プロローグ
初投稿です
「レリア・ラガルト・シランドル! お前との婚約を破棄する!」
事態が飲み込めないレリアに、びしっと人差し指を向けて声高に宣言するのは淡いブロンドに翡翠の瞳を持つ甘い顔立ちの青年だ。
名前はクレト・ブノワ・ユーベルヴェーグ。ヴェールト王国の王子であり、シランドル王国第一王女であるレリアの婚約者だったはずの人。
だが今、彼の隣に立っているのはレリアではなく、異母妹のヴィオレーヌだった。
異母妹ヴィオレーヌの十五歳の誕生日パーティーは盛大なものだった。
本当は出席するつもりはなかった。三年前に亡くなった正妃ニネットの娘であるレリアは、現正妃であるドロテ妃やその娘であるヴィオレーヌとの折り合いが非常に悪い。表向き休戦状態とはいえ、ドロテ妃には命を狙われたことすらある。
そんな殺伐とした間柄だから、もちろん誕生日パーティーに招待されるのも初めてだ。
今回に限って招待状を送ってきたことにも、何か理由があるとは思っていた。だが隣国からわざわざ婚約者であるクレトが来ると言われてしまえば、出席しないわけにはいかない。
まさか会場に入った途端、ヴィオレーヌと共に中央に立っていたクレトに、こうして婚約破棄を突きつけられるとは考えてもみなかったが。
招待客の注目がヴィオレーヌとクレト、そしてレリアに集まる。どうやらレリアの招待状に書かれていた時間は少し遅かったらしく、会場である広間の入り口付近にレリア以外の人間の姿はない。一人遅れてやってきたレリアがぽつんと立っているような状態だ。
ぴったりと身を寄せて立っている二人をレリアは冷めた目で見つめる。
レリアとヴィオレーヌは生まれた日が半年違いの異母姉妹だ。
太陽の光のようなふわふわの金髪に水色の瞳を持つヴィオレーヌは、絶世の美女と言われた祖母似で、社交界デビューもまだだというのにすでに『シランドルの至宝』という二つ名を持つ。小柄だがそれも庇護欲をそそるらしい。
一方レリアといえば、まっすぐな銀髪に濃い青の瞳。母親譲りのつり目がちな瞳とその色彩のせいで、どこか冷たい印象を人に与えがちだ。身長も平均よりは少し高い。
ヴィオレーヌのドレスの色であるエメラルドグリーンは明らかにクレトの瞳の色だ。クレトもクレトで、タイピンにきらりと光る宝石がアクアマリンで、明らかにヴィオレーヌの瞳の色を意識している。
二人のその格好を見れば、前々からこの婚約破棄劇は計画されていたであろうことが簡単に推測できた。
予想もしていなかった事態に立ち尽くすしかないレリアに対し、クレトは得意げにたたみかける。
「聞けばお前は魔法に長けたシランドル王国の王女だというのに、魔法の一つも使えない無能だという話ではないか。そんな無能王女は、ヴェールト王国で魔法騎士として名高い私にはふさわしくない!」
魔法が使えないのを無能だというのならば、レリアは彼の言うとおり無能なのだろう。だが、それは向こうも了承していたとドロテ妃から聞かされている。
「私は改めて『シランドルの至宝』である第二王女ヴィオレーヌ・リクール・シランドルと婚約を結ぶ! 魔法の腕も名高い彼女こそが、私にふさわしい!」
高らかにそう言うと、クレトはヴィオレーヌに対して跪いた。
「美しく有能なヴィオレーヌ。私と結婚してください」
クレトからまっすぐな緑の瞳を向けられて、ヴィオレーヌはぽっと頬を赤く染めてはにかんだような笑みを浮かべる。
「はい。わたくしでよろしければ」
ドラマティックな求婚の成立にわああああと室内が沸いた。
(――茶番だわ)
レリアは一人、抱き合う二人を白けた顔で見つめる。心は非常に冷えている。
もともとヴィオレーヌの誕生パーティーだ。王宮の広間で開かれているそれの招待客は、ヴィオレーヌ、そしてドロテ妃に好意的な者ばかり。
おそらくこの婚約破棄も全部筋書き通りなのだろう。――レリアを貶めるための。
隣国の第二王子が無能であるレリアとの婚約を破棄して選んだのは、有能で美しい『シランドルの至宝』ヴィオレーヌ。
最初からこういうシナリオだったのだとレリアは納得する。
この縁談は、レリアが十五歳の誕生日を迎えた直後に、ドロテ妃が持ってきたものだ。
もともとおかしいとは思っていたのだ。ヴェールト王国第二王子で二つ上のクレトは身分も年齢もレリアにちょうどよすぎる。つり合いだけで見たら十分良縁。そんな縁談、レリアを疎ましく思っているドロテ妃が持ってくるわけがない。絶対に裏がある。
レリアとしては断るつもりだったのだが、ドロテ妃がしつこく、父である王にも手回しをされてしまっては、うなずかざるをえなかった。
おそらく最初から、ドロテ妃は自分の娘であるヴィオレーヌとクレトを縁づかせるつもりだったのだろう。レリアは当て馬だ。
この求婚劇もすべて仕組まれたものに違いない。レリアの同母兄で王太子であるユベール不在のときを狙っているのも嫌らしい。
(付き合ってられないわ)
会場の盛り上がりを無視して、レリアは離宮にある自室に戻ることにした。既に誰もレリアには意識を向けていない。会場を出るのは容易だった。
自分の着ている鮮やかな青のドレスをつまむ。なけなしの予算から仕立てたドレス。あの男の色にしなくて本当によかった。
広間のざわめきとは対照的に、あまり人気のない廊下をレリアは一人で進む。
婚約期間は半年弱。顔を合わせたのも今日を除けば発表のときの一度だけ。手紙のやりとりも事務的な文面を数度。
異母妹の隣に立つ男に恋愛感情は全くなかった。
(まあ、こちらから破棄する手間が省けたと思えばいいのよね)
腹立たしい気持ちはあるけれど、悲しさは一切ない。
もともとレリアも、クレトと結婚するつもりは毛頭なかった。
ドロテ妃が持ってきた縁談の時点で、怪しかったというのもある。
が、それ以上に、兄ユベールのお眼鏡に適わなかったからだ。
『まあ、容姿だけはそれなりなんじゃない?』
これがクレトを見た兄の評価だ。クレト本人は魔法騎士だと偉そうにしていたけれど、要するに他にみるところがないということだ。
三年前、兄に命を救われてから、レリアはずっと兄のために生きると決めている。
兄の決めた相手であれば、どんな人間だって嫁いだだろう。だが、その兄が辛辣な評価を下しているのだ。結婚する意味はない。どうしたら婚約を解消できるか考えていたのだが、手間が省けた。
おそらく、これを機にドロテ妃はこれでもかとレリアを貶めにかかるだろう。
明日には王宮中にヴェールトの王子にレリアが無能と婚約破棄されたこと、そして代わりに美しいヴィオレーヌが選ばれたことが広まっているはずだ。
(馬鹿らしい。そんなことをしてもお兄様の地位は揺るがないわ)
ドロテ妃は自分が生んだ幼い第二王子を王位に就けるため、ユベールを王太子の地位から蹴落とそうと躍起になっている。
これもまたユベールへの妨害工作の一つだろう。レリアの評判を下げることで、ユベールを道連れにすることを狙っているのだ。
姑息だが、以前のように命を狙われるよりはマシだ。
レリアは、兄がこのような妨害工作ではびくともしないことを知っている。
大丈夫。これくらい折れるわけにはいかない。
――予想通り、ヴィオレーヌの誕生パーティーで行われた婚約破棄劇はレリアを一方的に悪者に仕立て上げるような形で、王宮内に広まった。
いつの間にか平凡で無能なレリアが美しく魔法が使えるヴィオレーヌを妬んでいじめていたなどと尾ひれがついている。いじめられた覚えはあっても、いじめた覚えはないというのに。
だが、ここで反論したとて、負け犬の遠吠えと取られるだけだ。
レリアに出来ることは、口をつぐんで離宮に引きこもることだけ。
無能王女でもなんでも言わせておけばいい。今は耐えるときなのだ。
そして二年の月日が経った。