14. 凶刃
ときは少し遡る。それは、エドガルドが急な仕事を終えたあとのことだった。
せっかくの休みだというのに部下から来た連絡は、部下が別件で捕まえた男がずっと追っていた密輸組織の関係者かもしれない、というものだった。
エドガルド率いる第二騎士団の主な仕事の一つに、組織犯罪の取り締まりがある。関係が疑われるのは、その中でもエドガルドがずっと追っていた組織の一つ。その組織との関係をほのめかされたら、一応動かないわけにはいかない。
レリアと過ごせる貴重な一日だったのに。
最近、レリアはよく笑顔を見せてくれるようになった。それが少しずつ自分に心を開いてくれているように感じられて、とても嬉しい。
今日だって、馬車の中で市場の話をした際、目を輝かせた彼女に目を奪われてしまった。
(できる限り最速で終わらせよう)
エドガルドはそう決意すると、男が勾留されているという騎士団の詰め所へと向かう。転移魔法を使いたかったが、王宮関係の建物には防犯のため転移魔法無効の結界が張ってある。街中にいきなり転移魔法で現れるのはうまくないので諦めて単騎にした。
ちなみに魔法耐性の高いエドガルドでも転移魔法で移動できるのは、転移魔法は魔法の効果対象がエドガルドではなく空間だからだ。空間を歪めて道を繋ぐ。転移者はその空間を進んでいるだけに過ぎない。
詰め所にたどり着いたエドガルドは、制服に着替えて男の尋問に入った。
――結論を言うと男はただのほら吹きだった。接点があったのは確かなようだが、下っ端の下っ端だったらしく、エドガルドが知っている以上の情報は引き出せなかった。
まあ、半ば予感していた。相手はずっと追っていた組織だ。そんなに簡単に手がかりが飛び込んでくるわけがない。
男の捕まった理由も軽微なものだったので、調書だけ取って解放する。
その時点で、詰め所に来て二時間と少しが経過していた。さすがに事務作業は明日以降でいいだろう。男を捕まえた騎士が、エドガルドの休日を台無しにしたことを謝罪していたが、正しいことをした、と励ましてやる。
(さて、戻るか)
あの祖母は一体何をレリアと話しているのだろう。余計なことを言っていないといいと思う。――例えば、王位のこと、とか。
バジーリオ亡き今、祖母がエドガルドに王になってほしいと思っていることは知っていた。それがトリエステ伯爵家の名誉欲からくるものではなく、純粋に国のことを考えた結果だということも。
それくらい、ニコロの評判はよくない。
だが、だからといって今更エドガルドに王になれ、と言われても困る。
第三子。スペアにすらなれず、余計な争いを避けるためか後継者教育からは引き離されて育った。たとえ魔法耐性が高くなくてもエドガルドは騎士の道を選んでいただろう。その方が国の中枢から離れられる。
なのに今更――王になれだなんて。
この前、父からそれとなくほのめかされたことを思い出す。
バジーリオのことは大好きだった。尊敬していた。おおらかなバジーリオは、エドガルドの目から見ても王にふさわしい人物だった。だからこそ、自分には無理だと思ってしまう。自分はバジーリオのようにはなれない。
エドガルドは感傷的な思いを振り払う。
街中で魔法を使って人を襲っているものがいる、という通報があったのは、制服から着替える間も惜しんでレリアの待つトリエステ伯爵邸へ向かおうとしたそのときだった。
エドガルドは舌打ちをした。
こうした無差別の魔法事件の場合、犯人はところかまわず魔法を撃ってくることが多い。犯人確保のためには危険が伴う。
こういう突発的事態の場合、王宮魔法師に防御結界をはってもらう余裕もないので、団員内で防御結界をはれるものが担当するのだが、どうしても専門の人間に比べると強度は落ちることが多い。それに結界も絶対ではない。団員の安全を考えた場合、エドガルドも出るのが無難だろう。実際、エドガルドが出動すると宣言したとき、団員の中から安堵のため息が聞こえた。
防御結界をはった団員三名と共に現場へ駆けつけた。
――場所は詰め所からほど近いところにある路地裏だった。
馬車がすれ違うのは無理な程度の広さの道。
道の真ん中に立った男が氷魔法を繰り出しながら「俺に近づくな!」「死んでやる!」みたいなことをわめいている。魔法の影響だろう。周囲の建物の一部が凍り付いていた。
付近にいた者は既に逃げ出しているのか、他に人は見当たらない。
「アブストラート第二騎士団だ! 大人しくしなさい」
エドガルドが声を張り上げるが、男は聞く耳を持たない。それどころかこちらに向かって氷の矢を放ってきた。大きさからして殺傷能力は十分だろう。
エドガルドは氷の矢の前に躍り出た。これが一番確実だからだ。よけることも簡単だが、その場合無関係な人を巻き込む可能性がある。自分が無効化させればそれはない。
エドガルドに当たった氷の矢はあっという間に消えてしまう。身体に当たるときに軽い衝撃を覚えるが、この感じにはすっかり慣れてしまった。
男は目を丸くして、それでも氷の矢を放ってくる。
エドガルドがこうして引きつけている間にも、騎士の一人が男に近づいていく――。
特に問題なく終わるはずだった。
「危ない!」
いつの間に迷い込んだのだろうか。七歳くらいの男の子が近くに立っていたのだ。
しかも、間の悪いことに、男は男の子の方に氷の矢を放ってきた。男の子は迫り来る氷の矢に硬直している。いくらアブストラートの国民が魔力が多いからといって一般市民が攻撃魔法の脅威にさらされることは普通ない。
エドガルドは男の子をかばうように前に立つ。氷の矢はエドガルドの肩に当たって消えた。男の子の方に向き直る。茶色い目を丸くしている男の子に言い聞かせる。
「ここは危険だ。さっさと――うっ」
うめき声を上げてしまったのは、左腕にふいに痛みを感じたからだ。
この感覚には覚えがある。何者かに斬られたのだ。振り向くと、魔法を放っていた先ほどの男がナイフを振り上げていた。エドガルドはとっさに剣を抜いて男のナイフを弾き飛ばす。踏み込んで喉元に剣を突きつけるつもりが、一瞬、くらりと血の気が遠のいた。蹈鞴を踏む。
その隙に男が転移魔法で――消えた。
「団長! 大丈夫ですか!」
騎士たちがこちらに駆け寄ってくる。
「大丈夫、だ。それより」
剣をしまったエドガルドは、男の子のことを思い出して振り返る。
男の子は忽然といなくなっていた。
「子どもなら転移魔法で消えるのを目撃しました」
騎士の一人が苦い顔で言う。
(一体、どういうことだ……)
エドガルドが眉をひそめたそのとき、また。くらりとめまいがした。
「団長。どうされましたか」
どくん、と心臓の鼓動が大きくなる。左手の切られたところが非常に熱い。
(もしかして、刃物に毒が塗られていたのか)
エドガルドは、その場に膝をついた。
傷に熱を感じる。苦しい。
不自然すぎる状況。
もしかして、この事件自体が、エドガルドを殺す罠だったのだろうか。
いや、その前の男の存在すらも。
(ユベールの言った通り『お守り』は必要だったんだな)
兄はやはり兄だった。そう簡単に変われるはずがない。
――意識が遠のいていく。
とにかく苦しかった。身体中が熱くて痛かった。
とろとろと浅い眠りを揺蕩うような状態がずっと続いていた。
けれど。
「エドガルド殿下」
耳に心地のよい声が聞こえてきて、そして、不意に身体が楽になった。
悪いものがすべて消えていったのだとわかる。
冷たい手がきゅっとエドガルドの手を握る。
安心したエドガルドは眠りの淵に落ちていった。