第2話
「ここは、どこですか!! レイン殿下!!」
「さあ、僕にも分からないよ。ロゼの痕跡から辿っただけだし」
レインに長年仕えてきたニールも流石に空いた口が塞がらなくなっていた。やたらと高い建物が立ち並び、服装も顔立ちも異なる様子が前後左右から読み取れる。外出先がまさか異世界になるとは、2人とも考えてはいなかった。
「ど、どうするおつもりですか?」
「当然、ロゼを探すよ」
「帰り方はお分かりですか?」
「あ、ごめん、それは考えてなかった」
まさかの返答をレインが炸裂させ、ニールはもはや卒倒しそうになっていた。かなりの大声で話していた二人にいつのまにか訝しげな視線が送られる。服装もかなり違い、容姿もかなり目立つため、不審者に対する視線が送られるのは仕方のないことだった。
「と、とりあえず認識阻害の魔法をかけておくよ。それから、言語の魔法も。だから、落ち着いてよニール」
「これが、落ち着いていられますか!!レイン殿下にお仕えしてきた十数年、これほどまでに驚いたことはありません!!」
ニールは過去にどれだけ無茶振りをされようとも応えてきたが、さすがに今回ばかりは説明をもう少しするべきであった。
「まあまあ、私はロゼを探すから、服とかこの世界の情報とかお金とかその他諸々よろしくね」
ポンっと肩を叩いたとほぼ同時に転移の魔法を発動させ、レインは消えてしまう。
「待ってください殿下!!勝手に消えないでください!!殿下ぁあああ!!」
叫ぶ従者は放っておいて、レインは早速ロゼの捜索に取り掛かる。この世界にも人間は多く存在していることを考えれば、捜索は難航するかと思われたが、幸いにもほぼ一瞬で肩がついた。
なぜなら、この世界には魔法が、魔力が存在しなかったからだ。自国のラインハルトでは一人一人に魔力が宿っており、それが普通であった。それがないとなれば、肉体に魔力を宿した者がロゼッタであることはほぼ間違いない。
そして、魔力を感知した場所へと再度転移し、その存在へと手を伸ばし、腕を掴んだ。
「私から逃げられると思ったの? ロゼ」
楽しくなり過ぎていたからこそレインは気づいていなかった。腕を掴んだ相手が自身の知るロゼッタよりも一回りも二回りも小さかったことに。
掴んだ相手はロゼッタに良く似た少女で同じスカイブルーの瞳を持ってはいるが、頭髪は真っ黒だった。その少女はレインに対して不審な目を向けたのは一瞬ですぐ泣き出しそうになり、こう叫んだ。
「お父さん!! お母さん!!」
叫び泣く少女を庇いにきたのは、レインのよく知る記憶通りの婚約者よりも少々歳を経ていた。すぐ側には見覚えのない男性もおり、警戒した目線をレインへと向けている。警戒が驚愕へと変化したのは、ロゼッタと思しき人物がこう呟いたからだ。
「どうして殿下が……ここに」
殿下という言葉で、少女を抱きしめている人物が婚約者であるロゼッタであることは確定した。それよりもこの世界の服装に馴染んだ様子やその隣に寄り添うようにして、睨んでくる人物の存在でレインは感づいた。
「失礼だとは思うのだけど、ロゼの年齢を教えてもらえる?」
「32歳です、殿下」
「そう」
元々のレインとロゼッタの年の差は4歳。レインの方が年上だった。だが、目の前のロゼッタは20歳であるレインよりも12歳年上というのが現実であり、事実である。
つまり、無理矢理魔力を辿って追いかけてきたため、時間軸がずれ、本来来るべきだった時から16年後へとやってきてしまったのだ。
「ロゼが抱きしめているのは、君の娘?」
「そうです」
「で、隣の方は?」
「夫ですわ」
予想通りの返答にレインは変な笑いと共に、急速に異常なまでの執着心が薄れていくのを感じた。これはもう、迂闊に手を出して良い領域ではないと認識した結果だった。
重苦しい微妙な空気がお互いの間に流れていく。この状態を壊したのは優秀な従者であるニールだった。
「やっと見つけましたよ、殿下!!」
「遅かったね、ニール」
「そちらの方々は、、ってロゼッタ様っ!!」
どういう状況なのか分からないニールは泣いている少女と、抱きしめているロゼッタ、こちらを睨む男性を見て謝罪をし始める。己の主人が何かやらかしたに違いない、そう思っての判断だった。
「なぜ私が何かした前提なのかな、ニール」
「え、違うのですか」
「いや、今回は違わない」
「では、やはり謝罪すべきじゃないですか!!」
とりあえず何か悪いことをしたに違いない、と判断されても仕方ないくらいにはレインは過去の行いがよろしくない。何かあるそのたびに頭を下げるのは、ニールにとって常となっていた。ロゼッタが婚約者でいた数年間、サポートをしてきたのもこの優秀で苦労性の従者に他ならない。
張り詰めた空気は霧散し、ニールへの同情的な目線へと変化していく。残ったのは震えながらロゼッタにしがみついている少女だけだった。怯えさせるつもりはなかったとしても、いきなり知らない何者かに腕を捕まれれば、恐れられてしまうのは仕方ない。そもそもレインが悪いのだから。
「いつも謝罪するのはニールでしたわね、殿下」
そう言われ、また鋭い視線を受けたレインはようやく姿勢を正し頭を下げた。
「言いたいことは山のようにありますが、とりあえず付いてきてください」
言われるがまま付いていき、レインとニールはマンションの一室へと案内された。部屋は円卓と、椅子のみが配置されているシンプルなものだった。椅子に座るよう促し、腰をお互いに下ろしたタイミングで睨むような視線をレインは向けられる。
「防音の魔法を今までよりも厳重にかけてもらえますか」
魔力が少ないことを知っているニールは戸惑うこともなく一室を防音の結界で包み込んだ。妙に慣れているのは、ロゼッタが婚約者であった頃からよく行われていたことだったからだ。
ロゼッタは婚約者になったばかりの頃、良い関係を築いていければ良いと期待していた。同じような条件の令嬢の中から選ばれ、憧れと呼ばれる人物に求められたとあれば当たり前と言えば当たり前の反応だが、そう簡単な話ではなかった。良かったのは外面のみで、その本性はロゼッタを呆れかえさせるのに十分すぎるほど酷かったのだ。せめてそこにほんの僅かな好意があれば良かったが、勘違いができるほどロゼッタは楽観的ではなかった。
正式に婚約者となってからのレインはロゼッタを構いに構い、構い倒した。会う約束は毎回のように、それ以外にも偶然と装ったものが何回も。送られるプレゼントも酷く、ロゼッタが、
「一度だけ見た青い薔薇がとても綺麗でしたわ」
と言えば、国内外問わずかき集め、部屋中に敷き詰めた。青薔薇は加工がとても難しく、ラインハルトの国内でも一部地域の特産品で、買い集めることによる支障は大きい。
魔力量の少なさを気にしていると分かれば、それを補助するための高価な魔石を城が建つほどの量を用意した。ただの伯爵令嬢にとっては過ぎたものだった。それによる社交界での噂も第三王子の溺愛している婚約者という評価では済まされなかった。レインは外面だけは良い。だからこそ、ロゼッタには誑かした悪女だの、王子を利用して贅沢三昧等散々な言われようだった。
最初の頃こそ、規模の大きさから言えば小さいものも多かったため、表情にも出すことなく応対していたロゼッタだったが、だんだんとそうもいかなくなった。彼女の話す言葉一つ、一つ、行動の一挙手一投足がどのようなとんでもない結果を招くのか、想像がつかなかった。
笑顔がだんだんと保てなくなり、疑うような、引いたような目線をレインに送ることが多くなった。にもかかわらず、嬉しそうな表情を浮かべるレインに、もはやどうすれば良いのか分からなくなっていた。
そして、気づいてしまったのだ。ロゼッタ自身にほんの少しでも好意を持たれたから婚約者になれたわけではないということに。
レインの従者であるニールをはじめ、周りの人間から憐れみのような、気遣うような態度が非常に多かったのは、彼女が苦労することが分かっていたからだと。婚約者に選ばれてからの正式な顔合わせで、「君に恋をしたと思う」と言われたのは、全くの勘違いだったのだ。
ロゼッタが逃げたのは、レインの性格が原因であり、このままでは何をしでかされるか分からないからこそ、行われたものだった。ロゼッタが他の令嬢から酷い態度を取られていることをひた隠しにせず、知られてしまうようなことがあればその報復をレインは罪をでっち上げてでも行うかもしれない。それが恐ろしくて、仕方なかったのだ。
幾度となく、ロゼッタはレインと話し合いの場を設けた。第三王子の醜態が公にならぬよう、ニールに防音の結界を張ってもらう配慮をした上で、何度も何度も行いを改めるように頼み込んだ。それが本気で嫌がっているようにレインに見えていなかったのが問題だった。レインは頭は良いが残念な性格の阿呆である。マンションの一室で円卓の先にいる元婚約者が今回のことだけでなく過去の行い全てに本気で怒っていたということに、今更ながら気づいた。
今までは、ロゼッタがレインに頼み込むという形だったが、今は完全に説教を受ける子供の状態だ。静かに怒っている元婚約者と、目を反らし若干小さくなっているレイン。かつての上下関係は、ロゼッタの娘を泣かせたという事実で完全に入れ替わっていた。
「私は怒っているのですよ、殿下」
「それは、そうだろうね」
「今更、何の用ですか」
レインにとってはすぐ追いかけたつもりでも、ロゼッタにはこの世界で過ごした16
年があることを思えば、当然の質問だ。加えて、不幸に暮らしていたわけでもない。夫がおり、娘もいる。言ってしまえば一番の不幸はレインがやってきてしまったことであろう。
「君をすぐに追いかけてきたつもりだったけど、もう簡単に壊して良い領域ではないのは分かっているつもりだよ」
「私に、悪いという気持ちがほんの少しでもございますか」
「それは、」
「あると言われたところで、許すつもりはございませんので、答えはいいです」
ロゼッタにとってレインは害悪でしかない、それがよく分かるほどの冷たい態度である。今まで築き上げて持っていたものを捨てる選択をさせたのがレインであるのは間違いない。何も言うことができない、それがある意味では正しい選択だ。
「私は怒っています。ですから、謝罪の気持ちがあるのならお頼みしたいことがあります」
厳しい表情から一気に切り替え、おもむろに話し始めた内容はロゼッタが厳重に防音の結界を張って欲しいと頼んだ理由そのものだった。