その子は、洞窟の奥で震えていた
都内のダンジョンの地下7階。
外の雨の影響か、中層に来ても洞窟の中はやけに湿っぽかった。所々に浮かぶ魔鉱石の鈍い光が、余計にどんよりさを増している。
まとわりつくような空気が背中に張り付いて、いつもより三割増で装備が重い。パンツの中ももぞもぞするし、シャツがベタベタして動きづらい。そもそも、今日は初めから気が乗らなかった。
何を隠そう、この俺、彼方春香は重度の偏頭痛持ちなのだ。こんな気圧の低い日に外出なんて本来ならゴメン被る。
まったく誰だよ……こんな日にダンジョンに行こうって言い出したのは。
「おい彼方、ペース遅いぞ。大丈夫か?」
そう、今まさにわざわざ来た道を戻ってきて心配そうに顔を覗き込んだ、この男だ。千歳宗平。俺の幼馴染その2。爽やか陽キャで、細マッチョのイケメン。でも良い奴。
「あー……うん。ちょっと足痛くなってきたかも」
「しょうがないなぁ。じゃあ、ここいらで一旦休憩にしよっか⭐︎」
道の先で、振り返った絵里がカラカラと笑う。
二人はまだ全然余裕、という感じだ。
決して俺の体力が無いわけではない。こっちはカメラと荷物も持ってるんだから、装備しか持ってないお前らと一緒にすんなし。
辺りを見回すと丁度モンスターも居なさそうだったので、少しだけ足を休めることにした。
「じゃあ皆さーん。今から10分程度休憩するんでー、その間にお茶飲んだりー、トイレタイム行ってきてくださーい⭐︎ 暇な人はエリーとお喋りでもしよっ♪」
絵里が配信用カメラに向かってウインクすると、
「かわいい」
「かわいい」
「かわいすぎる」
配信画面が弾幕で埋め尽くされた。
確かに可愛いのは同意だ。
二宮絵里。俺の幼馴染その1。とにかく明るい、そして元気。距離感バグのコミュお化け。そして可愛い。
茶髪ショートのナチュラルメイク、今日はダンジョンの湿度で、少し湿った髪の毛と肌がマッチして一段と艶っぽい。こうやって撮影機材越しに凝視してると、最近ますます美人になったな、って気がする。
「彼方、疲れたでしょ。カメラ固定しときなよ」
「そうだな」
簡易的な三脚を取り出してカメラを固定する。
ハンディとはいえ、配信用なのでそこそこの重さだ。
「はい、ドリンクどうぞ」
「はあ、ドリンクどうも」
壁を背もたれにして座り込み、絵里が差し出したスポーツドリンク受け取る。ふと前を見ると、前屈みの胸元が気になった。図らずも薄いピンクが目に入る。
これで100%無自覚というのだから、驚きである。
俺の心配も知らずに彼女は屈託のない笑顔でカメラを回している……ってか、こっち向けてる?
「ほらほら! 彼方もピースピース!」
「えっ! いいよ、俺荷物持ちだし。あっ、へへ……どうも」
「かわいい」
「隠キャかわいい」
「可愛すぎる」
……こいつら、何でも可愛いって言えばいいと思ってんな。
「彼方、疲れてないか? よかったら荷物持つの変わるぞ」
「平気平気、宗平は前衛なんだからどっしり構えててくれよ。荷物はちゃーんと俺が守ってやるからさ」
「……無理するなよ。お前が居てくれないと困るっていって、急に誘ったのは悪かったと思ってるんだからさ」
そう言って顔を赤くすると、ポリポリと頭を掻いた。まったく、いつも思い付きで人を振り回すくせに、変な所で律儀な奴だ。
「気にしてないよ。でも後でスタバ奢れし」
「えっいいの? じゃ、じゃあ終わったら行こうな!」
なんかやたらとテンションが上がっているんだが。
まあ、俺とて乗りかかった船だ。ここまできたのだから、今更引き返すつもりはない。
「そういや、今日の目的の亜人? だっけ。どんなモンスターなのよ」
「うーん。まだちゃんとした目撃情報があるわけじゃないんだけど、ネットの話じゃゴブリンみたいな人型のモンスターとはまた違った感じみたいでさ。もっとこう、人間っぽい? っていうのかな」
「何だよそれ。やだ、俺そういうの。ゴブリンってか、生き物系のやつら全般、本当は殺したくないし。グロいし可哀想だもん」
「彼方はそういうところが可愛いよねぇ」
絵里がグシャグシャと頭を撫でる。
「ちょ、やめてよぉ!」
湿った日の天パに頭グシャグシャはもう反則なんよ。
「相手次第だな。今日の目的は、その新種のモンスターが実在するのかどうかの確認だ。カメラに収めるだけでギルドから報酬も出るし、一番良いのは捕獲、それ以外なら撤退って感じかな。もし仮に希少種認定でもされたら倒すと後々面倒だ」
もう整えることを諦めて鏡を閉じた。
「……めちゃ強かったらどーすんだよ」
「彼方の異能なら大丈夫だろ」
「そうそう、頼りにしてるんだから⭐︎」
「はぁ、好き勝手言ってくれるなぁ」
ま、なんだかんだでこいつらに頼られるのは嫌いじゃないんだけど。
そう思ったときだった。
張り巡らせた仕掛けに、何かが触れた。
「待って。膜に引っかかった。奥になんかいる。人型っぽい」
宗平と絵里がサッと立ち上がって武器を取る。
俺は三脚に掛かったカメラを静かに外し、自立行動モードに切り替えた。プロペラの回る音が静寂に落ちる。
意識を集中して気配の正確な位置を探り、二人に合図を送る。空気の震えが、見えなくても敵の位置を教えてくれる。
「一歩、二歩……あの岩陰のすぐ側、来る!」
それぞれ散開して機先を制そうとした、その時。
おかしい——
この階層の敵にしちゃ、あり得ないくらい『震え』が弱い。これはモンスター、じゃ……ない。もっと小さくて弱々しくて、まるで何かに怯えているような……
「あう?」
ん? 今一瞬、何か声が聞こえたような……
「……うー? あっ!」
「待って!」
岩陰からチラリと見えた頭に、思わず張り上げた。
声に反応するように、サッとそれは隠れる。
武器を構えた二人の手が止まり、こちらを振り返る。
「お、女の子?」
自分でもビックリするくらいに間の抜けた声だったが、他に形容しようもない。
「……っ!」
「あーっ、逃げないで!」
遠のく足音を慌てて追いかける。
「お、おい! 危ないぞ!」
「大丈夫ー!」
宗平の静止を無視して、気配の方に駆けだす。
思ったよりも早い。気配はどんどん遠くなるが、問題ない。俺には既に分かっている。この先の角は行き止まりだ。
そいつは少しの間キョロキョロしたが、逃げ場がないと悟ったのか気配は動きを止めた。そして洞窟の、小部屋のような空洞の角でペタンと蹲った。
追いついた俺は恐る恐る、角奥を覗き込む。
「……あぅ」
そこに座り込んでいたのは、狸のような耳と尻尾を生やしてボロ布を纏っている、泣きそうな目をした少女だった。
「君が、亜人……なの?」
それが彼方春香とモルルの、初めての出会いだった。
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