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【原神】からかい上手のナヒーダさん #32 - 結晶の空間で【二次創作小説】

洞窟内の上り坂を黙々と歩きながら、俺は少しずつ溜まっていく疲労を感じていた。死域の浄化任務は無事に完了し、今は地上への帰路の途中だ。少し先を歩くナヒーダの背中を見ていると、彼女も足取りが少し重くなってきているように見える。


「ナヒーダ、少し休憩しないか?」


 声をかけると、ナヒーダは足を止めて振り返った。彼女の翠色の瞳には疲れの色が見えるが、それでも優しい笑みを浮かべる。


「そうね。近くに良い場所があるの」


 彼女はそう言って少し考え込むような仕草を見せた後、続けた。


「前に一度立ち寄った結晶の空間、覚えてる? あの場所なら、少し特別な休憩ができるわね」


 結晶の空間――その言葉に、記憶が蘇る。以前の探索でナヒーダと二人で見つけた、美しい結晶に満ちた洞窟だ。前に訪れたはずだ。あの時は偶然見つけた場所だったが、今回は彼女が意図的に案内してくれるようだ。


「ああ、覚えてるよ。あの幻想的な場所だな」


「そう。あそこなら、ちょうど休憩にぴったりだと思うの」


 ナヒーダが少し嬉しそうに言う。二人だけの秘密の場所に誘う、特別感のある口調だった。


 しばらく歩いていると、ナヒーダが小さな脇道を指さした。


「こっちの道なら、あの場所に続くはずよ」


 狭い通路を少し進むと、突然空間が開けた。そこは前回訪れた結晶の空間だった。天井には小さな隙間があり、無数の結晶に反射して、幻想的な光景を作り出している。光が空間を彩り、まるで星空の下にいるかのような錯覚を覚える。


「わぁ…やっぱり綺麗ね」


 ナヒーダの声には純粋な感動が込められていた。草神という立場でありながら、彼女はいつも新鮮な目で世界を見ている。その姿に、不思議と心が温かくなる。


 ナヒーダは中央付近の平らな岩に腰かけた。俺もその隣に座る。二人の間には程よい距離があり、ほっと一息つける安心感があった。


「疲れた?」


 ナヒーダが心配そうに尋ねる。


「ああ、少しな。進む時は下り坂だけど、戻る時は上り坂だから、思ったより長く感じるよ」


「でも、任務は無事に完了したことだし、急がずゆっくり戻りましょう」


 そう言って、彼女は満足げに微笑んだ。草神としての責任感と、一つの成果を達成した喜びが見える。


ほっと一息つく二人。洞窟内の静寂と、結晶が放つ柔らかな光が、穏やかな時間を演出していた。


「パイモンがいたら、こんな休憩なんてさせてもらえないだろうな」


 ふと思いついて言うと、ナヒーダがくすりと笑った。


「きっと『こんなとこで休憩なんてしてるなよ!早いとこ地上に戻って、スメールシティで美味い料理を食べようぜ!オイラもう腹ペコだぞ~!』って言うわね」


 ナヒーダがパイモンの口調を真似る姿に、思わず笑みがこぼれる。確かにパイモンは、じっとしているのが苦手だ。


「物まね、上手いな」


「ふふっ、あの子の話し方は特徴的だから、真似しやすいのよ」


 そんな他愛もない会話を交わしながら、徐々に肉体的な疲労が和らいでいくのを感じた。ただ、ナヒーダの方は何か考え事をしているように見える。彼女の視線は結晶の壁に向けられているが、どこか遠くを見ているようでもあった。


「この結晶の構造、とても興味深いわね」


 突然、ナヒーダが学術的な口調で言い出した。


「スメールには古来より、結晶に関する様々な知識があるの。特にこういった光をあらゆる角度から反射する結晶は、かつて知恵を象徴するものとして崇められていた説もあるのよ」


 彼女の知識の深さには、いつも感心させられる。さすが知恵の神だ。


「へえ、そうなのか。スメールの歴史って、奥が深いんだな」


「ええ。多くの歴史が積み重なってきたわ…」


 言いながら、彼女の表情が少し陰る。その瞬間、ある違和感に気づいた。ナヒーダは五百年間、大賢者に囚われていたはずだ。その間、外の世界とは隔絶されていたのではなかったか。


「何を考えてるんだ?」


 思わず聞いてしまう。ナヒーダはハッとしたように俺を見て、少し考えてから答えた。


「ごめんなさい。ちょっと昔のことを思い出していたの」


 彼女は膝を抱え、少し小さくなった。その姿に、草神というよりも一人の少女を見る思いがした。


「私が大賢者に囚われていた五百年の間…外の世界のことは…」


 ナヒーダの声は静かだが、はっきりとしていた。


「アーカーシャを通じて、スメールで起きていることはほとんど把握できていたわ。民の喜びも、悲しみも、日々の生活も…全てを見ていたけれど、触れることはできなかった」


 彼女の言葉に、俺は黙って耳を傾ける。


「それは…とても不思議な感覚だったわ。全てを『知っている』けれど、何も『体験していない』。民が食べる美味しい料理の味も、彼らが触れる柔らかな布の感触も、春の風が頬を撫でる感覚も…全て知識としては理解していたけれど、自分の経験としては持ち合わせていなかった」


 ナヒーダの言葉には、言い表せない孤独が滲んでいた。


「知識だけでは、本当の理解にはならないのね。それが私の長い苦しみだった」


 そう言って、彼女は結晶に映る自分の姿を見つめた。


「五百年間…一人きりで」


 俺は言葉を失った。どんな慰めの言葉も、五百年という時の重みの前には軽すぎるように思えた。それでも、何か言わずにはいられない。


「今は違う。君はもう一人じゃない」


 素直な気持ちを口にする。


「スメールの民も、あの時協力した神の目を持つ者たちも、みんな共にいる。そして…俺もだ」


 最後の言葉は少し照れくさく感じたが、それでも伝えたかった。


 ナヒーダは少し驚いたように俺を見つめ、そして優しく微笑んだ。その表情には、何かが救われたような安堵が浮かんでいた。


「ありがとう、旅人。その言葉…とても嬉しいわ」


 彼女の声は少し震えていたが、すぐに気を取り直したように明るい声色に戻った。


「確かに私は今、多くの人々に囲まれているわね。呪縛から解放されて、実際の体験も積み重ねてきた。でも…」


 彼女は言葉を切り、何かを考えているようだった。


「でも?」


「まだ知らないことがたくさんあるの。体験したことのない感覚や感情が…」


 ナヒーダの言葉には、知恵の神としての好奇心と、一人の少女としての憧れが混ざっているように感じられた。


「それは自然なことだろう。俺だって知らないことだらけだ。世界は広いし、体験できることは無限にある」


 そう言って、俺も彼女と同じように結晶の壁を見つめた。その表面に映る二人の姿が、なぜか不思議な感覚を呼び起こす。


「旅人も、孤独を知っているのね」


 突然のナヒーダの言葉に、ハッとする。


「俺が?」


「ええ。あなたも妹と離れ、見知らぬ世界を旅している。それは一種の孤独でしょう?」


 彼女の観察眼の鋭さに、少し驚く。確かに、妹と離れ離れになった時から、テイワットに放り出され、俺の心には常に孤独があった。パイモンや多くの仲間たちに恵まれても、それは完全には埋まらない何かだ。


「…そうかもしれないな」


 正直に認める。ナヒーダと俺は、全く異なる形の孤独を持ちながらも、どこか通じ合うものがあるのかもしれない。


「私たち、似ているわね」


 ナヒーダの言葉に、不思議と心が軽くなる気がした。誰かに理解されているという感覚は、思った以上に心地良いものだ。


「そういえば」


 ナヒーダが突然、話題を変えるように言った。


「知識と体験の話で思い出したけど…」


 彼女の声色が少し変わった気がする。より学術的な、しかし何か隠し事をしているような微妙なニュアンスだ。


「アーカーシャを通じて、私は民の意識に触れることができたのを覚えてる?」


「ああ。一時的に体を乗っ取る、というのは少し言い方は悪いかもしれないが、スメールの危機を救うために役に立ったよな」


 興味を覚えて聞くと、彼女は少し考え込むような仕草を見せた。その様子に、何か特別な話題に触れようとしているのかもしれないと感じた。


「つまり、意識を借りることで、スメールの民が体験することを、間接的に体験できるのよ。でも、あくまで『知識』としてであって、本人が体験する『感覚』や『感情』としてではないわ」


 ナヒーダは指先で結晶の表面をそっと撫でながら続けた。


「例えば、その人が好みの料理を食べる直前に意識を借りて食べてみても、その味が私にとっては口に合わないこともあるし、喜びや悲しみの瞬間に意識を借りても、その感情そのものを体験することはできないの」


 彼女の説明は論理的だったが、どこか感傷的な響きも含んでいた。


「それって…さっき話していた五百年間の孤独に似ているな」


 思わず口にした言葉に、ナヒーダは少し驚いたような表情を見せた。


「…鋭いわね。そうなの」


 彼女は膝を抱える腕に顎を乗せ、遠くを見るような目をした。


「アーカーシャを通じて、私は多くのことを『知った』けれど、ほとんど何も『体験していない』。それが私の大きな課題だったわ」


 そう言って、彼女は急に俺の方を向いた。その瞳には、何か決意のようなものが宿っていた。


「例えば人間の感情…特に『恋愛』という強い感情は、アーカーシャを通じてもなかなか理解できないものだったの」


 唐突な話題の転換に、少し戸惑いを覚える。なぜ突然、恋愛の話に?


「アーカーシャでは、恋愛感情が湧き上がる瞬間や、二人が特別な関係になっていく過程自体は観察できたけれど、その動機や本質はいまいち掴めなかったわ」


 ナヒーダは真剣な表情で語り続ける。まるで長年の研究テーマについて話す学者のようだ。


「私は知恵の神として、人間のあらゆる営みを理解したいと思ってきた。特に『愛』という感情は、人間の行動の多くを支配する重要な要素だから…」


 彼女の言葉には学術的な関心と、何か個人的な思いが入り混じっているようだった。


「それで、どんな結論に達したんだ?」


 俺が尋ねると、ナヒーダはちょっと言葉に詰まった。まるで、ここからが本題だと言わんばかりの間だった。


「えっと…実はね」


 彼女は一度深呼吸をし、決意を固めたように続けた。


 ナヒーダの次の言葉が、この静かな結晶の空間に何をもたらすのか、予感めいたものが胸の内に広がっていた。

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