29. 裏切り
建国記念式典まであと一週間ほど。
懸案点はやまほどあるが、とりあえずレリアの周囲は平和だった。
エドガルドに突っぱねられたにもかかわらず、ヴィオレーヌは懲りずにレリアの悪評を王宮にばらまこうとしたらしい。
だが、シランドルほどうまくはいかなかった。
当たり前だ。
シランドルの王宮では「無能王女」と蔑まれ引きこもりだったレリアに比べるとヴィオレーヌの立場は圧倒的に上だった。
しかし、ここはアブストラート。場所が違う。
いくら美しくとも、次期王と目されている王子が寵愛している婚約者の方が信用があるのは当然だ。
レリアは妃教育も真面目に受けており、使用人に対するあたりも柔らかいので評判がよかった。
最初こそ美貌で周囲の目を引きつけていたヴィオレーヌだが、実姉を貶めようとする意図が見え始めて、評判を落としつつある。
それにヴィオレーヌも気づいたのか、ここ数日はそういう意味ではすっかり大人しくなったらしい。
国から連れてきた侍女を連れて、視察という名目で街に出ているのだという。婚約者はどうした、と思わず突っ込みたくなる。
――というのが、昼食時にテレーザが教えてくれた情報だ。
今日も中庭でのんびりお昼を食べる。テレーザと他愛もない話を出来るこの時間がとても楽しい。
ちなみに先日闖入してきたクレトは、騎士団で絶賛しごかれているので、邪魔しにくる心配はない。クレトは、厳しい訓練にへこたれず食いついてきているので、騎士団内での評判は悪くないらしい。
「妹君は先日はエドガルド殿下のところに行って、自分を選べと迫ったそうですよ」
「婚約者と一緒に来ているのに?」
レリアは目を丸くした。
クレトとヴィオレーヌが好き合った婚約者同士ではないと知っているけれど、せめて表向きだけでも相手を尊重するべきではないだろうか。
クレトは――騎士団の訓練に夢中で気にしていないかもしれないが。
「なんだか、半分でも血がつながっているとは思いたくない気分ね」
あの朝食以降、レリアはヴィオレーヌに会っていない。
おそらく、ヴィオレーヌとしては、エドガルドを味方にして、レリアに三行半を突きつけてもらうつもりだったのだろう。あわよくば、自分が王太子妃になれる。クレトはレリアに押しつければいい。――短絡的すぎる。
見事失敗に終わったわけだけれど。
(ただ、静かすぎるのも不気味なのよね。考えすぎならいいんだけど)
レリアはゆるゆると首を振った。ヴィオレーヌのことを考えていても仕方ない。
それに。
「エドガルド殿下はレリア様の絶対的な味方ですし、妹君のことはあまり考えなくて大丈夫だと思いますよ」
そう。仮にヴィオレーヌが何かをしかけてきても、エドガルドが絶対的な味方でいてくれる限り、レリアは強くいられる。
「ありがとう。私もそう思うわ。となると問題は――ニコロ殿下のことよね」
ただ逃走しただけならいい。だがまだ王位を諦めていないとしたら?
エドガルドの身が危険にさらされることになる。
レリアの精霊術があるけれど、だからといって彼に危険な目に遭ってほしいわけがない。
「たぶん、こんなに見つからないのは協力者がいるからだろうって兄が言ってました」
人望がなかったと言われるニコロだが、それでも政治的な都合から彼を推す者たちもいた。
確かに、騎士団が勢力を上げて探しているのに全く見つからないのだ。
テレーザの言葉にレリアも賛成だった。
「まあ、私がいろいろ考えていても仕方ないわ。エドガルド殿下たちを信じましょう」
「そうですね」
そのとき王宮に男性が一人入ってくる。
一瞬、クレトではないかと身を固くしてしまったレリアだが、すぐに力をといた。
入ってきたのがファビオだったからだ。もちろん彼も、この中庭に立ち入ることを許可されている。
「レリア様。やっぱりここにいらしたのですね」
ファビオが一人で訪ねてくるなんて、エドガルドが毒にやられたときのことを思い出してしまう。ざわざわするものを感じながら、レリアは席を立って、ファビオの元へ行く。後ろからテレーザもついてきた。
ファビオは神妙な顔をしていた。どきん。嫌な予感がする。
「レリア殿下。少し来ていただけますか? 殿下が用事があるということです」
言葉を濁すのは精霊術に関わることだからろうか。とにかくエドガルドの呼び出しなら断るわけもない。午後の妃教育が始まるまで、まだ十分過ぎるほど時間はある。
「わかりました」
エドガルドは、立太子の準備や仕事の引き継ぎ、ニコロの件でいくら時間があっても足りないのは知っている。たまにはこちらから向かうことくらいしてもバチは当たらないだろう。
「テレーザ。お前はちょっと遅れるかもしれない旨を次の講師に伝えてくれ」
「わかったわ」
テレーザがぱたぱたと中庭を出ていく。
「そんなに時間がかかるんですか?」
「いえ。念のためです」
レリアたちは連れだって中庭を出た。
「そのエドガルド殿下はやはりお忙しいのですか?」
「いろいろ問題が山積みですからね。もう少しすれば落ち着くと思うのですが……」
建国祭での王太子発表が一つの区切りになることは間違いないだろう。本当はそれまでにニコロが見つかればいいのだけれど。
――おかしいと思ったのは、ファビオが人気のない方向へ進み始めていることに気づいたときだった。騎士団の詰め所がある建物とも違う。
レリアがあまり足を踏み入れたことがない場所。
「どこへ向かわれるんですか?」
レリアが問いかけるもファビオは答えない。
(これは逃げた方がいいのかもしれない)
彼はエドガルドが最も信頼する側近だ。信じたい気持ちはある。けれど、頭の中でガンガンと警鐘が鳴っている。おそらくファビオは何かを企んでいる。
だが、レリアの浅はかな考えなどファビオはお見通しだったらしい。逃がさないとばかりに腕を掴まれた。
「――いいから黙ってついてきてください。悪いようにはしませんから。けれど、騒ごうものなら、どうなるかわかりませんよ」
ファビオが氷のように冷たい声で言う。それでも声を出そうとすると、魔法で周囲に防音結界をはられてしまう。これでは悲鳴を上げたところで届かない。
(どうして、ファビオさんが?)
レリアはサファイアブルーの目をファビオにじっと向けた。その表情からは何も読めない。だからこそ恐ろしい。
レリアは逃げることを諦めた。
レリアは自分が無力だと自覚している。しかも、ファビオはレリアが精霊術の使い手だということを知っているから、攻撃術を使ってもおそらく威嚇にもならない。
もしレリアが授業の時間まで帰ってこなかったら、テレーザがおかしいことに気づいてくれるだろう。それを信じる。
大丈夫。エドガルドならきっと助けに来てくれる。




