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17. ダンスレッスン

 それからの十日間は、めまぐるしく過ぎていった。


 何せ、レリアにとっては社交デビューに等しい。まさか、シランドルではなく他国の舞踏会が初めての社交界になるとは思わなかったけれど。

 エドガルドは言った通りにすぐに講師を手配してくれた。

 テレーザも協力的だった。テレーザはレリアが舞踏会が初めてだということに驚いていたようだったが、深い理由は聞いてこなかった。それがありがたい。

 アブストラートのしきたりを知りたいという名目で呼んだマナー講師にも、作法は問題ないという言葉をいただいている。ダンス講師にも筋がいいと褒められた。


 社交界デビュー。

 憧れだった場所に立てるのは全部エドガルドのおかげ、なのだけれど。

 エドガルドは仕事が忙しいらしい。先日狙われた件について調べを進めているのだろうか。この一週間、ファビオともども顔を見ていない。


 こんなことは初めてだった。アブストラートに来た当初も忙しそうだったが、それでも必ず少しは顔を出してくれた。なのに。

 レリアもレリアで今までの妃教育に舞踏会のための講義がプラスされて忙しいのだけれど、ふとしたときにエドガルドの顔がよぎってしまう。


「まったく、エドガルド殿下もレリア様にこんな顔させて。仕方のない方ですね。こういうときに限ってお兄様もいないし」


 なんてテレーザが怒っていたけれど、一体自分はどんな顔をしているというのだろう。

 レリアはアブストラートに来て日が浅く、こちらに知り合いも少ない。だからさみしく思ってしまうのだろうと自分では分析している。


 これからダンスのレッスンだ。

 今日は本番用のドレスで躍るのだという。流石に朝から支度……はなかったが、テレーザが気合いを入れてドレスアップをしてくれた。やりすぎじゃないかと思ったレリアだけれど、明るい黄色のドレスは気分までも明るくしてくれる。

 ダンスのレッスン室に入ってまず飛び込んできた姿に、レリアは目を見開いた。


「エドガルド殿下!」


 見間違えるわけがない。部屋に騎士の制服に身を包んだエドガルドが佇んでいたのだ。

 一瞬入った部屋を間違えたかとも思ったが、ピアノが置いてある広い部屋の内装には見覚えがあるし、何よりダンス講師の女性もいる。


「今日は、エドガルド殿下にご協力いただけることになりました」


 ダンス講師がにっこりと笑う。

 え? え? レリアは半ば混乱しながら控えていたテレーザを見ると、テレーザがにっこりと笑った。これはテレーザもグルだと確信する。

 いくら普段レリアが着ているドレスが、舞踏会で着るドレスよりも簡素なものだったとしても、わざわざここまでドレスアップをする必要はない。やりすぎだとレリアも思ったではないか。

 でも、エドガルドがいるのなら。


「せっかくですし、レリア様のドレスも本番に近い方がいいですよね?」

「それはそうかもしれないけど」


 ちょっと心の準備がしたい。ほぼ一週間ぶりのエドガルド。

 自分でもどうしてこんなにそわそわするのかよくわからないけれど。


「では、時間ももったいないですし、さくさく参りましょう」


 ダンス講師はにこにこと微笑みながら、レリアにエドガルドの下へ行くように言う。テレーザも当然のように送り出してくれて、ここに味方はいない、とレリアは悟った。

 どこか心許ない気持ちでエドガルドの前に立つ。


「久しぶりだな。姫。元気そうで何よりだ。今日は夜会のようなドレスなんだな」


 エドガルドの言うとおり、今日はクローゼットに入っていたドレスから一着、夜会向きの服を選んでいる。レリアにとっては少し冒険の色だった。


「本番に近い服装で、とのことだったので」

「君はそういった色も似合うんだな。発見だ」

「ありがとうございます」


 少し気にしていたところを褒められてレリアの気分が上がる。現金なものだ。

 ダンスの距離感は思ったより近かった。そういえば、異性とは兄としか踊ったことがない。体温すら感じられそうな近さに、レリアは緊張してしまう。なのにエドガルドは平気な顔だ。第三王子であるエドガルドは、それなりに舞踏会で女性たちと踊ってきたのだろう。そう考えたら、何故か胸が鈍く痛む。


 始めますね、の号令の下、音楽が始まった。ピアノを弾いているのはテレーゼだ。有名なワルツが奏でられる。

 エドガルドとレリアはステップを踏み始める。

 最初こそぎこちなかったが、すぐに慣れた。少しずつ動きが大胆になってくる。

 社交界に出たことがないというわりに、レリアがきちんと踊れていたからだろう。エドガルドが尋ねてくる。


「ダンスは以前どこかで習ったことが?」

「兄に習いました」


 最近は控えているものの、ユベールは場数を踏んでいるだけあってダンスはうまい。


「ユベールか」


 何故かエドガルドは苦いものを食べたような顔をした。

 どうしてだろう、と不思議に思うまもなく、急にくるりと身体が一回転する。

 考える間もなく身体が自然に動いた。ドレスの裾がふわりと舞う。


「驚かさないでください!」


 抗議の意味でエドガルドを軽くにらみつけるけれど、彼は懲りた様子もなく笑っている。


「でも、たまにはいいだろう? ユベールはこういったことはしなかったのか?」


 しませんでした、と返すと、エドガルドは嬉しそうにする。

 ダンス講師が「素晴らしい!」と褒める声が聞こえたが、さっきのは決して同意じゃない、とレリアは主張したかった。


 それからもレリアはエドガルドに翻弄された。ただ、悔しいことに一度も足がもつれたことはない。それはレリアの技量というよりも、エドガルドのリードが巧みだからだろう。

 やはり、エドガルドは踊り慣れている。なんだかそれが悔しい。

 音楽が終わった。


「素晴らしいダンスでしたわ。言うことはありません。舞踏会が楽しみですわね!」


 ダンス講師がうっとりとした声を出す。


「……怒ってるか?」

「いえ」


 顔を覗き込んでくるエドガルドに、レリアは首を振った。

 どうやら好き放題した自覚はあるらしい。


「驚きましたけど、でも楽しかったのも確かです」


 兄は遊びの少ない優等生な踊り方だった。間違ってもさっきのような強引なリードはしない。


「それはよかった」


 エドガルドはほっとしたような顔を見せると、ダンス講師に向かって声をかけた。


「少し二人で話してもかまわないか?」

「ええ。もちろん」


 ダンス講師はにこにこと笑う。

 二人きり――といっても、部屋の隅に移動しただけで、同じ部屋にテレーザもダンス講師もいる。エドガルドは小さく呪文を唱えた。簡易的な防音結界だ。精霊術などの機密事項の話が出てきても対応できるようにだろう。


「どうしたんですか?」


 窓の前。椅子がないので立って並ぶ。やはりエドガルドの身長は高いな、と窓に映った二人の姿を見て思う。

 窓を見つめたまま、エドガルドが問いかけてくる。


「この一週間、君は何をしていたんだ?」

「舞踏会に出るための講習と妃教育です。殿下は?」

「俺は騎士団の仕事でいろいろ動いていた。この前の件だが、ようやく毒の成分が判明した。その成分から犯人を追っているところだ。舞踏会までに片付けたいところだが……」


 言葉を濁すあたり難しいのかもしれない。

 やっぱりニコロ殿下の関与が疑われるんですか?

 レリアはそう聞きたかったのに口にできなかった。

 ここで迂闊に話していい内容ではない。だが十中八九彼の仕業だろう。

 ニコロが動き出したということは、王太子が決まったということ。そしてそれは――。

 だが『お守り』にすぎないレリアがそこまで踏み込んでいいのだろうかという気持ちがある。

 代わりに別の言葉を言う。


「あまり無理はしないでくださいね」

「わかっている。ありがとう。まあ、そういうわけで最近ちょっと忙しい」

「今日は大丈夫だったんですか?」

「さすがにずっと姫の顔を見られないのは辛いからな。ファビオも効率が上がるならかまわないと快く送り出してくれた」


 窓に映るエドガルドは苦笑している。

 しばらく沈黙が落ちて――不意にエドガルドがレリアの方に向き直った。


「姫。こっちを見てくれないか?」


 その声音はとても真剣で、レリアは少し恥ずかしかったけれど、言われるがままにエドガルドと向かうように立つ位置を変える。顔を上げると、エドガルドと視線があった。

 エドガルドはいつになく真剣な顔をしていた。一度口を開き駆けて、すぐに閉じる。


「殿下?」

「――この件が片付いたら俺の話を聞いてほしい」

「それはもちろん」


 レリアが即答するとエドガルドはほんの少し切なそうに笑った。

 その笑みに目を奪われていると、エドガルドがレリアの左手を手に取る。夜会仕様で薄手の手袋をしていたのだが、エドガルドの手の温かさを伝えるには十分だった。


「ありがとう。姫」


 そう言うと、エドガルドは厳かにレリアの指先に口づけた。布越しに柔らかな感触がする。


(……え?)


 琥珀色の双眸がまっすぐレリアに向けられている。ゆっくりと手が離れる。レリアは慌てて手を引っ込めた。指先が熱い。ドキドキする。

 そんなレリアの反応を見て、エドガルドが微笑んだ。


「では、仕事があるので戻る。――しばらく君の下へ行けないかもしれないが、舞踏会は必ず迎えに行く。とびきりのドレスを贈るから楽しみにしていてくれ」


 さっと防音結界がとかれたのがわかった。

 レリアは半ば呆然とエドガルドを見送る。テレーザが今にもきゃーと叫びだしそうな顔をしている。声こそ聞こえなかったが、様子はしっかり見えたのだろう。


「殿下は何のお話をされたんですか?」


 エドガルドが部屋から去ると、予想通りテレーザがささっと駆け寄ってきた。


「たいしたことじゃないわ。近況とか普通のことよ」


 口づけられた指先をレリアは撫でる。あれは一体何だったんだろう。

 そしてエドガルドの話したいこと。それはやはり王に関することなのだろうか。

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