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7. 精霊術

 レリアがアブストラートにやってきて一週間。


 レリアはひたすら王子妃教育を受ける日々だった。といっても、他にやることがあるわけではないので特に文句はない。それに学ぶことは嫌いではなかった。

 外国から来た王女であるレリアの授業は、アブストラートの文化面が中心だ。そして、精霊術の授業もさりげなく歴史学の一つとして紛れ込ませてある。

 王宮の一室で、まさしく今。精霊術の講義が行われていた。


 妃教育のために用意された部屋は、レリアの客室がある王宮の居住区のほど近くにある。王族への講義に使われるというこの部屋は、広いテーブルと椅子があるだけだ。精霊術以外の講義もこの部屋で行われる。

 授業を受けるのはレリアだけだが、少し離れたところに侍女のテレーザも待機している。


「では、講義を始めるぞ」


 レリアの向かい側に座る老齢の男性が、精霊術の研究者であるコルティエだ。黒い髪はもう大半が白くなっており、すっかり好々爺という風情だ。

 彼はもともと歴史学者なのだが、好きな歴史上の人物が精霊術使いだったことがきっかけで、趣味で精霊術の研究を始めたのだという。

 彼自身が精霊術を使えるわけではないのだけれど、精霊術の知識は豊かだ。特に昔の精霊術使いが残した手記を読み解くのが好きらしい。

 授業の流れは、前半はコルディエから製霊術の知識を学び、後半はその知識を元に実践に挑戦する、というもの。


(まさか、精霊術と魔法、根っこは同じだったなんて……)


 母の口伝でしか精霊術を知らなかったレリアにとって、コルディエから教わる知識は驚きの連続だったが、先ほど習ったばかりのこれが一番衝撃かもしれない。


 精霊術だが、力を借りる対象が魔法と違うだけで、理論は魔法とそんなに変わらないらしい。術が確立される過程で同じような結果でも違う呪文になったが、やろうと思えば、精霊術の呪文で魔法を発動させたり、魔法の呪文で精霊術を発動させたりすることができるという。


「もっとも、そんなことが出来るのはごくごく一部の天才のみじゃがな。そもそも魔法や精霊術を発動するとき、何から力を借りているかなんて意識しないじゃろう?」

「そうですね。母は魔法も精霊術もどちらも使えたんですが。魔法の呪文を唱えれば魔法が発動するし、精霊術の呪文を唱えれば精霊術が発動する。その二つについて使い分けを意識しているわけではない、と言っていました」


 精霊術も魔法も、使えるかどうかは本人の資質による。傾向として。精霊術使いは魔法が使えることも多いらしい。逆にレリアのような純粋に精霊術しか使えない人間のほうが珍しいのだという。

 精霊術に特化している分。強い精霊術が使えるのではないか、というのがコルディエの推測だ。だが、初歩の初歩を研究中のレリアにとって、まだまだ道のりは遠い。

 講義は週に三回。午後をまるっと使って行っている。コルディエは元々大学で教鞭を執っていたこともあり、教え方が非常に上手だ。


 後半は実践だ。といっても、コルディエは精霊術を使えないので。コルディエの私物である「精霊術入門」という古書を共に読み解く形になっている。


「今日は浄化術――その名の通り悪いものを浄化する術じゃ。浄化術の応用に解毒術もある」


 ごくりとレリアはつばを呑んだ。『お守り』として是非ともマスターしたい術の一つだ。

 コルディエの講釈を聞いたあと、実際にレリアが呪文を呟く。

 光のベールが生まれ、部屋全体を包み込んで消えた――のだが。


「これって、実際使えているんでしょうか……」


 レリアの問いかけに、コルディエとテレーザが沈黙する。

 なんとなく空気がすっきりした気はする。なんとなく。目に見える効果ではない。

 この前に教わった結界術は、コルディエが放った魔法を見事はじき返したので使えた! という手応えがあったのだが。


「お、起きた現象自体は、書物に載っていることと同じじゃぞ。さっき発生した光のベールが悪いものを消し去るとある」

「そ、そうですよ。そもそも、浄化魔法は普通の魔法でもわかりづらいですし! 魔法師の中には浄化魔法の効果を確かめるために、弱い毒を自分で飲む人もいるくらいです」


 隣でテレーザが言葉を継ぐ。


「自分で毒……」

「絶対にやめてくださいね。レリア様。殿下が泣きます!」

「わかってるわよ。そもそも私には効果がないんだから、毒を飲むだけ無駄だもの」


 自分には効かない術なのだから。だが、だからといってエドガルドに毒を飲ませるわけにもいかない。難しいところだ。


「シランドル王家には特に強い精霊術使いが生まれていたという言い伝えがある。そなたもその血を引いておる。己を信じるのじゃ」

「それしかないですよね」


 自分を信じてあげられないでどうする。

 それに母亡きあと、学ぶことが出来なかった精霊術が学べるのだ。頑張らなくては。

 レリアは顔を上げた。


「私、頑張ります!」

「その意気じゃ」


 コルディエがにこりと笑った。

 その後も何度か浄化魔法を練習をしていると、こんこん、と部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 テレーザがすぐに立ち上がりドアと向かう。

 誰だろう。レリアは扉の法に視線を向けた。


「講義中、邪魔をして悪いな」


 現れたのは騎士の制服を着たエドガルドだった。その後ろには副官のファビオが若干呆れた顔で立っていた。

 この時間、彼は騎士団の仕事をしているはずだ。仕事がそれなりにたまっていて忙しく、ここ数日、朝に少し顔を合わせる程度だったのだが。


「殿下! どうされたんですか?」

「巡回中に少しへまをしてしまったんだ。前にコルディエに怪我をしたら来いと言われていたから。大した怪我でもないんだが、それでも効果を見るには十分だろう」


 エドガルドは、苦い笑みを浮かべながらレリアの近くにやってくる。


「それは確かに助かりますが……大丈夫なんですか?」


 怪我と聞いて心穏やかではいられない。エドガルドは顔色もよく、平気そうには見えるけれど。


「大した怪我じゃない。普段だったら消毒して終わり程度のものだ」

「本当に肝が冷えましたよ。殿下自らわざわざ危険に飛び込んでいくんですから」


 ファビオがため息をつく。


「自ら危険に?」


 ファビオから飛び出た言葉にレリアが眉をひそめると、エドガルドは慌てて言い募った。


「ファビオが誇張しているんだ。俺はなすべきことをしただけだ」

「ケンカの仲裁など部下に任せればいいでしょう?」

「もしかして、私の勉強のためにわざと怪我を……?」

「違う」


 エドガルドはすぐさま否定した。


「さすがにそんなことはしない。まあ、少し考えなかったと言ったら嘘になるが……」


 語尾が小さくなるエドガルドは、まるで悪いことをして怒られた子どものようだなとレリアは思った。今回のケガは偶然ということにしておこう。

 レリアは小さく息を吐き出すと、エドガルドに微笑みかけた。

 精霊術の効果を確かめたいと思っていたのは確かなのだ。


「気にとめていただいてありがとうございます。今回効果を確認できたら、危険なことはしないでくださいね」


 エドガルドは純粋にレリアのためを思ってくれたのだろう。顔を見上げると、エドガルドが、ああ、と破顔した。

 やれやれと言いたげにファビオが肩をすくめる。


「じゃあ、殿下は怪我をしたところを見せていただけますか?」


 レリアがそう言うと、ファビオがさっと部屋の隅に置いてあった椅子を用意してくれた。

 エドガルドは黒い上着を脱いでファビオに預けると、白いシャツの腕をめくった。

 そのままファビオが先ほど出した椅子に座る。


「左腕のここだ」


 肘の下あたり。刃物がかすったのか、うっすらと血色の線がある。


(それ以外にも細かい傷が多い……)


 レリアはエドガルドのよく鍛えられた腕を見て顔をしかめた。

 魔法が効かない彼は、それだけ傷も多く残ってしまうのだろう。


「姫?」


 エドガルドに声をかけられてレリアははっとする。

 余計なことを考えたせいで、手が止まってしまった。


「す、すみません。始めますね」


 レリアはエドガルドの傷に手をかざすと、治癒術の呪文を唱え始める。

 ふわり、と白い優しい光が生まれて傷を覆っていく。

 おおう、とちゃっかり特等席を陣取っていたコルディエが声を上げたのがわかった。

 一分ほどで、光が消える。


「――傷が消えたな」


 エドガルドの感慨深い声にレリアは半ば呆然としながら言う。


「本当に殿下には効果があるんですね」


 魔族の血が濃いので、エドガルドには精霊術が効く。そう言われても半信半疑なところがあった。

 けれど、今自分で経験して、確かにエドガルドに効果があることを実感する。


「本当によかった……」


 レリアは、自分が驚くほどほっとしていることに気づいた。

 敬愛する兄の命で、エドガルドの『お守り』としてアブストラートまでやってきた。

 なのに、いざというとき役に立たなかったらどうしよう、と少し怖かったのだ。


「痛みがすうっと消えていった。治癒術は生まれて初めての経験なんだが、不思議な感覚だな。ありがとう」


 レリアは大きく首を振ると、はにかむように笑んだ。


「いえ、私こそありがとうございます。私の術が役立つのだとわかってよかったです」

「俺こそ貴重な経験をさせてもらったよ。ありがとう。じゃあ、俺は仕事に戻るが、これからも何かあったら君を頼ってかまわないか?」

「もちろんです。私はそのためにここにいますので」


 エドガルドの言葉にレリアが大きくうなずくと、何故か彼は少し複雑そうな顔をした。

 だがその表情は一瞬で、すぐに側にいたコルディエとテレーザに声をかける。


「コルディエもレリアのことをよろしく頼む。もちろん、テレーザも」


 エドガルドはファビオと共に部屋を出て行った。

 今まで我慢していたのだろう。扉が閉まるなり、テレーザが興奮した面持ちで言う。


「レリア様。本当にすごいです。感動しました! 本当に殿下に効果があるんですね」


 幼い頃からエドガルドを知っている分、テレーザにもいろいろと思うところがあったのだろう。


「そうじゃな。見事なものじゃった」


 コルディエも手放しで褒めてくれる。


「ありがとうございます。殿下に効果があるようで本当によかったです。先生にはお礼を言わないといけないですね。殿下にわざわざお願いしてくれていたんですから」

「そんな感謝されることでもない。わしもこの目で精霊術を見たかったからな」


 照れたようにコルディエが頭を掻く。


「だが、実際に効果があるところを見ると、やる気が起きるじゃろう?」

「はい」


 コルディエの言うとおりだ。今のレリアはやる気に満ちあふれている。

 ひとしきり精霊術の成功をみんなで喜んだ後、テレーザが真面目な顔で言った。


「でも、だからこそ、絶対に周囲に知られちゃいけませんね。特にニコロ殿下には」


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