04.選択肢の外側
また朝が来た。
同じ光、同じ音、同じ天蓋。
けれど、今日は違う。
手の中にある――黒い羽ペン。
軽く握ると、インクのような黒い光がゆらめいた。
あれほど強制的にリセットされたのに、このペンだけは“残っている”。
世界の整合性を越えた、唯一の“現実”。
「……これが、本当に“書き換えキー”?」
信じがたい気持ちのまま、机の上のメモ帳を広げた。
そこには《セレスティアル・メモリー》のイベントログが手書きで並んでいる。
昨晩――いや、何度も繰り返された“朝”の出来事だ。
[イベント001] リリア・フィーネとの遭遇
[条件] バラを踏む → 悪役フラグ +5
[結果] 王子からの冷遇発生
「……これを、変えればいいのね?」
ペン先を紙にあてる。
“バラを踏む”の行をゆっくりなぞると、黒い光が走り、文字が一瞬だけ消えた。
[条件] 花を渡す → 友情フラグ +5
「……書き換えた。」
ただのメモなのに、部屋の空気が一瞬ざわめく。
鳥の声が止まり、時計の針が“逆”に動いた。
世界が、微かに反応している。
庭園に出る。
噴水のそばに、リリアが立っていた。
あのバラを抱えて微笑むヒロイン。
けれど、今日は――違う。
私の足元に踏むはずのバラがない。
「セレナ様!」
リリアが気づいて、駆け寄ってくる。
その笑顔が、やけに自然で温かい。
「この前のお礼です。あの時、優しく声をかけてくださって……本当に嬉しかったです。」
そう言って、リリアは赤いバラを一輪、私に差し出した。
「え……」
――フラグ、反転。
私は息をのむ。
あのペンで書き換えた条件が、現実になっている。
しかも、世界がリセットされていない。
「ありがとう、リリアさん。」
自然と微笑みがこぼれる。
彼女もまた嬉しそうに笑った。
初めて、“選択肢の外側”で世界が進んだ瞬間だった。
その夜、王宮のテラスで、エリオットが待っていた。
「どうやら、うまくいったようだね。」
「ええ。でも……少しおかしいの。」
私の頭の中で奇妙な違和感が残っていた。
世界は変わったのに、空気の奥に“ノイズ”が混ざっている。
「ノイズ?」
「音じゃなくて……感覚。リリアが笑ったとき、どこか歪んだ感じがしたの。」
エリオットは考え込むように目を伏せた。
「……副作用かもしれない。」
「副作用?」
「シナリオのルートを変えたことで、別のイベントが“未定義”になったんだ。本来なら、リリアが悲しむ場面に発生する感情値が――行き場を失った。」
「行き場を失った感情……」
「それは、データの“空白”として漂う。誰かが触れれば、それが新しいイベントになるかもしれない。」
私は背筋が冷たくなった。
「まさか……誰かが“バグる”ってこと?」
「可能性はある。」
不安を抱えたまま部屋に戻ると、机の上のメモ帳が勝手に開いていた。
ページの隅に、黒い文字が滲んでいる。
[イベント002] 教師アンナ・ベルトン:感情値異常検出
[状態] 感情ループ/発生源:セレナ・グレイス
「……なに、これ。」
アンナ・ベルトン――王立学園のマナー教師。
ゲーム中では、セレナの教育係として登場するサブキャラだ。
彼女のイベントは、いつも静かな会話で終わる。
感情ループなんて存在しない。
なのに、私の名前が“発生源”として記録されている。
「……私のせい、なの?」
ペン先が微かに震える。
書き換えは成功した。でも、その結果が別の誰かを狂わせている。
――世界の修正は、常に“代償”を伴う。
エリオットの言葉が頭をよぎる。
翌日。
学園での講義中、アンナ教師が私の席に近づいてきた。
いつも穏やかな彼女の瞳が、どこか焦点を失っている。
「セレナ様……貴女は、今日も素敵ですね。」
「ありがとうございます、先生。」
その瞬間、彼女の瞳が一瞬だけノイズを走らせた。
【Emotion Overflow Detected】
机が震えた。
黒い影が、アンナの足元から溢れ出す。
「……セレナ、さま……私……」
アンナが苦しげに喉を押さえ、笑顔のまま涙をこぼした。
「どうして……こんなに、嬉しいのかしら……!」
教室の空気が歪む。
周囲の生徒たちは動かない。まるで時間が止まっている。
「だめ、先生……落ち着いて!」
私は咄嗟に羽ペンを取り出した。
紙もない。
けれど、ペン先を宙に走らせると、黒い光が文字を描いた。
“アンナ・ベルトン、安定化。”
その瞬間、影が吸い込まれ、ノイズが消えた。
アンナの瞳に、ゆっくりと理性が戻る。
「……セレナ様?」
「大丈夫……何でもないわ。」
私は微笑みながら、胸の奥の震えを抑えた。
確かに世界を直せた。
けれど――確信した。
この羽ペンは、世界を書き換えるたびに“人の心”を動かす。
選択肢の外側は、自由じゃない。
それは、想像以上に“危険な領域”だった。
その日の夜、再びバルコニーで、エリオットに報告した。
「……やはり、世界が反応したか。」
彼の声は静かだった。
「君が使うたび、感情の総量が変動している。それが一定を超えると、この世界の均衡が壊れる。」
「均衡?」
「つまり――“恋”だよ。」
「え?」
「この世界は恋愛シミュレーションだ。感情値が最も高い二人が、結ばれる構造。けれど君が動くたびに、感情が拡散していく。その結果、“誰がヒロインなのか”が曖昧になる。」
私は息をのむ。
それはつまり――
「この世界の“恋愛シナリオ”そのものが、崩壊していく。」
エリオットはゆっくりと私を見た。
「だが、その先にこそ――本当の自由がある。」
彼の瞳が、わずかに笑った。
金色の光が、夜風の中で揺れる。
私は羽ペンを握りしめた。
恐怖も、好奇心も、もう止められない。
「……だったら、書くわ。」
「何を?」
「“恋”の続きを。」
エリオットが微かに笑う。
「いいね。それが、選択肢の外側だ。」




