九章(上)
九章──地獄(上)──
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クロガネとヴァイスから逃げ出した後、私たちはミドナの森の中の拠点まで引き返した。それから数日経ったが、追ってくる様子はない。再び出撃するための準備を整えながら、穏やかな時を過ごしていた。
思えば、この森に入ってからずっと戦い続けていた。急に戦いのない日々が訪れたことに少し戸惑いを覚えるほど、私は戦いの中に身を置くことに慣れてしまっていた。
ノワールと一緒に拠点を出ると、スタンダールの本城の方から一頭の龍が飛んで来た。かなり焦っているらしい。少し驚きながらも来るのを待っていると、今度はメルヴィルの本城、つまり前線の方から一頭の龍が慌ててこちらに向かってきた。
「「ほ……報告!」」
二頭の龍は示し合わせたかのようにぴったりと声を合わせて叫んだ。そしてお互いに顔を見合わせた後、スタンダールの本城から来た龍の方が身を引いた。前線から来た龍は、早口になりながら報告した。
「大変です、ノワール様!クロガネ様が、スタンダールを裏切ってメルヴィルにつく、と……!」
「……そうか」
「現在、クロガネ様はスタンダールの軍を壊滅させて森を抜けています。また、ミドナの森の中央付近にて”朧”がヴァイスと交戦中です!」
「……わかった。退がって休め」
ノワールは、意外にも冷静だった。あえてそう振る舞っているのかもしれないが、怒りを露わにしたり、”朧”を心配するような素振りを見せたりはしなかった。
前線から来た龍が退がったのを見て、スタンダールの本城から来た龍が口を開く。
「こちらは本城の状況について報告いたします。クロガネ様は既に本城付近に到達し、制圧を狙って攻撃を仕掛けています。テル殿が防衛にあたっていますが、現在の状況はわかりません……」
「!」
「テルが!?」
先ほどまで落ち着いていたノワールの表情が一変する。そのまま伝令の龍に掴みかかり、揺さぶりながら激しく問い詰めた。
「あいつは戦えねえんだぞ!他の奴らは何してんだ!」
「うわあ!あの、あの……!」
確かに、テルが戦いに出ているところを見たことはない。もしかしたら、既に本城が制圧されている可能性さえ考えられる。ノワールは動揺して物も言えない龍を放し、拠点中に聞こえるほど大きく声を張り上げた。
「チッ……俺は本城に行く!全軍、ここで待機だ!負傷した龍の治療の準備をしろ!」
「はっ!」
ノワールは号令を出すのとほぼ同時に、私を背中に乗せて飛び立った。ヴァイス達から逃げ出した時よりも速く、翼が風を切ってゆく。振り落とされないようにしっかりとノワールの身体を掴みながら声をかけた。
「ねえ、ノワール。テルさんは戦えないの?」
「……ああ。あいつは信じられねえほど力が弱いんだ。身体の動きは速いんだが、どういうわけか攻撃に威力が全くねえ」
「でも、能力があるんじゃないの?」
「ああ。だが、とても戦いには使えたもんじゃねえらしい。だから、少しでも早く見つけ出さねえと……!」
ノワールは話しながらも周囲をじっと見回して、テルらしい龍の姿を探していた。しばらくすると、燃える本城の姿が目に飛び込んできた。そして、叫びながら必死に逃げ惑うスタンダールたちの姿も。
その光景はまさしく地獄。一頭の龍によって生み出されたとは到底考えられない、数多の生が死に引きずり込まれる地獄だった。
その中で、果敢に戦う一頭の龍を見つけた。ノワールも見つけたらしく、そこに向かって一気に加速する。
「テル!!」
ノワールが叫ぶと、龍がこちらを見る。彼は一瞬だけ安心したような様子を見せた後、すぐに表情を変えて私たちの方へ突進してきた。そのまま衝突し、ノワールは突き飛ばされて急に高度を落とす。
「がっ!!」
突然のことに困惑しながら彼のいる上空を見上げると、龍の影がもう一つ増えていた。その龍は、ノワールを突き飛ばした龍に向かって腕を伸ばし、一言だけ呟いた。
「────────『模倣』」
瞬間、雷で作られた刃のようなものが彼の掌から飛び出し、龍の身体を貫いた。血を流しながら、龍は墜ちていった。
◆
「……!!」
目の前で起こったことを理解する前に、俺の身体は動き出していた。落下するテルを受け止め、そのまま近くの森に突っ込んで姿を眩まし、テルを地面に横たえる。
「テル!!」
「……ノワール、様……!」
叫ぶように声をかけると、テルは消え入るような声で返事をした。震える右腕を振り上げたまま、感情に任せて言葉を吐き出し続ける。
「てめえ、何でこんな無理しやがったんだ!」
「……何だって良いじゃないですか。あなたが来るまで持ちこたえたのだから……」
「……それで、死んじまったら意味ねえだろうが……!」
俺の声を聞いて、テルは微笑んだ。何がおかしくて笑ったのか、俺にはわからなかった。テルの身体を支える腕にぐっと力が入る。
「……こんなことで声を震わせていては、暴君など務まりませんよ」
「……!」
テルは息を切らしながら、俺と同じぐらい震えている手をそっと差し出して、テルの身体を支えている俺の左手に重ねた。
「どうか、スタンダールを救ってください。私が信じた、王として……!」
テルはそれだけ言うと、ゆっくりと目を閉じた。だが、まだ息はある。早く連れ出して治療すれば、命は助かるかもしれない。
「テルさん!」
「……心配するな。気を失っただけだ」
俺の背中を降り、テルのもとに駆け寄るいのりを手で制した。そこで、いのりの力ならばテルを拠点まで運べるかもしれないと気がついた。
「……なあ、いのり。テルの傷を治して拠点まで運べるか?」
「ええ!?」
いのりは突然の頼みに驚きながらも、やってみる、と頷いてくれた。直後、近くの木々が薙ぎ倒される激しい音が聞こえてきた。
クロガネの意識を俺の方に向けるために、俺は音のする方に向かって飛び立った。
目の前に広がる地獄を生み出した龍が、俺に気付いてじろりと睨む。直後、微かに笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「よう、ノワール。お前が来たか。イチカじゃなくて良かったぜ」
「……てめえ、自分が何やってんのか分かってんのか?」
「当然だ。俺は自分の意志でメルヴィルについて、本城を攻撃したんだからな」
「何度も言うが、俺はあのメルヴィルを……!」
殺してない。俺がそう言おうとしていたのを、クロガネは手を前に突き出して制止する。言い訳なんか聞きたくないということなのか。それとも、そんなことは分かった上でメルヴィルに味方しているのか。クロガネは神妙な面持ちで口を開く。
「……殺すわけねえ。そんなこと、分かってる」
「だったら何で……!」
「……本当は、あの時もお前がやったとは思ってなかった。だが……もはやそんなことはどうでもいいんだ。お前が殺したかどうかにかかわらず、エイスは死んじまった。だから、俺は俺のために戦っている。それだけだ」
真っ直ぐ俺の方を見つめたまま、クロガネはそう語った。その眼差しは、俺が最後に見た兄貴のそれとひどく似ていた。俺を置いて、ヴァームルクと決着をつけに行ったあの日の目。もう一度見られたなら、と願ってやまなかったその目が、今はこれ以上ないほど腹立たしい。また、兄貴が遠くに行ってしまうような気がした。
「……この攻撃が、てめえのための戦いか?」
「ああ。断言する」
「……そうかよ」
そんなの、俺でも嘘だとわかる。クロガネが本当に自分のために戦っているのなら、防衛に当たっていたスタンダールはとっくに全滅し、本城は跡形も無くなっているはずだ。目の前に広がる地獄は、奴の全力を物語るにはあまりにも生温い。クロガネにはきっと、勝利の他にも望んでいるものがあるのだ。
「失望したか?」
「いや……むしろ今、確信した。てめえはやっぱり本物なんだな」
「ははっ、どこまで信じてねえんだ。初めからそう言ってるはずなんだがな」
本当は、こんな形で確信したくなかった。だが、目の前の龍は間違いなく俺の兄貴だ。どこまでも自分勝手に、そしてどこまでも他の誰かのために戦うその姿勢は、今でも全く変わっていなかった。
息を吸い、今一度クロガネを睨む。多くの仲間を殺し、テルを傷つけて、なお余裕に満ちた笑みを浮かべる反逆者を前にして、俺は不思議なほど落ち着いていた。
「……いいぜ。叩き潰してやるよ────死に損ないの馬鹿兄貴」
「……!」
俺は最後にもう一度だけ、奴のことを兄貴と呼んだ。別れを済ませるには、それだけで十分だった。
地を蹴って、空高く舞い上がるようにして飛翔する。俺と違って、クロガネは遠くから攻撃できる。だから、狙いをつけにくい空中戦に持ち込んだ。俺の誘いに乗ってクロガネも飛び立つ。
「『模倣』!」
クロガネが叫ぶと、奴の体色が深まる。日光さえ食い潰す、底なしの闇。『身体強化』の力は、奴の姿をそのように変えた。
遠距離から俺を仕留めることは諦め、接近戦に備えたのだろう。だが、それならば俺にも勝ち目はある。クロガネの強さは、取れる選択の多さにあるからだ。炎も水も雷も、奴は自在に操れる。それを接近戦の一手に絞ることができれば、勝てない敵ではない。むしろ、『身体強化』を使った殴り合いに慣れている俺の方が有利だ。
「『身体強化』……!」
「────『模倣』」
クロガネは、俺の予想を嘲笑うように跡形もなく破壊した。
テルを貫いた雷が、さっきの倍の速さで向かってくる。直前で何とか回避し、背後にあった木々が砕け散る音を聞いた。
奴は、俺が知り得ない『身体強化』の効果を知っていた。『身体強化』の力は、その龍が持つ他の能力にも働く。速さだけでなく、威力も上がっている。奴は遠距離攻撃を諦めたのではなく、むしろそのために俺の能力を使っていたのだ。
「チッ……!」
「何だ、その程度か?それじゃ誰も守れやしねえぜ!」
「……何も守れなかった奴が言うんじゃねえ」
「!」
クロガネは少し驚いたような表情を見せ、俺に向かってにっと笑いかけた。その目は全く笑っていなかった。
「ははっ!どうやら口答えは上手くなったみてえだな!だが……弱い奴の挑発が招くのは、動揺じゃなくて早死にだ」
「……『身体強化』!」
クロガネの攻撃に備えて、二度目の『身体強化』を使う。全身に力と衝動が湧き上がり、じわりと視界が赤く滲む。
『身体強化』を重ねて使えば反動を伴うが、もはや躊躇っている場合ではない。奴がこの速さの戦いに慣れる前に、持てる力の全てを出し尽くして決着をつける。普段の四倍冴えた頭でも、それ以外の勝ち方を思いつくことができなかった。
「なるほどな……お前は能力を重ねられるのか!」
「……」
クロガネは感心したような反応を見せたが、俺の方には話す余裕さえない。翼で空を切り、轟音を立てながら突進する。クロガネは驚きつつも、危なげなく回避した。
「おいおい、そう焦るな。どうせ決着はすぐにつくんだからよ!」
「……!」
「────『火炎』」
────こいつは、どこまで。
奴の発した炎は、俺の視界に映る全てを包み込んだ。前のめりになっていたせいで回避が間に合わず、炎が俺の片方の翼を掠める。
たったそれだけで、翼膜を裂かれたような激しい痛みが襲いかかってきた。
「ッッッッ!!」
俺は姿勢を崩し、旋回しながら落下して再び木々の中に逃げ込んだ。『身体強化』の効果で心臓の動きが早まり、息が上がる。
当然のことだが、スタンダールが持って生まれる能力の強さには差がある。スタンダールの特性上、龍が元々持っている身体能力からかけ離れた力であるほど強いとされる。
その見方をすれば、『火炎』は最弱に近い。スタンダールもメルヴィルも炎を吐くことはできる上に、どちらも熱に強い体質だからだ。
それでも、掠めただけで言葉を失うほどの威力だ。いのりは、テルは、無事だっただろうか。
「まだまだ行くぜ、ノワール!心ゆくまで地獄を見な!」
「……!」
体勢を整え、今度は回避に専念する。奴の能力は絶大な威力を持つ分、隙が大きいものが多い。それを狙って反撃を叩き込めば、十分に戦えるはずだ。
迫ってくるクロガネに対して俺が迎撃するように腕を振り下ろすと、奴は微動だにせず呟いた。
「『防壁』」
直後、クロガネの周囲に光の壁が現れた。構わず攻撃を続けると、壁はしなるようにして俺の全力の攻撃を軽く受け止めた。
「ぐ……!」
「『模倣』」
クロガネは再び『模倣』を使った。壁に電撃が走り、動きが一瞬鈍くなる。奴はその隙を逃さず俺を蹴飛ばした。その先にあった山肌に強く身体を打ちつけ、背中から血が流れ出る感覚を覚えた。
「がっ……!」
「『模倣』!」
クロガネが力を込めて叫ぶ。俺は能力を回避するために起き上がろうとしたが、凄まじい力で押さえつけられているかのように身体が全く動かない。むしろ、背にしている山に少し埋め込まれている。
「クロ、ガネ……!」
「悪いな、少し力を入れすぎた」
クロガネは涼しい顔をしたまま、俺の方に近づいてくる。当然だ。俺は奴に一度も攻撃を当てられていないのだから、表情を崩す理由はない。
能力を止めたのか、身体に負担はかからなくなった。だが、それ以上力が入らない。ふと自分の身体を見ると、いつの間にか血だらけになっていた。『身体強化』の効果が切れ、反動が来たのだろう。その痛みさえ、俺は感じられなかった。俺は奴の能力を受けるまでもなく、とっくに限界を迎えていた。
「はは……何、だよ……!」
「なあ、ノワール……お前、俺に隠していることはねえか?」
「……ねえよ、そんなもん」
意地を張って、ぶっきらぼうに答える。奴に対して隠していることは本当にない。そもそも、知恵のない俺がクロガネを相手に何かを隠そうとするだけ無駄だ。なぜ、急にそんなことを聞いたのか。
「……そうか」
俺の答えを聞いて、クロガネは満足げに微笑んだ。気味が悪い。再び奴を睨むと、奴も俺の方をじっと見ていた。その紅の瞳には、どこまでも深く吸い込まれるような、底の見えない鈍い輝きがあった。
「俺は、お前に隠していたことがある。ずっと……長い間な」
だから、俺にあんな問いかけをしたのか。いつもは心のままに行動するくせに、こんな時だけ回りくどい。そう言ってやりたかったが、俺は黙ったまま、クロガネが話を続けるのを待った。
「────『模倣』なんて能力、龍の世界には存在しねえんだ」
九章──地獄(上)── 完




