【原神】からかい上手のナヒーダさん #27 - 洞窟の温泉 - 語らい【二次創作小説】
心地よい温かさに包まれながら、俺とナヒーダは温泉の中で向かい合って座っていた。湯気が立ち上る中、一時の静寂が流れる。
ゆらめく湯面の下、俺たちの体は適度な距離を保ったまま。濁った湯のおかげで水中は見えないが、それでも気恥ずかしさは拭えない。湯の温もりが体の疲れを溶かしていくのを感じながら、俺は少し視線を逸らしていた。
しばらくの沈黙の後、ナヒーダが微笑みながら言葉を発した。
「旅人、肩、凝ってる? 少しマッサージしてあげましょうか?」
「え?」
突然の申し出に、思わず声が上ずる。
「いや、大丈夫だよ。マッサージなんて…」
「遠慮しなくていいのよ。ほら、こっちに来て」
ナヒーダは手招きをした。俺は慌てて首を横に振る。
「い、いいって。本当に」
「そう? さっきの拘束で筋肉が凝り固まってるんじゃないかと思ったのだけど」
ナヒーダは少し残念そうな表情を浮かべたが、すぐに別の考えが浮かんだようだ。
「あら、そうだわ。この温泉、底が少し滑りやすいわね」
そう言いながら、彼女は少し体を動かしてみせた。湯面が小さく波打つ。
「だから、安全のためにも手を繋いでおいた方がいいんじゃない? 万が一滑ったときのために」
湯気の向こうから差し出された小さな手。俺は一瞬、固まった。
(また…安全のためって…)
先日、拘束された後に彼女が俺の手を取って「恋人繋ぎ」をした記憶が蘇る。あの時も「リスク管理」という名目だった。
「大丈夫、そんなに滑らないって」
俺は少し体重を移動させてみせた。確かに底は少し滑るが、注意していれば問題ない。
「本当? でも私、少し心配なの…」
ナヒーダの瞳が潤んで見えた。だが、その奥に小さな光が宿っているのを見逃さなかった。彼女は明らかに楽しんでいる。
「心配ならそっちの岩にでも掴まってればいいじゃないか…」
冷静に対応すると、ナヒーダは軽く肩をすくめた。
「つれないわね」
そう言いながらも、彼女の唇は微かに笑みを浮かべている。
次の瞬間、予想もしていなかったことが起きた。ナヒーダの手が湯面を叩き、水しぶきが俺の顔にかかった。
「っ!」
突然の行動に驚く俺。ナヒーダはくすくすと笑っている。
「何するんだよ!」
「ふふっ、少しリラックスしてほしかったの。あなた、ずっと緊張してるから」
そう言われて、確かに自分の体が強張っていたことに気づく。知らず知らずのうちに、肩に力が入っていたようだ。
「そんな方法もあるか…」
思わず苦笑いを浮かべ、俺も湯面に手を伸ばした。
「へぇ、やり返すつもり?」
挑戦的な笑みを浮かべるナヒーダ。俺はためらうことなく、彼女に向かって水しぶきをかけた。
「きゃっ!」
小さな悲鳴を上げるナヒーダ。髪が湯に濡れ、より艶やかに輝く。
お互いに少しだけ水をかけ合い、やがて二人とも笑顔になった。この瞬間、緊張はどこかに消え、心地よい空気が流れる。
「ふふ、久しぶりに子供に戻ったみたいね」
「確かに…」
この温かな湯の中で、二人だけの小さな遊びをしている。そんな瞬間が、不思議と心地よかった。
しばらくの沈黙の後、ナヒーダが唐突に言い出した。
「ねえ、パイモンも呼ぶ? きっと喜ぶと思うわ」
その提案に、俺は少し考え込んだ。確かにパイモンも喜ぶだろう。だが…
「いや、やめておこう。今から塵歌壺から呼び出すのも面倒だし、説明するのも面倒だし…」
「説明?」
「ああ、なんでこんな状況になったのかとか…それに、パイモンが来たら、きっと騒がしくなって、ゆっくりできないかもしれない」
パイモンのことを思い浮かべながら言うと、ナヒーダは理解したように頷いた。
「そうね。パイモンは元気いっぱいだものね」
そして、少し声のトーンを落として続けた。
「私も、あなたと二人きりの方が落ち着くわ。こういう時間は…二人だけの内緒にしておきましょう♪」
「っ…!」
その言葉に、胸の奥がざわめく。二人だけの内緒。なぜだろう、その響きがやけに耳に残る。
「別に内緒にするような…」
言葉を濁す俺に、ナヒーダは微笑むだけだった。
しばらくの沈黙の後、ナヒーダが静かに語り始めた。
「私、実はずっと前から温泉に入りたかったの」
その言葉に、俺は少し驚いた。
「そうだったのか?」
「ええ。スメールには温泉が少ないから…それに、私はずっと外の世界に出られなかったでしょう?」
ナヒーダの瞳が遠くを見つめる。そこには少し寂しさが混じっていた。
「閉じ込められていた頃、人々の夢を通じて様々な場所を見ていたわ。温泉も、そのひとつ。みんな楽しそうに入っている姿を見て、私もいつか入ってみたいと思っていたの」
俺は黙って聞いていた。彼女の言葉には、長い孤独の重みが垣間見える。
「でも今は、こうして実際に入ることができるようになった。その気になればスメールの外にも出られるようになって…」
ナヒーダの表情が明るくなる。
「それも、全部あなたのおかげよ、旅人。あなたが私を外の世界へ連れ出してくれた。本当に感謝しているわ」
その真摯な言葉に、俺は少し戸惑った。
「いや、そんな大げさなことじゃ…」
「大げさなんかじゃないわ。私にとっては大切な変化だもの」
ナヒーダの目には、確かな光が宿っていた。孤独から解放された喜びと、未来への希望。
しばらくの間、湯気が立ち上る中で静かな時間が流れた。
「ねえ、他の国で温泉に入ったことはある?」
ナヒーダが話題を変えた。
「ああ、稲妻では何度か。あっちは温泉文化が発達してるからな」
「どんな感じだったの?」
「立派な旅館の温泉だった。大きくて格別だったよ」
稲妻での温泉の思い出を語る俺の話に、ナヒーダは目を輝かせて聞いていた。
「素敵ね。いつか私も行ってみたいわ……そういえば、ナタにも温泉があるらしいわよ。炎の国だから、きっと独特の温泉文化があるわね」
「そうだな。いつか行ってみたい。でもその前に、フォンテーヌからかな」
俺が言った後、ナヒーダの少し表情が曇った。
「あなたは近日中にスメールを離れるのね」
唐突な言葉に、心臓が一拍分止まったような気がした。
「ま、まあ…。旅は続けなきゃいけないし」
「時々、私のことを思い出してくれる?」
ナヒーダの声は、いつもの茶目っ気のある調子ではなく、少し寂しげに響いた。
「何言ってるんだよ。忘れるわけないだろ」
思わず返す言葉に、ナヒーダの表情が明るくなる。
「本当? だったら、いつか一緒に他国の温泉に行きたいわ。ナタでも、稲妻でも、どこでもいいから」
彼女の瞳には、純粋な願いが映っていた。草神としての彼女は、公務のためスメールから離れることが容易ではないことを、俺は知っている。だからこそ、その言葉には重みがあった。
「約束してくれる?」
ナヒーダが小指を立てて、俺の方に差し出した。指きりをしようというのだ。
俺は少し躊躇した。未来のことは、簡単に約束できない。旅の先に何があるかわからないし、妹を探すという目的もある。
「いつかは、一緒に行けるといいな…でも、約束はできないよ。お互いの立場もあるし、未来のことだからな」
素直な気持ちを伝えると、ナヒーダは少し残念そうな顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「正直ね。でも、その言葉だけでも十分よ」
彼女は満足げに頷いた。
突然、ナヒーダの髪に装着されていた小さな飾りが、ぽとりと湯の中に落ちた。
「あら…」
ナヒーダは困ったような表情を浮かべながらも、どこか意図的に落としたような印象を受ける。
「拾ってちょうだい、旅人」
微笑みながら言うナヒーダ。髪飾りは彼女の近くの湯底に沈んでいる。
「…自分で拾えばいいじゃないか。どう見ても自分で拾った方が早いし」
俺は冷静に返した。わざわざ俺が近づいて拾う必要はない。
「あら、温泉は温かいのに、あなたの心はスネージナヤのように冷たいのね」
冗談めかした表情でそう言うナヒーダは、自ら手を伸ばして髪飾りを拾い上げた。
「べつに冷たくなんかないさ。単に効率的な判断をしただけだ」
「ふふっ、そう? でもたまには非効率な選択も、人生を豊かにするものよ」
ナヒーダの言葉に、何も返せなかった。彼女の洞察は、時に鋭く心に刺さる。
「ねえ、もう少しリラックスしてみない?」
ナヒーダが提案した。
「リラックス?」
「ええ。目を閉じて、深呼吸するの。この温泉の力を最大限に感じるために」
その提案に、特に異論はなかった。確かに温泉は心身をリラックスさせるものだ。
「そうだな、試してみるか」
俺は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸を始めた。吸って、吐いて。湯の温かさと、洞窟の静けさが、徐々に心を落ち着かせていく。
思った以上にリラックスできた。体の緊張が解け、心地よい浮遊感すら感じる。
しばらくそうしていると――
「どう? 落ち着いた?」
突然、至近距離から聞こえる声に、俺は驚いて目を開けた。
「うわっ!?」
目の前に、ナヒーダの顔があった。いつの間にか彼女は俺のすぐ近くまで移動していたのだ。
「な、なんでこんな近くに!?」
「あら、驚かせてごめんなさい。リラックスできてるか確認したかっただけよ」
そう言いながらも、ナヒーダの表情には小悪魔的な笑みが浮かんでいる。
慌てて距離を取ろうとした瞬間、不思議な感覚に襲われた。少し頭がぼんやりとしている。
「う…ん…」
温泉の心地よさと長時間の浸かりすぎで、眠気が襲ってきた。まぶたが重くなる。
「あら、眠そうね」
ナヒーダの声が遠くに聞こえる。
「ここで寝たら溺れちゃうわよ?」
彼女の言葉と共に、軽い衝撃。ナヒーダが俺の肩や頬を軽く叩いている。
「大丈夫、起きてる…」
言葉とは裏腹に、眠気との戦いは厳しかった。
「本当? あなたの頬、とても赤いわよ」
ナヒーダの手が俺の頬に触れた。確かに熱い。のぼせているのかもしれない。
「この温泉なら卵が茹でられるかしら?」
唐突な質問に、俺は少し意識が戻った。
「そんな熱いなら、今の俺たちは入れていないだろ……」
思わずツッコミを入れると、ナヒーダはくすりと笑った。
「でも、あなたの顔は茹であがっているように赤いわね。のぼせてない?」
「…そろそろ上がろうか。長く入りすぎたかもしれない」
俺は少し身体を起こした。確かに、のぼせかけているようだ。
「そうね。でも、ゆっくり立ち上がった方がいいわよ」
ナヒーダは心配そうに言った。
「まず、地面と足の踏ん張りに意識を集中させて」
彼女の指示は理にかなっている。急に立ち上がると血圧が下がり、めまいを起こすこともある。
「そのまま、ゆっくりと立ち上がるの。焦らないで…」
俺は湯の中で足を踏ん張り、ゆっくりと体を起こそうとした。しかし、ふと違和感を覚える。
ナヒーダが異様に真剣な眼差しで俺を見つめている。
(まさか…!)
俺は一瞬で状況を理解した。湯から出る時、タオル一枚の状態で立ち上がることになる。つまり…
「…後ろ向いててくれ」
俺の言葉に、ナヒーダはクスクスと笑った。
「あら、気づいたのね」
そう言いながらも、彼女は素直に背を向けた。
「湯から上がるまで振り返らないでくれよ」
「わかったわ。真面目に対応するわ」
俺はそっと湯から上がり、すぐにタオルを絞り、体を拭いた。空気に触れると、湯の温かさが懐かしく感じられる。
ナヒーダも同様に、俺が背を向けている間に湯から上がった。その後、二人とも服を着終え、洞窟内の小さな焚火の前に座った。
濡れた体から湯気が立ち上る。焚火の暖かさが心地よく、じんわりと体温が戻ってくるのを感じる。
ナヒーダも湯から上がり、俺の向かい側にちょこんと座った。
「私がちょっと近づいただけであんなに顔を赤くするなんて…」
「!?」
焚火の炎が揺れる。俺の心臓も、それに合わせて跳ねるようだった。
「あ…あれは、のぼせていただけだから…」
「ふふ、そうだったわね。でも本当に、楽しかったわ」
ナヒーダの瞳には、焚火の炎が小さく映っていた。
「そうだな…楽しめたよ」
思わず漏れた言葉に、ナヒーダは優しく微笑んだ。
焚火の炎が静かに燃え続ける中、俺たちはしばし無言で、その温もりを分け合っていた。洞窟の温泉で過ごした時間は、きっと長く心に残るだろう。