさせ、自ら指揮を執った行動家。
ゴシップは俺たち二人の中を勝手に騒ぎ立て、過去を掘り起こし垂れ流した。
国民、軍、政界、その全てからいつのまにか公認のカップルのような扱いを受け、そしてそうすることが義務であるような風潮ができていた。
ひどく不安になる。
俺にはメアの気持ちがわからない。過去に好きだと言って、それでも俺と結びつけないといった彼女。
逆に言えば、彼女は必要であれば好きでもない相手を好きだと言える。そして、今がその状況だった。
「俺はメアのことを愛している。世界中の誰よりも」
だからこそ、自分の気持ちを何度も口にする。それだけは本当だと言い切ることができるから
――今日の朝に届いていていた俺宛の手紙の封をあける
レンツ・ベレンキ様
お久しぶりです。宛先にレンツと書かないと届かない。今の配達のシステムがすごく不快です。
私は元気に暮らしています。
慣れない土地、慣れない生活ですが、楽しいです。
ただ、一人はどうしようもなく寂しいです。
新しい家族がほしいですので作りに来てください。
ps お幸せに。私はそれ以上願いません
世界で二番目にあなたが愛している女より
~数年後、とある辺境の村の少女より~
「ルシエ。出かけてくるからお留守番よろしく」
三十手前の母が乙女のように息を弾ませて、外出の準備をしている。
「お父さんによろしく」
「あはは、任せといて。ねぇ、ルシエ。お父さんに会いたいと思う?」
「いらない。そのお父さんが用意してくれるお土産だけで私は十分」
会いたくないというのは嘘だ。ただ、この恋する乙女状態の母の邪魔をするほど、私は親不幸ものではない。楽しんできて欲しい。二人きりで。
「わかった。じゃ、行ってくるねー。家族増やしに」
母の放った言葉のせいで、口に含んでいたミルクが肺に入って咽る。
「っけほっ、けほ。ねえ、思春期の娘にそれはどうかと思うよ」
「可愛くないなー。父さんに似て美形なんだから。性格もそれぐらい可愛くなればいいのに」
「余計なお世話です。はやくデートに行ってきて。それと、私はお母さん似だよ。……父さんのほうは見たことがないけどさ」
「追い出そうと必死だね。もしかして男を連れ込む予定?」
この女は。手に持ったカップを投げつけたい衝動を必死に押さえ込む。
「それ以上言うようだったら、次のデート前に部屋に忍び込んでキスマークを作って浮気疑惑を立てさせてやる」
「うわー。脅し方まで可愛げのない。よし、町にでたら吐き気がするほど甘い服を買ってくる。見た目から矯正してやる」
捨て台詞を残して去っていく母。娘の私から見ても可愛い人だと思う。
母さんは一月に一度だけ父に会いに行く。普段はしない化粧とお洒落をして。どうして別れて暮らしているかも、どうして私以外には父が死んでいるように振る舞っているかもしらない。
「ジョゼフ行くよ」
「わん」
ペットのジョゼフを連れて外にでる。途中の本屋で新聞を買う。
印刷技術と写真技術。近年になって急速に普及し始めた。
そして、それに伴い新聞というものが出回っている。
もっとも、このくそ田舎にはそんなものが届くはずがなく、数ヶ月単位で纏めて、もの好きな本屋の主が知り合いから送ってもらっているらしい。
そしてそれを唯一買っているのが私だ。
「ルシエちゃん。お母さんによろしく」
「どういう意味で捉えればいい」
「おじちゃんがお父さんになってくれればルシエ嬉しいとでも言ってくれればいいよ」
「そう、本屋に近づかないように忠告しとく」
挨拶なのか、本気なのか判別のつかない言葉を流して本屋を後にした。
小高い丘。風通しのいいお気に入りの場所でさっき買った新聞を広げる。
レンツ・ビヤンキの記事が写真付きで出ていた。ラッキー。胸の中で囁いてから記事をスクラップする。
「なぜか、気になるのよね」
友達に話したら以外にミーハーだなと笑われた。馬鹿にされてもレンツ・ビヤンキの記事を集めるのをやめられない。そういえば、私のコレクションを見た母さんがお腹を抱えて笑っていた。
「ルシエ、レンツが好き?」
「好きと言うより気になる。むしろ見ているだけで苛ついてくる」
「いっ、苛つくね。あははははは」
たぶん、あそこまで笑った母は始めてみた。
一枚一枚の内容が薄い新聞も数ヶ月分集まると読むのに時間がかかる。そろそろ外で読むのは難しい時間になってきた。
帰り際にもう一度本屋による。
新聞で取り上げられて、どうしても買いたい本があった。だって、レンツが誉めてたんだもん。
「おじさん、この本ある?」
「ああ、あるよ。ぜったいおまえさんが買いに来ると思って取り寄せといた。あいよ。“青い弾丸は軌跡を残して”」
この本は、道楽王女やら、世紀の淫売やら、巷ではボロクソに叩かれているユーリ・ヴォルデの半生を描いているらしい。
この本で描かれているユーリ・ヴォルデは淫売というより可憐な少女。道楽王女ではなく、本気で国を憂い研究に打ち込む技術者。
そして、なにより面白いのが、王女が巨人を開発したとされるシーゲルや、英雄レンツとの三角関係を繰り広げること。
現実では、ユーリは収賄容疑で捕まる前に、シーゲルを誑かして巨人と開発者を手みやげにネールフに逃げようとしたところをレンツに撃たれているが、本の中では、二人で愛の逃避行しようとしたシーゲルとユーリを、嫉妬に狂ったレンツが撃つという衝撃のラストらしい。
「勇気あるなー」
当然問題になった。政府侮辱罪とか、レンツのファンとかそのあたりから猛バッシングを受けた。一度は回収どころか、作者が逮捕される寸前までいったらしい。しかし、レンツ・ビヤンキの鶴の一言でその騒ぎは収まった。
「ああ、その本。読んだ。面白かった。それに登場人物のユーリがすごく気に入った。メアが居なければ好きになっていたかも」
一番怒るべき、人間の馬鹿な一言で騒ぎが収まってしまった。そして、レンツが誉めたということで純粋に本を読みたいという人間も増えた。私のように。
帰って来てから読むと、面白かった。どことなくユーリが母と重なった。同じ名前だし。
ドアがノックされる。
「どなたですか」
三十代の男が花束を持って現れた。
固まる。よく知っている人間だ。直接会ったことはないけど。
「レンツ・ビヤンキさん?」
写真で見る軍服ではなく、私服姿だが、間違えるはずがない。
「その、初めまして。ルシエ」
状況が飲み込めない。ただ、困惑している。
レンツも私と変わらない様子だ。ちょっと安心した。
そうしていると、母がレンツの後ろからヒョッコリと顔を出す。
「この人はマテウス。今はレンツって名乗っている。ちなみにあなたのお父さん」
お父さん、その単語を聞いた瞬間、体が動き出した。ゆっくりとレンツに向けて歩き出す。
ぎこちなく、両手を広げて私を抱きしめる準備をするレンツ。
距離が限りなく近くなる。あと一歩
「お父さん」
優しく囁いてから腰を入れてボディブロー。
手がいたい。鉄を殴ったようだ。
しかし、右手を犠牲にした私の攻撃できちんとダメージを与えられたらしい、レンツが崩れ落ちる。
「母さんを泣かすな、このろくでなし」
涙が流れてくる。
母さんが笑っている。
レンツ……改め父が苦笑い。
うん、たぶん、私は幸せだ。
これから何かがはじまる。そんな気がした。