第4話 共闘は一回きり
朝。レオンを探した。
酒場でグレタさんに「背の高い、顔の怖い男を知らないか」と訊いたら、「この町にそんなのは五十人いるよ」と返された。それはそう。
頬に古い傷。フードを被ってる。動きに無駄がない。軍人っぽい。
「ああ、それなら東の城壁沿いの物置小屋に寝泊まりしてる男がいるね。一週間くらい前から。何も買わないし、何も売らない。変な奴だと思ってたよ」
さすがグレタさん、町の情報通だ。
東の城壁沿い。半壊した物置小屋。扉を蹴った──は、やめた。罠があるかもしれない。横の窓を覗き込んだ。
中にレオンがいた。木箱の上に地図を広げて、何か書き込んでいる。あたしの気配に気づいて顔を上げた。表情は変わらない。
「帰れと言ったはずだ」
「聞こえなかった」
「嘘をつくな」
「あんたに言われたくない」
窓枠を乗り越えて、中に入った。狭い。毛布一枚と水筒と、乾パンの袋。それだけの装備。あたしの宿よりよっぽど殺風景だ。あたしの部屋は散らかってはいるが、少なくとも屋根は全部ある。
「情報が欲しい。あの旅商人たちについて、あんたが知ってることを教えて」
「断る」
「じゃああたしが一人で突っ込む。あいつらの天幕に正面から入って、荷馬車の中身をひっくり返す」
レオンの眉が動いた。初めて見る、明確な感情。苛立ちだ。
「……本気か」
「あたしは嘘をつかない。あんたと違って」
長い沈黙。レオンが地図から目を離して、あたしを見た。値踏みではない。もっと実務的な目。使えるかどうかを判断する目。
「一つ訊く。お前は何のためにやっている」
「子どもが連れ去られそうになってるのを見た。あたしが黙ってられる性格じゃないのは、あんたも分かったでしょ」
「性格で捜査はできない」
「性格がなきゃ始まらない」
また沈黙。レオンが息を吐いた。ため息というには短く、諦めというには足りない、微妙な呼気。
「……一回だけだ」
あたしは笑った。こいつと笑い合える日が来るとは思わないが、とりあえず勝った。
◇
共同調査は、苛々の連続だった。
レオンのやり方は、とにかく遅い。
「まず商人の行動パターンを記録する。誰が何時にどこへ行くか。接触する人間の顔と特徴。荷物の移動経路。最低三日は観察が必要だ」
「三日? その間にも子どもが——」
「焦って動けば、連中は拠点を移す。そうなれば振り出しだ」
正論。また正論。こいつの口から出てくるのは正論ばっかりだ。
あたしは待つのが苦手だ。目の前に敵がいたら殴りたい。でもレオンの言うことは理に適っている。学園で七年やって学んだはずだった。殴るだけじゃ組織は潰れない。殴った翌日には別の奴が同じことをする。
だから耐えた。レオンの隣で、城壁の上から旅商人の動きを観察した。
結果として、三日は必要なかった。
二日目の夜、荷馬車がまた動いた。今度はあたしとレオンの二人で追った。
レオンは影のように動く。足音がない。壁に溶ける。何度か見失いかけた。こいつの隣にいると、自分の足音がやたら大きく聞こえて腹が立つ。
荷馬車が向かった先は、町外れの廃倉庫。前回の廃屋ではない。別の場所だ。中継拠点を複数持っている。計画的。
「あそこが拠点の一つだ」
レオンが囁いた。倉庫の裏手の塀の陰に並んで屈んでいる。肩が触れるほど狭い。
「突入する?」
「まだだ。中の人数を確認する」
レオンが倉庫の壁の隙間から中を覗いた。しばらくして、指を三本立てた。三人。
「行ける」
あたしが言った。
「行けるかどうかではなく、行くべきかどうかだ」
「三人なら行ける。あたしが前、あんたが後ろ。それでいい」
レオンがあたしを見た。暗くて表情は読めない。でも、迷っているのは分かった。
「……拠点の中に証拠がある可能性は高い。帳簿か、名簿か。それを押さえれば、組織の上流が見える」
「つまり行くんでしょ」
「一回だけだ」
「さっきも聞いた」
◇
倉庫の裏口を蹴り開けた。
──罠だった。
三人じゃなかった。壁の隙間から見えたのは三人。だが倉庫の奥の小部屋にあと四人いた。合計七人。
蹴り開けた瞬間に松明が灯って、七つの影が動いた。
「待ち伏せか──!」
レオンの声。珍しく感情がある。
入り口を塞がれた。七人が半円形に迫ってくる。短剣、棍棒、一人は斧。
あたしは腰に差した短棍──グレタさんの酒場にあった用心棒用の道具だ──を抜いた。剣がないのは痛いが、振れるものがあれば十分。
背中に、レオンの背中が当たった。
「背中合わせだ。俺が左を取る」
「あたしが右ね」
打ち合わせはそれだけ。
一人目が棍棒を振り下ろしてきた。横に躱して、手首を短棍で打つ。棍棒が飛んだ。そのまま肘を極めて床に叩きつけた。
背中越しに、レオンが動く気配。音はほとんどない。ただ空気が動いて、肩甲骨の向こう側で何かが崩れる音がする。一人倒した。
二人目。斧の男。大振り。踏み込んで懐に入り、鳩尾に短棍を突く。崩れたところで後頭部に軽い一打。気絶。
背後でレオンがもう一人片づけた気配。あたしの背中から一瞬離れて、すぐ戻ってくる。肩甲骨同士がまた触れる。
残り三人。怯んでいる。
「──まだやる?」
あたしの声に、三人の目が揺れた。
レオンが何も言わずに一歩前に出た。あたしも同時に一歩出た。
三人が後退った。一人が短剣を落とした。
「逃がすな」
レオンの声。あたしはもう動いていた。逃げようとした一人の足を払い、もう一人の腕を捻って壁に押さえつけた。レオンが最後の一人を組み伏せた。
七人。全員、床に転がっている。
あたしは息を整えた。短棍を腰に戻す。拳が痺れている。二発ほど素手で殴った。反省はしていない。
レオンが立ち上がった。フードが戦闘中にずれて、頬の傷痕が露わになっている。息が上がっている──が、あたしほどじゃない。
目が合った。
「……悪くない」
レオンが言った。
「お互い様」
あたしも言った。
変な気分だ。誰かと背中を合わせて戦ったのは初めてだ。学園では一人だった。守る相手はいたけど、隣に立つ相手はいなかった。
レオンの背中は広くて、硬くて、動きが読みやすかった。こっちが右に動けば、あいつは左を取る。言葉は要らなかった。体が勝手に噛み合った。
──気持ち悪いくらい、しっくりきた。
◇
倉庫の奥から木箱を引きずり出した。レオンが手際よく錠前を壊して開ける。
帳簿が一冊。名前と数字の羅列。人の名前と、金額。
「名簿だ。取引の記録。これで上流が追える」
レオンがページをめくる指先が止まった。ある行を指差した。
「ここだ。この資金の流れ──貿易紛争に紐づいている」
「貿易紛争?」
「ルミエール周辺の三カ国が揉めている通商路がある。そこを経由して資金が流れている。紛争が長引くほど組織に金が落ちる仕組みだ」
貿易紛争。外交の話はあたしの領分じゃない。でも、リーリエなら分かるかもしれない、と思った。リーリエが追放された後、クラウディアの外交が止まっている。あの紛争も解決の目処が立っていないはずだ。
「……あんたは、この組織をどこまで知ってるの」
レオンが帳簿を閉じた。あたしを見た。
「お前に訊きたいことがある」
「何」
「学園で何を守っていた?」
心臓が跳ねた。
「……なんであたしが学園にいたって知ってるのよ」
「調べた。クラウディア王立学園を追放された侯爵令嬢。罪状は"暴力"。だが聞き込みをすると、お前に殴られた人間の評判は例外なく悪い」
調べていたのか。いつの間に。
「全員、組織の人間だった。人身売買。学園の中で、子どもを──」
言葉が詰まった。
声に出すのは初めてだった。七年間、誰にも言わなかった。言えなかった。
「……殴って、止めて、守った。十三回。でも組織そのものは潰せなかった。あたし一人じゃ」
レオンが黙ってあたしを見ていた。
無表情の男だと思っていた。顔の怖い、感情のない、正論しか言わない嫌な男だと。
──違った。
レオンの目が変わっていた。怒っている。あたしにじゃない。あたしの話の中身に対して。組織に対して。七年間一人で戦わせた周囲に対して。
こいつ、怒ってるんだ。あたしのために。
「……なんでそんな顔してんの」
「していない」
「してる」
レオンが視線を逸らした。帳簿をまた開いて、ページをめくり始めた。指先が少しだけ荒い。
「一回だけだと言った」
唐突に言われた。何の話かと思った。
「だがこの帳簿の規模は、一人で処理できるものじゃない。──もう少し、付き合ってもらう」
あたしは、少し笑った。
「借り一つね」
「貸しだ」
「あたしから見たら借りだっての」
レオンは何も言わなかった。帳簿のページをめくる指が止まって、あたしの方をちらりと見た。
──ああ、これはたぶん。こいつなりの「悪くない」の続きなんだろう。
倉庫の外は夜明け前の空気だった。星がまだ残っている。グレンツの屋根の向こうに、薄い光が差し始めていた。
背中がまだ温かい。さっきまでレオンの背中があった場所が。
(一人じゃないってのは、こういう感覚か)
考えたことがなかった。学園の七年間、一人でやるのが当然だと思ってた。
手紙の束に触れる。十一通。
あの子たちを守った時は、あたしの背中は壁だった。
今夜は、人だった。




