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11.そのための準備

 模擬試合から三日後。


 ニコロが王宮に戻ってきたとはいえ、今のところは何も起こってはいない。

 もっとも、まだ三日しか経っていない。ニコロだってそれなりに仕事を抱えている身だ。そんなにすぐにことが起きるとはレリアも思っていない。

 ただ、油断なく精霊術の鍛錬を続けること。それしかレリアにできることはない。


 今日は妃教育は休みだという。その代わり――。

 王宮の居住区の一室。テーブルの上にはデザイン画と布のサンプルが広げられていた。


(身体のサイズを測るだけなのに、こんなに疲れるとは思わなかった……)


 先ほどまで下着姿であちらこちらを計測されていたレリアは、非常にぐったりしている。デザイン画のサンプルに目を通す気力もない。


『毎日毎日鍛錬ばかりではつまらないだろう?』


 朝食のときにそう声をかけてきたのはエドガルドだった。なんでも、王都一の仕立て屋が来てくれるのだという。エドガルドの母親の伝手らしい。きゃあと声を上げたのは、レリアではなくテレーザだった。


(クローゼットにまだ着ていないドレスが詰まってるって思っちゃうけど……)


 今日着ている緑色のドレスも既製品だ。

 ただ、わかるひとにはわかるらしい。事実、仕立て屋の女主人も助手たちも、レリアのドレスが既製品だと一目で見抜いた。質というよりも、フィット感でわかるのだという。

 エドガルドの隣に並ぶ以上、普段はともかく公の場ではオートクチュールのドレスを着ないと、エドガルドに「婚約者のドレスを仕立てる甲斐性もない」という印象を付けることになってしまう。自分が笑われるのはともかく、エドガルドにそんな甲斐性無しのレッテルを貼るわけにはいかない。


 とはいえ、レリアは長い間流行とは無縁の生活をしてきた。

 身につけるのは、母の残したドレスを手直ししたものばかり。婚約者がいたとき、相手に恥をかかせるわけにはいかないと二着ほど仕立てたが、そのときも予算を抑えるのに苦心した。結局、あれ以来着ていないから無駄なお金だったと思う。

 流行の最先端がどんなドレスかなんて、レリアにはわからない。


「この青色なんかいいんじゃないか?」

「レリア様の瞳の色ですね。とてもいいと思います」


 盛り上がっているのは、エドガルドとテレーザだ。テレーザはともかく、エドガルドも付き合うとは思っていなかった。こういうのは面倒くさいと思うタイプかと思っていたのだが、レリアの隣に座った彼は楽しそうにサンプルをめくっている。


「この布が気に入ったんだが、どういうデザインが考えられる?」


 エドガルドは青い色の布を仕立屋の女主人に見せる。女主人がすべてデザインを請け負っているらしい。


「そうですわね……」


 女主人はさらさらと帳面にペンを走らせる。


「こんな感じでいかがでしょう。レリア殿下はスレンダーでいらっしゃるので、こういったマーメイドラインのドレスがお似合いになると思います。このスカートに黒のレースを重ねるのはいかがでしょうか」

「それはいいな」


(スレンダー……ものはいいようだわ)


 レリアが関係のないところに感心していると、エドガルドから声がかかった。


「姫。君は何か希望がないのか?」

「わ、私ですか?」

「ああ。せっかく仕立てるんだ。着るのは君だからな。君の希望も取り入れたい。君の気晴らしも兼ねているわけだし」


 レリアはおずおずとテーブルの上の布サンプルを手に取った。

 淡い薄紫の朱子織が目にとまる。ただ、きつい顔立ちの自分はあんまり淡い色は似合わない自覚もあった。顔だけは兄のように父に似たかったと思うことがたまにある。


「それがいいのか? この薄紫の」


 視線をたどったのだろうか。エドガルドがレリアが見つめていた布を指さした。


「え? あ」

「お目が高いですわ」


 違うと否定する間もなく、華やかな声を上げたのは女主人だった。


「この淡い薄紫はなかなか出すのが難しい色なのです」

「でも、淡い色は私には似合わないので……」

「それはデザインが悪かったんだと思いますわ」


 きっぱりと女主人が断言した。

 そうなのだろうか。

 まだ母が元気だった子どもの頃、淡いピンク色のドレスを着て全然似合わずショックだった思い出がよみがえる。よりにもよってふわひらが似合うヴィオレーヌと並ぶ羽目になり、見世物状態になってしまった。


「任せてみればいいんじゃないか? 俺は君に似合う色だと思う」


 柔らかくエドガルドが微笑んだ。


「ええ。おまかせください」


 女主人が自信満々に胸を叩く。エドガルドがレリアを励ますようにぽんと肩を叩いたのでレリアは思いきってお願いしてみることにした。


「信じますよ。エドガルド殿下」

「ああ。きっと君に似合うドレスになる」




 仕立屋が去った部屋。まだ十分に明るい時間だ。お茶にしようということで、テレーザは準備をしている。部屋にはエドガルドと二人きり。

 結局、ドレスやら普段着やらで十着近く頼んでしまった。

 といっても、レリアが選んだのは二着ほどで、あとは全部エドガルドとテレーザが盛り上がった結果だ。むしろ、二人の気晴らしになったのではないかと思う。

 ただ、レリアも楽しかったことは確かだった。

『お守り』として頑張らなければ、と気を張っていたのは確かなのだろう。


「ありがとうございました。ドレスを仕立てるのって、楽しかったんですね」


 ドロテ妃とヴィオレーヌがしょっちゅう仕立て屋を呼んではドレスを仕立てていた理由が、少しだけ理解できた。


「姫が楽しかったならよかった。頑張ってもらっているのは嬉しいが、まだまだ先は長いからな。気分転換になったなら何よりだ」


 隣に座るエドガルドの言葉にレリアははっとする。


「確かにその通りですね。少し気負いすぎていたかもしれません。今日はちょっと休んで、また明日からがんばりますね」


 レリアがぐっと拳を握って宣言するとエドガルドが笑った。


「期待している。婚約者殿」


 その言い方がとても優しくて、レリアは思わずどきりとしてしまった。

 それを隠したくて、レリアは慌てて話題を探す。


「そういえば、一着だけ急いで作るように頼んでましたね。何かあるんですか?」

「ああ。それは……」


 どうやらごまかせたらしい。レリアの質問にエドガルドが視線をさまよわせる。やがて覚悟を決めたようレリアと目を合わせた。


「王都郊外に住んでいる祖母が、どこからともなく婚約の話を聞きつけた。姫と一緒に挨拶に来いと言っているんだ」

「――え?」

「言ったら聞かない人なんだ。申し訳ないが、付き合ってもらえるか?」

「はい」


 一応婚約者なのだから気になるのは確かだろう。レリアはあっさりうなずいた。


「よかった……」


 エドガルドが心底ほっとしたように息を吐き出す。


「あ。でも、殿下こそ、私を挨拶に連れていって大丈夫なんですか? あとあと面倒なことになりませんか?」


 両親や祖母にまで挨拶しておいて、一年後にあっさり破談はどうだろう。


「いや、俺のことは気にしなくてかまわない」


 レリアの問いかけにエドガルドは真顔で言った。


「日程は決まり次第連絡する。ニコロ兄上のこともある。なるべく早いうちに行った方がいいだろうから」


 まだゴタゴタが起こるだろうという予測段階で、具体的に何かが起こっているわけではない。だが、ゴタゴタが起こってからは遅い、ということか。


「昨日、兄上と話をしたんだが、かなりイライラしている様子だった」

「話したんですか?」


 意外な告白にレリアは目を丸くする。


「ああ。話したというか、絡まれたというか。向こうに呼びつけられたんだ」


 聞けば、昔からニコロはエドガルドの都合などお構いなしに呼び出してくるのだという。兄として威張り散らしたいんだよ、とエドガルドは肩をすくめた。


「次期王太子の状況を知りたかったんだろう。といっても、兄上が不在の間に何かが変わったわけでもない。話は堂々巡りだったよ」


 はあ、とエドガルドが疲れたように息を吐き出した。何があったか、はあまり聞かない方がいいだろう。


「お待たせしました」


 ちょうどいいタイミングで、テレーザがティーワゴンを運んでくる。デザートのミルフィーユまで載っていた。


「――とりあえず、お茶にしましょうか。エドガルド殿下」




* * *



(忌々しい……)


 ニコロの執務室は、自分にふさわしい華やかで高級な調度品でそろえられている。

 ひときわ豪華な革張りの椅子に座ったニコロは、ニコロはぎゅっと小指を噛んだ。イライラしたときにしてしまう幼い頃からの癖だ。

 机の上には書類がたまっている。あとで部下に任せればいいだろう。王族である自分じゃなくてもできる仕事を任せるために部下というものは存在するのだ。

 なにより、この精神状態では仕事が進むとも思えない。


(何故、父上はさっさと私を指名しないのだ)


 北部の視察から帰ってきても、特に事態は何も変わっていなかった。

 王宮を少し不在にすれば、自分のありがたみがわかると思ったのだが。


(私より王にふさわしい人間など存在しないのに)


 ニコロは幼い頃から優秀だと言われていた。このアブストラート王の長子として次期国王となる教育を受けており、将来は自分が王になるものだと信じて疑わなかった。

 成長するにつれて、周囲が口うるさくなっていったが、王になる自分に嫉妬しているのだろうと相手にしていなかった。

 なのに。王太子に選ばれたのはニコロではなく弟のバジーリオだった。

 ショックだった。自分の頭脳があればアブストラートをもっと繁栄させてやれるのに。 バジーリオの母親は正妃だ。能力的にはニコロの方が上でも、母親の地位でバジーリオを選ばざるを得なかったのだろう。正妃がここぞとばかりに権力をつかったのかもしれない。


 だが、そのバジーリオが死んだ。ニコロが手を下すまでもなかった。

 バジーリオの死を知ったとき、ニコロは内心快哉を叫んだ。やっと自分が正当に認められる機会がきた、と思った。神はやはり才能ある者に手を差し伸べるのだ。

 なのに。

 なかなか父はニコロを王太子に指名しようとしない。それどころか、下の弟であるエドガルドを次期王にすることを考えているという噂が流れてくる始末。


 エドガルドを今更王にしようとするなんて非常に馬鹿げているとニコロは思う。

 ニコロと違って、エドガルドは王になる教育を受けていない。さっさと騎士になる道を選び、自分から王になる道を放棄した。


 確かに弟は二年前のベルカ侵攻の折に活躍をした。大層な二つ名までついた。英雄とまで呼ばれている。だが、それは生来の魔族の血が濃い特異体質を生かしたものだ。王の素質とは関係がない。

 昨日、様子を探ろうと呼び出したエドガルドとの会話を思い出す。

 弟は王になりたくはない、と言った。


『兄上。兄上がもう少し自分ことを顧みられるようになれば、陛下も認めてくださります』


 エドガルドのくせに、兄の自分に対し偉そうなことを言ってくる。

 大人しく、自分を支持すると身を引けばいいのだ。それをしないということは王の座を狙っているのと同義。


(やはり、そろそろ動くべきか……)


 選択肢が二つあって選べないというのであれば、選択肢を一つにしてしまえばいいのだ。なるべく平穏に済ませたかったが仕方がない。

 そのための準備はもう済んでいる。


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