表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
五人の悪役令嬢  作者: 九葉(くずは)
リーリエ編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/40

第2話 追放先はやりがいのある職場です

潮の匂い。魚を干す煙。それから──怒声。


ルミエールの港は、思っていたより小さかった。


馬車を乗り継いで一週間。クラウディア王国の南端を越え、国境の石碑を過ぎた先にあったのは、断崖に貼りつくように広がる港町だった。石壁にはひびが走り、屋根瓦の欠けた家が目立つ。市場の露店は半分が板を打ちつけて閉まっていて、残りの半分も客より猫のほうが多い。


──荒れている。


港の桟橋で、三人の商人が怒鳴り合っていた。


「だからフェーレンの船がうちの航路を塞いでるんだ! 通行料を取られてこっちは赤字だぞ!」


「航路の使用権はラーゼン協定で決まってるだろうが! お前らが勝手に南回りに変えたのが悪い!」


「ラーゼン協定は三年前に失効してる! 更新されてないんだよ!」


足を止めた。


(……ラーゼン協定。フェーレン王国とルミエールの航路使用権に関する二国間取り決め。有効期限は五年。三年前に失効──更新交渉が決裂したか、そもそも交渉の席につく人間がいなかったか)


頭の中で地図が広がる。前の人生で染みついた癖だ。紛争の当事者を並べ、利害関係を線で結び、対立軸を整理する。


ルミエールは小国。港の立地だけが資産。北にフェーレン王国、東にクラウディア、南の海を挟んでヴェルダ商業連合。三つの大国に挟まれた、小さな港。


航路の利権。関税。漁業権。未更新の協定。それらが絡み合ったまま放置された結果が、この桟橋だ。


(前世のジュネーブで似た案件を扱った。バルカン半島の河川航行権の問題。規模は違う。でも構造は同じだ──複数の大国に挟まれた小国が、交渉力の不在によって搾取されている)


商人の一人が「もう港を閉めちまえ!」と吐き捨てて去っていく。残った二人も舌打ちして散った。桟橋に、塩を被った木箱だけが残されている。


荷物を持ち直した。革鞄一つ。中身は着替えと、七年分の業務記録の写し。それから多少の路銀。


公爵令嬢の全財産としては笑えるくらい軽い。でも、重い鍵束はもう返した。指輪も一緒に。


──軽いほうが、歩きやすい。



「あんた、どこから来たの」


宿屋の女主人は、日に焼けた腕を組んで笑った。ブリジットと名乗った。五十がらみ。声が大きい。カウンターの向こうで干し魚をさばきながら、遠慮なく私を見ている。


「北のほうから」


「北ねえ。クラウディアかい」


「……ええ、まあ」


嘘は言っていない。詳しいことを訊かれたら困るなと思ったが、ブリジットは深追いしなかった。


「最近多いよ、あっちから流れてくる人。景気が悪いのはどこも同じだね」


部屋を借りた。二階の角部屋。窓から港が見渡せる。潮風が壁紙を湿らせていて、ベッドは盛大に軋む。


(──前世の出張で泊まった南スーダンの宿よりましだ。あれはベッドの脚が一本なかった)


夕食はブリジットの手料理だった。魚のスープと硬いパン。華やかさは皆無だが、味は悪くない。スープの中に魚の骨が一本残っていて、舌で除けた。宮廷の晩餐ではありえないことだが、妙に落ち着く。


食べながら、港の様子を訊いた。


ブリジットは話し好きだった。この町の歴史。かつての賑わい。そして衰退。三カ国の船が自由に出入りしていた頃は、この宿も満室が当たり前だったこと。いつの間にか協定が切れ、航路で揉め事が増え、商船が来なくなったこと。


「若い連中はどんどん出ていくよ。漁師は沖に出られない日が増えてる。フェーレンの船と鉢合わせると揉めるからね」


スープを啜りながら聞いた。港町の衰退には必ず原因がある。天災か、戦争か、あるいは──制度の不在か。


「ブリジットさん」


「なんだい」


「この町に、外交を担当している方はいますか」


ブリジットが目を丸くした。一拍おいて、腹を抱えて笑い出した。


「外交! あはは、あんた面白いこと言うねえ!」


そこまで可笑しいだろうか。


「うちみたいな小さな町にそんな役職あるわけないだろう。領主様は丘の上の屋敷にいるけど、元々商人でね。帳簿のことなら強いが、外の国と話をつけるなんて──」


「では、貿易紛争は誰が」


「誰も」


笑いが消えた。ブリジットの顔に、疲れたような皺が刻まれる。


「誰もしてないよ。どうにもならないから、みんな諦めてる」


沈黙が落ちた。スープが冷めかけている。


「……昔はいい町だったんだよ、ここ」


声が低くなった。


「あたしがこの宿を継いだ頃は、部屋が足りなくてね。商人も船乗りも、毎晩飲んで歌ってた。今じゃ──あんたで三人目さ。今月の客」


パンを千切った。硬い。顎に力がいる。宮廷の柔らかいパンとは別の食べ物みたいだ。でも嫌いじゃない。


三カ国の結節点。東西南北の航路が交差する港。その立地は今も変わっていない。変わったのは、航路を管理する仕組みが崩壊したことだけだ。


仕組みがないから、揉める。揉めるから、船が来ない。船が来ないから、町が枯れる。


(──仕組み。仕組みがないなら、作ればいい)


七年間、それをやってきた。国と国の間に仕組みを置いて、ぶつからないようにする仕事。名前は出なかった。「聖女の奇跡」として発表された。でも仕組みそのものは、私が作った。


「ブリジットさん」


「なんだい」


「外交担当者がいないのは──好都合です」


「……は?」


「いないなら、作ればいいので」


ブリジットが口を開けたまま固まった。干し魚を持った手が宙に止まっている。


「あの。あんた何者?」


微笑んだ。公爵令嬢の社交用ではなく、仕事を見つけた人間の笑み。


「無職です。──ただし、専門があります」



部屋に戻って、窓を開けた。


夜の港に灯りが散っている。漁船のランプ。酒場の明かり。少ない。この港の規模なら、もっと光があっていい。


革鞄から紙とインクを取り出して、ベッドの上に広げた。ルミエールを中心に、周辺国の位置関係を書き出す。フェーレン。クラウディア。ヴェルダ商業連合。それぞれの利害。航路。関税。漁業権。失効した協定の名前。


気づけば紙が三枚になっていた。


(この配置。ルミエールは弱い。けれど弱さは交渉材料になる。「どの大国にも属さない中立港」としての価値を示せれば、三カ国全てにとって利がある)


ペン先が止まった。


ふと、あの夜のことが浮かんだ。舞踏会の広間。五人、並んで立っていた。


カティアの白い拳。ソフィアの読めない目。メイの噛んだ唇。ヴィオラの頬の涙の跡。


散り散りになった。あの夜を最後に、五人はそれぞれ別の方角に歩き出した。


カティアはどこへ行っただろう。あの子のことだ、腕一本で生きていける場所を探すはず。ソフィアは……あの人は自分で考えて動ける。メイが心配だ。一番優しくて、一番傷ついていた。ヴィオラは──あの子は大丈夫と言っていた。口の形だけで。根拠はない。でも不思議と、嘘には見えなかった。


(……みんな、無事でいて)


らしくない感傷だ。私は仕組みを作る人間であって、祈る人間ではない。


でも今夜だけは、少し祈ってもいいだろう。


窓の外を見た。港の端に、一隻だけ大きな商船が停泊している。船体に紋章がない。商船なら所属を示す紋章があるのが普通だが。


少し引っかかる。が、今は後回しだ。


紙の余白に、大きく書いた。


『ルミエール港再建計画 草案』


インクが乾くのを待ちながら、冷めかけたお茶を啜った。ブリジットが「寝る前に飲みな」と持たせてくれたハーブ茶。薬草の匂いがきつい。でも、体が温まる。


外交担当者はいない。条約もない。仕組みもない。


全部、ないものだらけだ。


──上等。


ないものを作るのが、私の仕事だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ