目覚め
荒廃した世界の大地で、少年は名も記憶も持たず目を覚ます。手がかりは、胸の痛みと「YOL-0039」と刻まれた鉄のタグだけ。かすかに響く“声”に導かれるように、彼は文明の亡骸が眠る都市へと足を踏み入れる。そこで出会ったのは、機械の弓を背負う銀髪の少女リノ。記憶を失った彼女もまた、「巡り人」と呼ばれる存在だった。
崩壊した世界、謎の声、迫り来る「何か」。
過去を忘れた彼らの旅が、今、静かに始まる――。
音がした。
だがその音を誰も聞くことはできない。
音は空間の奥で震え、やがてかすかな震動となって大地を揺らし、冷たい大気に覆われた。
それでもなお、人の耳には届かず、ただ世界の皮膚の下で鼓動を打っていた。
少年は、砂に埋もれた岩の上で目を覚ました。
頭の奥に釘を打たれたような鈍い痛みがあったが、それでも彼は起き上がった。
空は灰色に染まり、太陽はまるで自分の存在を忘れたかのように姿を隠していた。
男には記憶がなかった。
自分が誰で、ここがどこで、なぜ倒れていたのかもわからなかった。
ただ、指先の感覚、冷たい風、そして胸に残る微かな焦げ跡のような痛みだけが、現実であることを証明していた。
足元に、鉄でできた小さなタグが落ちていた。
拾い上げて見ると、「YOL-0039」という刻印が刻まれていた。
「ヨル....俺の名前なのか?」
彼はつぶやき、自分にそう名づけた。
視界の果てに、建物の残骸が見えた。
歪んだ骨格のように空へ突き出す鉄骨、それに絡まるように黒ずんだ蔦が巻きついていた。
まるで、かつてここに文明が存在していたと主張するかのように、死んだ都市は今も立ち尽くしていた。
ヨルは歩き始めた。
何かが彼を呼んでいた。
風が吹いた。
砂を巻き上げるような強い風だった。その風の中に、言葉のようなものが混ざっていた。
「起きろ、”巡り人”よ。お前の旅が、再び始まる。」
咄嗟に振り返っても誰もいなかった。
だが確かに、声は耳ではなく心に響いた。
ヨルは立ち止まり、空を見上げた。
雲は低く垂れ込め、星は一つも見えない。
けれど、その奥に何かがあると感じ、歩みを止めなかった。
しばらく歩くと都市に入った。
そこはかつて人々が暮らし、笑顔が絶えないであったであろう場所。
だが今残っているのは崩れた家々、焼け焦げた壁、割れたガラス、そして…
「生きてるの?」
声がした。反射的に振り返ると、廃墟の影から一人の少女が姿を現した。
髪は銀、瞳は淡い紫。
背負った機械の弓を見た瞬間、胸の中で何かが疼いた。
なぜかはわからないが、声をかけなければいけない。反射的ににヨルは声を出した。
「だれ…」
「……まだここにいるってことは、あんたも“巡り人”か」
「”巡り人”?」
聞き覚えのある言葉だった。
少女は近づいてきて、鋭い目つきでヨルを値踏みするように見た。
「あんた、記憶がないでしょ?何もかも、夢みたいに」
何もわからなかった。
でも、ヨルはまた咄嗟に声が出た。
「……ああ」
「やっぱり、そうだ。あんたも同じ、私もそうだった。覚えてたのは、自分が巡り人ってことだけ。何もかもわからない。」
「ここは……どこなんだ?」
少女は空を指差した。
「それは私にもわからない。」
「……」
「でも私は長いこと...いやなんでもない」
「あんた、名前は」
「ヨル…」
少女はなにかに気づいたような顔をし、その瞬間瞳から一粒の涙が流れた。
「あれ、おかしいな。なんで私泣いてるの。」
「ごめんね、私リノ。よろしく、ヨル」
リノはそう言い、涙を手で拭い背中の弓に手を添えた。
「とにかく、急ごう。もうすぐ“やつ”が来る。」
「……やつ?」
「うん、あんたもいずれ知ることになる。ここじゃあ、死ぬよりも恐ろしいことがある」
リノはその何かを恐れるように走り出した。
自然とヨルもその後を追った。
吹き抜ける風の中で、聞こえたような気がした。
「今度こそ、守り抜け...」
けれど、振り返ってもまた誰もいなかった。