八章(上)
八章──眼を見切る(上)──
◇
エイスが死んでから何度か日が昇って、そしてそれと同じ数だけ落ちていった。この僅かな間に、私は数え切れないほどのスタンダールを殺した。身体についた血を落とすこともせず、ひたすら”朧”の龍を探し回っていた。
スタンダールに出会ったら、必ず初めに”朧”の龍であるのかを問うた。そして、違うと答えた龍は全て殺した。そうだと答える龍には……未だに、出会えてはいない。
ミドナの森の中央に着いたところで、一つの黒い影が視界に飛び込んできた。そのまま姿を現したスタンダールは、私の姿を見て驚き、ひどく怯えたような様子で目を見開いた。
「ヴァイス……!!」
「……貴様、”朧”か?」
「……そうだ!私は”朧”の副隊長、ミク!ここを通しは……しない!」
その龍は、声を震わせながら答えた。”朧”の副隊長だと、確かに名乗った。王としてではなく、一頭の竜として私が憎んでいる敵……イチカが近くにいるということを、その返答は示していた。それを聞いて、喜びを顔に出さずにはいられなくなった。
「……はははははっ!!ようやく、見つけた……!」
「な……何だ……!」
「死ね。貴様に用はない」
「!」
一息に距離を詰め、龍の首に向かって爪を振り下ろす。”朧”の副隊長といえども、所詮は愚鈍なスタンダールだ。能力の発動はおろか、ろくに反応すらできないまま、目の前に降りかかってくる死を受け入れることしかできない。
しかし、私の爪が首を切り裂く直前のところで、突如目の前に姿を現した龍が攻撃を弾き返した。腕に白い布を巻いたその龍は、あの時と同じように眼を閉じたまま私の前に立ちはだかった。
「イチカ……!」
「……ミク、立てるか?」
「は……はい!」
イチカが庇った龍は立ち上がり、他の龍が駆けつけてきた方へ退がった。私とイチカを囲うように、双方の味方が立ち並んだ。私は今すぐにでも駆け出し、殺しにかかりたいと逸る気持ちを何とか抑え、奴に声をかけた。
「”朧”の将、イチカ!一騎討ちを所望する……!」
「……その一騎討ち、受けよう。だが、一つ条件がある」
「何だと?今更、条件など……!」
「今から決着がついて双方が本拠地に退却するまで、”朧”以外の龍に手を出すな。俺たちも、お前の連れているメルヴィルには攻撃を加えん」
私が反発するのを遮って、奴は条件を提示した。しかし、その条件には全く必要性を感じなかった。頷いて条件を呑むことを示した後で、私はその意味を問うた。
「ここには”朧”の龍しかいないのだろう?そのような条件に何の意味がある」
「……この時をもって、俺以外の全ての龍を”朧”から除隊する!」
「!」
イチカは声高にそう宣言した。確かに”朧”に加わっているのがイチカだけになれば、私や他のメルヴィルは奴以外の龍の身の安全を守らなければならない。もとより私はイチカを殺すことができればそれで良いのだから、そんなことは私にとってはくだらないものだったが、奴の私を欺くような行いには苛立ちを覚えた。
私が奴の行いに対して抗議しないのを確かめるように、奴はしばらく黙ってその場に佇んだ。その後仲間の方へ振り返り、声を張り上げて叫んだ。
「俺が勝っても、敗れても、お前たちはここから退け!復讐のことも、”朧”のことも、俺のことも忘れて生きろ!それが、お前たちが”朧”として果たすべき……俺の最後の命令だ!」
「隊長……!」
「小賢しい真似を……!だが、元々貴様以外に興味はないからな。構わない、そのまま条件を呑もう」
イチカは静かに息をついて、真っ直ぐ私の方を向き直した。眼こそ開いていなかったが、強く睨みつけられているような威圧感があった。そして、奴は私に向かって言葉を投げかけた。
「……初めに言っておこう。復讐……お前が歩み始めている道は、間違っている」
「何……!?」
「お前がまだ引き返せるのかどうかは、俺も知らん。だが……それは、半端な覚悟で歩んでいい道ではない」
奴が静かに言い放ったその言葉は、凄まじい重みを持っていた。だが、当然私はそれで引き退がることはしない。むしろ、この程度で引き下がる方がよほど弱気な半端者だ。奴の言葉の重みに抗うように、力を込めて吼えかかった。
「黙れ……貴様に何がわかる!」
「全てだ。お前の抱えている後悔、憎悪……全て、俺にはわかる。だからこそ、俺は退かない」
「……もはや、語るべきことは何もない。その眼を潰し、翼を千切り、惨たらしい死をくれてやる……!」
私が地を蹴って駆け出すと、イチカはすぐさま眼を見開いた。しかし、『拘束』の力はもう私には通じない。動きを縛られることなく奴の眼の前まで接近し、その首めがけて腕を振り抜いた。奴はこれを躱し、炎を吐きながら後退して距離を取る。炎越しに見えた奴の表情は、先ほどまでとは全く異なり、その瞳は凄まじい怒りを静かにたたえているように見えた。
「それは……『見切り』、か」
「もう、その眼は……『拘束』は、効かない……!」
私の言葉を聞いたイチカが息をつくと、奴の身体から力が抜けた。奴はそのまま再び眼を閉じ、ゆっくりと構え直す。こちらの身を焦がさんばかりの激しい怒りを抱えながらも、木々の隙間から差し込む月光に照らされたその姿はどこまでも冷ややかだった。
「……決めたよ。ノワールには悪いが、俺は今ここで争いを終わらせる。そのために……お前は、何としても殺す」
「……!」
イチカはそのように言いつつも、向かってくる様子はない。あくまで迎撃するつもりでいるのだろうか。しかし、王でもないただのスタンダールが、私と直接ぶつかり合って勝てるはずがない。間違いなく、何か策がある。だが、それでも力で圧し潰す。その覚悟をして、真っ向から突進した。
「はあっ!!」
「……”狐火”!」
イチカは先ほどと同じように、炎を吐きながら一気に後退した。しかしその炎は先ほどのものとは全く異なり、空中でその場に留まって、私がそれ以上距離を詰めるのを阻んだ。
「何だ、これは……!?」
特殊な炎を吐く能力であれば、『見切り』によって弾かれるはずだ。すなわち、イチカは能力を使わずにこの炎を吐き出している。それは体質か、あるいは奴の磨き上げた”技”によるものか、今は判断がつかなかった。
いずれにせよ、イチカは『拘束』ばかりに頼って戦ってきたものではない。奴に対しては、『見切り』は絶対の力とはならない。戦闘が始まってからの僅かな時間で、私はそう確信した。
「だが……止まるわけには、いかない!」
「!」
イチカは飛翔し、横に広く炎を吐いて壁を作り出し、風を切って攻勢に転じた。かつて相対した時に比べて更に速く、鋭い攻撃が繰り出される。その時、上空から迫り来る炎の壁と奴の身体の隙間を通る、白い光のような道が見えた。そこをなぞるように動くと、炎も攻撃も私には当たらないまま地についた。
「躱した……!?」
「……!」
これは、恐らく『見切り』のもう一つの力だ。実際に力を得た者しか知り得ない、視覚の変化。光の道をなぞって動けば、攻撃は当たらない。父上がほとんどの戦場を無傷で切り抜けたのも、この力があったからだろう。
私には、見えるのだ。赤く揺らめく炎に、並のスタンダールを圧倒的に上回る速さで繰り出される攻撃。それらを全て躱し、切り抜ける道が。
「ッ……”叢雲”!」
「何!?」
イチカは翼を振るって強い風を起こし、砂や木の葉を巻き上げた。奴はおろか、他の龍の姿も全く見えなくなった。上空に退避し、様子を見ると、まさしく雲に覆われているかのように点々と、見えなくなっている場所があった。しかし、所詮はただの時間稼ぎだ。風が収まるまで待てば、ただ奴が体力を消耗するだけだと考え、地上の嵐をじっと睨んでいた。
突如、旋風の中から黒い影が飛び出し、襲いかかる。咄嗟に右腕を出して受け止めるが、ほとんど真正面から攻撃を受けてしまった。鱗がいくつか剥がれ、僅かに血が滴る。
「ぐっ……!」
「"叢雲”!」
反撃を受ける前にイチカは再び突風で木の葉を吹き散らし、嵐の中に身を隠した。奴はずっと移動を続けているらしく、複数の場所で旋風が起こった。
この強風の中にもかかわらず、イチカは私の位置を正確に捉えて攻撃を加えた。それは奴が視覚を封じ、他の感覚で世界を視ているからできたことだろう。目に頼っている私には、炎や旋風は大きな妨げとなるが、眼を閉じているイチカの方だけは影響が小さいのだ。
こちらからは奴が見えず、奴からはこちらが視える。ともすれば、それが”技”をはじめとする奴の戦い方の根底にある狙いなのかもしれない。
少なくとも、奴の方は旋風の中から私を見ることができ、攻撃できるということを考えると、待ち続けるほど不利になる。私は一つの旋風めがけて突進し、上空から爪で切り裂いた。吹き荒れる砂塵が襲いかかり、思わず目を閉じる。風が収まって目を開けると、私は燃え盛る炎の中心に立っていた。
「!!」
熱に耐えかね、即座に退避する。”狐火”だ。私が風によって作り出された壁を強引に突破することを読んだ上で、奴はその中に炎を仕込んだのだ。思考が、全て見通されている。行動が、全て見切られている。小賢しい。腹立たしい。その怒りに任せて駆け出し、”狐火”を受けるのも厭わず、無数の旋風を振り払っていった。
「おおおおおっっ!!」
「く……!」
イチカが風を生み出すより速く、切り裂いて消滅させてゆく。十数個の旋風を消し去ったところで、ようやく奴の潜む嵐を探り当てた。
“狐火”と、”叢雲”。強力な技だが、体力の消費も激しいのだろう。奴の呼吸は浅く、乱れている。実際に傷を負った私よりも、動きが鈍っていた。
「はあっ……はあっ……!!」
「隊長……」
周りの龍は戦いについてゆくこともできず、ただ長の身を案じることしかできない。だが、間もなくそれすらも不可能になる。奴らの長は、もはや間近に迫った死を待つばかりなのだから。
「無駄だ。こんな小細工、いつまでも通用しない。体力も少なく、軟弱なスタンダールであれば尚更だ」
好機だ。イチカが再び後退して体勢を整える前に、一気に攻撃を仕掛けて叩き潰す。この機会は、何としても逃さない。
もはや取り返すことのできない、多くのものを失った。その度に、機会を逃した自分を責めた。それでも、今、この時だけは────────
「終わりだッ!!」
「見誤ったな────────”千鳥”!」
私の攻撃が当たる直前、途端に奴の動きが鋭くなった。戦闘が始まった時よりもさらに迅く、黒き閃光は森を駆け抜ける。動揺した私が瞬きするより先に、奴は私の翼膜を爪で貫き、血が噴き出すとともに激痛が走った。
「があっ……!!」
速度と勢いがついたその一撃は、スタンダールのものとは思えないほどの威力を持っていた。私は後ろに地を蹴って退避し、地面に翼を押さえつけて強引に止血した。
◆
「ぐ……!貴様、今までずっと全力を出していなかったのか……!」
「何を言う。俺は全力だった。全力で、本来の力を隠していた」
「そんな言い訳は、いらない……!」
地に膝をつきながらもなお、ヴァイスは俺を睨みつけた。自身が窮地に陥っても、奴は一瞬たりとも俺に対する敵意を絶やすことはない。その執着、そして気力は凄まじいものだ。だが、しかし……奴は、恐らく知らないのだ。隠すことがいかに重要で、いかに苦労を要するものであるのかということを。
「……お前も身をもって知っているはずだが……”知らない”ということは、時に悔やんでも悔やみきれぬ失敗をもたらすものだ」
「……!?」
あの日、俺がモミのために探しに行った花……そんなものがないと、知っていたなら。俺が追い払ったメルヴィル達が復讐を企てていたと、知っていたなら。それはヴァイスにしても同じだ。あの日、奴が俺の能力のことを知っていたなら……
「こんな機会、またとない。俺かお前のどちらかはここで死ぬからな。だから、一つだけ教えてやろう。ミドナのもとまで持って行け。勝ちたいならば、敗れたくないならば……お前の持つ情報を、できる限り隠すことだ」
「……!」
隠そうとすることは容易い。しかし隠すことは、難しい。
戦闘においては尚更だ。敵の情報が一際重要となるから、互いにそれを探らんと眼を凝らす。そんな相手から、自分の持つ情報を隠し通さなければならない。もちろん、敵の情報を探ることに意識の一部を割きながら。
だから、俺は”千鳥”によって敵の観察を封じた。疲れていたと思っていた相手が、実際はそうでなかった。その経験を通して、奴は俺から得られる情報の全てを信じられなくなった。俺は本当に消耗しているのか、まだ他に技を持っているのか……奴の中には、常にそうした疑念がつきまとう。”千鳥”の本当の強みは、迅さではないのだ。
「……千鳥という鳥がいるそうだ。傷を負ったように見せてから、急に動き出して逃げ出すことで身を守る鳥だ。前に出会った人間から教わった」
「……人間」
「俺は、勝つためなら……守るべきものを守るためなら、どんなものでも使う。たとえ、それが見知らぬ外の世界の知恵であったとしても。遠い過去に、そう誓ったからな」
誓った相手も、その時守るべきだったものも、もういない。だが、それでも、此処にいない彼らの信念を、想いを、俺はこうして背負い続けるのだ。それが、誓いを破った俺にできる唯一の償いだから。
「……せっかく隠してきたのに、そこまで話しても良いのか?」
「要らぬ心配をするな。これは決して、俺の全てではない!」
再び構えて戦闘の再開を促すと、ヴァイスは立ち上がって突進する。何の策もない、単純な攻撃だ。事実として、相手を攻撃する能力を持たないメルヴィルは、それ以外にできることはほとんどない。だが、俺はもちろんのこと、ノワールやクロガネをも上回るその身体能力から繰り出される攻撃は、俺にとって間違いなく最大の脅威だ。
守りの力を持つ龍を除いては、メルヴィルとの戦いに軽傷という概念はない。無傷か、致命傷か、あるいは死か……そのいずれかしか、待ってはいないのだ。二発も正面から攻撃を受ければ、それだけで戦いは終わってしまう。
何としても、俺は無傷で勝たねばならないのだ。争いが終わるまで明かしてはならないことを、隠し通すためにも。
ヴァイスの殺気が、一層よく視える。疲労、負傷、そしてそれによって増幅された怒りが、奴の挙動の節々に込められていた。
怒りのこもった一撃は、強力だ。躊躇や容赦、あるいは自己を顧みる思いなど、攻撃が弱まる要因の一切が排除されている。しかしその分、こちらが平静を保ったままであれば見切りやすい。迫り来る渾身の一撃を、上空に飛んで回避する直前────────突如、奴の殺気が消えた。
「!?」
ほんの一瞬、ヴァイスの姿が視えなくなった。それまで俺は無意識のうちに、奴の濃い殺気をあてにして姿を捉えていた。偽りの弱い自分を見せれば、本来の自分の力は見えにくくなる。奴は先ほどの俺と、全く同じ手を打ったのだ。
奴を逃したほんの一瞬が、俺にとっては致命的だった。爪の一撃を避けきれず、腹部に直撃する。鈍い音とともに鱗が裂け、全身に痛みが広がる。
「ぐ……!」
「……貴様、どういうことだ」
ああ、俺は、暴かれてはならぬことを暴かれたのだ。もはや自身の情にかかわらず、この場で争いを止めなければ、スタンダールとメルヴィルが憎み合う世界を変えなければ、俺に未来はない。黒き装いを破られ、ついに姿を現した自分の白い鱗を見て、そう確信した。
「……大した飲み込みの早さだ。俺が、敵を見失うとは」
「そんなことはどうでもいい……!説明しろ!貴様の身体はどうなっている!その白い鱗は、何だ……!」
ヴァイスは、俺の身体の節々に現れた白い鱗を見て、明らかに動揺していた。無理もない。憎きスタンダールの一隊を取りまとめる将、そして無二の友の仇として追い求め、戦ってきた相手が、自分と同じ色の鱗を持っていたのだ。奴の反応は、ごく自然なものだ。
「見たらわかるだろう。俺はスタンダールとメルヴィルの合いの子だ」
「……!」
「……もはや隠す必要もない。俺はイチカ……この争いのはぐれ者。父は────────メルヴィルの先王、ヴァームルク!」
八章──眼を見切る(上)── 完




