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黒い春、白い春  作者: すみすみす
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青くもない春に静かに戦う者たち

……チャイムが鳴った。

今日は6時間授業。最後は苦手な数学だ。

色々な記号や数字がただただ羅列され、正直なところ先生が何を言っているかよくわからない。


長い長いその授業もようやく終わり、みんなはそれぞれ帰り支度を始める。

中には野球やサッカーといった部活動に向かう者もおり、

一方ではカラオケやボウリングに繰り出す者もいる。

私に話しかける者はいない。


「ようやく終わった」

私はそう小さく呟き、読んでいた本をカバンにしまう。

窪庭先生(数学の先生だ)は人もまばらになった教室でそんな私を見て小さなため息をついた。

「西村、お前はまた数学の時間に……」

私はその言葉を聞き終わる前に立ち上がり、教室を後にする。

「ちょっと待て西村。はぁ……今日は行くのか?」

「はい、行きますよ。」

「そうか。あとで待ってろ。」

「わかりました。」

短い会話を終えて私は化学室に向かい、教室を後にした。


「左京!」

訂正。1人だけ私に話しかける者がいた。

彼女の名前は外柳奈々。私と同じ囲碁部員だ。

「また授業中詰碁やってたの?窪庭先生呆れてたよ。」

「ああ、あんな授業聞くより詰碁やってたほうが有意義だし。」

「もう、そんなこと言って。どの授業でも詰碁やってるくせに。」

「おーい! 奈々と左京、部活は?」

「行く。」「私も。」

もう1人いた。彼の名前は竹野宮堅碁。

「暗い」「陰気」といった囲碁部のイメージとは正反対の活発な同級生だ。

後ろから走ってきた彼に私と奈々は足を止めることもなく短い返事を返した。


化学室に到着した3人は、ごそごそと碁盤と碁石を準備した。

「今日はどうする?」

「先生まだ来ないと思うから。」

「じゃあ最初に俺と奈々が打つか。左京二面打ちする?」

「いや、詰碁解いてる」

「了解。じゃあ奈々、また5子な。」

「えー、6子置かせてよー」

堅碁と奈々はハンデの大きさを話し合っていた。

囲碁では通常は黒、白、黒と順に石を置いていくのだが、

中央高校の中では堅碁が頭一つ抜けて強い。

そのため、最初に黒(この場合は奈々だ)が5個や6個、石を置いてゲームをスタートするのだ。

堅碁と奈々は同じ中学でずっと一緒にやっていたが、

だいたい奈々が6子のハンデを得ても堅碁が勝つことが多い、、、という程度の実力差だ。

「大会近いんだから甘えるな!」

堅碁のその一言で奈々の意見は抑えられ、ハンデは5子に決まった。

ちなみに二面打ちとは、1人が別々に2人を相手にすることである。

これも一種のハンデで、上手(強い人だ)が下手(弱い人だ)を2人同時に相手にすることがある。

そして高校で囲碁を始めたばかりの左京の実力は奈々と同じぐらいのため、

堅碁にとっては2人を同時に相手にするのは正直なところ何の問題もない。

……といっても、この二面打ちが行われたことはないのだが。


「「お願いします!」」

挨拶と共に堅碁と奈々の対局は始まった。

盤上にはすでに5個、黒の石が置かれている。

最初に打つのは堅碁。ハンデとして置石を置いた場合、上手の白からはじめるのだ。

右上隅コゲイマガカリ。右上の黒石からケイマの位置(右に1つ下に2つ離れた場所)に綺麗な手つきで堅碁の初手が打たれる。

右上隅一間受け。続いて奈々は受ける。

最初の黒石から左に2つ、離れた場所だ。

続けて白すべり、黒三々受け。白二間開き。黒開き。

囲碁はこうやって黒と白が交互に石を置くことで進行する。


そしてそのやりとりが4回繰り返される。

「奈々、お前ちょっとは他の定石も使えよー」

「だって難しいことしたら絶対堅碁取りに来るじゃん!」

「そうはいってもこれじゃ練習にならねーよー」

「定石」というのは決まった一連の手順である。

何前年も前から嗜まれる囲碁の歴史の中で、「こう打てばいいらしい」と

その時々の時代を代表する打ち手が確立したものだ。

定石は覚えきれないほどの種類があるのだが、

心配性の奈々は最も基本的な定石を愛用しているのだった。


「じゃあ、ほい!」

そう言って堅碁は奈々の石が3つ離れている間に石を置いた。

囲碁の原則は自分の石が多いところで戦うことだ。

そうすることで戦いを有利に進めることができ、結果得をするという理屈だ。

しかし、堅碁はその原則を無視した。

なぜなら、この対局は5子。普通にしていたら黒の石が多いのが当然なのだ。

そのため、堅碁は奈々の黒石が強いところで敢えて戦いを誘った。

そこからは戦いだ。

堅碁は次々と奈々の石が弱いところやチャンスのあるところに石を放っていく。

それに対して奈々は自分の石を補強するようにおどろおどろしく石を置いていく。

盤面を見ると、徐々に白の石は広がっていき、一方で黒の石は同じようなところに集中していく。

これは堅碁が効率よく自分の陣地を拡大しているのに対して、

奈々は堅実に自分の陣地を守っているためだ。


「負けました。」

唐突に奈々がそう言った。

「奈々固すぎ」

「だってそうしないと堅碁に石とられちゃうじゃん」

「でも守ってばっかりだと勝てないだろ」

「えーだってー」

「というかこの手はさすがにないだろ」

「じゃあどうすればよかった?」

「ここは白も弱いんだから一回攻めてから守れば」

奈々の「負けました」の一言で降参を意味し、対局が終わる。

そこからは検討が始まり、対局を振り返る。

今回は奈々が固く守りすぎ、効率で堅碁があっさり追い抜いてしまったようだ。

囲碁の難しいところはこの効率と堅実さのバランスで、

堅実になりすぎると奈々のように上手に追い抜かれてしまう。

一方、効率に重点を置きすぎるといつもの左京のように石が死んで一気に負けてしまうのだが。


「ここは上辺の白石がまだ弱いからそっちを攻めて」

「でも右上の黒だって弱いじゃん。左京ならどこ打つ?」

「ん?置いたら黒危ないんじゃない?」

「お前は殺すことしか考えてないのかよ。さすがにそれはやりすぎだろ。」

「やっぱり左京は攻め好きだなあ。」

「お。終わったところか。どうだった?」

仕事を終えた窪庭先生が入ってきた。

「5子で負けました。堅碁強すぎるよ」

「そうか、まだ5子は厳しいか。で、その場面は?」

「ここなんですけど、今弱い石を守るか相手を攻めるか話してました。

 俺はここは攻めるところだと思うんですけど。」

「で、奈々は守りたい、左京は攻めたい、といったところか。どれどれ。」

そういって状況を把握して窪庭先生が盤面を見る。

ちなみに窪庭先生は堅碁よりも強く、各地の高校で囲碁を教えてきた実績がある。

「ここは黒の弱い石の側から白の石を攻めるといいんじゃないかな?」

「なるほど。確かに。」

「あ、それなら怖くないや。」

「いや、でも置けば殺せるかもしれないし。」

左京以外は先生の意見に同意したようだ。


「さて、じゃあもう1局打って今日は終わりにするか。」

「お、先生今日こそ俺が勝つよ。」

「はは、まだ白は持たせてもらうよ。」

「じゃあ左京打とうよ。」

「ああ。」

本日2局目の対戦は、窪庭対堅碁、奈々対左京に決まった。

実力的に上の窪庭は白、下の堅碁は黒を持つ。

「定先」と言われる手合いだ。

「左京今日は何子?」

「互いでいいよ。」

「またそれ?じゃあにぎるよ。」

奈々と左京の手合いは互先。これがハンデが全くない手合いである。

ニギリの結果白に決まった奈々は最後に陣地が6.5目増える。

これは先に石を置ける黒が有利なために与えれるもので、ハンデではない。

ちなみに定先はこの6.5コミがないため、若干黒が有利な手合いだ。


「「お願いします。」」

先ほどと同じ掛け声で2つの対局が開始された。

黒左京。右上隅星。上から4番目、右から4番目だ。

白奈々。右下隅星。下から4番目、左から4番目。

その後奈々と左京の対局は静かに続く。

一方、窪庭と堅碁の対局は、堅碁が仕掛けているところだった。

「ほう、オオゲイマガカリか。」

黒の小目に対してコゲイマより1つ離れたオオゲイマに掛かる手だった。

この手自体そんなに珍しい手ではないが、実際打たれることはあまり多くない。

それに対してコスミで窪庭が受けたことにより、

オオゲイマガカリの中でも簡単な変化に突入する。

その後も堅碁は自分なりに研究した技を繰り出すが、

窪庭は何十年と対局を重ねてきた経験をもとに穏やかにそれをこなしていく。

そして中盤戦に差し掛かったところで、突然静かな声が響いた。

「負けました。」

その声の主は左京である。


「左京は相変わらずだねえ。」

「お前、もうちょっと守ることも考えて打てよ。」

奈々と堅碁にいつものセリフを言われながら、左京は呟く。

「左上は殺せたかもしれない。」

「いや、これ殺してても白勝ちだから。」

そう、左京はまだ囲碁を始めて1か月ほど。

奈々にハンデなしで打つのはまだまだ難しい棋力だった。

しかも、その棋風は攻め一辺倒。上手である奈々はしっかり守って勝ち、という

言ってしまえば打つ前からわかっていたような展開である。


「さて、こっちもそろそろ勝負どころか」

窪庭はそう呟き、堅碁の弱い石に迫る。

形勢は実利をとっている堅碁に対し厚みで上回る窪庭、やや窪庭が優勢といったところだ。

堅碁は悩んだ。この石を守りきって勝てるかを考えたためだ。

……「負けました。」

その時は思ったよりも早くやってきた。

弱い石を守るより一手先んじようと他に打った堅碁の石を窪庭があっさりと殺した結果だ。

やや優勢の状態から一か所石を殺されると、さすがに勝てない。

そのため、早々に堅碁が負けを認め、投了したのだ。


「やっぱ先生強いなー」

「堅碁も強くなったけど、まだまだ負けれないかな。」

「凄い勝負だったねー左京」

左京は既に意識は詰碁に移っており、聞いていない。

「堅碁も強くなってるし、奈々さんも強くなってるから、5月の大会が楽しみだね。」

「あ、先生案内とか来てないの? 俺もちろん出るから。」

「ああ、ちょうど今日来たよ。申し込み締め切りは来週末だけど2人はどうする?」

「わたしも出たい! また中学みたいに団体戦も出れるし頑張ろうね。」

「僕も出る。」

2人は出場の意を示したが、窪庭は静かに口を開いた。

「2人とも頑張ろうね。でも団体戦は出れないかな。」

「え、なんで? 3人揃ってるじゃん。」

「奈々さん、高校の団体戦は中学までとは違って男女別なんだよ。

 だから男子2人女子1人のうちの部だとどっちにも出れないんだ。」

「男女別!? え、私1人だから全然ダメじゃん!」

「だから今年はみんな個人戦だけかと思ってたけどね。

 でもさっきも言った通り、堅碁も奈々さんも、代表目指せると思うよ。」

「私堅碁とかに全然勝てないし無理だよ」

「奈々、もしかして個人戦も男女別じゃないのか?」

「堅碁正解! 男女それぞれ2人が県代表だよ。」

「え、じゃあ堅碁もみんなもいない! 寂しいけどそれだったら勝てるかも!」


その後、中学でも大会に出ていた堅碁と奈々はその時に対局した相手のこと等を話していたが、

ぼそっと左京が言った。

「あの、僕団体戦ってやってみたいんだけど。」

みんなが振り返った。

「いや、さっき男3人いないと出れないって言っただろ。」

「でもつまりあと1人いれば出れるってことじゃない?」

「そんなこと言ってもここらで囲碁部のあった中学なんてうちぐらいだし、

 あいつうちの高校じゃないだろ。」

「もう1人誘えば出れる」

それは物静かな左京からは考えられない意志の感じられる一言だった。

その一言を皮切りに、中央高校囲碁部は団体戦出場を目指すのだった。

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