15. 彼女がほしい
夢を見ていた気もするが、その内容は全く覚えていない。
意識がすうっと浮上して、二回ほど、瞬きをしたあとにエドガルドは目を開ける。
「あ。お目覚めになりましたか?」
ぱっと表情を輝かせて尋ねてきたのは、レリアだった。
「ここは……」
かすれた声で尋ねると、王宮の客間の一室だ、という回答が返ってくる。
路地裏で毒にやられたことに気づいた以降の記憶が曖昧だ。団員が王宮まで運んできてくれたのだろう。
「あ。すみません。つい」
レリアはエドガルドの手を握っていたことに気づいたらしく、ぱっと手を離した。別にずっと握ってくれていてもよかったのに、という軽口まで言う元気はまだない。
「お体の調子はいかがですか?」
「ああ。少しだるい感じがするくらいだ」
よかった、とレリアが心底安堵したように息をつく。
「君が術を使ってくれたのか?」
「はい。浄化術の実践は初めてだったので不安だったんですが、成功したようでよかったです」
エドガルドの質問にレリアははにかんだように笑った。その笑顔にエドガルドの胸は締め付けられる。
「ありがとう。姫。君は命の恩人だな」
「いえ。このために来たわけですから。こちらこそ『お守り』の役目を果たせてよかったです」
笑うレリアの表情に嘘はない。心底そう思っているのだろう。
レリアはただの『お守り』なんかじゃない。それがもどかしい。大切なことを妹に教えなかったユベールに悪態をつきたくなる。
「どれくらい時間が経った?」
周囲はすっかり暗くなっていて、部屋には照明魔法が使われている。
「今は午後九時くらいですね」
「君を迎えに行けずすまなかった」
「いいんですよ。ファビオさんが来てくださいましたから」
ファビオも一緒にいたのだというが、今は食事中だという。レリアはファビオの前に既にいただいたらしい。レリアが部屋に残るタイミングで目覚めて良かった、とエドガルドは密かに思った。
「ロベルタさんにも知らせないといけないですね。あ。でも、あとでファビオさんから話があると思うんですが、殿下は明日の朝まで毒と戦っていることになっているので、そこのところよろしくお願いします」
今夜が峠、というのが医師の見立てだった。それがこんなに早く回復していたら、おかしいと思われてしまうだろう。精霊術について知る人間は少なければ少ない方がいい。エドガルドはうなずいた。
「ああ。殿下。お目覚めになったんですね」
扉を開けて入ってきたのはファビオだった。驚く様子もなく平然としている。
エドガルドはゆっくりと上体を起こす。まだ少し倦怠感が残っているが、起き上がれないほどではない。レリアが支えになるように後ろにクッションをいくつか背中に置いてくれた。
「それで殿下。休日返上した私にお話を聞かせてもらえますか? どうしてこんなことになったんです? 毒にやられるなんてあなたらしくない」
エドガルドが休みなので、ファビオも今日は休みだった。おそらく怪我をした時点で、気を利かせた団員が知らせてくれたのだろう。レリアが『お守り』であることはファビオ以外知らないので非常に助かった。
ファビオはエドガルドにとってかけがえのない副官だ。エドガルドが誤った場合はきちんと諫めてくれる。乳兄弟である彼は、エドガルドが誰よりも信頼している人間だ。
ファビオがベッドの側に置いてあった椅子の一つに座る。腕を組んでいる。かなり怒っているようだ。おそらく心配からくるものだろう。
エドガルドは水差しにあった水を飲み干すと、自分の身に起きたことを話した。
「姫?」
エドガルドはレリアが痛みをこらえているような顔をしているのが気になった。
「すまない。女性の前でする話ではなかったな」
「いえ。そうではありません。大丈夫です。お話を続けてください」
レリアは気丈に言う。レリアの様子が気になったものの、おそらく彼女は口を割らない気がしたので、エドガルドは言われたとおり話を続ける。
「タイミングがよすぎる。おそらく、最初に解放した男もグルだったんだろう」
そうエドガルドは話を締めると、ファビオが難しい顔をしてため息をついた。
「おそらくそうでしょうね。あなたが今日休みだったことまでは知らなかったかもしれませんが。囮に子どもを使っている辺りが嫌な感じですね」
それはエドガルドも同意だった。
「既にご存じだと思いますが、刃物には毒が塗られていました。毒は解析中ですが、――新しい毒のようですね。ニコロ殿下との関係は今洗っています」
騎士団長という立場上、様々な敵がいる。
が、今エドガルドの命が狙われた場合、一番疑いたくなるのはニコロだった。
(俺は王位なんていらないと言っていたのに)
何故、自分を省みる方向に行かないのだろう。何故排除する方向へ向かうのだろう。
だからこそ選ばれないのに。何故それに気づかない。ぐっと拳を握る。
いくつか気になる点を話した後、ファビオはトリエステ伯爵家に連絡を入れると言って部屋を出て行った。
「姫。血なまぐさい話を聞かせて申し訳なかったな」
じっと黙って話を聞いていたレリアに水を向ける。
「いえ。私も知りたかったことですので、聞かせていただいて助かりました」
レリアはゆっくりと首を振る。銀色の髪がさらりと揺れた。
「お祖母様との話はどうだった? 変なことは言っていなかったか?」
「エドガルド殿下の小さい頃の話をたくさん聞けて楽しかったです」
「それはなんだか恥ずかしいな」
祖母は幼少期のエドガルドのありとあらゆる失敗談を知っている。本当にどうしようもない話は言っていないと信じたい。
「殿下の魔法耐性の高さが判明したエピソードも聞きました。バジーリオ殿下をかばったことで判明したって」
そうレリアは微笑んで――話が途切れた。彼女が何かを言いたげにしたように見えて、エドガルドは首をかしげる。
先ほども同じようなレリアの表情を見たことがある気がする。そうだ。エドガルドが魔法を無効化するために前線に立ったという話をしたときだ。
「もしかして、姫は魔法の無効化の話を聞くのが苦手なのか? 辛そうな顔をする」
エドガルドが思ったことを口にすると、レリアが驚いたような顔をした。
「わかりますか?」
「半分は当てずっぽうだったんだが。当たりか」
レリアはこくりとうなずくと口を開いた。
「もちろん、殿下が考えた上で行動されていることはわかっているんです。それが殿下に求められていることだということも。でも、どうしても魔法がぶつかる度に痛くないのかなって考えてしまうんです。私が魔族の血を引いていないからだと思うんですが」
痛そう。今までそんなことは言われたことがなかった。
レリアの言うとおり、彼女が魔族の血を引かないからそう思ってしまうのだろう。でも。
――悪くなかった。嬉しかった。
だってそれはエドガルドのことを心配してくれているということだから。
そんな彼女だから、何も考えずに魔法に飛び込んで言っていると言ったニコロに怒ってくれたのだろう。そのときのことを思い出すと、エドガルドの胸は温かくなる。
「魔法が無効化するときだけれど、確かに少々の衝撃はある。柔らかいものがぶつかるっていえばいいのかな。激しい痛みとかはないから安心してほしい」
「そうなんですか。よかった」
心底ほっとするレリアを愛しい、と思った。
兄をかばったことで露呈した体質だが、エドガルドだって昔から攻撃魔法の前に平然と立てたわけじゃない。あのときは兄を守る一心でとっさに身体が動いただけだし、最初の頃は怖かった。迫ってくる炎の球に呑み込まれそうで、逃げ出したこともある。
昔の震えていた自分が慰撫されるような、そんな気持ち。
エドガルドは少し考えて口を開いた。
「俺が前に立つのは俺が魔法を無効化するのが一番いいからだ。それが俺の役目だと思っているし、今までそうしてきたことに後悔はないんだ。この体質のせいで、他国では『黒い悪魔』だなんていうたいそうな二つ名をいただいてしまったが、あの戦いも俺が前線に立たなかったらこちらの被害が甚大になっていた。だからこそ、この体質には感謝している」
レリアがサファイアブルーの目を見張った。
二つ名は君の婚約話に役立ったみたいだしな、とおどけると、レリアが笑う。彼女の笑顔を見ると、心が温かくなる。
「でも、君のその気持ちはとても嬉しい。ありがとう。姫。俺のことを心配してくれて」
エドガルドが礼を言うと、レリアがほんのり頬を赤くした。その様子が可愛らしくて、表情が緩む。
身体が自由に動くのならば、今ここで彼女を抱きしめたかった。でもそれだけじゃすまない気もして、怪我をしていてよかったのかもしれない、とも思う。
(ああ。やっぱり俺は彼女がほしい)
ようやく迎えに行けた婚約者。彼女のことを逃すつもりはまったくない。
エドガルドの心の底から強い気持ちが湧いてくる。
もう、これはただの思い入れで片付けられる感情ではない。そう自覚していた。
だからこそ、ニコロの件はそのままにしておくわけにはいかない。
(安心してこの国に彼女を迎え入れるためには――)
もう、ニコロには期待できない。だから。