8. 王太子争い
精霊術の成功を喜んでいたレリアだけれど、ニコロの名前に、少しだけ頭が冷える。
第一王子ニコロ・アマディ・アブストラート。
水面下でエドガルドと次期王太子の座を争っている王子。
今は視察のために国中を回っていて、王宮には戻ってきていない。
そのせいだろうか。レリアの印象では、今のところ王宮は平和そのものだ。
確かに王太子はまだ決まっていないけれど、それについて表だって不安を口にするような者はいない。
国王陛下がまだまだ現役なので、王宮に焦りのようなものが少ないからだろう。
本当に『お守り』が必要な自体は起こるのだろうか。そんなことを思ってしまうくらいだ。
(私はニコロ殿下がどういう方なのか知らない)
テレーザがニコロの名前を出したのはいい機会だと、コルディエに尋ねてみる。
「その、先生、ニコロ殿下というのはどういう方なんですか?」
「自分が平凡であることを認められない元神童、じゃな」
レリアの質問に一瞬眉をひそめたコルディエから返ってきたのは、辛辣な評価だった。
「幼い頃優秀だと周りがもり立てすぎたせいもあるんじゃろう。確かに幼い頃の殿下は目を見張るものがあった。わしも教師陣の一人だったからよく覚えておる。じゃが、すっかりそれにあぐらを掻くようになって――今ではすっかり凡人じゃ。それを本人は認めたくないようじゃがな」
第二王子で正妃を母に持つバジーリオは、周囲の言うことに耳を傾け努力を欠かさなかった。幼い頃の資質こそニコロが上だったかもしれないが、あっという間にニコロを追い抜く。正妃云々関係なしに、どちらが王太子に選ばれるかなど明白だ。
それでもニコロ本人は長子である自分が立太子するものだと思っていたから、立太子の際にはかなり荒れたのだという。第二王子の暗殺を試みたという噂まであった。
そして、一年と少し前。王太子だった第二王子が視察先で流行病にかかって亡くなってしまう。
今度こそ、ニコロは自分が王太子になれるものだと信じている。だが、なかなか父王はニコロを指名しようとはしない。
レリアの頭の中で、以前エドガルドから聞いた話とコルディエの話がかちりとはまった。
「ニコロ殿下は自分の能力を過信しておる。引き際を知らず失敗は人のせい。人の意見を聞かず手柄ばかりを横取りするようでは、人はついてこぬ」
コルディエは苦い顔をする。
「陛下はまだまだご健勝じゃ。だが、いつなんどき何が起こるかわからぬ。それにいつまでもこの膠着状態を続けていくわけにもいかぬから、結論を出す日は近いじゃろう。そのとき、ニコロ殿下がどう動くか」
「それは、エドガルド殿下が選ばれるということですか?」
「わしからは何も言えんよ。じゃが、我が国に王子は二人きり。たしかにエドガルド殿下はきちんとした後継者教育を受けておらぬ。じゃがそれはこれからどうにでもなる。エドガルド殿下は人の話を聞き入れることができる。それだけでも十分な王の資質じゃ。そしてそれはニコロ殿下にはない」
コルディエは静かにレリアを見つめて言った。
「テレーザの言うとおり、ニコロ殿下にはその力を絶対に知られないようにした方がよい。十中八九、ニコロ殿下はエドガルド殿下を害する方向に動くはずじゃ。アブストラートとしては、エドガルド殿下を失うわけにはいかん」
責任重大だが、それこそが兄から課せられた役目だ。
レリアは神妙な顔でうなずいた。
翌日。
王族の許可を得たものしか立ち入れない中庭のガゼボ。
王宮料理人にサンドイッチを詰めてもらい、昼食はこのガゼボで取るのがレリアの最近のお気に入りだ。
普段はテレーザと一緒に楽しくおしゃべりをしながら食べるのだが、今日は違う。
「外で食べるのも悪くないな」
目の前で機嫌良くサンドイッチを食べているのはエドガルドだ。
柔らかいパンに塩気のあるハムとみずみずしい野菜のバランスがちょうどいいそれは、レリアが食べているものと同じ。
いつも通りテレーザと昼食を食べようとしたところで、騎士服姿のエドガルドが現れたのだ。テレーザは平然としていたあたり、きっと彼女には話が通っていたのだろう。バスケットに詰められたサンドイッチの量もいつもより明らかに多かった。
「今日はどうしたんですか?」
「君と話をしたいと思っていたんだが、この時間しか取れなかったんだ」
騎士団長という立場にあるエドガルドは、仕事が忙しいのは聞いていた。第二騎士団の仕事は治安維持が主で、エドガルド自身もまめに巡回している。鍛錬も欠かせない上に、さらに事務仕事も降りかかってくる。
「私と、ですか?」
「ああ。初日以来、あまり話す機会がなかっただろう?」
それは確かにその通りだった。
自分の分をぺろりと食べ終わったエドガルドは、レリアが食べる様子をどこか微笑ましそうに見つめてくる。
「昨日はありがとう。貴重な経験だった」
精霊術のことを言っているのだと気づいた。
基本王族しか入ってこられない場所だ。だが、少し離れた廊下には使用人たちが行き交っている。あまり具体的な名前は出さない方が無難だろう。
「こちらこそ、効果があることがわかってよかったです。今までどこか半信半疑だったので」
「それはよかった」
「ただ、そのためにわざと怪我をするのはやめていただけると嬉しいです」
これだけは釘を刺しておかないといけない。レリアの言葉にエドガルドが苦笑した。
「ああ。わかっている。俺もそうそう馬鹿なことはしない。――それはそうと、何か不自由なことはないか?」
「いえ。まったくありません。とてもよくしていただいて、申し訳ないくらいです」
これは本心だった。
例えば今レリアが着ている水色のデイドレスだって用意してもらったものだ。レリアがこの王宮で王族らしい格好でいられるのは、すべてエドガルドが手配してくれていたおかげだ。
部屋についても、生活用品が過不足なくそろえられており、不便を感じたことはない。
食事だって温かい、しかも一流料理人の手によるものが食べられる。さらにはテレーザのように気の利く侍女までつけてもらった。
至れり尽くせり。さらにドロテ妃の目も気にしなくていいのだ。日の高いうちから自由に動き回れる。無能王女だと後ろ指を指されることもない。なんて最高なのだろう! 引きこもっていた自分が嘘みたいだ。
こんな環境に慣れてしまって、一年後、シランドルに戻れるのだろうか。
そんな余計な心配をしてしまうくらい、レリアは快適に過ごしている。
「本当か?」
「はい。母国に比べたら正直天国です」
エドガルドはレリアの置かれていた環境を知っているので、少しくらい本音で話してもかまわないだろう。
「それはよかった。何か気づいたことがあったら遠慮なく言ってくれ。テレーザに申しつけてもらってもかまわない」
こんなふうによくしてもらえるので、レリアも精霊術を頑張らないとという気持ちになってくる。
「これ以上望んだら贅沢すぎますよ」
「いやそんなことはない」
エドガルドはやけに真面目な顔で断言するので、レリアは少し目を丸くする。
「その、こちらが助けてもらう立場だから、あまり不自由はさせたくないんだ」
ここは素直に言葉を受け取っておくべきなのだろう。
「わかりました。何かあったら遠慮なく伝えます」
「そうしてほしい」
といっても、今すぐどうにかしてほしいことがあるわけでもない。
話はお互いの近況に移る。
エドガルドは、ファビオにここぞとばかりに仕事を詰められているらしい。
「本当はもう少し君と過ごす時間を作りたいんだが……」
大きくため息をついてうなだれる。
かりそめの婚約者なのだから放置しておいてくれてかまわないのに、律儀な人だなとレリアは思う。
「気になさらないでください。私なら平気ですから」
にっこりとレリアが微笑むと、エドガルドが顔を上げた。
「まずはお仕事が第一です。それに、今は学ぶことが楽しいですし、空いている時間には精霊術の鍛錬も行っていますから」
だから、私のことなんて気にしなくて大丈夫ですよ、という気持ちを込めてレリアが言うと、エドガルドが琥珀色の目でじっと見つめてきた。
「なんでしょうか?」
居心地の悪さを感じてレリアが尋ねると、エドガルドが軽く首を振る。
「いや、妃教育はどんな感じだ?」
「あまりきちんとした先生について学ぶ機会がなかったので、とても楽しいです」
これは本心だった。この経験は必ずレリアの将来にプラスになるだろう。そう確信できるほどに。
「それはよかった。君は熱心な生徒だと教師の評判もいい」
「ありがとうございます」
なんだか面と向かって褒められると照れくさい。
そんな風に話をしていると、いつのまにか時間が経っていたようで、ファビオが呼びにやってきた。
「殿下。そろそろ時間です」
エドガルドが一つため息をつく。整った顔立ちには「行きたくない」とはっきり書かれていて、レリアは苦笑してしまった。それでも、彼には「行かない」という選択肢はないようで、ため息をつくとファビオに向かって言う。
「わかった。少し待っていてくれ」
「少しですよ」
わかったと答える代わりに右手を挙げたエドガルドは「姫」とレリアを呼んだ。
「一つ伝えなくてはいけないことを忘れていた。ニコロ兄上がそろそろ戻ってくる」
レリアは小さく息を呑んだ。
第一王子ニコロが帰ってくる。
「一週間後らしい。兄上がどう行動するのはこちらには全く読めない。もちろん、俺たちも注意を払うが、姫も十分気をつけてくれ」
「わかりました」
レリアは表情を引き締める。
ニコロが王宮に戻ってくる。今の平穏はほぼ確実にニコロが王宮にいないからだ。
それはつまり。――何かが起こる可能性が高い。
レリアの精霊術はエドガルドに効果があるとわかったのは、安心材料の一つだろう。
「じゃあまた。姫」
去って行くエドガルドをレリアは見送る。
(いつでも『お守り』の役目を果たせるようにしないと)
レリアは胸元でぎゅっと拳を握った。




