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十章

 十章──黄昏──

 ヴァイスは何かひどく大きな苦しみを抱えているような様子でノワールに一騎討ちを仕掛けた。最後に彼の姿を見たのはほんの数日前だが、その時の面影はほとんどない。身体には痛々しい傷跡が残り、表情にはまるで生気が無く、半ば亡霊のようだ。ただ妄執と責任感だけが、彼を突き動かしている。姿を見ただけでそれを感じ取れるほど、彼の状態は異様だった。

 

「てめえがここまで来たってことは、イチカは……」

「……ああ、殺した!私が、この手で!」

「……そうかよ」

 

 ヴァイスの口角が微かに上がる。一方で、ノワールは悲しみも怒りもせず、その事実を淡々と受け入れているようだった。そうしているうちに、城の外に多くの龍が集まってきていた。一騎討ちの申し出など気にも留めない様子で、彼らはそれぞれの持つ能力の名を声高に叫んで攻撃を仕掛ける。

 

「お、おい!ちょっと待て!」

「……」

 

 ヴァイスは、動かない。彼はそのままスタンダール達の集中攻撃を正面から受け、立ちのぼった煙の中にその姿を隠した。

 竜の王を討ったという確信、一歩も動かず攻撃を受けたことに対する驚き、そして、これで本当に終わりなのだろうかという疑念。龍たちの間に、様々な感情が巻き起こる。ざわめきが収まらないうちに煙が晴れ、そこには先ほどと一切変わらないヴァイスの姿があった。

 

「な……!」

「能力が、効かないのか……!?」

 

 龍たちは驚嘆と恐怖で吐息を漏らす。ただノワールだけが、動揺を見せることなくヴァイスの方を見据えていた。

 ヴァイスはわずかに顔を上げ、城の様子を見た。クロガネの『爆破』によって、大部分がひどく焼けてしまっている。その後、彼はノワールの方に向き直って声をかける。周囲に穴が開くほど激しい攻撃を受けたにもかかわらず、彼が他の龍のことを意識する様子はない。

 

「ノワール、クロガネと戦ったばかりなのだから無理もないが、城の手入れはするべきだ。ひどく……汚れている」

「あ?いきなり何だよ」

「……少しぐらいなら、私が手伝ってやっても構わないが」

 

 そう言って、ヴァイスは急に他のスタンダール達の方を睨んだ。一気に龍たちの間に緊張が走る。私自身も、イチカの眼を見てしまった時のように身体がすくんで思い通りに動かない。

 その様子を一通り見た後で、ノワールが呆れたように返事をした。

 

「おいおい、メルヴィルの王サマは冗談もまともに言えねえのか?どいつもこいつも動けなくなっちまってるじゃねえか」

「……すまない、余計な時間を取ってしまった。少しでも早く……決着をつけなければ」

 

 ヴァイスは少し俯いて謝った。しかし、それは明らかにノワールに向けたものではない。

 狂っている。そう思わずにはいられなかった。その一挙手一投足が、私の思い描いていたヴァイスを惨たらしく引き裂いてゆく。

 

「返答を聞こう、ノワール。戦うのか、それとも……再び、逃げるのか」

「安心しろよ、俺はもう逃げねえ」

「……!」

 

 ノワールは、一騎討ちを受けた。その目には一切の迷いがない。ここで、世界の命運を賭けた戦いを繰り広げることに、全く躊躇いがないようだ。しかし、私は彼らが戦う必要があるとは思えなかった。それに、彼らが抱える思いを聞いた以上、そのどちらかが潰えることに私は耐えられない。

 

「ねえ……本当に戦わないといけないの?ノワールもヴァイスも、争いが終わることを望んでるのに……!」

「……戦いは、避けられない。五百代以上にわたって続いた争いだ。どちらかの王の血が絶えるまで────もはや、終わることはない」

「……だってよ。あいつはもう自分では止まれねえぜ────死ぬまでな」

 

 ヴァイスは私の方を見た。哀しみを帯びた紅い瞳が、私の身体を真っ直ぐに射抜く。

 

「イノリ……本当に、君がノワールのもとに現れてから戦況は一変した。君が、奴の傍にいなければ。君が……私とともに来てくれていたら。そんなことを……何度も考えた」

「ヴァイス……」

「だが……それもこれで終わりだ。私は、カナエにも報いねばならないのだから」

 

 そう言われたら、私は何も言うことができない。かなえのことを彼に背負わせたのは、私自身なのだから。

 かなえだけではない。リアンも、クレーダも、クロガネも……私たちが、彼に背負わせたのだ。

 ノワールはヴァイスに向かって声を上げる。その場にいる全ての者が、黙って彼の言葉を聞いた。

 

「今まで、俺は死にたくなかった。死んだら、他の奴らを置いていっちまう。俺は……それに耐えられなかった」

 

 彼は拳を握って、一層声を張り上げて叫んだ。

 

「だが、今は違う!俺は……もう死ねねえんだ!ここに立ってる奴らのために!新しい龍の世界を生きていく奴らのために!必ず生きて争いを終わらせてやる!それが王の務めだと、俺は信じてる!」

 

 彼の言葉を聞いて、龍たちの間に歓声が上がる。

 

「ノワール様!必ずや勝利を!」

「どうか新しい龍の世界をお見せください!」

 

 私を除いて、この場にいる全ての者が戦いを望んでいた。戦争を終わらせるためにはどちらかが死ぬしかないと、彼らは信じて疑わない。いくら私が戦わないよう願っても、それは決して叶わなかった。

 

「ったく……相手は一頭だってのによ」

「一頭、か……私が独りに見えるか」

 

 ノワールの言葉を聞いて、ヴァイスはそう呟いた。含みのある言い方をしているが、彼の周りに他のメルヴィルの姿はない。以前のように伏兵が隠れている様子もなかった。ノワールは訝しむような表情を浮かべながら、ヴァイスに問いを返す。

 

「何だよ、増援でも呼んでんのか?」

「……貴様も、目を背けるのだな」

 

 ヴァイスは怒りを剥き出しにしながら地面を強く踏んだ。地面はひび割れ、辺りに砂塵が舞い散る。

 ほとんど感情を見せずにずっと黙っていた彼が、一気に態度を変えた。ノワールの言葉が彼の怒りに火をつけたようだった。

 

「独りなものか!私はこの争いで死んでいった同胞の無念、殺した敵の怨念……その全てを背負って、立っている。貴様よりも遥かに多くの者に支えられて、私はここにいるのだ!」

 

 彼はそう叫んだ後で静かに目を閉じ、誰に向けるでもなく呟いた。

 

「……皆、もうすぐ全てが終わる。”死神”の首を獲って、手向けとしてみせよう……必ずだ」


 ヴァイスは顔を上げ、地を蹴ってノワールに向かって突進する。翼が風を切る轟音と舞い上がる砂塵が、龍の世界の全ての対立に終止符を打つ戦いの合図だった。

 ノワールは一度横に避け、隙を見せたヴァイスに飛びかかる。


「……"狐火"!」

「なっ……!」


 ヴァイスが炎を吐きながら後退する。その炎は怨念のように、しばらくその場に留まって消えなかった。ノワールはそれを見て、ひどく驚いていた。


「それは、イチカの……!」

  「……言ったはずだ。私は、この争いで倒れた全ての者たちと共に戦っている!スタンダールも、メルヴィルもない……使える力を全て使って、貴様を討つ!」

「チッ……!『身体強化』!」


 ノワールの身体が、白い陽光を呑み込むような深い黒に染まる。再び向かってきたヴァイスと正面から組み合い、そのまま押し返した。


「"陽炎"!」


 姿勢を崩したヴァイスは、今度は足元に炎を吐いた。熱気で辺りが歪んで見える。ノワールの狙いが僅かに外れ、その隙を逃さずにヴァイスは彼を突き飛ばした。しかし、何事もなかったかのようにノワールはその場に踏みとどまって反撃を叩き込んだ。


「なっ……!?」

「これが"太陽の御子"の炎か?ぬるいもんだな!」

「……そうだな。私の炎は、ぬるい」


 ヴァイスは呟くようにそう言った。それは、弱気になって出た言葉ではないように見えた。ノワールがクロガネと戦っている間に、彼もイチカを打ち倒しているのだ。私たちの知らない死闘の中で、何か凄まじいものを見たのかもしれない。

 ヴァイスは退くのをやめ、ノワールに向かって躍りかかる。ノワールの方も避ける構えを取らず、正面から激突した。


「「遅いッッ!!」」


 突風が起こって砂塵が舞い、互いの爪や牙を弾き合う音が響き渡る。私が龍の世界に来て間もない頃に見た彼らの戦いとは、全くの別物だった。それぞれ死線を超え、目の前の宿敵を凌ぐ相手を打ち破ったことで、どちらも自分が勝てると信じて疑っていない。自分が倒せない者など、もはやこの世界にはいないと確信しているのだ。


「"光芒"!」


 ヴァイスが叫び、ノワールに接近する。その瞬間、彼らの拮抗は脆くも崩れ去った。

 メルヴィルの王の白い身体は閃光の如くノワールの懐まで駆け抜け、そこから彼を一気に突き上げた。鈍い音と溢れ出る血とともに、ノワールの身体は上空に吹っ飛ぶ。


「ごぁッ……!」

「ノワ────」


 私が彼の名前を呼ぶより迅く、ヴァイスは飛翔して上空から追撃を叩き込む。そこには、一片の慈悲さえない。凄まじい熱気を纏いながら放たれた連撃は、あまりにも冷たい。轟音を立てながら、ノワールは地面に叩きつけられた。


「……向き合うべきものから目を逸らして、何が王だ……!」


 ヴァイスは倒れ伏したノワールに向かって、何かを強く噛み潰すような表情でそう言い放った。


「今の私は、王にふさわしくないのかもしれない……だが、貴様にだけはこの世界を譲れない!」

「……そうかよ、なら力尽くで勝ち取ってやらあ!!」


 ノワールが叫びながら立ち上がると、彼の体色が一気に深くなる。二度目の『身体強化』を使ったのだ。瞬間、彼の周囲の空気が一変する。血の混じった砂煙を巻き起こしながら、"死神"はその本来の姿を現した。


 ◇

 ミカエルが教えてくれた動きに、イチカをも上回る速さを加えた"光芒”。それは、私の身体能力だけで出せる攻撃の中では間違いなく最も強い。だが、それを受けてもなお、ノワールは立ち上がった。奴は『身体強化』を重ねて使い、筋肉の圧力で強引に出血を止めていた。


「何故、まだ立ち上がる……!」

「言っただろ、新しい龍の世界を生きていく奴らのために戦ってんだ!」

「ふざけるな!"死神"が、生者のために戦う……そんな馬鹿な話、ありえない!」


 私の言葉を聞いて、ノワールは歯を食いしばるような笑みを浮かべた。血に塗れたままの身体で、奴は吠えるように叫ぶ。


「それがありえるんだよ!何しろ、俺はふざけた大馬鹿野郎だからなぁッッ!!」

「……!」


 赤と黒の疾風が、再び襲いかかる。これまでとは比べ物にならない速さだ。この嵐が、カナエとリアンを一気に呑み込んだのだ。彼女たちを竜の争いに巻き込んだ王として、何としても報いなければならない。


「────"光芒"ッ!!」


 翼膜を突き破りそうな勢いの暴風を身に受けながら、ノワールに突進する。奴の身体に腕が当たった瞬間、私の身体が大きく横に吹っ飛んだ。痛みを圧し殺すように全身に力を入れて体勢を整え、何とか着地の衝撃を減らす。立ち上がった時、ほのかに血の味がした。


「弾かれた、のか……!?」

「効かねえ……なあ!!」


 違う。奴は確かに"光芒"を正面から受けていた。私の爪が奴の腕に突き刺さって動けずにいる隙に、真横に殴り飛ばしたのだ。

 ノワールは腕を牙で潰すように噛んで止血した。並のスタンダールには到底耐えられないほどの痛みを受けているはずなのに、奴はまるで傷など一つも負っていないかのように力強く立っている。

 そこには、王の姿があった。同胞からの声援を受け、傷を負ってもなお平然と立ち上がる。何故だ。何故、私はそこに辿り着けなかったのだ。


「なんだ、こんなもん、かよ……!」

「そこを……離れろッッ!!」

「!」


 怒りに任せ、ノワールに飛びかかる。奴はその場に留まったまま私の攻撃を受け止め、再び私を突き飛ばした。岩壁に背を打ちつけ、崩れる岩とともに私は地に墜ちた。視界が、岩と血で塞がれてゆく。私の中で渦巻き続ける怒りに、身体が追いつかない。全身の力が抜けるのに伴い、ゆっくりと目を閉じた。

 ━━━━━━━━━━━━━━━

『さてもさても、これまた大層な苦難の中に身を置いていらっしゃる』


 声が聞こえて目を覚ますと、一頭の竜の姿がはっきりと見えた。だが、辺りは真っ暗で、他には何も見えなかった。


「……クレーダ、か……」

『ええ。こちら文字通り死の淵にございます。私の方へ一歩近づけばたちまち辛苦より解き放たれてしまいますゆえ、何か心残りがございましたらご用心を』


 まだ身体を起こしてすらいない私に向かって、クレーダは容赦なくつらつらと言葉を並べる。地面かどうかも分からない場所に全身を投げ出したまま、返事をした。


「……そうか。私は、何もなすことができないまま……死ぬのか」

『相変わらず話を聞かないお方だ。死にたければ死ねるというだけで、まだあなたは生きております』

「……?」


 状況がさっぱり飲み込めない。困惑している私を見て、クレーダはため息をついた。


『はあ……まあ良いでしょう。とにかく背をお向けなされ!我々がその背を押して差し上げましょう!』

「我々……!?」


 クレーダが声を上げると、彼の周りに二つの白い影が浮かび上がってきた。何とか身体を起こしてその影を捉える。それは近づいてくるにつれて、それぞれ人間と竜の形をなしていった。足音が止まると、カナエとリアンの姿が見えた。


『……ヴァイス様』

「……すまない。私が、君たちを争いに巻き込んでしまった……!」


 私は、謝ることしかできない。彼女たちは、ただ居場所を求めて竜の世界に迷い込んだだけなのに。私が止めれば、戦場で死を迎えることはなかったはずなのに。

 私の謝罪に、カナエは首を振って答える。


『あなたのせいじゃないわ。これは、私たちが望んだことだから』

「だが……!」

『……それなら、一つだけ願い事を聞いて』


 カナエは、一度リアンの方を向いた。リアンはそれを見て、ゆっくりと頷いた。カナエはこちらに向き直ると、その小さな身体に見合わない大声をあげた。その勇ましさを見て、彼女が指揮を執っていた部隊の強さの理由が分かった。


『新しい竜の世界の王になりなさい!ノワールを倒すだけじゃ……許してあげないから!』

「……ああ、必ず……!」


 少しずつ、全身に力が戻ってゆく。痛みが引き、呼吸が落ち着いてきた。再び、白い影が遠くに立ち現れるのが見えた。さっきよりもずっと速く竜の形をなして、白い影は目の前に現れた。その姿を見て、私は目を見開いた。


『……久しいな、ヴァイス』

「父上……!」


 父上はそう言って、大きく広げていた翼を収めた。そして私の目を見て息をつき、厳かに私に問いかける。幼い頃の記憶と全く変わらない紅い眼が鋭く光り、私は思わず息を呑む。


『その目……禁忌を犯したのか』

「……はい」

『そうか。ならば……任せる!己が正しいと信じた道の果てまで歩み続けてみせよ!』

「!」

『それが、禁忌を犯した者にのみ為せる偉業にして……負わねばならぬ罰だ!』


 父上は一歩も動かなかったが、その言葉には危うく体勢を崩しそうになるほどの迫力があった。私は何も言わずに顎を引き、父上の言葉を受け止めた。父上はその様子を見て、静かに一歩引き下がる。それと入れ替わるように、別の竜が姿を現した。


「……姉さん」

『ヴァイス、私……』

「私は……何も分かっていなかった。許してほしい、とは言わない。それでも……どうか、父上と一緒に見守っていてくれ」


 私は、姉さんにそれ以上何も言えなかった。私のせいで、姉さんは失意の中で死を迎えることになったのだ。だが、柔らかく微笑みながら答える姉さんからは、怒りも恨みも感じ取れない。


『謝るのは私の方よ。王になって大きなものを抱え込んでいるあなたに、これ以上背負わせるのが怖かったの。もっと、あなたとたくさん話をするべきだったわ。ごめんなさい』

「そんな……!」


 姉さんがそう言っても、私は自分を許せなかった。私が、姉さんを突き放さなかったら。あの時、私が傍についていれば。

 だが、今の姉さんを見ると、なぜか強く握りしめた手が緩んでしまう。


『全て終わったら、今までの分……ゆっくり話しましょう?』

「……わかった。それまで、もう少しだけ......」


 皆の声を聞いているうちに、ノワールとの戦いで受けた痛みは消え、少しは傷も治った。これで、また戦える。今度こそ、奴を打ち倒す。そう決意して振り返ろうとした瞬間、急に足が竦んで動けなくなった。ここを離れて戦いに戻れば、また皆の姿が見えなくなってしまう。その恐怖が、一気に私の心を食い潰したのだ。私は、皆のために戦わなければならない。でも、僕はずっとここにいたい。動かないままの身体の中で感情だけが暴れ続け、冷や汗が背筋を伝う。

 踏みとどまろうとする気持ちを押し殺すように、強く目を閉じる。再び目を開けると、そこにはミカエルの姿があった。背を向けていて、顔は見えない。


「ミカエル!」

『……』


 彼女は何も言わず、ただ左腕をゆっくりと横に突き出した。私はそれを見て、自分の左腕に視線を落とす。月のように静かに、そしてしたたかに、彼女の逆鱗は輝いていた。私は今度こそ覚悟を決め、顔を上げた。


「……そうだな。皆のために、私たちで戦うんだ。今度こそ……向き合うべきものに、向き合わなければ」


 彼女は背を向けたまま、少しだけ顔を下げた。それは頷いているようにも、俯いているようにも見えた。私は皆に背を向け、そこから一歩踏み出した。声をかけてくれた仲間たちだけではなく、無数の竜の腕が私の背を押しているように感じた。果てのない暗闇の中を、激流に押し流されるように突き進んでゆく。しばらく経つと、目の前に微かな光が見えた。それを捉えた途端、私が進むにつれて急速に広がり、とうとう私はその中へと放り出された。

 ━━━━━━━━━━━━━━━


 ◆

 ヴァイスを突き飛ばした直後、崩れた岩壁の方から轟音が響いた。ヴァイスにこれほどの力が残っているとは思えない。だが、岩を吹き飛ばしながら天高く翔け上がるその姿は、間違いなく奴のものだ。


「逆鱗……!」

「天を焦がし、地を揺るがす!私は────太陽だ!」


 天頂に輝く太陽を背にして、ヴァイスは大きく息を吸い込んだ。奴の持つ二枚の逆鱗が、一斉に光を放つ。そのまま奴は炎を吐き出し、辺り一面を火の海に変えた。


「”日輪”!!」

「……!」


 昇りゆく熱気は天を焦がし、死者たちの王は命を滅する太陽となった。声援を送り、戦いを見守っていた龍たちが、炎熱に苦しんで声を上げる。


「ぐ……あ、熱い……!」

「ノワール、様……!」

「お前らは炎が届かない所まで退がれ!くたばったら許さねえからな!」


 声を上げ、周りの龍を一頭残らず撤退させた。いのりは龍たちの前に立ち、地面に手をついた。直後、瞬く間に氷の柱が地面から浮かび上がり、龍たちを熱から守る。

 だが、それはあくまで他の龍を守るためのものだ。クロガネの時とは違って、いのりは俺を助けない。ただ、静かにこの戦いの行く末を見守っている。


「……ヴァイス」

「ノワール!貴様は私が……!私たちが、倒す!」

「いいぜ──────叩き潰してやるよ!!」


 地を蹴って飛翔すると、普段より高く飛び上がった。"日輪"による熱気で、身体がよく動く。これもヴァイスの狙いの一つだろう。互いに限界を超えた上で、奴はこの戦いに勝つつもりなのだ。


「おおおおおッッ!!」

「……!」


 突っ込んでくるヴァイスを躱すために地面に降りようとしたが、身体がぐらついてうまく降りられない。熱で空気が上に流れ、俺が地上に降りるのを妨げたのだ。回避が間に合わず、奴の渾身の一撃を正面から受けた。


「があッ!!」

「まだ……だ……!」


 ヴァイスは勢いを止めず、俺の腹に刺さった右腕を身体ごと捻りながら突き進む。そのまま貫かれる前に、腹に一気に力を入れて奴の腕を圧し潰した。


「ぐ……!あああああッッ!!」

「やりやがった……なあッ!!」


 激痛に声を上げながら腕を引き抜くヴァイスを、真下に蹴落とした。衝撃で砂塵が舞い、奴の姿が見えなくなる。

 どちらも決定的な一撃を受けた。遅れてやってきた痛みに、視界が霞む。奴もすぐには立てないだろう。ゆっくりと地上に降り、身体を休める。

 砂煙が晴れる。一頭の竜の影が、見える。息を切らし、辺りを血で濡らしながら、奴はそこに立っていた。


「私は、まだ……倒れるわけにはいかない……!」

「もう立ちやがったのかよ……!」


 ヴァイスは足を引きずりながら、俺の方に近づいてきた。奴の戦いを見守るメルヴィルは、一頭もいない。そこには、全ての竜から慕われた王の姿はなかった。ただ闘志と執念が、奴の身体を操っているように見えた。


「王として、ではない……一頭の竜として──────僕は負けるわけにはいかないんだあぁぁッッ!!」


 ヴァイスの叫びに応えるように、奴の持つ二枚の逆鱗が同時に光を放つ。思わず目を細めると、ヴァイスはその一瞬の隙に、奴自身の体躯を遥かに上回る大きな山の頂の部分を両手で掴み、そのまま巨大な岩を持ち上げるように山全体を天頂にかざした。

「なっ……!」

「”落月”──────墜ちろ、ノワァァァル!!!!」


 絶叫に近い声を上げながら、ヴァイスは俺めがけて山を投げ下ろした。その勢いで凄まじい突風が起こり、山の表面が削れて丸くなってゆく。月が、落ちてくる。その様子を目の前にして、俺は思わず息を呑んだ。避けられるかもしれないが、山の影は氷の柱を覆っている。受け止めなければ、いのりや周りの龍が巻き込まれるだろう。正面から受け止め、叩き落とされるようにして地上に足をつく。


「がっ、あ、あ……!」

「……受け止められる、ものか……!」


 ヴァイスがそう呟いたのを最後に、二枚の逆鱗は光を失い、奴は力なく落下した。

 力が入っている感覚がない。俺は、まだ山を受け止められているのか。それとも、呆気なく圧し潰されたのか。それさえはっきり分からない。意味があるのかどうかも分からない足掻きを続けていると、微かに視界が明るくなった。俺も、逆鱗の力を使い始めているのだ。


「ノワール様!」

「……!」


 突如、聞き慣れた声が耳に入る。他の龍たちが未だに近づけない熱気の中、そいつ一頭だけが駆けつけてきた。俺は、どうやらまだ生きているようだ。この足掻きは、無駄ではないらしい。


「テ、ル……!」

「ノワール様、お許しください!」


 テルは声を上げながら、さらに近づいてくる。一騎討ちに手を貸す者がいれば、それはいつまでも残り続ける禍根となる。テルはそれを生み出すことを覚悟した上で、俺を助けに来たのだろう。


「……なめるなよ、テル……!!」

「……!」

「『身体』……」

「いけません、それ以上は……!」

「『強化』ァッッ!!」


 二回目以降の『身体強化』は、俺の中に力が眠っていなければ使えない。兄貴との戦いで今まで溜めていた力を全て使い果たした上に、今は逆鱗の力まで使い始めている。残っている力は、もうない。だが、それでも。目の前に見えている底を、突き破ってでも──────


「ぎあああああああッッッッ!!」

「──────紅い」


 テルがそう呟いたのを聞いて、『身体強化』が使えたのを確信した。そのまま両腕で全身の力を伝え、山を粉砕する。土煙と木片の巨大な塊となった山を見て、言葉を失った。自分でも信じられないほど凄まじい力だ。兄貴との戦いを乗り越えたことで、さらに力を増している。そして、それはやはり俺が持てる力の量を遥かに上回っていた。反動を受け、膝から崩れ落ちるように倒れ込む。


「……ッ……ッ……!」

「ノワール様……!」


 俺がどうなっているのか、ヴァイスはまだ動かないのか、いのり達は無事だったのか。聞きたいことはいくつもあるのに、話そうとしても声が出ない。元々乱れていた呼吸がさらに荒くなり、聞いたことのないような掠れた音が混じる。さっきまではっきりと聞こえていたテルの声が、だんだん遠くなってゆく。やがて、はっきりと聞こえるのは自分の鼓動の音だけになった。


「ぐ……あ……!」

「……!」


 しばらくしてようやく呼吸が整い、声も出るようになった。"日輪"の熱気は消えていないから、それほど時間も経っていないのだろう。テルは、まだ俺の傍にいた。


「なあ、見たかよ……山が、粉々だぜ……!」

「ええ、ですが……どうか、もうしばらくお休みください」

「はは……どうやら、そうもいかねえらしいな」


 倒れ込んだまま目をやった先には、ヴァイスの姿があった。身体は自分の血と返り血で真っ赤に染まり、元の白い輝きを放つ鱗はほとんどない。奴の方も限界を迎えていて、隙だらけの俺に襲いかかることもできないようだ。ゆっくりと身体を起こし、奴と真っ直ぐ向き合う。奴はテルをちらりと見た後、再び俺の方に向き直った。


「……友、なのだな」

「……ああ」

「私は……ずっと、疑問に思っていた。何故、貴様が王の立場から逃げずにここまで来たのか。何故、死にたくないなどと言いながら、今この時も戦い続けているのか……」

「……」

「だが……今になってようやく、それが分かった気がするよ」


 ヴァイスはそう言って口を閉じ、ふらつきながら構えた。もう、互いに戦う力は残っていない。だが、それでも戦わなければならない。どちらかの命が果てるまで、争いは終わらないのだから。


「……らあああッッ!!」

「!」


 声を上げ、その勢いに任せて突っ走る。もはや空を飛ぶ力もない。這いずるように駆け、巻き起こる砂埃を喰いながら前へ進む。

 ヴァイスも、俺とほとんど同じようにして突き進む。この闘いは、自ら退けば敗れる。俺も奴も、それをどこかで感じていた。


「「おおおおおおおッッ!!」」


 全身でぶつかるように思い切り前に出る。息が切れ、身体の至る所から血が流れ続けるのにも構わず、力を振り絞った。一気に駆け抜け、互いに敵を通り過ぎて立ち尽くした。


「────────」


 一瞬の沈黙の後、ヴァイスは血を吐き、音を立てて倒れた。ゆっくりと、奴の方を振り返る。力なく伏しているその身体が、稲妻が走ったように突然跳ねる。


「……ぁあああッ!!」

「!」


 ヴァイスはそのまま起き上がり、吼えながら俺の方を振り返って襲いかかる。その両手を掴んで組み合うと、奴の左腕に刺さった逆鱗の輝きで少し目が痛んだ。


「はああああッ!」

「な……!?」


 突如、ヴァイスは尾の先を俺の腕に強く叩きつけた。不意打ちを受けて力が緩んだ一瞬の隙に、一気に体勢を崩された。前に向かって進み続けようとするが、身体は後ろに押されてゆく。


「終わ、り……だあああッッ!!」


 ヴァイスは俺を突き飛ばし、右腕を引きながらそれを追いかける。奴の腕が向いている先に手を構え、受け止める姿勢を作った。だが、奴の腕は何かに押されたように、不自然に俺の手を大きく離れて防御をすり抜け、鈍い音を立てながら俺の頭を殴りつけた。


「があッ……!」

「まだ、立ち上がる、か……!」

「ぐ、う、おおおおッ!!」


 咆哮を上げながら、力を振り絞ってヴァイスを殴り飛ばす。そのまま体勢を立て直して追撃を加えようとした瞬間、急に視界が歪んだ。さっきの攻撃が思ったよりも効いていたようだ。呼吸が詰まり、膝を崩す。


「……!?」

「ぐ……!」


 逆鱗に閃光が走った後、ヴァイスが再び身体を起こすのがぼんやりと見えた。その途端、急に目の前で何が起こっているのかわからなくなった。頭がひどく痛む。ただ、自分の乱れた息の音だけが聞こえてくる。


「まだ、だ……!」

「……!」


 ヴァイスが立ち上がり、俺の方に向かってくる。上手く立ち上がれないまま腕で攻撃を受け止め、逆の腕を振るう。それを掴まれたので、後ろに倒れ込みながら思い切り蹴飛ばした。声を上げる間もなく、奴は後ろに吹っ飛ぶ。


「!!」

「ぎ、い……ッ!!」


 砂塵が舞う。身体を起こす。血の味がする。奴を殴る。逆鱗が光る。奴が立ち上がる。戦いが、続く。


「「うおおおおおおおおッッ!!」」


 響く咆哮。(かぶ)く陽光。開く瞳孔。駆ける衝動。揺れる陽炎。増える裂傷。欠ける翼爪。


「「おおおおおおおおッッ!!」」


 いつまで、俺たちは戦い続けるのか。


「「……ッ!!」」


 いつまで。


「「────────」」


 どこまで。


「く……はっ、は、ぁあ……!」

「き、い……あ……!」


 もう、声もほとんど出ない。限界だ。奴は一歩退いて、力を溜めるような素振りをした。震える腕の上で、逆鱗がさらに強く光る。


「こう、ぼ、う……!」

「……!」


 ヴァイスは絞り出したような細い声で、確かにそう言った。技を防ぎ切る力は残っていないと確信しながらも、両腕を前に構えて歯を食いしばる。だが、奴が駆け出した直後、その左腕の逆鱗が割れた。奴は勢いを失い、そのまま地に倒れ伏す。もう、奴の逆鱗が光ることはなかった。


 ◇

 ──────────────

『ヴァイス』

「……ミカエル」


 目を開けると、再び私は死の淵にいた。ミカエルだけがそこにいて、他の竜たちの姿はなかった。彼女は、今度は私の方を向いていた。


『ごめんね』

「なぜ、謝る……?謝るのは僕の方だ!君の力がありながら、僕は……!」

『私……これ以上は耐えられない……!』


 ミカエルはそう言って首を振った。その目には、大粒の涙が滲んでいる。身体に力が入ったまま、震える声で彼女は話を続ける。


『私ね、こんな形でも……君とずっと一緒にいられて幸せだった』

「……」

『けれど……戦い続ける君を見ているのは辛かった。本当は戦いを望んでいないのに、君は色んなものを背負って傷つきながら傷つけるんだ』

「……!」

『こんなはずじゃなかったのに!私の力のせいで、君が傷ついていく……いくら君が望んでいることでも、私はもう耐えられない……!』

「ミカエル……!」


 これほど辛そうに話すミカエルを、僕は見たことがなかった。僕はそれ以上何も言わず、ただ彼女に向かって手を差し伸べた。彼女が望むなら、僕はその手を引かれてもいい。手を引かれて、彼女の方に一歩踏み出すだけで、僕たちはどこまででも行ける。だが、彼女は涙を止めることもしないまま、その手を強く横に跳ねのけた。その勢いで、風に吹かれたように身体が軽々と翻る。


「!」

『……だめだよ。君には、まだやるべきことがある』

「え……?」


 ミカエルはそのまま僕の背中を強く押した。さっきと同じように、僕は押し流されるように生への道を渡ってゆく。何とか振り返ってミカエルの方を見ると、彼女は大きな声で叫んだ。


『少しだけ、離れ離れになるけど……私はずっと待ってるから!』

 ──────────────

 地面に倒れ伏したまま、意識を取り戻した。生きているのが不思議なほど傷だらけになったノワールがゆっくりと近づいてくる。何度も遠ざけてきた死が、ついに迫ってくる。斜陽に照らされたその姿は、おぞましくも美しい。


「……よう、目覚めたか。俺も……さっき、起きた所だ」

「……不思議だ」

「あ?」


 ふと、掠れた声で呟く。言葉を発する度に、刺すような痛みが喉元を走り抜ける。だが、それでも私が口を閉ざすことはない。


「まだ、私は戦えるのに。死んでいった者たちが、今も背中を押してくれているのに。為すべきことが残っていると……言われたのに」

「……」

「この身体は、全く動かない……!」


 私の身体は、これ以上ノワールと戦うことを拒んでいた。私と、その背中を押す何本もの腕は、私の肩を引くたった一本の手に勝てなかった。だから、私は奴が最も欲しているであろう言葉をくれてやった。ミカエルが言っていたのは、きっとこのことだろう。私は王として、自分自身の言葉でこの争いを終えなければならない。


「私の負けだ。殺せ……今すぐに」

「……最後まで偉そうな奴だ。これから大変だな、てめえを置いていった奴はいっぱいいるみてえだからよ」

「はっ、要らぬ心配だ。待っていてくれる友が……私にもいるからな」


 私の言葉を聞いて、ノワールは静かに息をついた。その様子を見て目を閉じ、最後の一撃を待つ。死神が風を切りながら迫ってきたのを感じた瞬間、遠くから声が聞こえてきた。


「駄目ッッ!!」


 思わず目を開けた直後、大きな雷が私を守るように目の前に落ちてきた。ノワールは慌てて止まり、何とか直撃を避けた。


「な……!」

「危ねえッ!!」


 すぐに声がした方へ目を向けると、そこにはイノリの姿があった。細かった彼女の腕は、竜のそれと同じ大きさになっていた。彼女はただその場に立ち尽くしているばかりで、自分の身に起こっていることを受け止めきれていない様子だった。


「いのり!」

「……何で私の腕、こんなに大きく……!」


 彼女の白とも黒ともつかない色の大きな腕を見た時、突如私はひどい頭痛に襲われた。これは戦いの傷によるものではなく、何かを無理に思い出そうとしている時の苦しみだ。そして、それはすぐに消え去った。


「……思い出した……!」

「……え?」

「イノリ……君の、本当の名前は……!」


 私は、もう何年も口にしていなかったその名を呼んだ。独りだった幼い私のもとに突然現れ、そして突然いなくなった初めての友。その名を、ようやく思い出した。


「────エレイア!」


 十章──黄昏── 完

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