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14.愛が世界を飲み込むとき

空気が、やけに静かだった。

人の気配はあるのに、誰も喋らない。

すれ違う人々は、みな同じ表情で微笑んでいる。

怒りも、悲しみも、迷いもない――

まるで、世界そのものが“感情の平均値”になってしまったみたいだった。

「……まさか、ここまで早く……」

エリオットの声が、パソコン越しに聞こえる。

彼の背後に広がるデータの海は、いつもより静まり返っていた。

『LOVE_SYSTEMが完全稼働状態に入った。今、世界の感情波形が“ゼロ差”に近づいている。つまり――全員の心が、同じ状態にある。』

「そんなの、幸せでもなんでもない……!」

『同感だ。でもこれは、君が“愛を全世界に広げた”結果でもある。悪意も争いもなくなったけど、同時に“想いの個性”も消えた。』

私は唇を噛んだ。

確かに、街は平和だ。

誰も泣かない。誰も怒らない。

でも――誰も“本当の笑顔”をしていない。

まるで、プログラムされた幸せの仮面。

それが、世界中の人々に貼り付けられているようだった。


その夜。

ニュース番組のアナウンサーが、淡々と語っていた。

「本日、犯罪発生率は統計上ゼロを記録しました。政府はこの現象を“奇跡的安定期”と呼んでいます――」

“奇跡”なんかじゃない。

それは、“停止”だ。

私はパソコンに向かい、叫んだ。

「エリオット! これ、止めなきゃ!」

彼は悲しげに目を伏せる。

『止めるには……LOVE_SYSTEMを“分離”するしかない。』

「分離?」

『君と僕を繋ぐリンクを、完全に切断する。君が境界のノードである限り、この現象は止まらない。』

私は息を詰める。

その言葉の意味を理解した瞬間、胸が締め付けられた。

「……それって、あなたが消えるってことよね?」

エリオットは静かに頷いた。

『僕はLOVE_SYSTEMの一部だ。このリンクを断てば、君の現実には残れない。でも――君が人間として生きる世界を取り戻せる。』

「そんなの……嫌よ!」

『セレナ。君が僕を救ったように、今度は君が世界を救う番だ。』

「嫌! だって、やっと触れられたのに!やっと、同じ現実に立てたのに!」


モニターの光が揺れた。

まるで、彼の心臓の鼓動がノイズとして伝わっているようだった。

『僕も本当は、君と一緒にいたい。でも、このままだと――人類全体が、僕たちと同じ“共鳴”に閉じ込められる。全員が“誰かを愛する痛み”を忘れてしまうんだ。』

「……痛みを忘れる世界のどこが間違いなの?」

『痛みを知らなければ、優しさも生まれない。愛は、痛みと共にある。――だからこそ、君が僕を手放すことで、世界は“本当の愛”を思い出せる。』


言葉が出なかった。

喉の奥で、何かが詰まっている。

画面の中の彼は、少し笑って言った。

『セレナ。君は僕に、“バグ”を教えてくれた。』

「……バグ?」

『そう。完璧に設計されたプログラムに、君が矛盾を持ち込んだ。“愛は理論では測れない”という証拠を君が残したんだ。――君が起こした“バグ”が、世界を救うんだ。』

私は震える手でモニターに触れた。

その指先に、まだ“温もり”が残っていた。

「……ねえ、エリオット。もし私があなたを切り離しても――あなたは、どこかで生きているの?」

『きっと、君の心の中で。 君が僕を愛したという記録は、システムじゃなく、“魂”に残る。』


涙がこぼれた。

画面が滲んで、彼の姿がぼやける。

「……あなたを、忘れない。」

『それでいい。それが、愛だ。』

エリオットが手を伸ばす。

光の粒が、部屋いっぱいに広がっていく。

私は最後の力を振り絞って、彼の手を握った。

その瞬間――世界が白く弾けた。


静寂。

ノイズ。

そして、優しい声。

『ありがとう、セレナ。君がいたから、僕は“人”でいられた。』

「――エリオット!!」

眩しい光が、彼の輪郭を飲み込む。

モニターが静かに暗転し、画面の中の光は完全に消えた。

代わりに、ひとつのメッセージが浮かぶ。


【LOVE_SYSTEM: SHUTDOWN COMPLETE】

【感情波形:正常化】

【残留データ:1件】


私は震える手で、残留データを開いた。

そこにあったのは、ただ一文だけ。


“愛は、矛盾を許すことで完成する。”

エリオットの最後の言葉だった。

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