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31. 精霊術の使い手

 にっこりと笑うヴィオレーヌにレリアは自分の全身がこわばるのを感じた。


(どうして気づかなかったんだろう)


 ニコロがエドガルドを害すために用意したのはやはり精霊術だったのだ。


 ――これはシランドル王家の血を引く女性に代々伝わる力なの。


 精霊術について、母がそう言っていたではないか。

 そして今、シランドル王家には王女は二人いる。レリアとヴィオレーヌだ。

 ヴィオレーヌはレリアと違い魔法も得意だけれど、それは精霊術が使えない理由にはならない。母も精霊術と魔法を両方使えたのだから。


「どうして、それを」


 レリアがかすれた声を出すと、ヴィオレーヌが勝ち誇ったように言う。


「ふふ。ようやく気づいたみたいね。ファビオ様から聞いたのよ。私はお姉様と違って魔法も得意ですもの。すぐにコツは掴めたわ。いい気味よ。エドガルド殿下は私の提案を断ったことを地獄で後悔すればいいんだわ。せっかく私のそばに侍れば命を助けてあげようと思ったのに。顔は悪くないんだから」


 もしかして異母妹はエドガルドを護衛騎士のように侍らせるつもりだったのだろうか。確かに彼は見栄えがいいが、不遜な考えに気が遠くなりそうだ。断られたというから、その腹いせもあるのだろう。


(ファビオさんはそんなにエドガルド殿下のことが憎かったの?)


 精霊術はエドガルドの『お守り』にもなるが、弱点にもなる。それをファビオだって知っていたはずなのに。

 ファビオに視線を向けるが、ファビオは無表情で、何を考えているかさっぱりわからない。


「本当お姉様ったらひどいわ。こんな術の存在を教えてくれないなんて。独り占めしようなんてずるいわよ。ニコロ殿下。王になった暁には約束を忘れないでくださいね」


 呆然としているレリアを横目に、ヴィオレーヌはニコロに笑いかける。


「もちろんだ。ヴィオレーヌ殿。あなたをシランドルの女王に推そう。アブストラートとシランドルの同盟を結べば、あなたの両親も認めてくれるだろう」


(女王、ですって……)


 ヴィオレーヌが上昇志向なのは知っていた。けれど、まさか自分が女王になろうとしていたなんて。


「あら。お姉様。驚いた顔をしているわね。でも、あんな名ばかり王太子のお兄様より、私の方がよほど王に向いているとは思わない? みんな私にかしずくもの。アブストラートとヴェールトの支持が得られれば、きっとお父様だって私を女王にしてくれるはずよ」


 ユベールのことを馬鹿にされて頭の中がかっと熱くなる。レリアは必死で怒りを抑えつける。

 ヴィオレーヌはユベールのうわべにだまされている。

 それはユベールの意図通りで、兄が素晴らしいことの証左ではないか。


(それに、ヴィオレーヌが女王になんかなったら、五年で地図からシランドルが消えるわよ)


『シランドルの至宝』としてちやほやされているヴィオレーヌだが、勉学が優秀だったという話は聞いたこともない。


 クレトを王配という立場に出来るヴェールトはともかく、アブストラートがヴィオレーヌを推すことはないだろう。

 エドガルドは国の英雄だ。そんな英雄を倒した王女を支持するなんて、民衆が許すとは思えない。


 そもそも、今の状態でエドガルドを排除すればニコロが王になる、と考えているのが間違っている。もっとも、ニコロの前で彼を否定しないためかもしれないが。

 一応ニコロを持ち上げておいて――アブストラートを属国にする、とか。

 まあいい。ヴィオレーヌが何を考えていようとも一つ言えることがある。


 ――兄がいる限り、ヴィオレーヌが女王になる日はこない。


「ふふ。そろそろ時間よね。エドガルド殿下の呼び出しは終わったわ。彼がくる場所に移動しましょうか。屋内では思い切り魔法が使えないもの。精霊術もね」


 ヴィオレーヌは上機嫌でレリアに言った。

 ファビオがレリアに近づいてくる。レリアはファビオの目をじっと見つめたが、ファビオの表情は揺らがなかった。


「そんなに殿下が憎いの?」


 ファビオはレリアの質問に答えず、レリアを縛っているロープを先を握った。


「……立ってください。移動します」


 どうやらファビオがレリアの見張り役らしい。そしてレリアの質問に答えるつもりはない。

 ファビオに連れられるがまま、古い屋敷を出る。どうやら近くに拓けた場所があるようだ。


(どうするべき?)


 先ほどから心臓が嫌な鼓動を立てている。

 精霊術はエドガルドにとって唯一に近い弱点だ。しかもヴィオレーヌはレリアと違い普通の魔法も使える。普通の魔法と見せかけて精霊術を使う、なんてことも可能なのだ。


 エドガルドがいつも魔法攻撃を受けたときに前線に立つように、今回もそのつもりで前線に立ったら――考えたくもない。


(大丈夫。私がいる。私がすぐに殿下の傷を治療すればいいのよ)


 ニコロに毒をかけられたとき、レリアがすぐに浄化したように。

 歩いたのは五分程度だろうか。そもそもこの屋敷自体、草原の真ん中にあったらしい。目の前を緑色が広がっていた。


 ヴィオレーヌとニコロは上機嫌でお互いが王になったときのことを語り合っている。

 そこから少し離れたところにレリアは立っているように命じられていた。ファビオがレリアの手を拘束するロープをしっかり握っているので、逃げ出せるような状況ではない。もっとも、逃げ出せたところで、ここがどこかわからない。おそらく王都郊外だろう。


「来たみたいね」


 ヴィオレーヌが嬉しそうに言った。

 レリアはヴィオレーヌの見ている方に視線を向けて――黒い馬に乗った青年がこちらに向かってくるのを見た。おそらくあれがエドガルドなのだろう。


 ――来てしまった。エドガルドだってこれが何かの罠だとわかっているはずなのに。


 エドガルドは一人だ。他に騎士などの姿は見えない。おそらく、レリアを人質に最初から一人で来るように指定したのだろう。

 エドガルドが近づいてくる。レリアの姿に気づいた彼が大声で名前を呼んだ。


「レリア!」


 どこか切羽詰まった声にレリアの心臓がぎゅっと掴まれる。

 直後、エドガルドが怪訝な顔をしたのは、きっとレリアの隣にファビオの姿があったからだろう。それでもエドガルドは息を大きく吸い込むと冷静な顔を作った。動揺したはずなのにそれを心の内に閉じ込めたのだろう。エドガルドはニコロの方に近づく。


「兄上。約束通り一人で来ました。レリアを返してもらいましょうか?」

「そう簡単に返すわけがないだろう」

「なんですか? 兄上と勝負しろとでも?」


 エドガルドの口調には余裕がある。ニコロとは対照的だ。

 人質を取っているニコロの方が立場は圧倒的に優勢のはずなのに、堂々としたエドガルドの存在にニコロはひるんでいる。器の差がはっきりとわかる。


「念のため確認しておく。王太子の座を私に返す気はないか。エドガルド」

「一度たりとも兄上が王太子になったことはないと思いますが」「


 エドガルドの返しにニコロが顔をしかめた。


「――そして、王太子の座をあなたに渡すつもりもありません。そもそも、罪を犯したあなたが今更王太子になれるとでも? 俺が殺されたとしても、王になるのは兄上ではない」


 その通りだ、とレリアも内心納得するけれど、正論過ぎてニコロを刺激していいのだろうか、と少し心配になる。

 ニコロは小さく震えていた。


「今の状況はあなたの自業自得です。あなたが父上の求めるものを察して心を改めていればそれで問題がなかったのに」

「……うるさい!」


 ついにニコロが大声を上げた。


「そのために離宮を抜け出して、そしてまたレリアを誘拐したんですか?」

「うるさいうるさいうるさい! 黙れ!」

「今戻るなら、脱走の件は不問にしましょう。降参するなら今ですよ」


 エドガルドはニコロをじっと見つめたまま前に進む。じりじりとニコロは後ずさる。今にも後ろに尻餅をつきそうな体勢だ。

 そのときだった。


「ひっ」


 レリアの口から悲鳴じみた声が漏れる。

 今までレリアの隣にいたファビオが後ろに回り、そしてレリアの喉元に刃物らしきものを突きつけたのだ。ひんやりと冷たい。


「ファビオ」


 すっとエドガルドの雰囲気が変わったのがわかった。非常に硬質で冷たい雰囲気を纏う。全身の毛穴が開いてしまいそうな段違いの覇気。エドガルドを絶対的な味方だと信じているレリアさえ、背筋にぞっと冷たいものが走った。

 その場を支配する力。圧倒的強者の風格。

 戦場でこんな状態の彼と対峙したら、戦意を喪失する者も多いだろう。

 それは、エドガルドと対峙していたニコロも同じようだった。隣にいるヴィオレーヌは――よくわからない。平然としているようにも見えた。


「さっきから気になっていた。どうしてお前がここにいる」

「さあ。どうしてでしょう。ご自分の胸に聞いてみたらいかがですか?」


 ファビオはそんなエドガルドに慣れているのか全然ひるまない。しれっとそう答える。

「そんなことより――殿下も大事なレリア殿下を失いたくないでしょう。言うことを聞いてください」


 エドガルドの雰囲気に呑み込まれていたニコロが、その言葉にはっとする。


「そ、そうだ。ファビオよくやった!」

「俺に何をしろと?」


 獰猛な光を帯びた琥珀色の瞳がニコロに向けられる。ニコロは背筋を震わせるが、なんとかその場に踏みとどまった。

 代わりにエドガルドの前に現れたのは、ヴィオレーヌだった。


「簡単なことですわ。私と勝負していただけます?」


 レリアのいる場所からは彼女の顔は見えないが、後ろ姿からでも彼女が優雅な礼をしたのはわかった。


「ヴィオレーヌ殿。あなたもここにいらしたんですか」


 ――ヴィオレーヌ、胆力だけはあるのかもしれない。少なくともニコロよりは。

 琥珀色の目を向けたエドガルドに対して、ヴィオレーヌが艶然と笑む。


「私は、シランドルの余計な恥を広めないためにも、お姉様をシランドルに取り戻さなければなりません。ですが、エドガルド様にそのつもりはない様子。ですから、私とお姉様を賭けて勝負をしていただきたいのです」


 エドガルドが眉間に刻むしわが、どんどん深くなっていく。

 そんなエドガルドの様子を気にせず、ヴィオレーヌは胸元に挿したバラに視線を落とした。


「私も魔法には自信があります。たださすがに私はただの人間ですし、『黒い悪魔』と異名を持つエドガルド様とはその力の差は歴然としてしますわ。全うに戦って勝てるとは思いません。私も自分の命は大事です。なのでこうしましょう。よくある決闘のルールですわ。お互いの胸に挿したこのバラを取ることが出来た方が勝ち。ただし、バラは手でつかみ取ること。――いかが?」

「あまり気は進まないが、断る、と言っても強行するのだろう?」


 エドガルドはレリアをちらりとみた。まだ刃物は突きつけられたままだ。

 ヴィオレーヌは場違いなほどに優雅に微笑む。


「よくおわかりですわね。あと、私は丸腰ですから、エドガルド様も丸腰でお願いします」

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