ePISODE tRACK[4] = mY hEART iS bROKEN//壊れた心
スモークの焚かれた部屋。そこに設置されたモニタを眺めるカウチソファに座る少女。マゼンタを一筋遊ばせた髪がシーリングファンに揺れている。床にはコーラの瓶が無残にも割れ、不気味な形のシミを作っていた。近くには赤色に染まったティッシュが何枚か丸めて落ちていて、蹴飛ばされた木目のゴミ箱が虚しく横たわっている。
幼い容姿とは不釣り合いに、少女はタバコを蒸す。普段吸っているのはメンソールが効いたものだが、今に限っては手元に無く、自分の名前と同じ銘柄を吸っていた。
「チッ、最悪だ……全く」
少女は鼻の下を指で擦り、薄く付いた血を見て大きく息を吐いた。先程まで鼻血が出ていた。誰かに殴られた訳ではなく、ましてや、タバコの吸い過ぎで身体が拒絶反応を示したという訳でもないのに、再び鼻の辺りを拭う嵌めになり更に机から物が落ちる。この血の匂いが消えたとしても、渦巻く不快感はどうにもならない。仕方なく、無理やりタバコの味に意識を向けてみるも、直接煙を身体に含んでいる感覚が安っぽくてすぐに集中が途切れる。
持つ手にも臭いが着きやすいため、このタバコを吸う際は気休めに自前のサテングローブを身に付けないとやってられない。それもムカつく。少女の苛立ちは多方に向き始め、その内この不味いタバコと自分の名が同じ事にも嫌悪が宿っていた。若葉。自分にお似合いなのは若さではなく枯れた葉。青々しい若さなどだいぶ前に捨てた正反対の位の自分。なんでそんな名を自分に付けられたのか、いや、自分で捨てに行ったのかは分からぬが、ここまで名前一つに嫌悪を持つと逆に笑えてくる気もするな、と自虐的な笑みを作ってみて、よくやく少女――若葉は机のノートパソコンに映る文字に意識が戻る事が出来た。
"葉鳴砂月"
今回手下どもに情報を取らせた、近頃噂になっている"ゴーストプレイヤー"。調査を進めて判明したのは、彼女がより高度な"ゴースト"であるという点のみ。
表情が曇る……天倉の族長の名である陰暦の"卯月"を意識した"皐月"の名前。その卯月を"宇月"、皐月を"砂月"というように字面も同様の違えさせ方をした命名は、いつ見ても露悪的。何故、あれ程に民に瘋癲呼ばわりされた族と似通わせた名をして"生き返らせた"のか。何故、そんな人間と自分は"関係"を持っていたのか。
……<天倉組>は一体何を企んでいる。
「社長サマ、ちょっといいアルか? 入るヨ」
眉根を潜めた若葉の元に、水色のチャイナ服を召した女が声をかけた。勤務中の時間帯であるが、なんの用だろうと若葉はタバコを灰皿に置き、チャイナ服を出迎えた。
「んだよウーハン。またデリバリーの予約でも受け付たか」
「ザンネンながらエッチなシゴトではないでアル。ホラ、中継映像のマスカレード部分へ逆位相信号を流す件、あれネ、ミゴト成功したって報告があったアル」
怪しげにチャイナ服が言うと、若葉は目を細め、その結果を自分のパソコンに転送させた。難しい事は若葉自身分かっていないが、中継システムのソースコードに特定の文字列を流し込むと映像が隠蔽――マスカレードされ、プレイヤーでない異なるオブジェクトとして映像に出力されてしまう、というバグをcOLに調査させたのだ。このバグを突いたのが"ゴースト"のやり口であったが、その結果、どうやら流し込まれた文字列を解読して正反対の文字列を入れると解決する事が判明したため、フセイ行為も諸々全国にブロードキャストが可能になるとの事だった。
チャイナ服が若葉の置いたタバコを咥え、慣れた所作でヤニを入れる。
「ケド、システム全体のアップデートを掛けるのとサーバのリブートはやらないといけないから、すぐには対応できナイらしいヨ。残念アルな」
「構わねぇ。その逆位相プログラムだけ寄越せ。こっちでやってみる」
「アラー、社長はそんなデジタルなテクニック持ってないと思ったが、まさかエンジニアになっていたとは。あの"クソ女"セイセイも喜ぶネ」
チャイナ服の軽口に若葉は不機嫌そうに悪態を吐くと、自身のスマートフォンを取り出してどこかへ電話を掛けた。若葉にプログラムを特定の環境で実行させるための技術なんてない。彼女は人を使うの専門。餅は餅屋。それが彼女のモットーだ。
「よォ、ミス・アンブレイカブル。例の件で進展があった。ちっと手伝いを頼み……あんだと? 手が離せねぇって、おめーまた"そっち"の案件か? けッ、こっちは"ゴースト"で忙しいのに余計な事しやがる……ならいい、てめぇの"愛弟子"に連絡する――」
###sWITCH(mAIN_sCENARIO)###
//メインシナリオに戻ります
改めて自分の姿というのを別視点で見てみると、自分の思ってた姿とは差異があるな、と感じる。自分の声を録音して聞いてみたようなあの状態に近い。他人からだとこういう風に見えているのかと思うと違和感より気恥ずかしさの増してくる。
現在、時刻21:14。
スモークがかった誰かさんの部屋にて、俺らは何とかあの死地を抜け出した映像をレンダと見ていた。
「よくここで逃げ切ってくれたよー。ボク後ろひやひやしながら見てたもん」
「余裕あるな、お前は。ロケラン野郎もまさか突っ込んで来るとは思ってなかったのか、かなり戸惑ってたし、映像で確認すると、お前の好戦さにビビる」
目的は情報収集だったため特に報酬は気にしてなかったが、"デッドベルト"を損害させた事によって報酬システムが稼働せず全く金が貰えなかった。命かけたのに無報酬とはどうなってやがる、と苛立ちもまあまあ、誰もデッドエンドしなかっただけマシだと考えて、俺は再びでっかいモニタに映る自分たちの映像に目を向けたところである。
「んだぁてめぇら。他人の店で呑気に自分鑑賞しやがって。うちはオナクラじゃねぇ」
後ろから思いっきりど突かれる。若葉だった。心無しか、今日の髪型は毛先が乱れ、暴れていた(機嫌とリンクしてるんだろうか)。カウチソファにもたれた若葉は、すぐ隣で何やらパソコンで作業している金髪碧眼の女と会話をしている。
ここは、"社交場 カサブランカ"の一階。若葉の私室、なのだが。
「しかし、保険屋だけでなく、エンジニア出張サービスまでやってとはな、"食事処アリスポット"……何屋なんだか」
例によって、その金髪はいつもお世話になってる飯屋の店主で間違いなかった。自営業ってのは色んな技術があるんだなと感心する反面、こいつ本当何者なんだろうという疑問も浮かぶ。店を出す人間ってのはある程度この手のIT的技術というかその辺の知識無いとダメなのは知ってたが、若葉の人脈の中からアリスが選出されるとは、そこまでの実力があったのは初耳だ。
その旨をアリスへ尋ねたところ。
「昔、お店だけだとやってけなくて、ここ経由でウェポン改造のバイトをやったの。基本【デッドエンド】で使われるコードって書き換えるの楽だし、パッケージに落とし込むのさえ慣れたら量産できるしね。今はもう出来なくなったけど」
とあたかも当然のように答えた。
まさか"ゴースト"の元凶、こいつじゃないよな……それ以上は怖いので、訊かないが。
「ちなみに、"カサブランカ"で普通に働いた事もあったけど、ウェポン改造より稼げてびっくりしたわ。所得税えらい事に」
「……分かったから作業に戻ってくれ」
聞きたくないな、知り合いが夜の街で稼いだ話なんて。
「で、どうなんだ。その逆位相プログラムってのは起動しそうか」
俺たちの二時間前の激戦の行方について話を戻すと、中継映像にあるように、レンダが足の速さを活かしてロケラン野郎の迎撃へわざと突っ込み、相手の広い被弾範囲を利用して自爆。この行為で相手にキル数を与える事なくリボーンしたレンダが、件のステージにある"高い位置"へと初期位置から移動し、そこで奇襲。
なお、もちろん、その"高い位置"っていうのが
「ほォ、あのボロエレベーターの"上側"に隠れられる隙間があったのか」
モニタで映されている、ステージの見晴らしが良い位置に設置された、地下水路へ続くエレベーター。ここの上部には、エレベーターを動かすための装置が稼働しているが、この空間には人一人くらいが入れるスペースがあり、ここをスナイパー役の狩場としていたらしい。
仮に、他のプレイヤーがこの狩場を見つけても、隙間から敵を狙える範囲が限定的なため活用される事もなく、誰も狩場だと疑いもしない。そこを"ゴースト"によるウェポンのすり抜けで使ってた、という訳だ。
全く、誰が思い付くんだ、こんなの。
映像を進めていくと、多少のノイズ(逆位相プログラムによるものと思われる)はあるが、隙間の中で蠢く人影が一発ロケランをステージの奥にいる俺らがいた方へ発射したのがばっちり映っており、本当に壁抜けして弾丸が飛んでいた。一呼吸置いたスナイパー役は、今の軌道から自分の居場所を教えていた事に気付き、真下で待ち構えたレンダに見つかって……沈黙。数秒後にチェンソーの餌食となった。
【キル数】9がカウントされ、俺と小回り役の激戦(鬼ごっこ)に参戦したレンダが結局キルして規定数達成。見事死なずにシアイから退出できた訳である。
「ふん、てめぇそこのガキにおんぶに抱っこじゃねぇか。なっさけねーなァ、"リーダー"」
「餅は餅屋だろ、"社長"」
「……あぁん? てめぇ何が言いてぇんだ」
俺の立ってる場所まで胸倉を掴みに来て目を迸らせる若葉。身長が足らないせいか、背伸び気味なのが怖さ半減……昔から、この女は人に対して威圧的で、挑発的で、そして短気だ。だから周囲から避けられるし、孤立して社会とも馴染めなくなる。この世界でもそう。変わらずその性分でよく生きていけてる。
タバコの匂いにそろそろ首回りが痛くなって来たので、俺は背伸びしてこいつの手を払った。
「チッ」
馬鹿にされていると踏んで舌打ちをしあっさり手を引かれる。とりあえずこれで"ゴースト"のエビデンスは取れただろう。若葉やアリスの協力で前みたいにプレイヤーが直接写真を撮らないといけない現状もなんとかなりそうだ。まあ、報酬が出なくなって一部の"ゴースト狩り"には反感を買うが。
俺は情報を一式纏め、若葉から借りたパソコンで内容を確認する。今回の"ゴースト"のプレイヤーネーム、所属、今までの戦績……などなど、若葉から貰ったデータと照らし合わせて、そいつが何者なのかを見ていく。
結果は、やはり。
「……間違いない。当該プレイヤーは、ツキコ――"葉鳴砂月"だ」
正直言って、俺はこの事実を信じたくなかったため、こいつが、自分の知っている相手である事をずっと周囲には黙っていた。
葉鳴砂月。そう字面を見ただけでも全身が拒否反応を示すほどに、俺には嫌な名前なのだ。
それは若葉も同じ。
「えーと、セッケー? そのサツキさん? って人はどういう関係なの? あのナイフ女とも何かあって……」
レンダの質問に、俺は若葉に目線で助けを求めてみる。が、タバコを蒸して首を横に振るだけ。このタイミングで全て話して良いものか、俺とあいつとの、"生前"の話を……。
「いーんじゃねーの、無理に話さなくて」
沈黙の中、俺の代わりに口を開いたのは、簡易ベッドで療養していたパンクスだった。
「デフラグ……昔の記憶が消される前の事なんだろ、それ。なら、オレらに説明したところでメリットなんぞクソほどもねー。ここにいるメンツの中で、お前とそこのチビにしか昔の記憶は無いんだ。そしたら、おめーらで解決したらいい。オレらはその手伝い。それでいーだろ」
あっけらかんとした口調で、そのまま黙ってしまうパンクス。眠ったフリしてるつもりなのか知らんが、他のやつらもその言葉に顔を見合わせながら頷いていた。仲間だから全部話せとか、仲間だから協力させろとか、正直そんな熱苦しい関係じゃない。そうだ。必要になったら聞いて貰えばいい。そうやってこれまでも生きてきた。
「分かった。その時が来たら、な……いいかレンダ」
「……セッケーがそうしたいなら、そうしよっか」
いつもの笑顔に戻り、それを機に静かな空気が徐々に消えていく。
なんだかんだ、何年か付き合ってきた面々だ。ビジネスライクなところもあるし、側から見たら変な組み合わせだろうけど、この街に居る時点で、俺らはとっくにおかしいし、それを自覚してる。だからこのまま、巻き込んで巻き込まれて行ってみようと思う。例えその行先が、個人的な"最悪"だったとしても。
俺らはもう、死んでいるんだから、