二章
二章──出撃──
ぼんやりと朝日の光が目に入ってきたのを感じ、目を覚ます。今日はまだノワールは隣で眠っていたが、身体を起こして伸びをするうちに彼も目を覚ました。部屋にやってきたテルに呼ばれ、朝食をとる。
龍の世界の生活様式は、人間のものとそれほど大差はない。当然身体はずっと大きいので、それによる違いはあるものの、予想より遥かに人間的だった。おそらく、龍人の時代の文化が残っているのだろう。
これから戦地に赴くとは思えないほど、何でもないような朝だった。支度をすませ、私を待っていたノワールに声をかける。
「……ねえ、ノワール。これから戦いに出るんだよね?」
「ああ、だが今日は付近の砦を確保するだけだ。幸い守ってる竜はいねえらしいし、大したことねえぜ」
笑ってそう答えるノワールとは裏腹に、他のスタンダール達の表情は暗い。
確かに、付近の砦を自分たちが制圧していないということは、それほどまでにメルヴィルの勢力が本拠地の近くまで迫っているということだ。彼らが陰鬱な気持ちになるのは自然だろう。
そうなると不可解なのはノワールの方だ。彼は追い込まれているはずなのに、驚くほど楽観的だ。そのようなことを考えているうちに、テルがノワールを諫めていた。
「……ノワール様、今回砦が空いているのは非常に幸運なことです。本当に、信じられないほど。ですから、もう簡単に明け渡すことはしないようにしてください。これ以上砦を奪われれば、敗北は必至です」
「……やなこった」
テルの諫言を、ノワールは一蹴した。流石に腹を立てたようで、テルは声を荒らげる。
「いい加減になさってください!あなたは王だ!時には感情に流されず、冷静な選択を行うことが必要だとどうしてわからないのですか!」
「……残された奴の気持ちも考えろ。俺は王になりたくてなったわけじゃねえ。クロガネ……あの馬鹿が無茶した結果だ。俺はそれだけは絶対に断る。……それが、俺が王になったことの意味だと信じてるからな」
数秒間沈黙した後、ノワールは重そうに口を開き、それだけ言い残して城の外に出てしまった。
城内に重い空気が残る。しばらくして、他のスタンダール達が再び動き出しても、テルはその場に立ち尽くしたままだった。
城の外に出ると、まだノワールしかいなかった。少し声をかけづらかったが、私は彼の背に乗らなければならないので、勇気を出して話しかける。
「……その……私はノワールの言うこと、わかるよ」
「……」
「私も、置いていかれた側だから」
「……悪かった。そんなに心配すんな」
「……うん」
ノワールは自分の過去についてあまり語ろうとはしない。昨日も、兄のことを聞いたがほんの少ししか話してくれず、はぐらかされてしまった。
現に今も、彼はどこか遠い目をしている。その目に見えているものは何か、彼が人知れず背負っているものは何なのか、話してはくれないのだ。
他の龍が準備を終えて城の外に出てくると、ノワールは普段の調子に戻った。少なくとも、そのように見えた。
「じゃあ行くぜ、護衛に残る奴は決めておけよ!」
私を背中に乗せてノワールは飛び立ち、軍勢の先導を行う。間もなくして目的の砦に到着し、龍たちは手早く制圧を済ませた。
「本当に一頭も竜がいない……」
「ああ、全く幸運だぜ」
「……」
ノワールのその言葉は、どこか白々しく聞こえた。そういえば、彼が初めからこの砦を守っている竜がいないことを知っているのは不可解だ。そんな大きな矛盾点に、今になって気がついた。
「……ねえ、ノワール」
「何だ?」
「その……どうしてここに竜がいないって初めからわかってたの?」
「……」
ノワールは黙ったまま少し俯いた。何かを隠しているのは明らかだった。
本当は、心当たりがあった。毎晩私が眠りにつく頃、外に大きな翼をはためかせる龍の姿が見えていた。意識がぼんやりとしている中での出来事であるため確信はできないが、それがノワールだとすれば、辻褄が合う。
彼はおそらく敵に明け渡していた砦を、夜な夜な自分だけで奪い返していたのだ。しかし、それもあくまで憶測に過ぎない。
ノワールは数秒ほど私をじっと見て、観念したように口を開いた。
「……本当は見たんだろ。お前がうっすら目を開けてたのが俺には見えたからな」
「……」
「お前の思ってる通りだろうよ。俺は明け渡した城をその日の晩に取り返してたんだ」
「どうして、そんな無茶を……!」
「……!下がれ、いのり!」
ノワールは突然叫んだ。後ろを振り返ると、数頭の白竜がこちらに向かって来ているのがわかった。そのうちの一頭の背中のあたりに何かあるように見えたが、竜が陰になってはっきりとは視認できなかった。
「チッ……!そううまくは行かねえか!」
「ノワール様、指示を!」
一頭の龍が駆けつけ、ノワールに指示を求める。ノワールは声を低め、一言だけ指示を出した。
「……護衛を続けろ」
「!」
ノワールは自分で全く納得がいっていない様子だったが、彼のその言葉を聞いた龍はひどく驚いた様子だった。
「……まことにございますか?」
「あ?文句でもあるのか?」
聞き返した龍をノワールは鋭く睨む。龍はそのあまりの剣幕に怯え、慌てて返事をする。
「め、滅相もございません!」
「だが、もしヴァイスとミカエル、あとは……リアン達が迫って来たらすぐに逃げろ。無茶して死ぬことは許さねえ」
「は、承知いたしました。……全員、護衛の準備!ノワール様のご指示だ!」
仲間たちのもとに戻っていった龍がノワールの指示を伝えると、例外なく、そこにいた全ての龍が驚愕の表情を浮かべていた。
それほどまでに、ノワールが戦闘の準備を命じるのは珍しいことだったのだ。それは、彼は戦場では常に孤独の戦いを続けてきたということを暗に示していた。
「……答えてやる」
「え?」
「俺が独りで戦う理由は……暴君でありたいからだ」
「だから、それがどうして……」
「この話は後だ。奴らが来た」
ノワールの言葉を聞いて空を見上げると、一頭の竜がこちらにかなり近づいていた。先ほど見えた、背中に何かを乗せている竜だった。
竜が地上に降り立ち、砂煙の舞う中で、竜の背中に乗っていたものが降りてきた。人間のような輪郭をしているのが見えたが、はっきりとは見えなかった。
「……!!」
砂煙が消えてその姿が見えた。一目見て、驚きのあまり口を押さえた。もう何年もその姿を見ていなかったが、それでもずっと覚えていた。目の前に現れたのは、紛れもなく、私の姉、野田蔵かなえだった。
「お姉ちゃん……!」
「……久しぶりね、いのり」
「……おい、マジかよ」
ノワールも驚きを隠せない様子だった。しかし、彼の驚きは私のそれとはどこか違っているように感じた。
姉は、私を見ても顔色一つ変えなかった。彼女は、昔からそのような人物だった。見た目や物言いは冷たいが、優しい姉だった。それは数年経った今でも変わっていないように見えた。
「……いのり、気を付けろ」
「……ノワールも、久しいわね。……いえ、あなたとはつい最近会ったばかりかしら?」
姉が微笑みを浮かべる一方で、ノワールの方はひどく苦い顔をしていた。
私はノワールが姉と面識があったことさえ知らなかったが、彼の様子を見ると、とても再会を喜んでいるようには見えなかった。
「それじゃあ、久しぶりで悪いのだけれど────死んで」
「え……」
姉は数歩こちらに近づき、そう言った。直後、腰からナイフを取り出し、私が呆気に取られているうちに駆け出して一気に距離を詰める。
咄嗟に願いをかけると、ナイフが私の姉の手から滑り落ちた。しかし姉はそれに気付かず突進を続け、私に思い切りぶつかった。
やや鈍い痛みが全身を走り抜ける。姉は私を不意打ちで殺せなかったことを悟り、小さく舌打ちして私を一度殴りつけ、引き下がった。
「あ……っは!」
「いのり!」
「……その力!その力のせいで、私は……!」
憎しみ。彼女の言葉一つ一つから、彼女の一挙手一投足から伝わってくるものは憎しみだった。突然襲い掛かられたことよりも、そちらの方が私にはずっと辛かった。
彼女は、大好きだった姉はやはり、私の力を恨んでいるのだ。私のことを恨んでいるのだ。
「お姉ちゃん……」
「私を姉と呼ばないで!」
「……どうして」
「ッ!それは……私は、あなたの姉ではないからよ」
感情を押し殺すように拳を握って、彼女はそう答えた。しかし、私はその意味を掴むことが全くできなかった。
「それ……どういうこと?」
「……あなたは、養子なの。拾われ子。血の繋がりなんてないの」
「────────」
衝撃で、何も言えなかった。その場で倒れてしまいそうだった。しかし全く構わずに、姉……かなえは、話を続けた。
「両親からしたら、僥倖だったでしょうね。拾ってきた子が願いを叶える力を持っているなんて。そんな子がいるなら、自分の子を大成させる必要なんてない」
「……」
「私の才能は、それで枯れてしまった。いいえ、この際そんなことはどうでもいいわ。でも……あなたは私の家族を壊した。血のつながりもない、他所者の癖に!……それだけは、許せない」
「……」
何も言葉を返すことができない。彼女の語ったことは全て事実なのだ。私には、ただ俯くことしかできなかった。
「……本当は分かっているわ。こんなこと、あなたに言っても仕方がない。でも、そうしなければ、私はこの気持ちをどうすればいいの……!」
「……おい。色々事情があるみてえだが、とりあえずてめえの計画は失敗だ。それで、どうするんだ?」
「……今回は退く。でも、次に顔を合わせたときには必ず殺すわ。それまでせいぜい、私に捨てられた者同士で仲良くしていることね」
彼女は冷たく、斬るように、そう言い捨てた。そして、じっと彼女を待っていた竜の背に乗り、飛び去って行く。
「待たせて悪かったわね、リアン」
「構いません。私のご挨拶はまた今度、じっくりといたしましょう……」
かなえの姿が見えなくなった後、急に全身から力が抜け、その場にへたり込んでしまった。ノワールはそんな私を見て、慌てて声をかける。
「いのり、大丈夫か!?」
「……お姉ちゃん……」
「……立て続けで悪いが気を付けろ。ヴァイスが、来る」
それだけ私に伝えて、ノワールはじっと空を睨む。やがて、日の照っている方向から白竜の王は姿を現した。天高く飛び、太陽を背にしたその姿には、ある種の神々しささえ感じられた。
彼はノワールの方を向いた直後、その瞬間までの悠々とした振る舞いや、凛とした美しさを全て放り出すように、轟音と突風とを引き連れながら、矢の如き速さで荒々しく接近する。
「ッ!」
「いのり、掴まれ!」
吹き飛ばされそうになったところを、ノワールの身体に掴まって何とか持ちこたえる。
ヴァイスは、何も言わずにその様子を見ていた。弱きものを憐れむ神のように。あるいは、蜘蛛の糸にすがる悪人を天上から見下ろす仏のように。
「やー、完璧だね!決まってるよ、ヴァイス!」
「!?」
その場にいた誰のものでもない声がして、驚いて周りを見渡すと、ヴァイスより一回りほど小さな竜、ミカエルが近くの物陰からひょいと現れた。
おそらく、かなえ達がいた時から彼女はそこにいたのだろう。しかし今この瞬間まで全く気配を感じられなかった。先ほどはいつ襲われてもおかしくなかったということを知り、恐怖で背筋がぞくりとした。
「……本当にいつも一緒だな、てめえら」
「やっぱりそう見えちゃう?えっへへ、ヴァイスといつも一緒なんて羨ましいだろー!」
「それは……何とも言えねえが」
「……ミカエル、すまないが下がっていてくれ」
どういうわけか得意になっているミカエルを、ヴァイスは冷静に制止する。ミカエルは前に森で見た時と同じように、渋々引き下がった。
そして、ヴァイスは私の方を見て言った。
「ノワールの連れている人間……君の名前は?」
「え?……いのり、です」
「イノリ……突然だが、君に聞きたいことがある」
「……はい」
「かつて私に会ったことがあるか?」
「え……?」
突然の問いかけに困惑する。私はノワールに出会うまで、龍なんて見たことさえなかった。
私が答える前に、ノワールが口を開く。
「おい、何だよいきなり。いのりは人間だぜ?龍の世界に人間が来ることはあっても、人間の世界で龍と会うことなんかねえだろ」
「え……」
ノワールのその言葉は、大いに矛盾をはらんでいた。彼は人間の世界から私をここに連れてきたというのに。
それはかなり気になるが、まずは私からヴァイスの問いに答えなければならない。
「あの……多分、会ったことはない……です」
「そうか、急に問いかけてすまなかった。少し……見覚えがあったから」
「別の人間と間違えてるんじゃねえか?人間と龍はお互いに見分けがつきにくいみてえだしな」
「……」
ふとミカエルの方を見ると、彼女は面白くなさそうな顔つきで私の方をじっと見ていた。それに気づかないまま、ヴァイスは一度息をつき、改めてノワールに話しかける。
「……では、ノワール。そろそろ、この戦いを終わらせよう。改めて、一騎討ちを所望する!」
「また急だな……まあ、分かってたことだが。いいぜ、その勝負乗ってやるよ」
「!」
ヴァイスは以前のように逃げられるものだと思っていたのか、意外そうな表情をした。しかしすぐに元の表情に戻り、目を閉じて呼吸を整え、戦いに備える。
「いくぜ……『身体強化』!」
ノワールが叫んで能力を使い、それが戦闘開始の合図となった。彼の身体は漆黒と呼ぶのが相応しい、深い黒に染まる。
ヴァイスが飛翔し、その太陽の光を吸い付くさんばかりの暗黒に急接近する。かなり離れた距離から様子を見ていたが、彼の突進によって起こった風が、私のいる場所にまで伝わってきた。
ノワールはヴァイスの攻撃を一つも見逃さずに回避する。爪、牙、さらには不意打ち気味に振った尻尾さえも。どれも私の目では捉えるのがやっとの攻撃だったが、一度として彼の身体を掠めることはなかった。
黒龍、スタンダールは特殊能力を持ち、白竜メルヴィルは身体能力に長ける。ノワールの能力は、その関係を崩壊させるようなものだった。白竜の王との戦いでも、彼は全く引けを取らない。
しばらく続いた打ち合いが落ち着き、ヴァイスはノワールに向かって叫ぶ。
「なぜ……なぜ、それほどの力を持つのにこれまで戦わなかった!どちらかの王が敗れれば、この争いは終わる。私からは父上を、貴様に至っては両親も兄も奪ったこの争いを、一刻も早く終わらせたくはないのか!」
「……簡単な話だ。俺はまだ死にたくねえ。それだけだ」
「……何だと?王ともあろうものが、そんな勝手な理由で……!」
ノワールの言い放った言葉は、ヴァイスの逆鱗に触れてしまったらしい。彼はノワールに突撃し、再び戦いが始まった。今度は様子が違い、ノワールがやや押されているようだった。
「ノワール……」
「ねえ、やっぱ不安?」
「え?」
戦いが始まる頃にはいつの間にか姿が見えなくなっていたミカエルが、隣に現れた。驚きと恐怖に染まった私の顔を見て、彼女は微笑みを浮かべ、朗らかに声を上げる。
「そんなに怖がらなくたっていいじゃないか!ボクはキミには何もしないよ!」
「……」
「やっぱ怪しい?いやあ、立場とか役割は違うけど、キミもボクと同じ戦場に立つ雌だからね。取って喰ったりはしないさ!」
恐怖が拭えず、うまく声が出せないでいる私を見て、ミカエルははあ、と溜め息をつく。そして、会話を諦めたのか、一方的に話をしてきた。
「ま、別に怖がられてもいいけどさ。一つだけ言っておきたくてね。……ヴァイスはさ、この前城に戻ってきてからどうも変なんだ。キミを前に見た気がするってずーっと考えてて」
「……」
「……私からしたら、気に入らない」
「!」
ミカエルは声の調子を落としてそう言った。これまではどこか少年のような口調だったが、この時だけ一人称も変わって、何だか急に女性らしさのようなものを感じた。しかし、相変わらず私は何も言えなかった。
「もちろん、キミが悪いわけじゃない。だから今ここでは何もしない。でも、これ以上キミからヴァイスに近づいたら……キミのこと、殺しちゃうかも」
ミカエルは今までの明るい声に戻って私に釘を刺した。直後、彼女は満面の笑顔を浮かべてこちらに手を振りながら、ヴァイスとノワールが戦っている方へ飛んでいった。彼ら二頭を軽く凌駕するほどの速さだった。
私がミカエルに気を取られている間に、ノワールはさらに追い詰められていた。これまで何とか捌いていたヴァイスの攻撃がついに命中し、吹っ飛ばされて近くにあった岩に衝突する。
「ぐぁ……!」
「これで……終わりだ!」
ヴァイスは地を蹴ってほとんど一直線に、全く無駄のない形でノワールに接近する。距離が遠く、願いをかけてノワールを助けることもできない。
ヴァイスが最後の一撃を叩き込もうとする寸前のところで、横からミカエルが彼に突っ込み、抱きかかえるようにして攻撃を止めた。
「な……!」
「ハイそこまでー!ヴァイス、随分やるようになったねぇ」
「ミカエル、危ないだろう!どうしてこんなことを……」
ミカエルはヴァイスに攻撃を遮った理由を問われ、やや躊躇いながらも答えた。
「えーっとね、その……そう、ヴァイスは随分やるようになった。でも、甘い。あの時のノワールの目、よーく思い出してごらん。どこを見てたと思う?」
「目……?」
ヴァイスはまだ満足に動けないでいるノワールを尻目に数秒間思考したのち、肩を落としながら答えた。
「……わからない。何としてもとどめを刺さねばと思って、そこまで見ていなかった……」
「そんなことだろうと思ったよ。あのね、アイツが見てたのは……ヴァイス、キミの喉元の逆鱗だ」
「!」
それを聞いてヴァイスは目を見開く。ノワールの方を見ると、彼も驚いたような表情をしており、慌てて口を開いた。
「おい、俺は別に……」
「ノワールは黙ってな。……ヴァイス、知っての通り、竜の逆鱗は生命線だ。竜の力の源なんだ。戦いでキミが逆鱗を失えば、いくら真っ向勝負で勝利したからってキミは王ではいられない」
ミカエルの言葉を否定しようとするノワールを一蹴し、彼女はヴァイスに半ば説教にも見えるような理由の説明を続けた。
「だから、ここは止めたんだ」
「……すまない」
「まあまあ、無事ならいいさ!今日のところは城に戻ろうよ」
「……仕方ない。この勝負は預けておく。次こそ、決着をつけよう」
そう言って、二頭は飛び去っていった。その後ノワールは何とか身体を起こし、私たちも城に戻る。ノワールの背に乗りながら、彼に気になったことを聞いた。
「……ねえ、ノワール」
「何だ?」
「ヴァイスって……何か太陽と関係してたりするの?」
「太陽?何でそう思ったんだ?」
ノワールは少し怪訝そうな顔をした。確かに、急に変なことを聞いてしまった気はしていたが、ヴァイスが太陽を背にした時のあの雰囲気が気になったのだ。
「えっと……前に森にヴァイスが来た時、直前に竜が太陽は昇るって言ってたから……」
「……ああ、あれか……本当、よく覚えてんな」
ノワールはやや感心するそぶりを見せ、問いに答える。
「そんな大したことじゃねえけどな、奴は他のメルヴィルから"太陽の御子"だって持ち上げられてるらしいぜ」
「太陽の、御子……」
「なんでも奴はメルヴィルの夜明け、希望の象徴なんだってよ。はは、笑っちまうよな。メルヴィルの奴らは何かとそういう呼び名を付けたがるんだ。理由はよくわかんねえけどな」
太陽の御子という呼び名は少し大袈裟にも感じられるが、あながち的外れでもないように思えた。太陽と共にある時の神々しさは、そう言い表すにふさわしいものだ。
「へえ……ちなみにノワールは何て呼ばれてるの?」
「……"死神"」
ノワールは静かにそう答え、自嘲するように声を立てて笑った。
「いや全く、上手く名付けたもんだぜ。親父も母さんも死んじまったし兄貴も行方不明だ。おまけにメルヴィル共を散々殺して回ってる。確かにそんな奴には"死神"の名がお似合いだ」
「……」
ノワールの言葉は、どこか苦しそうだった。そんなことを話しているうちに、城が見えてきた。砦の防衛成功の話が早くも伝わったのか、やや賑わっているようだった。
城の入り口に、テルが立っていた。彼はノワールが帰ってきたのを見て、おずおずとこちらに近づいてきた。
「……ノワール様。今朝は出過ぎた真似をいたしました。申し訳ございません」
「あ?……んなことあったか?」
「え?」
ノワールはテルと口論になったことなど全く覚えていないという様子で、テルは困惑していた。そんな彼を見て、ノワールは笑いながら話す。
「俺は三歩も歩いたら大抵のことは忘れちまうんだよ。ったく、世話役とか言ってた癖に、まだそんなことも把握してねえのか」
「……!はい、精進いたします……!」
テルはそう言って、胸のつっかえが取れたというような晴れやかな表情で私たちを迎え入れ、早めに部屋で休むよう勧めた。
それを聞き入れ、城内が勝利の喜びから賑わう中、さっさと支度を済ませて部屋に入る。ノワールに聞きたいことがいくつもあるのだ。
「ノワール、それで……暴君でありたいってどういうこと?」
「それは……やっぱり今は、話せねえ」
「……」
ノワールはそれについて、頑なに詳しく話そうとしなかった。ひとまずそれについて聞くことは諦めて、別の話題に切り替える。
「じゃあ……お姉ちゃんを知っていたのは何で?」
「……もう察しがついてるとは思うが、スタンダールを裏切った人間ってのはあいつのことだ」
「……味方、だったのね」
ノワールは一度深い息をつき、かなえとの過去について語り始めた。
「ああ。通りがかったところで行き倒れてたのを俺が拾ってきたのが始まりだ。何度か戦場に連れてったこともあったが……大した奴だよな」
「うん……お姉ちゃんは、天才だから」
「だろうな。あいつには軍の指揮を任せてた。……だから、おかしいんだ。いくら人間の中で身体能力が優れてたとしても、龍の戦場に戦闘要員として立てるような奴じゃねえ」
ノワールの言うことには確かにうなずける。人と龍の間の身体能力の差はとても大きい。イチカに追われた時に、それは痛感していた。
それならば彼女が前線に来た理由は、連れていた竜、リアンの指揮をとるためと考えるのが妥当だが、あの竜は非常に大人しく、傍で私たちのやりとりを眺めているばかりだった。
確かに変だ。しかし、今はその真相を突き止めることはできそうにない。
「でも……何で裏切ったんだろう」
「さあな。それは俺にもわからねえ。ただ、リアン……奴のことをいたく気に入ったらしいぜ。リアンと会ったのはあの日が初めてだったのに、そのままスタンダールを裏切っちまった」
「……わからないね」
かなえは以前から、考えていることがいまいちわからないような人だった。表情に乏しく、いつも超然としているような態度だった。今日のように感情を剥き出しにする彼女は、今まで一度も見たことはない。
ノワールとかなえの間にあった過去は何となく分かったので、また別の話題に移った。
「ところで、ノワール。クロガネさんについて聞かせてよ」
「……」
ノワールは少しの間、考えるような仕草をした。そして軽く頷いて口を開く。
「ああ、話してやる。ついでに、暴君でありたい理由も」
「……ありがとう」
どういう風の吹き回しなのか、ノワールはすんなりと彼が暴君でありたい理由を話してくれると言った。多少の嫉妬か、あるいは怒りのような感情を含んだ表情をして、彼はクロガネについて話す。
「まず……あいつは俺の兄貴で先代の王だ。昔、誰からも恐れられてたイチカを救ったり、親父が死んで崩壊しかかったスタンダールの勢力を立て直したり、前にも言ったが……絵に描いたような名君だった」
「それは……すごいね」
イチカが昔は恐れられていたというのも意外な話だったが、そんな彼をあれだけ慕われている龍にしたと考えると、その卓越した能力が察せられた。
「だがあいつは無茶ばかりだった。仲間には何があっても撤退を命じねえし、あいつ自身の命さえ顧みねえ奴だった」
「……ノワールとは正反対だね」
「……そうか、そうだな」
私がノワールとクロガネは正反対だと言うと、彼は心なしか嬉しそうだった。兄に似ていると言われるのが嫌いなのかもしれない。無茶しがちなところは全く一緒だったが、それは口に出さなかった。
「結局、あいつは俺を置いてメルヴィルの先王……ヴァームルクと戦うと言って城を飛び出したきり、行方不明だ。ヴァームルクは倒れたらしいが、あいつの行方はわからないままだ」
「……」
「これが、俺が独りで戦う理由だ」
「え?」
クロガネが名君であったことと、ノワールが独りで戦う理由という、いまいち繋がりが見出せなかった二つのことを、ノワールが急に繋げたので理解できなかった。
「それは……どういうこと?」
「俺は……親父や母さんを目の前で失って、クロガネにまで置いていかれて……恥ずかしい話だが、悲しかった。そしてクロガネに関しては全てのスタンダールが辛い思いをした」
「……うん」
「だから、俺は自分が死ぬことで誰にも辛い思いをさせたくねえ。そのためには暴君になるのが一番だと思った。暴君が戦いでくたばったら、その下についてた奴らは喜ぶだろうってな」
「そんなのって……」
ノワールの胸の中には、私の想像よりも重いものがあった。
彼は、誰の言うことも聞かない勝手気ままな性格だと思っていた。しかし、実際は聞けなかったのだ。彼が孤独であり続けるために。
「……納得できなくてもいい。だが、他の奴には話さないでくれ」
「……わかった。それじゃあ、おやすみ……」
今日は本当に色々なことがあって、かなり疲れてしまった。目を閉じると、一気に意識が沈んでいくのを感じた。
───────────────
◆
「おい、立てノワール!」
「うう……父さん、母さん……!」
「ッ……!馬鹿野郎!今は逃げることだけ考えろ!ヴァームルクに追いつかれれば終わりだ!俺らが死んじまったら元も子もねえだろ!」
「だって、兄貴……」
「……そんな顔するなよ。俺だって……!」
……夢を見た。炎に包まれた砦に、血だらけで倒れている両親、俺を連れて必死に逃げる兄貴。そして、何もできなくて泣いているばかりの俺。もう思い出したくもない過去を、無意識は的確に選び出し、俺に見せつけた。
兄貴の足を引っ張ってばかりいる、弱い自分を俯瞰する。腹立たしい。苛々する。今の俺が代わってやれたなら……でも、そうしてもマシな結果になるとは思えなかった。
二頭の龍が逃げ出した直後、砦が爆発し、音を立てて崩れる。中で倒れていた両親は、跡形もなく消え失せた。
「……ああ」
久しぶりにその光景を見て、思わず声が漏れる。なぜ今になってこんな夢を見たのかわからない。とんだ悪夢だ。しかし、この夢を見たことで、改めて他の龍にこんな思いはさせないという決心ができた。
しばらく経つと、炎が、空が、仮初めの世界がぼんやりと薄れて崩れてゆき、やがて目が覚めた。
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二章──出撃── 完