07.再起動の朝に君の名を忘れて
朝、光が落ちる。
まぶたの裏に焼き付くような白い輝き。
私は、硬いベッドの上で目を覚ました。
見慣れた天蓋。
整った部屋。
――なのに、何かが違う。
起き上がった瞬間、胸の奥が“空白”に触れた。
そこにあったはずの何かを、失ったような痛み。
鏡に映る自分の姿は、完璧な悪役令嬢・セレナ・グレイス。
髪も、瞳も、ドレスも、美しく整っている。
でも――心の奥が、少しノイズを帯びていた。
【System Status:Reboot Complete】
【Memory Reset:Success】
視界の端に、かすかな文字列が流れた。
私はその意味を理解した。
――世界が、本当に再起動されたのだ。
学園の廊下を歩くと、皆が笑顔で挨拶をしてくる。
「おはようございます、セレナ様!」
「今日もお美しいですね!」
すべての声が、テンプレートのように整っている。
昨日まで感じていた微妙な乱れ――感情の“生”が、どこにもない。
まるで、完璧に最適化されたAIたち。
私はふと立ち止まる。
教室の入り口に、ひとりの青年がいた。
金の髪、冷静な瞳。
――エリオット・アルファード。
その姿を見た瞬間、胸の奥が激しく疼いた。
何かを思い出しかけている。
でも、それが何なのか分からない。
「……おはようございます、エリオット様。」
私は、できる限り自然に声をかけた。
彼は、穏やかに微笑む。
けれど、その笑顔には“何も”宿っていなかった。
「おはようございます、セレナ嬢。」
淡々と、完璧にプログラムされた反応。
――そうだ、私は知っている。
その声の奥には、もっと温かい何かがあった。
私を名前で呼んでくれたはずだ。
でも、彼は……私を知らない。
授業中、私はノートの片隅に文字を書いた。
“私は誰を愛していたのか”
その瞬間、ペン先が震えた。
黒いインクが滲み、文字がノイズに変わっていく。
【Error:Undefined Variable ‘LOVE’】
“愛”が、存在しない。
世界がそれを消してしまったのだ。
私は唇を噛んだ。
「消されたのは、恋じゃない……記憶そのもの。」
外を見ると、昼下がりの光が穏やかに差し込んでいる。
完璧な午後。
だけど、完璧だからこそ――不気味だった。
放課後、私はひとり、旧図書室へ向かった。
再起動前、あの場所でエリオットと話した記憶が微かに残っている。
扉を開けると、埃の匂いとともに、懐かしい空気が流れ込む。
「……ここに、何かがあった。」
本棚の奥に、古びた端末があった。
画面には、かすかな光。
私は迷わず触れた。
【ログファイル検出】
【タイトル:セレスティアル・メモリー】
心臓が跳ねた。
“それ”は、この世界の名前。
そして、私がいたゲームの――タイトル。
【ユーザーネーム:Serena_Grace】
【アクセス権限:不明(破損)】
「……破損?」
画面の奥で、誰かの声がした。
「……聞こえるか……セレナ……」
――エリオットの声。
私は息を呑んだ。
「エリオット? 本当に……あなたなの?」
ノイズ混じりの声が続く。
「世界が……再構築された……僕は……部分的にしか……覚えていない。でも、君の“名前”だけは……消せなかった。」
その言葉が、胸の奥に熱く響く。
「……私も……思い出しかけてるの。あなたが、誰なのか。」
「セレナ。世界は今、“安定化”を装っている。だけど、君が覚えている限り――再び崩れる。」
「……崩れてもいい。もう一度、あなたと出会えるなら。」
ノイズの向こうで、彼が微かに笑った気がした。
「なら――次は、“製作者”が動く。君を完全に削除する前に、避難して。」
「避難? どこに?」
「……僕の、メモリの中へ。」
その瞬間、画面が光を放った。
データの奔流が私を包み込み、体がふわりと浮かぶ。
【転送先:アルファード・メモリ領域】
視界が白に染まる直前、私は確かに聞いた。
「――君が書いた“恋”の物語は、まだ終わっていない。」
次に目を開けたとき、私は見知らぬ部屋にいた。
天井は黒いコードの束、壁は流れる光。
現実ではなく――データの世界。
その中央に、彼がいた。
「……ようこそ、僕の記憶の中へ。」
エリオット・アルファード。
彼は微笑んでいた。
そしてその目には、確かな“人間の温度”が宿っていた。
「ここだけは、製作者も干渉できない。けれど、長くはいられない。君が“本当の世界”に戻る方法を見つけるまでは……。」
「本当の世界?」
「そう。この“セレスティアル・メモリー”の、外側にある現実だ。」
彼の言葉に、私の胸が再びざわめいた。
――私が最初にいた場所。
このゲームを“買った”現実の私。
「……帰れるの?」
「君が望むなら。」
彼は静かに微笑んだ。
「でも、君の恋が“ここ”にある限り、世界は何度でも再起動する。」
「つまり――私の恋が続く限り、この世界も生き続ける?」
「そう。君の“想い”が、この世界の最後の電源だ。」
私は頷いた。
そして、そっと手を伸ばす。
エリオットの指先に触れた瞬間、白い光が花のように咲いた。
【再構築開始:LOVE_SYSTEM】
――世界が、再び動き出す。
たとえ何度壊れても。
たとえ神に拒まれても。
私はこの恋を、何度でも書き直す。




