第八話:シーゲル
私に向かって数百人が呪詛を投げつけてくる。
人殺し、嘘つき、人殺し、嘘つき。
永遠と、その二つの言葉を繰り返す。
何もできずに、ただ立ち尽くすしかない。
そして、言葉を投げかけるだけでは満足できなくなったのか、ついに私に向かってのろのろと近づいてくる。
必死に逃げるがやがて追い込まれる。
そして、私は気が付いてしまう。自分の手の中に銃があることに。
銃を構えて、威嚇するが人々は足を止めない。
銃を握る手が震える。
人の群れの中から一人の男性が突然這い出てくる。
見間違えるはずはなかった。なぜなら、その男は、元国王ダリウス・ヴォルデ。私が生まれて初めて殺した男だ。
怖い。気が狂いそうだ。さっきまで私に迫っていた。数百人よりもこのたった一人の存在がどうしようもなく私の心を抉る。
「来るな!」
叫びながら引き金に指をかける。
「メア・スーン。また、私を殺すのかね? それはいいが、何のために?」
国のため、民のため、そう言おうとして口を紡ぐ。ダリウスの後ろの光景を見てしまったから。
ダリウスの後ろで、さっきまで私に迫っていた数百人が次々に死体に変わっていく。
そして、彼らの死因がなぜか私には伝わってしまう。
戦争で、あるいは病気、あるいは餓死。そしてそれが、革命のあとに起こったことだということが。
「答えられないなら、教えてあげよう。君が私を殺したのはただの私怨だよ。そして私の後ろに居るのが、巻き添えになってしまった哀れな犠牲者だ」
「違う」
必死に否定する。否定しなければ私はもう二度と立てなくなってしまう。
「違わない。さぁ、もう一度引き金を引いて私を殺すがいい。さあ! さあ! さあ! 自分のために、お前はそういう人間だ」
ダリウスはどんどん近づいてくる。そして、私は……
「うわぁあぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
叫び声をあげる。
必死にあたりを見渡す。見慣れた部屋だ。そう、私が議員になってから使っている事務所。
パニックになった頭が急激に冷えてくる。ようやく私はあれが夢だと気が付くことができた。
どうして今更?
「目が覚めましたか?」
秘書のミオが声をかけてくる。
「今すぐ、コーヒーを用意して」
「よろこんで」
ミオは私に背を向け、コーヒーの準備を始める。
ずきずきと痛む頭を抱えながら、虚ろな目で時計をにらみつける。今日は大事な打ち合わせがある。約束の時間まで十五分もない。
汗がべたついてひどく気持ちが悪いが、残念ながらシャワーを浴びている時間はなさそうだ。
「はい、どうぞメア様」
「コーヒーをありがとうミオ。……どうして起こしてくれなかったの?」
私は机の上に積まれた紙の束……未処理の案件に目線を落としながら、ミオを問いつめる。
「後五分経って起きなければと考えていたのですが。
普段寝ろと言っても、メア様は、机に張り付いて動かないですからね。こういうときぐらいは、ぎりぎりまで眠ってほしかったのですよ。秘書としてはやってもやっても終わらない仕事よりもあなたの体の方が大事ですから」
そう言ってクスクスとミオは笑った。
私は文句を言うために立ち上がると、枕代わりにしていた書類が崩れ、そして、肩に掛けられていた毛布がはらりと落ちた。
それを見て何も言えなくなる。
「はいどうぞ」
コーヒーが差し出される。
若干の非難をこめてミオを睨みつけるが、ミオのニコニコとした表情は変わらない。
私はため息をついてコーヒーを口に含む。いつも通りのとびっきり濃いブラックコーヒー。
「顔ぐらい洗える時間はありますよ。インクがついてみっともないので行ってきてください。落ちた書類の整理はわたしがしておきますから」
「そうさせてもらうわ」
洗面所に向かう。
冷たい水で顔を洗い流すと意識が鮮明としてくる。
ここしばらくの自分を振り返る。
あれから軍を辞め、第一回の選挙に参加し、勝利した私は、見事二百人からなる議員の一人となることが出来た。
……今思えばあのときが幸せの絶頂だった。本気でこの国を変えられると信じられていたあのときが。
「私はなにも出来ていない」
発足したばかりの議会はひどい有様だった。
国民によって選ばれた。そこまではいい。
ただ問題は、国民によって選ばれた素人の集団だと言うことだ。
既存のノウハウを王国への嫌悪感で全て否定し、思いつきとしか思えない目先の利益しか考えていない政策が次々に提案される。
馬鹿馬鹿しいと一言で片づくはずの内容にも関わらず、それらが次々に承認されていく。
ようするに、馬鹿が多すぎるのだ。まともな感性と教養をもった人間も多少はいるが、選挙で選ばれた人間の大半は政治に関わったことがなかった。
如何に心を砕いて、危険性を説明しようとしても、そもそも言葉の意味を理解することすら出来ていない。
「それどころか」
国のため、民のため、そういった基本の姿勢すら無くなってしまっているように感じる。
そう、あくまで自分の利益のために議員の大半は動いている。
このままでは、この国は破綻するのは目に見えている。
なんとかしなけれならない。
だが、私は二百人のうち一人でしかない。影響力を作ろうとすれば、同士を集め派閥を作り、ある程度の票を操作できる体制を用意するか、他の議員を票ごと買収するしかない。
前者は、まともに政治を理解できる頭をもった議員に声をかけているが、状況は芳しくない。
声をかけた議員が私の誘いを断る理由は大きくわけて二つ。
一つ目は、自分の利益にならない。
二つ目は、自分の任期中に効果が出ない政策に協力していては次の選挙に勝てはない。
まともな政策では効果が現れるのに数年かかるのがある意味あたりまえだ。
そして後者の買収活動については、買収なんてできる資金力はない。だから、私は私自身の価値をあげて対応しようとしている。
私の一言が次の選挙に影響を与えるなら、私を利用しようと考えるものや、媚びを売る人間が出てくる。そいつらの票を使う。理想を言えば、私の一言で、その議員の選挙結果の可否が決まればいい。
そのためにやっていることと言えばアイドル紛いの講演会で、誇張した革命の武勇伝を語ること。
私は、革命の際にダリウス・ヴォルデを殺したことに後悔はない。
だが、私が人を殺したことに変わりはない。人殺しを美化し、それを自慢げに話すという行為は異常だ。自己嫌悪で死にたくなったことは一度や二度じゃない。
だが、やめるわけにはいかない。数少ない私の武器だ。そうやって英雄であることができれば人々は私の言葉に耳を貸してくれる。
利用できるものは全て利用して、そうして一歩一歩前に進まなければならない。そうでないと許されない。
「ねえ、レンツ。あなたは今の私を見たら笑うかな」
憎んでいるはずの一人の男性を頭に浮かべる。不思議と気持ちが楽になった。
冷たい水で顔を洗い流し、私は部屋に戻った。
部屋に戻ると、すでに今日の打ち合わせの相手が席に着いていた。
「お久しぶりですね。親愛なる妹よ」
馴れ馴れしい口調で、その男、シーゲルは声をかけてくる。
「シーゲル。あなたはもう、スーン家を勘当されたの、今更兄貴面しないで。今の私とあなたは他人よ。パトロンにその口にききかたはないわ」
シーゲルは私の兄だった。
とびきり優秀な男だった。なにをやらせても常にトップ。
士官学校に入ってからも常に主席だった。父も私も兄のことを誇りに思っていた。にも関わらず裏切った。
士官学校の卒業間際でなにを血迷ったのか、自主退学。理由はもっと面白いものを見つけたから、父は激高し、私もひどく傷ついた。
勘当された兄は様々な大学を渡り歩き、とある研究機関に入った。そう、今の人造巨人開発の前身だ。
そして、革命の三年前、私たち親子のまえに、勘当されて以来、はじめて顔を出したシーゲルは言ったのだ。
「投資をしませんか? 損はさせません。何せ女神がついている」
それが、人造巨人プロジェクト。感情的になった父は、シーゲルを叩きだそうとしたが、何度も、何度も、シーゲルは食らいつき、ついに感情を抜きにして、父をスーン家の当主として交渉のテーブルに立たせ、最終的に投資をさせた。
そして、革命後は、人造巨人プロジェクトは父から私に引き継がれ、こうして定期的にシーゲルと会っている。これも箔をつけるための一環だ。
今日は、パトロンとして研究の定期進捗報告を受けるために呼び出したのだ。
「冷たいですね。血を分けた兄妹だというのに」
その一言がひどく癇に障った。
そして、そのヘラヘラ笑っているシーゲルの仮面の下に、浅はかな考えが透けて見えた。
「失望したわ。見苦しいわよシーゲル。今更、私に、いえ、スーン家に家族の情を求めるの?」
ああ、そうだ。
この男は、私のことを家族だなんて思っていない。
家を出るときは何も言わず、研究費のために家に来たときも、スポンサーになる父にのみ目を向けていた。
「そんなことはないよ。いつだってメアのことを」
「面倒だから、はやく要求を言って。私は暇じゃないの」
シーゲルは、口を紡ぎ、私を睨みつける。
生まれてはじめて口喧嘩でこの男に勝った。
「……メア、成長しましたね。父ならともかく、あなたなら、どうにでもなると思ったのですが」
「お褒めの言葉をありがとう。話がないならさっさと報告を済ませて、すぐにでも帰ってください。繰り返しますが、私は忙しいの」
「ユーリ・ヴォルデを助けて欲しい。彼女を奪うな。彼女の損失は今後の人造巨人の計画に多大な影響を与える」
意外だった。
確かに筋は通っている。ユーリ・ヴォルデは間違いなく天才だ。彼女の研究によって、この国は様々な恩恵をえることになるだろう。
だが、不可解だ。ユーリ・ヴォルデの研究成果は全て、シーゲルのものとなるはずだ。
研究者として最高の栄誉を得るだろう。軍のエリートコースや私たち……スーン家を捨ててまで選んだ道のはずだ。
こんなことを言う理由なんてどこにもない。
「……できない相談ね。理由なんて一々言わなくてもわかるでしょ?
なんなら一から説明しましょうか?
彼女が王族で、この状況で英雄になられると革命に対する悪印象が広まる。私個人の事情にしても、スーン家が王家の人間に支援しているというのはマイナスにしかならない。まだまだ、ユーリ・ヴォルデが危険な理由はあるわよ」
まずい熱くなっている。
こんなのは私じゃない。
「メアは、賢いからそんな言い訳をいくつも思いつく。違うだろ? 本当の理由はそんなところにあるわけじゃない」
「違わない。もう、私は子供じゃない。感情じゃ動けない」
そう、そうだ。私はこの国のために生きているんだ。目の前の男とは違う。
「感情で動いていないか……なら、どうしてマテウス……おまえからすればレンツをパイロットとして研究所に送り込んだ? おまえの差し金だろう」
「それは、ユーリ・ヴォルデが、革命後研究成果を禄にあげなかったから人質として」
そう、ユーリ・ヴォルデは革命後、禄に研究成果をあげなくなっていた。あいつは気が付いていたのだ。
人造巨人こそが自分の命綱であり、完成しだい用済みとして処分されてしまうことが。
「シーゲルも理解しているわよね? 事実、レンツが研究所に来てから研究が一気に進んだ」
「それは、言い訳ですね。ただ、あなたは彼を守りたかっただけだ。彼を英雄と祭りあげ、利用価値を作ることで、王族を処分しようとした連中から守った」
違う、違う、そうだ、私は誓った。
死ぬまであいつを利用すると。
実際、戦場でも命がけで私を守った。そこで使えると判断したから生かしてやろうとしただけだ。
でも、なんで、そのことが口に出せない。
「他にも、彼がブラオクーゲルのパイロットであることが不自然なまでに軍部や市民に急速に広がった」
「それは、一刻も早く、スーン家が投資した研究の成果を知らしめるためにやったことよ」
それ以上踏み込むな。踏み込まれたら私は……
「そもそも、どうしてレンツをブラオクーゲルに乗せることを許したのですか? 彼だって、王家の人間だ。彼が気まぐれに自分の血筋を公表したら……そのリスクに気がつかなかったわけはないですよね?」
交渉の際にユーリがそう望んだから。
違う、そんな理由じゃない。
私はただ、本当は彼に生きて……そして私のそばに……
「……もう、いい。ユーリはもう助からない。それは今更私が動いたところでどうしようもない」
限界だ。これ以上は私がもたない。
「たとえばユーリを殺せば、私も研究を引き継がずに逃げるとしたら?」
「そのときは適当な代役を立てる。もう、ブラオクーゲルは完成したのよ。模倣ぐらいは、あなた達じゃなくてもできるわ。それに、私も父もあなたが大嫌いなの、むしろ都合がいいぐらい」
もう、戻れない。そう、どうしようもないのだ。
目の前のシーゲルがまぶしくうつった。
交渉のカードを持たず、あるはずのない家族の情にすがってまでユーリを守ろうとした。
それに比べて私はどうだ。守れる力はある。それでも大義名分を幾重にも張り巡らさないと動けない。
「……そうですか、ではスポンサーであるスーン家現当主に定期報告をさせていただきます」
それからは淡々と、業務として報告を受けた。
そこには、何の感情もない。
だからこそ、気持ちが安らいだ。
そして、報告が終わり、シーゲルが背を向ける。
その背中に声をかける。
「ねえ、どうしてそこまでユーリ・ヴォルデを気にかけるの?」
「好きだからですよ」
うらやましい。素直にそう言えることが。
「私がこの家を出る決意をした理由を話しましょうか。当時は恥かしくて言えませんでしたが、最後ぐらい兄らしいことがしたいですし」
黙ってその話を聞く。
「私は当時、自分こそが最高の人間だと信じていました。
何をやっても当然のようにトップをとり、そして同時に何をしても楽しくなかった。
そんなとき、ユーリさんに会ったのですよ。単純な学会発表。私は片手間で論文を作成し、それでも当たり前のように勝てると思っていた。でも、負けてしまった。
そして、私はそれが許せなかった。本気で打ち込み、絶対の自信を持って、再び彼女と出会い、そして敗北した。
不思議と悔しくはなかった。そして、気が付けば彼女に惹かれていた。そして彼女と同じ景色をみたいと思った。あの研究所で彼女と同じ景色を見て同じ目標を向いているうちに、その想いはどんどん強くなっていった。もうねメロメロですよ。彼女自身にも、彼女の才能にも」
「そんな理由でシーゲルは……兄さんは、スーン家を、私を捨てたの?」
「メア。ブラオクーゲルを大切にしてくださいね。あれは私とユーリさんの子供ですから」
シーゲルは私の質問に答えず立ち去る。
姿が見えなくなった。
最後に見たシーゲルは笑っていた。そして、それと同時に何かを覚悟した顔だった。