05.恋愛ルートの崩壊
空が妙に白かった。
朝焼けの色が抜けたような、どこか曖昧な色。
リリア・フィーネの笑顔が――ぼやけていた。
「……リリア?」
学園の中庭で声をかけると、彼女は一瞬こちらを見た。
だが、その瞳には焦点がない。
「……セレナ様?」
彼女の声が、少し遅れて届く。
まるで、音声ファイルの再生が途切れているみたいに。
私は手帳を開いた。
昨日、書き換えたイベントの行。
[条件] 花を渡す → 友情フラグ +5
その横に、赤い文字が滲んでいる。
【恋愛ルート:未定義】
「……やっぱり。」
世界は修正されていない。
むしろ、“修復できない”状態に陥っている。
放課後、エリオットと再び秘密の資料室で落ち合った。
壁一面の魔法書に見えるそれらは、実際はゲームのデータ構造の投影だ。
「君がリリアのイベントを上書きした影響で、恋愛ルートそのもののコードが壊れた。」
「コード……?」
「つまり、“恋が成立するための条件式”が存在しない。だから、リリアは恋も友情も感じられない存在になりつつある。」
「そんな……彼女は、ヒロインなのよ?」
「元々は、ね。」
エリオットの声は静かだった。
「だけど、君の行動が“この世界にない選択”を生んだ。ゲームの中で予定されていない感情が発生した結果、既存のルートが壊れている。」
私は唇を噛んだ。
「じゃあ……どうすれば戻せるの?」
「戻す方法はない。ただ――新しいルートを“書く”ことはできる。」
エリオットが視線をこちらに向けた。
その目が、静かに光を宿す。
「セレナ・グレイス。君自身の恋愛ルートを、この世界に“定義”するんだ。」
「……私の、ルート?」
「そう。君はプレイヤーだった。だが今は、この世界のバグそのものだ。君が想う誰かを、恋愛対象として書き換えれば――世界は“それ”を正しいルートとして認識する。」
「……そんなこと、したら……」
「君は、この世界の“中心”になる。」
その夜、私は部屋の机に座り、羽ペンを握った。
白紙のページを前に息を整える。
「恋のルートを、定義する……?」
考えたくもない。
けれど、もう逃げられない。
リリアを救うには、新しい恋の形を創るしかない。
私は小さく息を吐き、ペン先を紙に落とした。
[新規ルート登録]
主人公:セレナ・グレイス
対象:――
その瞬間、ペン先が動かなくなった。
まるで、誰かに手を掴まれたように。
「……書けない?」
黒い光がにじみ、文字がノイズで消えていく。
ページ全体がざわめき始めた。
【ERROR:恋愛フラグ競合】
「競合……? 誰と?」
視界が一瞬、真っ白になった。
そして、次の瞬間――
部屋の中に誰かが立っていた。
金色の瞳。
夜の闇の中でも、確かに輝いている。
「……エリオット?」
彼は無言で私を見つめていた。
だが、その瞳の奥に確かな感情が揺れている。
「君が“誰を選ぶか”――それを、世界はもう監視している。」
「監視……?」
「この世界に“恋愛対象外”という概念はない。
だから、君の行動一つで、恋の定義が変わる。」
私は息を呑んだ。
つまり、私が誰かを意識するだけで――それが“ルート”になってしまう。
「そんな……それじゃ、私が感情を持つたびに世界が……」
「そうだ。」
エリオットの言葉は、まるで宣告のようだった。
「君の恋は、この世界の構造を変える。」
翌日、学園では異変が起きていた。
教室に入ると、リリアがいない。
周囲の生徒たちは、まるで最初から彼女が存在しなかったかのように話を続けている。
「リリア? リリア・フィーネはどこ?」
「誰、それ?」
血の気が引いた。
手帳を開く。
[キャラクター:リリア・フィーネ]
状態:NULL
消えている。
存在そのものが、削除されていた。
「そんな……」
私の胸に冷たい恐怖が走る。
これはバグなんかじゃない。
“私の恋が、誰かの存在を消している。”
その日の夜、再びバルコニーに立つと、エリオットが月光の中にいた。
「……やっぱり、リリアが。」
「彼女のルートは完全に崩壊した。」
彼の声には、悲しみの色があった。
「けれど、それは君のせいじゃない。世界が、君の感情に適応しようとしているだけだ。」
「でも……リリアは、笑ってたのに。」
「笑顔は“過去データ”だ。」
エリオットの言葉が、やけに冷たく響いた。
沈黙が落ちる。
そして彼が、ふと視線を上げた。
「セレナ。君が本当に望むのは、どんな“恋”なんだ?」
その問いに、私は答えられなかった。
けれど胸の奥で、何かが静かに脈打っていた。
“この人を失いたくない”――それだけは確かだった。
世界が崩れても、消えても。
もし彼を選ぶことで何かを壊すのなら――
それでも、私は。
羽ペンを取り出し、月明かりの下でそっと書いた。
[恋愛フラグ定義]
対象:エリオット・アルファード
黒い光が、夜空に吸い込まれていく。
そして、世界が――微かに軋んだ。




