20. 絶対にお断りです!
『精霊術は確かに普通の人間には効かない。でもそれを逆手に取るのじゃ』
講義中にそう言ってにやりと笑ったのはコルディエだった。
『普通、攻撃魔法のようなものが迫ってきたら誰しもよけようと思うじゃろう。それが自分に効かない精霊術だとわかる者はまずおらん。つまり、攻撃には使えなくても牽制には使えるのじゃ』
確かにコルディエの言うとおりだ。だったら、攻撃術も頑張ってみよう。
精霊術マニアの気があるコルディエが、単純に攻撃術をこの手で感じてみたいだけだということは薄々気づいていたけれど、まんまと乗せられる形でレリアはそう決意した。
五年前に誘拐されてから、ずっと自分の身を守る術がほしかった。
だから精霊術でそれが叶うというのなら、それは願ったり叶ったりだったのだ。
けれど。
(本当にピンチのときは呪文を唱える余裕すらないのね……)
すうっと意識が浮上していく感覚に、レリアはそのまま身を任せる。
ゆっくりと目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。部屋というよりも倉庫の方が正しいのかもしれない。窓は小さなものが少し高いところにあるだけ。窓と言うより通気口だ。ものはあまりなくて、がらんとしている。
レリアは部屋にぽつんと置かれた木製の椅子に座った姿勢で、胴や腕を椅子ごとロープでぐるぐる巻きにされていた。もちろん腕が動かせるわけもない。さらに膝のあたりにドレスの上からロープが巻かれていて、歩くことも出来ない状態だ。
せっかくエドガルドから送られたドレスは台無しだ。かなり悲しいし腹が立つ。
正面にある扉の隙間からは、わずかに廊下の明かりが漏れていた。
レリアは自由に動かせる首を動かす。小さな窓の外は真っ暗だった。重苦しい雲が月を隠しているのだろうか。まだ暗いということは、そんなに時間が経っていないのかもしれない。
「ここは……」
レリアは必死になって記憶をたどる。
外の空気に当たるために庭に出て、そこできなり背後から何者かに襲われて刺激臭のする薬をかがされた。護衛騎士をつけていたけれど、おそらく騎士はレリアの前にやられていたのだろう。うめき声が聞こえた。
薬をかがされ、意識を失い、それ以降の記憶はない。
(この状況、誰かに誘拐されたということよね?)
王家のものであるイヤリングやネックレスは、レリアが身につけたままだ。となると、金銭目的という線は薄い。
やはり、一番疑わしいのはニコロだ。エドガルドを襲ってもらちがあかず、標的をレリアに変えたのだろう。レリアを人質にすれば交渉できると考えて。
五年前、ドロテ妃がユベールに使おうとしたのと同じ手だ。
エドガルドの妃の座を狙う誰か――というのも可能性としてはあるかもしれないが、まだ正式に婚約者と発表されたわけでもない。やはりニコロの線が疑わしい。
エドガルドはこうなることも考えて、自分の側にいてほしいと言ったのだろう。
(殿下は私が誘拐されたこと、気づいてらっしゃるのかしら)
エドガルドがレリアの戻りが遅いと気づくのが先か、それとも騎士が意識を取り戻すのが先か。
(とにかく、希望は捨てちゃだめ。きっと誰かが助けに来てくれるはず)
今、レリアは生かされている。これがすべてだ。
(今私ができることは――きっとここでじっとしていることね)
残念だけれど、レリアは無力だ。コルディエのおかげで精霊術を使えるようにはなったけれど、精霊術は精霊が宿るものにも無効だ。従って、今ここで風の術を使ったとしても縄が切れるわけではない。攻撃を防ぐための結界術は、使うのは今ではないだろう。
(殿下なら、きっと気づいてくれる)
不思議とそう信じることができた。
じりじりと時間が過ぎるのを待っていると、複数の足音が聞こえた。
(誰かくる)
レリアは身をこわばらせる。救助がきたと考えるとおめでたい頭は持っていない。
「ああ。もう起きていたのか」
ぎいと扉を開けて現れたのはニコロだった。
黒地のジュストコールに白いズボン。アクセントは瞳の色と同じ緑。こじゃれた格好がこの殺風景な倉庫から浮いている。舞踏会でちらりと見たときと同じ格好だ。
その後ろには目つきがやたら鋭い短髪の男が一人立っている。
粗野な感じからしても、彼が実行犯といったところだろうか。
ニコロはつかつかとこちらへ歩いてきた。レリアの正面に立って、にいと笑う。
「あまり乱暴なことはしたくなかったんだが、周囲の警戒が厳しかった。仕方がない」
「一体何が目的ですか」
「意外と冷静だな。嫌いじゃない」
「別にあなたに好かれようとは思っていません」
「そんなことを言ってもいいのか? 私たちは結婚するかもしれないのに」
「は?」
ニコロから出てきたとんでもない言葉に、レリアは開いた口が塞がらなかった。
「シランドルの至宝には劣るけれど、お前も見てくれは悪くない。無能というのが魔法が使えないという意味であれば、特に我が国では問題ない。そして、エドガルドとの婚約は推測であって、まだ正式発表されたわけではない」
そもそもエドガルドとの婚約はかりそめだ。でも。それを言うつもりはないしそもそも。
(――絶対にお断りよ!)
レリアは心の中で叫ぶ。
見てくれはまあまあかもしれないけれど、その自分に酔ったような口調がまず受け付けない。
「私と結婚したとしても何も得はありませんよ」
「私にとってはエドガルドの鼻を明かせるだけで十分な価値だ」
レリアは顔をしかめた。最低すぎる。そんな理由で結婚などしたくない。
「それに、エドガルドはお前に執心のようじゃないか。あの厳重警戒っぷり。本当はもっと早く話を進めるつもりだったのに、なかなか手を焼かされた。愛されてるな」
そう言うと、ニコロは男に目で合図をした。男は素早くレリアの後ろに回ると、レリアの喉元にナイフを突きつける。ひっと情けない悲鳴が漏れた。
「彼女が話せないと困る。もう少し離せ」
ニコロがそう言うと、ナイフがほんの少しだけ離れる。それでも、男がその気になったらすぐにレリアの首筋を切り裂くことが出来るだろう。
「私と取引をしないか。レリア姫」
「取引、ですか?」
震える声で尋ねる。ナイフはまだレリアの見えるところにある。
ニコロは懐から小瓶を取り出した。手の平に載るほどの小さな瓶に、透明な液体が入っている。
「お前は、エドガルドに一番近い人物だ。これをエドガルドに飲ませてほしい。方法は問わない。大丈夫。新しい毒だから足はつかない」
ニコロは得意げに瓶を揺らすと、ひんやりとした声音で言った。
「前回は失敗したからな。あっちも強力な毒だったはずなんだが」
――つまり、レリアにエドガルドを殺せと言っている。
まさか、ニコロがそんな話をレリアに持ちかけてくるとは思わなかった。
せいぜい、レリアを人質にしてエドガルドを脅すくらいだと考えていたのに。
「今回は更に強力にしてある。あいつが死ねば、私が王だ。最初からこうするべきだったんだ。おかげで一年も無駄にした」
いきなり激高したように叫んだと思ったら、次はレリアを見て猫なで声を出した。
その常軌を逸した様子に、ニコロが追い詰められていることがわかる。
「大丈夫。万一お前がつかまったとしても、私が王になった暁にはもみ消してやろう」
「取引と仰いましたが、私の方にメリットが何もないように見えますが?」
レリアはなるべく平静を装って尋ねたけれど、声が震えるのは止められなかった。
「ああ。まだ言っていなかったか。お前が無事にあいつを殺せたら、私が娶ってやるさ」
「リスクが高すぎます。エドガルド殿下と結婚しようが、あなたと結婚しようが私の立場は同じじゃないですか」
「気づいたか。馬鹿ではないみたいだな。安心しろ。そのあたりは私も考えている。お前を正妃に迎えたら一番近い鉱山をシランドルにあげようじゃないか。シランドルの財政状況はよくないと聞くし、悪い話ではないだろう」
そんなことまで他国の人間に知られているのか。ユベールがさっさと王位に就かない限り、シランドルは滅びの一路をたどるだろう。能力もないくせに、悪事の尻尾だけは掴ませないドロテ妃とその一族が憎たらしい。
もちろん、どんなにお金を積まれたところで、レリアはニコロに加担する気はない。
けれど、目の前で光るナイフ、そしてギラギラとしたニコロの目を見ていたら、ここできっぱり断って刺激するのがよくないことくらいはわかる。
(どうしたら……いっそ、毒を受け取る?)
そして、その毒を見せて相談すれば……。
「言っておくが、もちろん引き受けるフリをしてエドガルドに告げ口するなんてことはなしだ。そういうことをしたらお前の命もない。そこはきちんと考えている」
脳裏によぎったことは、すぐにニコロによって牽制されてしまった。
(私はどうするべき?)
エドガルドに毒を飲ませて、浄化する? いやでもそれは、この前のようにエドガルドが持ちこたえるという確信があっても無理だ。仮に即効性の毒だったら元も子もないし、そもそもエドガルドに余計な苦しみは与えたくなかった。
「さあ。レリア姫。私はそこまで気が長くない。さっさと決断しようか。お前も、異国の地で死にたくはないだろう?」
ニコロが目で合図をすると、ナイフが少し近づいた。
「ほら。早く私の望む答えを――」
そのときだった。近くで爆発音がした。衝撃で小さく部屋も揺れる。
「様子を見てこい」
ニコロは少し迷ったようだが、上着に毒の瓶をしまうと男にそう命じる。男はレリアから離れると、小さくうなずいて部屋を出て行った。
何が起こったのかは知らないが、ひとまず命の危機は遠ざかった。レリアはほんの少しだけ身体の力を抜く。
主犯らしきニコロの気が立っていることを見ると、この爆発音は彼にとっても予想外のことなのだろう。
(まさか――)
「まさか、もうここを突き止めたっていうのか」
ニコロが爪を噛む。
どん、と何かが壁にぶつかる音が聞こえる。うめき声がそれに続く。
ニコロは落ち着かないのか、イライラとレリアの前を何度も行ったり来たりを繰り返して――レリアの一点に目を付けた。
レリアのネックレス。
「おかしいと思ったら、これだな! 見たことあるぞ。これは王家の持ち物だ!」
ニコロはレリアのネックレスに手をかけようと手を伸ばす。力任せに引っ張られることを覚悟したレリアだが――。
ばちん、と音がしてニコロが慌てて手を引っ込める。
「レリア!」
それと同時にレリアの名を呼んで部屋に飛び込んできたのは、エドガルドだった。




