第3話 あたしの勘はあたる
あたしの勘は当たる。
当たってほしくないときほど当たる。これは才能じゃなくて呪いだと思う。
◇
旅商人の一団がグレンツに入ってきたのは、用心棒を始めて十日目の昼過ぎだった。
荷馬車が四台。馬が八頭。人間は十人前後。砦町の正門から堂々と入ってきて、広場の一角に天幕を張った。
酒場のカウンターに肘をついて、窓越しに眺めていた。
「旅商人だよ。月に二、三回は来るさ」
グレタさんが皿を拭きながら言った。
「ふうん」
見ている。天幕の設営を手際よく進める男たち。荷馬車から木箱を降ろしている。看板が立った。布地、香辛料、陶器──よくある品揃えだ。
よくある品揃え、なのに。
「グレタさん。あの商人、前にも来たことある?」
「いや、初めてだね。見ない顔だ」
あたしは窓に近づいて、もう少しよく見た。
おかしい。何がおかしいのか、まだ言葉にできない。ただ、首の後ろがざわざわする。学園の廊下で「今日は裏に近づくな」と体が警告してきたときと同じ感覚。
午後になって、商人の一人が広場で子どもたちに菓子を配り始めた。
蜂蜜飴。この辺りでは珍しい甘味だ。子どもたちが群がった。商人は人のよさそうな笑みを浮かべて、一人ひとりに声をかけている。名前を訊いている。家はどこかと訊いている。
──普通の商人は、子どもの名前なんか訊かない。
歯の奥が軋んだ。
◇
その日の夜、酒場を閉めた後に砦壁の上から町を見下ろした。
月明かりの下、旅商人の天幕は静まり返っている。
──いや。
荷馬車が一台、動いていた。
音を立てないように。灯りもつけずに。天幕の裏手から、町外れの廃屋のほうに向かっている。
昼間は動かさなかった荷馬車だ。あたしは品物を降ろす作業を見ていた。四台中三台の荷は降ろされたが、一台だけは開けなかった。「壊れ物だから」と他の商人に言っていた。
壊れ物。
夜中に、灯りもなしに、廃屋に向かう壊れ物。
「……行くか」
壁から飛び降りて、影を追った。
◇
町外れの廃屋は、かつての番所の跡らしい。屋根が半分崩れて、壁は蔦に覆われている。荷馬車はその裏手に停められていた。馬は繋がれていて、御者の姿はない。
建物の中に入ったのだろう。
壁に背をつけて、耳を澄ませた。声が聞こえる。低い話し声。二人──いや、三人か。内容は聞き取れない。
回り込んで、窓のない壁側から近づこうとした。
角を曲がった瞬間、目の前に人がいた。
旅商人の一人。背の高い男。昼間、子どもに飴を配っていた奴だ。
目が合った。
「──誰だ」
男の手が腰に伸びた。短剣の柄。
まずい。見つかった。こっちは丸腰だ。用心棒の仕事に刃物は要らないと思って、剣は宿に置いてきた。
「通りすがりの酔っ払いよ。道に迷っ──」
「嘘をつくな。さっきから尾けていただろう」
気づかれていた。あたしの尾行が雑だったか、こいつが慣れているか。たぶん後者だ。この男の目つき、構え方──ただの商人じゃない。
男が短剣を抜いた。
月明かりが刃に反射した。あたしは半歩退いて、距離を測った。素手対短剣。不利だが、やれなくはない。相手の右手首を狙う。刃を持つ手さえ封じれば──
その時だった。
背後から、影が動いた。
あたしの背後じゃない。男の背後だ。
音もなく現れた別の人間が、男の短剣を持つ腕を掴み、捻り上げ、一息で床に組み伏せた。
速い。
あたしが三人を制圧した時と同じくらい──いや、もっと。無駄がない。音がない。訓練された動き。軍人の動きだ。
男が呻きながら地面に押さえつけられている。短剣は弾き飛ばされて、あたしの足元に転がった。
組み伏せた人間が立ち上がった。長身。フードを被っている。月明かりの中でフードを外した。
厳つい顔。切れ長の目。頬に古い傷痕。無表情。あたしを一瞥して、それから地面の男に視線を戻した。
「邪魔をするな」
──は?
「こちらはフェーレンの案件だ。素人が首を突っ込む場所じゃない」
低い声。抑揚がない。命令に慣れた喋り方。
あたしの中で、何かがぶちっと切れた。
「素人? あんたこそ誰よ。この町の用心棒はあたしだ。怪しい連中を調べるのはあたしの仕事でしょ」
「用心棒」男は一瞬だけ眉を動かした。それだけ。「酒場の喧嘩を止めるのと、組織犯罪の捜査は別物だ。帰れ」
「帰らない」
「帰れ」
「帰らないって言ってんの。あいつら、子どもに手を出そうとしてる。あたしはそれを見過ごせない」
沈黙。
男があたしを見た。暗くて表情は読みにくいが、値踏みされている気配は分かった。
「……お前。あの酒場で三人を素手で制圧した女か」
噂が回っているらしい。
「それが?」
「腕は立つようだな。だが腕だけでは組織は潰せない。情報がいる。お前にはそれがない」
正論だ。腹が立つほど正論だ。
「じゃああんたには何があるのよ」
男は答えなかった。代わりに地面の旅商人を引きずり起こし、手際よく縄で縛った。
「明日の夜明け前に、この一団は動く。その前に拠点を特定する必要がある。お前は宿に戻って、いつも通りにしていろ」
「勝手に仕切るな」
「仕切ってるんじゃない。事実を言っている」
フードを被り直した。あたしに背を向けて、闇の中に消えようとする。
「ちょっと待ちなさいよ! あんた名前は!」
「……レオン」
それだけ言って、本当に消えた。影に溶けるように。足音がない。
あたしは暗い路地に一人残された。足元に転がった短剣と、縛られて気を失っている旅商人と。
◇
宿に戻った。
壁に拳を叩きつけたい気分だったけど、壁に穴を開けたらグレタさんに殺される。代わりに枕を殴った。あんまり気持ちよくない。
「素人、って言われた……」
十三回殴った。全員組織の人間だった。七年間、学園の裏で戦い続けた。それを「素人」と。
──いや。
悔しいけど、あいつの言ったことは間違ってない。
あたしは殴れる。止められる。守れる。でもそれだけだ。組織の全体像が見えていない。資金源も、構成員も、目的も分からないまま拳を振り回していた。学園でもそうだった。目の前の子どもを守ることに精一杯で、組織そのものを潰す手段を持っていなかった。
あのレオンとかいう男。フェーレンの案件だと言っていた。隣国の人間が、この国境の町で潜入捜査をしている。つまりこの組織は、国を跨いで動いている。
──学園の連中と、繋がっているのか?
拳を握った。
夜道で飴を配っていた旅商人の顔を思い出す。子どもの名前を訊く口調。家を訊く口調。手慣れていた。一人や二人じゃない数をこなしてきた手つきだった。
あの男が、組み伏せられる前に言いかけた言葉が耳に残っている。
「こちらはフェーレンの──」
レオンが遮った。あの先に何があったのか。
窓の外、月が雲に隠れた。グレンツの夜が一段暗くなる。
──あたしの勘は当たる。
あの旅商人たちは、先週裏路地で子どもの腕を掴んでいた男と同じ匂いがする。同じ目をしている。あのとき逃げた男が着ていた外套と、今日の一団の服が似ていた。先遣隊だったんだろう。下見をしてから本隊が入ってきた。
計画的だ。
こいつらは、この町の子どもを狙っている。
手紙の束に触れた。十一通。懐に入れたまま、まだ持ち歩いている。あの子たちの声。
「あんたにどう言われようがね、レオンさん」
誰もいない部屋で呟いた。
「あたしは引っ込まないよ」
素人だろうが何だろうが、目の前で子どもが連れ去られるのを見過ごすつもりはない。
情報がないなら、掴みに行く。
やり方が分からないなら──悔しいけど、あの嫌な男に訊く。
拳を開いた。閉じた。
学園の頃と違う。今度は一人で全部背負わなくていい──かもしれない。あの男の腕は確かだった。あたしを「素人」と呼んだ口は気に入らないが、旅商人を組み伏せた手際は認めざるを得ない。
レオン。
嫌な奴だ。でも、同じ方向を向いている。たぶん。
明日、あいつを探す。蹴ってでも情報を引き出してやる。




