第1話 断罪
五人の悪役令嬢、それぞれがそれぞれの人生を歩む姿を書いていきます!
まずはリーリエ編!
「──あなたたちを、聖女を苦しめた五人の悪女として、断罪します」
ああ、やっと来た。
七年。待った。この瞬間を。
舞踏会の広間に、聖女マリアベルの声が響いた。可憐に震えた声。涙を堪えるような呼吸。頬を伝う雫は、燭台の灯りを受けて宝石のように光っている。
──計算し尽くされた涙だと気づいている人間が、この場に何人いるだろう。
広間を見渡す。数百人の貴族たち。王太子殿下は聖女の隣に立ち、正義の味方の顔をしている。国王陛下は玉座の奥で沈黙。王妃陛下は扇の向こうに表情を隠している。
そして──私たち。広間の中央に、五人。
罪状の読み上げが始まった。
◇
「第一の悪女──カティア・ベルンハルト!」
マリアベルの指が、私の隣に立つ長身の令嬢に向けられた。
「暴力令嬢! この女は聖女の取り巻きを脅迫し、暴力を振るいました!」
カティアの拳が白くなった。
広間のあちこちでささやきが起きる。「やはり」「前から噂は」「侯爵家の恥さらし」。カティアの肩が震えているのが分かった。怒りだ。でも、彼女は口を開かない。
(……カティア。あなたが殴った相手が何をしていたか、私は全部知らないけれど)
学園の廊下で、カティアが年下の生徒の前に立ちはだかっていたのを何度か見た。守るように。壁になるように。殴った相手は、いつも決まった種類の人間だった。社交界で良い顔をしているのに、学園の裏では別の顔を持つ──そういう連中だ。
弁明すれば、守っていた生徒たちの名前が出る。カティアはそれを選ばない。
歯を食いしばったまま、カティアは前を向いている。その横顔は、殴られた側より余程痛そうだった。
◇
「第二の悪女──ソフィア・クラインツァール!」
「毒舌の噂屋! 悪意ある噂で聖女の評判を傷つけた罪!」
ソフィアは微動だにしなかった。
この五人の中で、ソフィアだけが表情を崩していない。怒りも悲しみも、何も。まるで退屈な茶会の挨拶を聞いているかのように、ただ立っている。
(……ソフィア。あなた、もしかして)
あの目。穏やかなのに、全部見透かしているような目。社交界で「毒舌の噂屋」と呼ばれていた彼女の情報網の広さを、私は仕事柄知っていた。外交暗号を扱う以上、誰が何を知っているかを把握しておく必要があったから。
ソフィアの情報網は宮廷の毛細血管のようなものだった。派閥の暴走を抑え、汚職の芽を摘み、社交界のバランスを保つ──見えない調整弁。
今、マリアベルの罪状を聞きながら、ソフィアの口元にごく薄い笑みが浮かんだ。それから──カティアにだけ、小さく頷いた。
あれは何のサインだろう。
(「あなたの秘密は守る」か。それとも「知っていた」か)
分からない。ただ、ソフィアだけは今夜のことを「予想していた」と、そんな気がした。
◇
「第三の悪女──メイ・リンドグレーン!」
小さな悲鳴が聞こえた。メイのものではない。広間の片隅で、若い令嬢が口を押さえていた。メイの元患者かもしれない。
「男誑しの魔女! 不特定多数の男性を色仕掛けで誘惑した!」
メイが唇を噛んだ。小柄な体が一回り縮んだように見える。
五人の中で、メイの罪状が一番ひどい。「男誑し」。「魔女」。男性の手を握っただけで──
(……彼女が手を握っていたのは、治すためだ)
メイの回復魔法は素手で触れなければ発動しない。聖女のヒーリングでは治せない慢性疾患を抱えた生徒たちを、メイは放課後の医務室でこっそり治療していた。男子生徒の手を握って。
それを「誘惑」と呼ぶなら、医者が患者に触れることも罪になるだろう。
メイの目が潤んでいる。でも泣いてはいない。唇を噛んだまま、視線を床に落として耐えている。
(言い返せばいいのに、と思う。でもメイは言えない。「聖女の恋人の持病を治療していました」と言えば、患者の秘密が公になる。メイはそれを、自分の名誉より重いと思っている)
◇
「第四の悪女──ヴィオラ・ネーベルシュタイン!」
「居眠り令嬢! 怠惰で学業を放棄し、聖女の努力を嘲笑した!」
──返事がない。
マリアベルが苛立ったように繰り返した。「ヴィオラ・ネーベルシュタイン!」
ヴィオラは、寝ていた。
こくりこくりと小さな頭が揺れている。断罪の最中に。聖女の糾弾の真っ只中に。広間中の視線が集まる中で。
……笑ってしまいそうだった。不謹慎だと分かっていても。
五人の中で最年少。小柄で、いつも眠そうで、ふわふわした空気を纏っている子。学園でも授業中に寝ている姿ばかり見かけた。でも不思議なことに、ヴィオラがぽつりと口にする一言が、妙に核心を突いていることがあった。
「北の橋、来週気をつけて」
半年前、廊下ですれ違いざまにそう言われた。意味が分からなかったけれど、翌週本当に北部の橋が増水で崩落した。偶然だと思った。──思おうとした。
マリアベルに「起きなさい!」と叱責されて、ヴィオラがようやく目を開けた。寝ぼけた目。少し焦点が合っていない。
「……あ。ごめんなさい。いい夢、見てて」
広間が凍りついた。この状況で、この台詞。
でも私は、ヴィオラの頬に涙の跡があることに気づいていた。目覚める前についた涙。
あの子はいつもそうだ。眠った後に泣いている。理由を訊いても、ふわりと笑うだけで答えない。
(ヴィオラ。あなたの涙は、何を見た涙なの)
──考えている暇はなかった。
◇
「そして第五の悪女!」
マリアベルの声が、私に向いた。
「氷の女王──リーリエ・ヴァイスフェルト! 聖女である私に冷酷な態度を取り続け、社交界で孤立させた罪!」
冷酷な態度。
なるほど。機密外交の会議室に部外者を入れなかっただけのことを、そう呼ぶのか。
殿下が進み出た。
「リーリエ・ヴァイスフェルト。婚約を破棄する」
王太子アレクシス。私の元婚約者。マリアベルの隣で、正義を執行する王族の顔をしている。
(……殿下。この七年間、あなたの名前で送った外交書簡を、一通でも自分でお読みになったことはありますか?)
ない。知っている。一通も。
「承知いたしました」
一礼した。深く、正確に、公爵令嬢の作法として一分の隙もなく。
広間がざわめく。泣かないのか。縋らないのか。
残念ながら、泣く予定はない。
「ただ一つ──お返ししたいものがございます」
国王陛下の側近、ハインリヒ卿の前に歩み出る。懐から封書を取り出した。封蝋は私の紋章。
ハインリヒ卿の表情が変わった。この人だけは知っている。この封蝋が、何を意味するか。
「七年間お預かりしておりました外交暗号鍵の一式です。条約草案の管理台帳もお付けしております」
封書を差し出す。ハインリヒ卿の指先が、わずかに震えた。
「解読の方法は、私の頭の中にしかございませんが──」
視線を聖女に向ける。微笑む。七年間で最も丁寧に、最も優雅に。
「──聖女様ならきっと、おできになりますわよね?」
マリアベルの頬が引きつった。
一瞬だけ。可憐な仮面の下から、まったく別の目が覗いた。
私はそれを見届けてから、背を向けた。
カティアがこちらを見ていた。拳を握ったまま、でも目だけが「やるじゃない」と笑っていた。
ソフィアは変わらず無表情だったけれど、瞬きが一つ多かった。あれは彼女なりの拍手だと、私は勝手に思うことにした。
メイが小さく微笑んでくれた。泣きそうな目のまま。
ヴィオラはまた目を閉じかけていた。でも、一瞬だけ──本当に一瞬だけ、私と目が合った。
「大丈夫」
口の形だけで、そう言ったように見えた。何が大丈夫なのか、分からなかったけれど。
◇
馬車が走っている。
舞踏会場の灯りが窓の外に遠ざかる。春の夜気が冷たい。左手の薬指が軽い。婚約指輪は暗号鍵と一緒に封書に入れた。
──「お返し」。返却と、もう一つの意味。気づく者だけが気づけばいい。
視界がぼやけた。涙ではない。もっと古い、もっと遠い記憶。白い蛍光灯。ガラス張りの会議室。通訳用のイヤホンの重み。
国連ビル。前の人生で毎日通っていた、あのオフィス。多言語の書類に埋もれて、誰の目にも留まらない交渉の下準備をしていた。
同じだ。あの人生でも、この世界でも。見えない仕事をして、見えないまま──
いや。
今度は自分の足で出てきた。返すものを返して。
窓を開けた。どこかで花が咲いている匂いがした。
四人の顔が浮かぶ。拳を握ったカティア。全てを知る目のソフィア。唇を噛んだメイ。眠りながら泣いていたヴィオラ。
あの四人も、今夜それぞれの馬車に乗っているのだろうか。
「さて」
声に出した。
「──次の職場を探さないと」
南に港町があると聞いた。貿易紛争を抱えた小国。交渉。利害の調整。仕組みのない場所に、仕組みを作る仕事。
──やりがいの匂いがする。




