第19話:中等勇者の実力
その夜、文楽は数日ぶりに睡眠を取ろうとしていた。
魔王の体内で何度か仮眠を取ったとはいえ、あんなところで安眠できるわけもない。疲れが取れるわけでもない。戦闘中に意識が散漫しないようにするための、最低限の休みだった。
ゲームに巻き込まれてからおよそ一週間後の今日、ようやく安眠ができる。
備え付けの薄っぺらい布団ではあるものの、毛布に潜って三秒も経たずに強烈な睡魔が襲ってくる。
懐かしい感覚だった。
会社で徹夜三昧だった頃、家に帰ると毎度気絶したように眠っていた記憶がある。
「今日ぐらいは休んでもいいよな」
そう呟いた数秒後、文楽はすやすやと寝息を立てて眠っていた。
◆
翌朝、というにはいささか遅い時間に起きてしまった。
時計を見れば針は十時を指していて、ブランチの時間帯に突入していた。
「やってしまった……相当疲れが溜まっていたか」
思わず、額に手を当てて天井を仰ぎ見ていた。
寝すぎたことを反省しつつ、そんな時間はもったいないとすぐに行動を開始する。急ぎ最低限の準備をして訓練部屋へとたどり着いていた。
そこではすでに皆の訓練が始まっていた。
ざっと数えて十人程度が、地獄の永遠ダッシュをしているようだった。
小神の入れ知恵だろう。拠点で最初に文楽がやっていた訓練を、新入りの勇者たちにも行わせていたのだ。だが、昨日の今日ですでに五人の姿がもうここにはなかった。
憎き茄子子の姿も、そこにはなかった。
「神々廻先輩、おそようですね。どうぞお水です」
背後から顔を覗き込むように、小神が現れた。
その両手には抱えるほどのペットボトルがあった。
拠点では、唯一「水」のみが無制限に口に入れることを許されている。
冷蔵庫のような機器に空のペットボトルを入れ扉を閉めると、次に開けたときにはペットボトルごと新品に変わって中身も補充されているのだ。それ以外にもトイレやシャワーなども、飲料水ではないが無限に水を使うことができる。
小神はその機能を使って、訓練を頑張る彼らのために新品の水を取ってきたのだろう。
ありがたく文楽はそれを受け取ると、起きて最初の水を飲む。
「ありがとう。……それにしても『おそよう』ってなんだ?」
「……本気で言ってます?」
「どういうことだ? 俺は本気で聞いている」
「ただのジョーク挨拶ですよ。遅いですね、と、おはようございますを掛け合わせただけです」
「……ただの皮肉かよ」
文楽は恥ずかしそうに目線を逸らしつつ、少しだけ笑っていた。
仕事を辞めてからずっとニュース一つ見ておらず、ゲームしかやってこなかったなど言えるわけもなかった。とはいえ、昨日の出来事の後で冗談を言える元後輩のメンタルの強さに、思わず笑ってしまっていた。
「っと! そんなことよりも! 昨夜、文楽さんに頼まれたこと確認してきましたよ!」
「ということは、小神も鑑定部屋にはいれるようになったのか」
「はい! 昨日のうちになんとか残りの九時間を達成できました!」
「助かる。それで結果はどうだった?」
文楽の言葉を聞いて、小神は淡々と話し始めた。
「枯木さんは推測通り【騎士適正】で間違いありませんでした。鑑定時、スキルはまだ獲得していないようでしたが、獲得可能スキルは七つほどありました。先輩から事前に聞いていたスキルもあったので、その取得方法を伝えると、昨夜のうちには一つ使えるようになっていましたよ」
「それは良かった」
「枯木さん、昨日すごーく頑張っていたのであとで褒めてあげてくださいね」
盾を持ちながら必死に走る枯木を見て、小神は言った。
確かに枯木は誰よりも必死に走り込みを続けていた。あえて盾を持ったまま走っているのも盾に慣れるために、そして自分に負荷をかけて成長しようとする意気込みだろう。
ここにいる誰よりも汗を流し、誰よりも一歩を大きく踏み出そうとしている。目の下の隈もひどいことから、昨夜は眠らずに訓練をしていたのだろう。
「そういうのは苦手なんだが……まあ少しは考えておく」
「ぜひ、そうしてください! ちなみに私も迅くんも頑張ったので、あとで労ってくださいね」
飄々と笑う小神の姿に、文楽は少し安堵していた。
昨日みた鬼人のような彼女の拷問っぷりがどうしても脳裏から離れなかったのだ。
にこにこしている小神は一旦置いておいて、文楽は誰よりも速く走る人物を目で追い始めた。必死に走る枯木が小学生に見えるくらい、その人物は圧倒的な速さで片道を走り切っていた。
「それで、洞木はどうだった?」
「はい。肝心の洞木さんですが……等級は『中等勇者』で、適性は【樹魔法士】というものでした。詳しくは分からないのですが、魔法――を使える方なのでしょうか?」
「ああ、魔法の中でも樹木を扱う優秀な適正だ。攻撃に防御、さらに回復まで使用できる」
「す、すごいですね……そんな方が仲間になったのは頼もしいですね」
「ああ、想定以上だ」
「あっ! あとなぜか洞木さんは最初からいくつか魔法が使えたみたいです。クラッツォとの勝負で窮地に陥ったとき、急に使えるようになった――とお聞きしました。理由ってわかりますか?」
「中等勇者は、最初からスキルを三つ持っている状態で召喚される。おそらく樹魔法士ならば攻撃、防御、回復それぞれ一つずつ使えただろう――全員が生き残れたのも洞木が原因だな」
そう言いつつ、文楽は洞木を目で追っていた。
皆と同じ訓練をこなしているのに、彼女は疲れているどころか息一つ切らしていない。
彼女がどれだけ優れた運動経歴を持っているか、など関係ない。スポーツ選手だって疲れる訓練をしているはずなのに、彼女は疲れるそぶりを一切見せていないのだ。ほんの僅かに額に汗を貯める程度で、一人だけ平面エスカレーターでも乗っているのかと疑いたくなる光景だ。
そう、これが初等勇者以上の等級を持つ彼らの特権だ。
下等勇者と比較して、召喚時からステータス値に圧倒的な差が存在している。
正直、純粋なステータス値だけであれば文楽を優に超えているだろう。
中等勇者の初期ステータスは、下等勇者の十レベル以上に匹敵することが多い。
「魔法ってなんだか現実味ないですよね。あ、とはいっても魔王と戦ったときに嫌と言うほど見たので信じていないわけではないのですが……いざ人が魔法を使うってなると、凄いなぁって感情が湧いちゃうんですよね」
「お前や迅だって似たような力を使っているだろう」
「スキルですか? いや、まあそうなんですけど」
「ちょうどいい」
「なにがですか?」
「小神、俺と模擬戦をやろう」
そういうや否や、文楽は出入り口にあるコンソールを操作する。
広い訓練部屋の半分が、別のフィールドへと変わっていく。
『――訓練エリアの半分が闘技場モードに変更されました』
機械的なアナウンスが、部屋全体に声を響かせた。
それを聞いた全員が立ち止まると、新たに加わってきた文楽の方を見る。
その話でも聞いていたのか、タイミングを計っていたのか。
洞木が文楽の元にやってきた。
さっきまで走っていたとは思えないほどに、綺麗な顔で言う。
「私も模擬戦とやらに参加させてほしい」
「いいだろう」
洞木が真剣な眼差しで言ってきた。
文楽はそれを断る理由もなかったので、静かに頷いた。
むしろちょうどいいとすら思っていた。序盤から魔法系との戦闘訓練を積める機会などそうそうないので、経験値を積む絶好のチャンスだと考えていた。
「ま、待ってください!」
そのとき、小神が慌てた様子で会話を止めに入ってきた。
「模擬戦ってなんですか!? 私たちは異質な力を使えるので、模擬戦なんて危険なことをしたら危ないじゃないですか!」
「安心しろ。この闘技場モードでは誰も死なない。血が流れたとしても、すぐにシステムが回復させてくれる。怪我を負ったときに少し痛い程度で済む」
「そ、そうなんですか……先輩がそう言うならば止めませんが」
「不安なのは理解した。ならば――洞木、まずは俺とやろう」
闘技場エリアに文楽と洞木が向かい合わせになる。
そのやり取りを聞いていた皆がこぞって注目し始めた。
訓練を一度休憩し、強者たちの戦いの行く末を見守る。
洞木はコートのポケットに手を突っ込んだまま立っている。
対して、文楽は腰から短剣を取り出すと、それを静かに構えた。




