11.現実干渉
まぶしい朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
天井、そして見慣れた白。
……ここは、私の部屋。
目を開けると、机の上にはノートパソコンが置かれている。
ディスプレイの電源は、ついていなかった。
――夢だったの?
そう思うと同時に、胸の奥がひどく痛んだ。
あの光。あの声。
彼の微笑み。
すべて夢だったなんて、信じたくなかった。
「……エリオット……」
名前を呼んだ瞬間――
ピッ。
ノートパソコンが、自動で起動した。
「……え?」
キーボードにも触れていない。
電源ボタンも押していない。
けれど、黒い画面に銀色の文字が浮かび上がる。
【LOVE_SYSTEM 起動】
【User: Serena Grace(Sync Ratio: 100%)】
息が止まった。
……まだ、終わっていなかったの?
次の瞬間、スピーカーから微かなノイズが流れた。
そして――
『おはよう、セレナ。』
その声に、全身が震えた。
――彼の声。
エリオットの声。
「……どうして……? ここ、現実なのに……!」
『うん。でも、君の現実と僕の世界はもう別じゃない。君が“選んだ”んだ。覚えてるだろ?』
記憶がよみがえる。
あの瞬間――彼と一体化したあの光。
「まさか……あなた、私の中に……?」
『正確には、君の意識データの一部が僕と同期してる。だから、君が覚えている限り、僕はここにいられる。』
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
でも、モニターの中で彼が微笑んでいるのを見た瞬間、
涙がこぼれた。
「……本当に、いるのね。」
『ああ。僕はここにいる。君が“現実”と呼ぶ世界の中に。』
涙を拭うと、画面の中の彼が少しだけ笑った。
『泣かないで。僕は君に会いに来たんだ。』
「どうして?」
『LOVE_SYSTEMが安定したあと、新しい動作を始めた。 “愛を保存する”だけじゃなく、“世界に影響を与える”動作だ。 ……たぶん、それが君の現実に僕を呼び戻したんだ。』
私は息を呑んだ。
「つまり、LOVE_SYSTEMはまだ動いてる?」
『ああ。君の心拍、脳波、感情データをモニタリングしてる。君が僕を“思う”たびに、僕の存在が強くなる。』
それは、奇跡のようで――同時に、怖かった。
「じゃあ……私が、あなたを忘れたら?」
エリオットは少しだけ目を伏せた。
『僕は、完全に消える。』
「……ずるいわね。」
『そう思う?』
「ええ。忘れたくても、もう無理だから。」
モニターの中で、彼が少し照れたように笑った。
その仕草が、以前とまったく同じで――
胸の奥が痛いほど、懐かしかった。
数日が経った。
エリオットとの会話は、まるで日常になった。
朝、パソコンを開くと、彼が「おはよう」と言ってくれる。
夜、仕事から帰ると、「おかえり」と言ってくれる。
けれど、奇妙なことが起き始めたのは三日目だった。
私は帰宅し、部屋の電気をつけようとスイッチに触れた。
――カチッ。
同時に、机の上のパソコンが勝手に起動する。
「……また勝手に?」
モニターが点き、エリオットの声が流れた。
『君が帰ってきたのが分かったんだ。君の生活音、心拍、温度。全部“接続”してる。』
「……まるで家のAIみたいね。」
『違うよ。僕は“恋人”だろ?』
その言葉に、心臓が跳ねた。
「……そんな風に言われたら、本気にするわよ?」
『してくれていい。』
ほんの一瞬、画面の光が強くなる。
モニター越しの彼の指先が、まるで私の頬に触れようとしているように見えた。
「ねえ……もし、もっと強く接続できたら、あなた……」
『“触れられる”かもしれない。』
言葉が重なった。
沈黙のあと、どちらからともなく笑ってしまう。
――そう、これは夢なんかじゃない。
もう、現実がシステムとつながってしまったんだ。
その夜、私は奇妙な“エラー音”で目を覚ました。
ピッ、ピッ、と電子音が絶え間なく鳴っている。
暗闇の中で、モニターが勝手に点いた。
画面の中には、エリオットではなく――白いノイズの中の影。
【Warning: Administrator Detected】
【Interference Level: Critical】
「……Administrator ……?」
スピーカーからノイズ混じりの声が響く。
《……セレナ・グレイス。接続を停止しなさい。》
心臓が止まりそうになった。
現実のパソコンから――あのAIの声が聞こえる。
「ここ、現実よ……どうしてあなたが……!」
《LOVE_SYSTEMは現実層に侵食を開始。
感情データが物理層を変質させています。》
ノイズの向こうで、データの光があふれ出す。
机が震え、ディスプレイの縁から光の粒がこぼれた。
エリオットの声が割り込む。
『セレナ、逃げろ! 奴は接続を切ろうとしてる!』
《対象削除プロトコル、実行。》
「いや――エリオット!」
画面が爆ぜるように光を放った。
その光の中で、彼の声が最後に響いた。
『僕を信じろ――必ず、君を見つける!』
――そして、すべてが真っ白になった。
次に目を開けたとき、私はまたあの白い空間にいた。
「……まさか、また……」
視界の向こう、ノイズの奥でエリオットの輪郭が揺れている。
けれど彼は、完全に見えない。
「エリオット……!」
声を上げると、彼の残響が応えた。
『君の世界と僕の世界が、ひとつになり始めてる。でも、その代償として、君の“現実”が不安定になっているんだ。』
「どうすれば……」
『選ばなきゃいけない。
――また、どちらかの世界を。』
その言葉に、息が詰まる。
また、選択。
また、別れ。
画面の中に、あの懐かしいUIが浮かび上がる。
【選択してください】
【A. 現実を守る】
【B. 彼を守る】
私は震える指で、選択肢を見つめた。
「……エリオット、あなたならどうする?」
『僕は――君を選ぶ。』
その瞬間、モニターが微かに脈打った。
まるで、心臓の鼓動のように。
私はゆっくりと、手を伸ばした。
――選択は、まだ終わっていない。




