第9話「ライバル、美咲との邂逅」
真夜中の裏庭。月明かりだけが、静寂を照らしていた。
「はぁ...はぁ...」
さくらの呼吸が乱れる。汗が滴り落ち、服は既にびしょ濡れだ。
「まだ10分しか経ってないわよ」
美咲の冷たい声が、夜空に響く。
「はい...! まだ...大丈夫です!」
さくらは必死に答えるが、膝が震えている。
「本当? なら、次はこれを受けてみなさい」
美咲の体が、一瞬にして炎に包まれる。その熱さに、さくらは思わず目を細める。
「くっ...!」
「バーニング・インパクト!」
炎を纏った美咲の拳が、音速を超えてさくらに迫る。
(速い...!)
咄嗟にムーンライトパワーを発動させ、重力を操作して回避を試みる。
しかし—
「甘い!」
美咲の拳が、さくらの左肩を掠める。
「あっ...熱っ!」
さくらは地面に転がり、必死に炎を払う。
「どう? 私の炎の温度」
美咲が、不敵な笑みを浮かべる。
「信じられない...これが、マジック・レスリングの真髄...」
さくらは、震える手で左肩を押さえる。火傷こそしていないものの、激しい痛みが走る。
「まだまだよ。これが本当の実力だと思ってるの?」
その言葉に、さくらは顔を上げた。
「え...?」
「立ちなさい。今度は本気で行くわよ」
美咲の体から、より強い炎が立ち昇る。
地面が焦げ始め、周囲の空気が揺らめく。
(こ、これが...美咲さんの本当の力...!?)
◇◇◇
「さくらちゃん、大丈夫?」
翌朝、食堂でりんごが心配そうに声をかける。
「う、うん...なんとか」
全身が痛み、特に左肩が重い。
しかし、それ以上に心に残っているのは、昨夜見た美咲の圧倒的な力だった。
「あの炎...どうやって対抗すればいいんだろう」
呟くように言うさくら。
「え? 何かあったの?」
「ううん、なんでもない...」
さくらは首を振る。美咲との特訓は、まだ秘密にしておきたかった。
「おはよう、さくら」
突然、背後から声がかかる。
「!」
振り向くと、そこには美咲が立っていた。
いつもの赤いトレーニングウェア姿。昨夜の鋭い眼差しは消え、穏やかな表情をしている。
「美咲さん...おはようございます」
「昨夜は少し手荒だったわね。ごめんなさい」
さくらは、慌てて手を振る。
「い、いえ! とても勉強になりました!」
「そう。なら、今夜も来るわよね?」
その言葉に、さくらは一瞬躊躇する。
昨夜の恐ろしい力を思い出し、背筋が凍る。
しかし—
「はい! 必ず行きます!」
さくらは、強い眼差しで答えた。
美咲は、微かに笑みを浮かべる。
「いい目をしてるわ。じゃあ、今夜も裏庭で」
そう言うと、美咲は静かに立ち去った。
「さくらちゃん...何かあったの?」
不思議そうに見つめるりんご。
「うん...ちょっとね」
さくらは、左肩に手を当てる。
まだ痛みは残っているが、それ以上に胸の中で何かが熱くなっているのを感じた。
◇◇◇
その日の夜。
さくらは再び裏庭を訪れた。
「来たわね」
美咲が、月光の中で佇んでいる。
「はい。昨日の続きを、お願いします」
さくらは、強い決意を込めて言った。
「その前に、一つ質問していい?」
「え?」
「なぜプロレスラーになろうと思ったの?」
突然の質問に、さくらは戸惑う。
しかし、すぐに答えた。
「最初は...ただの偶然でした。でも、今は違います」
「違う?」
「はい。プロレスには...人を感動させる力があると思うんです」
さくらは、デビュー戦での観客の歓声を思い出す。
「技と技のぶつかり合い、魂の激突。それを見て、観客が喜び、感動する。それって、素晴らしいことだと思うんです」
美咲は、黙ってさくらの言葉を聞いていた。
「私も...そう思っていたわ」
「え?」
「私がプロレスを始めたのは、10歳の時。両親を失って、心を閉ざしていた時よ」
美咲の声が、柔らかくなる。
「でも、あるプロレスの試合を見て、心が震えたの。リングの上で、レスラーたちが魂をぶつけ合う姿に」
さくらは、息を呑んで聞いている。
「それからというもの、私はプロレスに全てを捧げてきた。この炎の力も、そうやって手に入れたの」
「美咲さん...」
「でも、最近は違和感を感じているの」
美咲の表情が、曇る。
「この団体に、何かおかしな動きがあるような...」
「おかしな...動き?」
美咲は、首を振った。
「気にしないで。それより」
突如、美咲の体が炎に包まれる。
しかし、昨夜とは違う。より強く、より熱い炎だ。
「今夜は、もっと本気で付き合ってあげる」
さくらは、覚悟を決めて身構えた。
「レディ...」
美咲の目が赤く光る。
「GO!」
一瞬の閃光。
美咲の姿が消え、次の瞬間には既にさくらの背後にいた。
(速い...!)
しかし今回は、さくらも反応できた。
ムーンライトパワーを全開にし、瞬時に重力を操作。
体を浮かせて、美咲の攻撃をかわす。
「いいわ! その調子!」
美咲の炎が、さらに強くなる。
「でも、まだまだよ!」
二人の戦いは、深夜まで続いた。
月明かりの下、炎と重力の力がぶつかり合う。
そして夜明け前—
「今日はここまで」
美咲が、炎を消す。
「は、はい...!」
さくらは、へたり込んでいた。
全身が痛むが、昨日とは違う。
充実感に満ちた痛みだった。
「さくら」
「はい?」
「あなたには、才能がある」
美咲の真剣な眼差しに、さくらは息を呑む。
「でも才能は、それを活かせなければ意味がない。これからもっと厳しくなるけど、ついてこられる?」
さくらは、力強く頷いた。
「はい! 絶対についていきます!」
「そう」
美咲が、微笑む。
「じゃあ、明日も来なさい。もっと強くしてあげる」
そう言うと、美咲は夜明けの空へと消えていった。
さくらは、朝焼けに染まる空を見上げる。
体は痛むが、心は充実感で満ちていた。
(美咲さん...必ず、あなたの高みまで行ってみせます!)
その瞬間、さくらの中で確かな決意が芽生えた。
これは、ただのライバル関係ではない。
憧れと対抗心が混ざり合った、特別な感情。
エターナル・リングスの新星は、着実に成長を遂げていく。
そして、その成長は誰も予想できない方向へと—
明日への期待に胸を膨らませながら、さくらは朝日に向かって歩き出した。