籠井花の日常 〜テーマパークキャストはクレーム対応も仕事ですので〜
こちらゲスコン!の番外編。
本編ネタバレなしです。
かつ、本編読んでなくても全然大丈夫です。
あ。捕まってる。
休憩から戻ってきてオンステに出て、あたしはすぐにその状況に気がついた。
本日はキャプテンのはずの同期、平澤ありすはどっかのゲストと向き合っていた。
ありゃクレームだな。
クレーム、というか、ゲストコンプレイン、というのが正しいんだけど、まぁクレームだ。ショー会場の前で、ヒラは背の高い男性ゲストを前にじっとその顔を見上げている。真剣な顔で。
「なした、あれ」
傍にいた後輩キャストに小声で聞いてみる。後輩ーー瀬野は、あたしが休憩に行っている間もオンステにいたはずだし、状況も分かるかもしれない。
瀬野はもとから若干タレ気味のまゆをさらに困ったように下げながら、小声で答えてくれた。
「クレームです」
「見りゃ分かる。内容は?」
「あの人が先にひとりで並んでたんですけど、奥さんとお子さんが合流しようとして」
「あー。止めたん誰?」
「わたしです」
「ふむ。あの人のときの最後尾は誰?」
「ダテくんです。わたしが止めてクレーム受けて、平さんが」
「うぃうぃ。だいたい分かった、ありがと」
瀬野に軽くうなずいてあたしは話を切り上げた。
うん。超典型的なクレームだわ。
本来、このショーステージは「ご覧いただくお客様全員でそろってお待ちください」だ。ところが、まぁそれを守らないゲストも残念ながら多々いる。分かんだけどね。お父さん先に並んでて、奥さんと子供であとから来るって合理的だし。ただまぁそれやられると、会場収容人数を調整しているこっちも困るし、金で「待ち屋」雇って遊びまくる人も出てくるだろうし(いるんだこれが)。なにより不公平だしね。結局ルールとして、全員そろって待ってください。トイレとか行くときは声かけてください、になっている。
で、そうは言ってもまぁ「知らねぇよ」なので、最後尾ーー列に並ぶときにいるキャストが、カウンタ片手にカチカチ人数数えながら、その辺のルールを説明する。で、ご理解いただいて初めて並んでもらうわけだけれど。
ま、守らねぇやつは守らねぇんだわ。一人二人増えても大丈夫だろ、ってね。
わたしがさっき瀬野に最後尾キャストを聞いたのは、こっちに落ち度があるかどうかの確認だ。本来あってはいけないことだけれど、まぁ、キャストにも質の違いがありはするので、どうにも最後尾の職責を果たせないーー端的に言えばルールを説明し損ないがちなキャストもいる。
ところが今回はダテくんだ。
ダテくんはあたしやヒラのひとつ後輩で、それなりにキャストとしての年数も経っているベテラン勢。
本名は汐見悠。伊達くんではない。ただの「伊達メガネのダテくん」だ。
生真面目で、丁寧。見た目はややひょろっとしてて、キャストとしてどうかとは思うが笑顔はどっちかというと下手くそだ。ただ、なぜかJKゲストとかには気に入られがち。
ま、そんなダテくんなので、最後尾時にルールを説明しそこねたということはないだろう。
ところが、だ。
かのゲストが、おそらくキャストの目を盗んで合流しようとしたところを、止めたのが瀬野だ。
瀬野がなぁ……。
ちらり、と瀬野に視線を落としてみる。
ちっちゃい。肩口でふたつに結った黒髪。化粧っ気もないし、垂れ気味の眉のせいで頼りなさげに見える。なにより童顔で、一度ゲストに「うわびっくりした! 中学生が働いてるのかと思った!」と叫ばれているのを聞いたことがある。
こんな見た目だけどそれなりに仕事は出来る。が、こんな見た目、なのだ。
あの手の輩は、だいたい人をみてる。みてる、というか、選ぶ。
瀬野なら行ける、と思ったんだろうね。文句言えば、ゴネれば、なんとかなるって。
ところが瀬野もけっこう頑固だし、まぁ頑固でなくてもキャストとしての役目なので不正を見つけた場合対処しないわけにはいかない。
で、止めに入って。クレームになって。恐らく上の人間を出せとかになって。
で、出てきたのがヒラ。と。
同期の平澤ありすは、真面目で仕事も出来るし、わりと顔怖いし、まぁそこはいいんだけど、それでも見た目はまだまだ小娘だ。
あの手のクレーマーは、上のもの、であたしら女子が出てくるのを極端に嫌う。その日の現場責任者は実際あたしらなんだけれど、お前らじゃ話にならんとか言い出す。違うんだよ。「引かない女子供に言い負かされる自分が惨めになる」から、男やそれなりの年のひとと話したいだけ。あたしらみたいな女子供が「現場責任者」であることが、クソみたいなプライドを勝手に傷つけられたと思うだけ。
知ったこっちゃねぇや。
そんなわけで。ヒラ、がんばれー。
無責任に心の中でエールを送っておく。ま、ヒラ、ああいう輩のクレーム受け流さずに真正面から切り捨てるの得意だから大丈夫でしょ。
で、そこは大丈夫なんだけど。
「どうします」
いつの間にか近くに来ていたダテくんが、腕時計に目を落としながら呟いた。
現在、15:40。
開場は15:50。ショー開始は16:20。
現在ヒラたちがいるところは、開場したときに入り口となってゲストが入っていく場所の真ん前だ。ぶっちゃけものすごい邪魔です。ヒラもたぶん時間を気にしているのだろう、ジーリジリ動いて入り口から離れようとしてはいるけど、カタツムリのほうがまだ動くの早そうだ。
クレームって場所移動して話したほうが相手も落ち着くんだけど、それをヒラが先にゲストに言ってないわけもないので、多分拒否られたんだろうなぁ。そうすると動くのはあんな涙ぐましい行動するしかない。
そしてさらに問題は。
「もうすぐパレード城前通過します」
「だよねぇ」
パレード通過後、一気に人の波が動く。そのうちの何割かはこの会場めがけて走ってくる。
本来はそれを見越して、列ーーキューラインのロープを伸ばしておきたいところなんだけれども。
「ヒラ、大概邪魔だわ」
思わず呻く。
なんでよりにもよってそこでクレーム受けたんかお前は。
会場入り口前は、入り口である以外に列が伸びる先でもあったりするんだな、これが。
そこにいるんだからまぁ邪魔だわ。
キューに人を引き込めないと、それこそ割り込みやらなんやら発生しまくりになるし、どこに並べばいいのかゲストも迷う。キャストはそれに捕まってなおさら列が手薄になって……の悪循環を生む。ので、キュー内に人は引き込みたいんだけども。
あたし今日キャプじゃないし、無線持ってないんだけど。指示も出せないんっすけど。
とはいえそうも言ってらんない。
現場に待ったはきかないのだ。
件のクレーマーさんが、ちらりとこちらをみた。そこで気がつく。
「瀬野、いま中の一番通路って誰がいる?」
会場の一番端の通路だ。
「えっと、剛くんかな」
「おっけ、変わってきて」
「え?」
「変に刺激しないように、中からそっとね」
あたしの言葉に意図を察したのか、瀬野がこくんとうなずいて四番通路のチェーンを開けて会場内へ入っていく。
あのゲスト、ちらちらこちらを見ていたのはあたしを見ていたわけじゃない。瀬野だ。大方、あいつが見つけなければ、とでも思ってるんだろう。
「逃したんですね」
「瀬野も怖いだろうしね」
「やさしいですね、カゴさん」
「だしょ。もっと言って」
すぐに、瀬野と交代した剛くんがやってきた。
入り口付近のヒラに目を留め、時計を見た。
「ヤバくないっすか」
「ヤバいんだなー。んなもんで、手伝ってね。あたしヒラに無線もらってくるわ」
剛くんとダテくんが、そろって「は?」と声を上げた。
「話しかけるんっすか。勇気ありますね」
「んなわけないでしょうが」
あの状態で「ちょっと無線もらいまーす」なんて入っていった日にはあたしも蜂の巣だわ。
「んじゃ、どうやって?」
ダテくんの声に、あたしはウィンクをひとつとばした。
「ま、見てなって」
◇
「こちらの会場では、このあと16:20から、華やかなキャラクターショーがはじまりまーす!」
お決まりのスピールを言いながら、あたしは会場の正面ーーつまりヒラの近く、あの子の視界に入る位置に移動する。
すぐにヒラは気がついた。目が一瞬合う。
ゲストに気づかれないように、視線は固定したままだ。おけおけ。見えてるなら通じるっしょ。
あたしはちょいちょい、と自分の耳を指で触ってみせる。
目配せ。おっけ、通じたぽい。
ヒラはゲストと話しながら、髪を耳にかきあげるーーふりをした。そのまま、左耳につけていた無線のイヤホンを外す。
ゲストは気がついていない。
ヒラはゲストの話を相槌をうちながら聞いている。目線をゲストから離さないまま、外したイヤホンを後ろ手に隠すように持つ。
あたしはヒラの視界を外れて、走ってくるゲストに「まだ間に合いますので、どうぞゆっくり歩いてお進みください」と声をかける。ゆっくり歩きながらヒラの背後に近づいてく。
ヒラはそうっとした動きで、今度は右手を後ろに回した。
腰につけてある無線機をはずす。
左手に持っていたイヤホンを右手にまとめて持ち変えた。
あたしはヒラの後ろを横切りーーそのタイミングで、手元を見ないまま無言で無線を受け取った。
オッケー。無線機を手に入れた。じゃじゃーん。
ゲストから見えない場所に即座に移動して、無線機をつける。
「各位、籠井です。平澤がGC対応中のため、あと引き継ぎます。以上」
無線をつけてもとの場所に戻ると、ダテくんが無表情のまま拍手していた。
「さーすがー」
棒読みなの微妙に腹立つな。いつものことだけど。
さて。時間はないぞっと。
「剛くん、A〜Gロープ張るよ、裏から機材持ってきて」
「え。AGっすか?」
剛くんがきょとんとする。まぁ無理もない。AGは表から見づらい位置に張るロープで、通常の1からの数字ロープを全部張ってもなおゲストを引き込めないときに張る、いわば緊急用だ。会場のほぼ裏に張ることになるので、ゲストから見づらいので、普段は張りたくない。
「数字ロープ、ヒラの先張れないからね、AGにひきこんじゃって対処するよ」
イレギュラーだ。通常のルールでは、数字を張ってなおだめなときのAGロープ。とはいえルールなんてーのは、こういうときに崩すためのもんだ。
そーれからっと。
ざっと今日のメンツを確認する。
最後尾ーー人数を数えるキャストは経験豊富な子だからこのままでおっけ。最後尾補助はちっと頼りなかったので、別の出来る子と交代させる。中メンはまぁこのままでいけるでしょ。会場内への引き込みは早いほうがいいけど、あの子なら大丈夫。
最後尾補助を外れた新人よりの子と、もうひとり近くにいた経験浅の子を捕まえる。
「君ら、AG張ったことないよね、剛くんと一緒に張ってきて。教えてくれっから」
「はい」
「ちょ、待って待ってカゴさん。俺もAG、何回かしか張ったことないんっすけど」
「何回かあるならいけるいける。ほらほら、ゲスト流れてくるよ、はい行ったー」
剛くんがマジかーと言いながら後輩を引き連れていく。AG張れる機会なんてそうないんだから、やっとけやっとけ。ついでに後輩指導も学んどけ。そろそろそれが出来ていい頃だ。
「カゴさん、俺中捌き入りましょっか。一切止めずにゲスト中入れますよ」
ダテくんがしれっと言ってくる。中捌きーー会場の中でのゲスト案内のまとめ役だ。そこが強いと、会場内へのゲスト案内が早く済むから、外の列がそれほど伸びなくて済む。
「あんたのその自信も技術もサイコーだけど、いらねーかなー」
「がーん」
「棒読み。あんた表で手あけといて。ヒラから目、離さないで。さっき傍で聞いたけど、相当熱くなってるから、あのゲスト。万が一手出しそうになったら頑張って止めて。セキュリティ呼んでる間」
ダテくんが、伊達メガネの奥の目を細くする。
「それ、俺じゃなくて剛のが良くない……?」
「力はね。剛くんじゃだめだわ、見た目ガキンチョだし、無意識に火に油がぽんがぽん注ぎかねないから。ダテくん見た目老けてっから、ヒラのさらに上ですーってふりして出てって」
「えー。……マキさーん……」
「いない人物頼らない。はいっ、流れ来たよ、よーろしく!」
ぱしんっ、と背中をたたいて動かした。
パレードが城前を通過して、ゲストがどっと走ってくる。一気に伸びかけたゲストの列を、ギリギリで剛くんたちが張り終えたAGロープで吸収する。
中キャストも頑張ってる。どんどんゲストを会場内へ案内している。とはいえ。
「入り口いったん止められる?」
「了解です」
なぜ、とは訊かず、入り口担当キャストはゲストの流れを一旦止めてくれた。その様子をみたヒラが、ほっと小さく息を吐く。ゲストとなにやら短く言葉を交わし、ぺこっと頭を下げた。それから、こちらに指を三本、立ててくる。
「籠井さん、三名様です」
「分かりました」
うなずいて、あたしは早足で四番通路まで。
「瀬野、あんた声かけたときの前後のゲスト覚えてる?」
「あっ、分かります! 平さん、覚えとけって言ってたから」
うん、そーいうのちゃんと引き継ぎしよーな。
「おっけ教えて」
小言は後回し。外のキャストと瀬野を一旦交代させて、瀬野を連れて入り口へ向かう。
ヒラが入り口にいた。例のクレームゲストとその家族と一緒だ。
一瞬びくつく瀬野の背をかるく叩く。瀬野が、家族が合流しようとしたときに最後尾に並んでいたゲストと、そのあときたゲストを教えてくれた。幸い、まだ会場内には入っていなかった。
ヒラがゲストと二三言交わし、当時最後尾だったゲストが入り口に来たところで、入り口キャストが再度人の流れを止め、説明する。
そして、例のクレーマー家族は「家族三人そろったタイミング」で「並んだ」と仮定され(ま、実際延々ヒラにクレームつけてる間、家族も傍にいたので待ってたっちゃ待ってたわけだ)、無事に会場内へ入っていった。
そのままなんとかゲストを捌き、ショー開始前にはすべて問題なく終わることが出来た。
ショー開始の音楽が流れ始めたとき、ヒラがはーっと息を吐いた。
「おっつおつー」
「花ちゃーん、ありがとー。助かったー」
「うぃうぃ。よく納得したね、あのゲスト」
「うん、納得させた」
した、んじゃなくて、させた、なあたりがめっちゃ力技を感じる。ヒラらしいけど。
あたしの返した無線を受け取りながら、ヒラが笑う。
「AG張ったんだ?」
「剛くんに張らせた」
「マジか。あの子あそこ苦手じゃなかったっけ」
「苦手ならなおさらやらせんと覚えんじゃん」
「まぁね」
あたしとヒラの会話に、ダテくんが小さく「スパルタ……」と呟いていたけど、ま、大事大事。
「さて、休憩回すよー。花ちゃん行ってきて」
「あんたは?」
「あとでちゃんと行く」
ふーむ。
嘘だな。
「ダテっち任せていい?」
「あーい」
「え?」
きょとんとするヒラの手を引っ張って、あたしは裏へと歩き出す。
ダテくんが無表情のままひらひらっと手を振っていた。
「……ちぇ」
ヒラが、苦笑する。
「参りました」
ーーでしょ。
あたしはニンマリ笑って、同期の頭を軽く小突いた。
ーーFin.