スィユート対策室の女
「ゔ、ゔぅぅ……ずびばぜん……あなだのお陰で……だずがりましだ……ぅぅっ」
声が聞こえる。
「さあ、そろそろ行きましょう……
後のことは我々がやりますから……」
「ゔ、ゔぅぅぁぁっ……僕だげがっ、だずげられで……」
「半田さん、これからは貴方が助ける番です……大丈夫、この方もきっと貴方の活躍を見守って下さるはずです……」
「ばぃ……ばぃぃ……」
泣きじゃくる声とそれを慰める声。
どうやら手を握られているようだと月守は、どうにか感覚を引っ張り出す。
泣いている男のものだろう涙が、握られた手に沁みてくる。
まるで死んだような扱いだな……と月守は思った。
目を開ける。
白い世界。いや、それは白い布だ。
完全に死んだ扱いをされていると分かって、月守はなんとか声を出そうとする。
口は乾いていて、しかも砂か何かが入っているのか、じゃりじゃりだ。
「あ゛……」
「へっ?」
「なんです……うっ……に、肉が……半田さん、下がって!」
「う、うわぁっ!」
「げほっ……げほっ……み、水……」
「まさか、こいつもシユート?」
「そんな……ただの人にしか……」
「ただの人がちぎれた胴体を触手で繋ぐ訳がないでしょう!」
パンッ、パンッ、と乾いた銃声が二発。
それは月守の腹の辺りに当たる。
「ゔ……が……がはっ!」
胃の辺りから逆流した血が、月守の口から吐き出される。
その勢いで、白い布が飛び、月守はようやく周囲の状況が見えるようになった。
身体を横に傾けると、なんとも違和感がある。
月守は自分の腹の辺りで触手が、うじゅる、うじゅる、と動くのを見た。
「うぇ……な、なんだこれ……」
血と共に口中の砂利を吐き出して、ようやく喋れるようになったが、触手の気味の悪さに、口から出たのは驚きの声だった。
それは月守の上半身と下半身を繋ごうと、モゾモゾしていた。
月守はベッドではなく、机のような固い場所に寝かされていて、そのすぐ横にはパンツスーツ姿で拳銃を構える女性と、涙で顔を濡らした跡が残る怯えた青年がいる。
そして、ここは簡易テントの中だった。
「と、止まりなさい!」
パンツスーツの女性が銃口を月守に向ける。
月守の上半身と下半身がちょうど繋がったところで、月守は肘を支えに上体を起こしていた。
月守は肘から先を申し訳程度に上げて、動きを止める。
「ま、待って……いてて……」
月守の脇腹辺りに空いた、二発の銃弾跡から、二発の銃弾がポロポロと零れ、その穴が塞がっていく。
「くっ……やっぱり効かないの……」
それでもと、更に銃撃を加えようとする女性に青年が追い縋る。
「ま、待って下さい!
命の恩人なんです!」
「銃弾が効かないんですよ、シユートの可能性が……」
「や、やめろ……人間だ!
俺は人間……」
月守がこれ以上、撃たれてはたまらないと、机から転げるように落ちた。
すでに肉体は自由に動かせるほどに回復していた。
「だって、さっきまで死んでいたはずなのに、あんな気持ち悪い触手が人間にあるはずないじゃないですか!」
「もしかして、あの人も覚醒者かもしれないじゃないですか!」
「そんな、ホイホイ覚醒者が居て……覚醒者……」
「そうですよ、きっとあの人も覚醒者なのかもしれないじゃないですか!」
ぴたり、パンツスーツの女性が止まる。
青年が口走った『覚醒者』がなんなのか、月守に思い当たるのは、ひとつしかなかった。
「さ、囁き病か!」
「もしかして、聞こえてるんですか?」
「あ、ああ、聞こえる!
聞こえるから、撃たないでくれ!」
「どれくらい?」
「ど、どれくらい?
『貴方は魔王に選ばれました』以外にも何かあったのか?」
月守は必死に考える。
ここで正しく答えを導かないと、また撃たれると思ったからだ。
「魔王……本当に、魔王と?」
パンツスーツの女性は驚いたように月守を見つめる。
「ああ、何かマズかったか……?」
月守はドキドキしながら、いざとなったら、どう逃げようかと、周囲に視線を泳がせる。
「いいえ、もしそれが本当なら、重要な手掛かりになります。
あ、申し遅れました。
私はス、シユート対策室の南海です。
少しお話を聞かせてください……」
場所を変えて、そこは警察署内の小さな会議室のような所だ。
月守の服は胴体からちぎれたせいで、上も下もひどくボロボロだったが、南海が用意した少しダボダボなTシャツとジーンズで、どうにか体裁を保っている。
南海の話によれば、『スィユート対策室』は新設された政府直属の機関で、あちこちに顔が効くとのことだった。
一年ほど前から現れた『スィユート』、南海は言いづらいのか『シユート』と発音していたが、ソレへの対策を考えるのが仕事ということらしい。
ソレに関連して、対策室では『囁き病』に何かあると見て、調査したところ、『囁き病』には段階があるらしく、ある一定以上の囁きを聞き取れる人間は、肉体的な変異が進み、それは『シユート』への対抗策になりうるという見解を示しているそうだ。
「簡単に言えば、ミュータントですね。
異星人なのか地底人なのかは分かりませんが、『シユート』は相容れない敵と見るしかありません。
そして、時を同じくして人間に現れ始めたミュータント、これを我々は『覚醒者』と呼んでいる訳です。
これだって、地球の意志が……だとか、神が遣わしただとか、色々言う人がいるんですけど、その根底にあるのがなんなのかは一切、不明でして……ただ半田さん……先ほどテントで会った彼です。
彼のように、シユートを倒せる力を持っている人類というのは貴重な戦力として、協力をお願いするしかないんですよ……」
「はぁ……」
政府がまるで分かっていないと知り、月守は小さく嘆息する。
もっとも、月守は白龍怪人と対話、アレは一方的な情報提供な気もするが、その対話があるからこそ知っていることであり、お偉い学者さんなどが調べたところで、この荒唐無稽な漫画やアニメのような状況に辿り着けるとは到底、思えない。
しかし、自身の若返りのことや、ギミックボスとして【死なずの身体】を持つに至った以上、月守としては他人事だと片付ける訳には行かなかった。
いや、それ以上に、これでようやく仇討ちができるかもと次第に興奮が増してくるほどだった。
政府が『死遊人』を倒そうと考えていることは朗報だった。
しかし、白龍怪人に会ったことや、月守の【百科事典】で得た情報を話したところで、どこまで信じてもらえるだろうか。
南海の言葉からは、地球の意志説や神の使者説が出たが、それらはまるで相手にしていないような言い方だった。
どちらかと言えば、利用できるから利用するといった感覚を強く受ける。
どうしたものかと月守は考える。
ちょうどその時、部屋がノックされ、警察官がダンボールをひとつ持って来た。
南海はそれに軽く礼を言って、鷹揚に中身を改めはじめる。
中から、月守の携帯と免許証が出て来た。
南海が、しきりに月守とその証拠品を見比べる。
「……ええと、まだお名前を聞いてませんでしたね」
「月守です。月守頼人と言います」
「それにしては、随分とお若いような?」
「はい、変異があったのだと思います」
「なるほど……若返られた、と……」
では、こちらの携帯に掛かったロックを解除してみて下さい、と南海は言った。
どうやら、あまり信用されていないようだと、月守は肩をすくめるのだった。