うで比べ 5
大陸一の国家であるクロスロードは歴史も古く、長く続いた平和ゆえに、文化や思想的にも他国に優るところが多かった。特に王都クロスロードでは、住民達にも先進的な考え方が浸透しており、それに見合う実力さえあれば、女性が社会的に活躍する事も珍しくはない。
「噂の広まりとは、なんと早いものだな……それで、貴様はこのまま、マスカンヴィット家に入り婿するつもりなのか? 」
「は、いえ、まさかに、その様な事は……決してありません」
テンプル騎士近衛騎士団団長『剣姫』アルタソマイダスなどは、その最たるものであり、女性騎士でありながら、クロスロード最強は誰か、などという議論が市井で起これば、必ずにその名が挙げられる程である。
その白金の長い髪は、天女の羽衣に例えられる程の軽やかさであり、三十路を越えてなお若々しい美貌は、間違いなくエルフとの混血であろうと噂されている。しかし、王宮内で彼女についての深い詮索はご法度であり、今まで、いささか大き過ぎる彼女の影響力を、少しでも削ごう、などと考え、間者を放った政敵達は、皆が皆、不審な最期を迎えていたのだ。
「どうするのかと、聞いている」
「は、それは……」
人とは思えぬ恐るべき剣力と、人離れした近寄り難き美しさ、更に次期国王たるシャルロッテ王女からの信頼も厚く、欲望渦巻く王宮を生き抜く智謀も備える、この『剣姫』を前にしてしまえば、さしもの串刺し王女とて、肩をすぼめて額に汗する他は無いであろうか。
(しかし、何故、団長はこれほどに……こうまでの圧、近衛に配属された初日を思い出す……)
普段であれば、目の前の上司は、もっと柔らかな口調と雰囲気を纏っており、少々不敬ではあるのだが、リリィアドーネは度々に、彼女の悪戯っぽさに対して、眉を顰める事さえあったのだ。しかし、今のアルタソマイダスは、泣く子も黙る鬼の面を露わにしており、もしも返答を違えれば、即座に首を刎ねられてしまうのではないか、とさえ思わせる威圧感であったのだ。
「アルタソ、そこまでにしておけ、辛島では無いのだぞ、そのように押さえつけては話し合いにもならんだろう」
久方振りの恐怖感に身を縮めるリリィアドーネに、横合いから救いの手を差し伸べたのは、二メートル近い赤髪の巨漢であった。テンプル騎士団総団長、救国の大英雄にして、クロスロード最強の騎士『電光』のアドルパス ゼッタライトである。
御歳五十五才、初老とは思えぬ程の活力と圧力に満ちた男であり、特別にあしらえた筈の頑丈な白い騎士服も、下から盛り上がる筋肉によって、はちきれんばかりであるのだ。
「リリィアドーネよ、ここから先は他言無用であるぞ……マスカンヴィット伯爵の娘はな、青ドラゴンのダイヤモンドよ、お前が、どういった理由でたらしこんだかは知らぬが、なんと面倒事をこしらえてくれたものだ……そして、ここから先は忘れておけ、マスカンヴィット伯爵はな、先の戦で、初陣の陛下を守るために瀕死の重傷を負ったのだ、それに報いる事を、俺は病に伏せられる前の陛下から、強く申し付けられておる……この意味が分かるか? 」
「そ、そういった事情でありましたか、ならば私は、どのようにすれば……」
リリィアドーネにしてみれば、自身は知らず、また、なんの落ち度も無い出来事である、しかし、この真っ直ぐな少女に、それを主張する事など出来るはずもないだろう。込み入った事情があるならば、自らに可能な範囲で協力すべきだと、すでに心の内で結論を導き出してさえいたのだ。
「リリィ、ジッタンビットは森エルフなのよ、これは、暗黙の了解なのだけれどね、だから本来ならば伯爵家の正式な養子としては認められない、けれど、これは陛下の勅命なのよ……彼女に結婚相手が現れたならば、ひとまずその男に家督を譲り、彼女との子には無理でも、せめて孫からは正式にマスカンヴィットを名乗らせよ、とね……でも、そうね……もしもリリィがマスカンヴィット家に入るというならば、貴女の息子か娘には、家名を継がせる事も出来るかしら? 」
強力な剣士にあるまじき、柔らかく嫋やかな指をテーブルの上で絡ませると、アルタソマイダスは普段の仮面を取り戻し、まるで世間話でもするかのような声調で語りかけてくる。その、あまりの変わりように、一瞬だけ理解の及ばなかったリリィアドーネであったのだが、いや、今の話しを理解するというのは、彼女の精神的許容範囲を大きく超えることであったのだろう、現に彼女はその可愛らしい口を、ぽっかり、と開けたままに固まってしまい、このまま放置してしまえば、部屋の調度品として馴染んでしまいそうなのである。
「アルタソ、そこまでと言っただろう……全く、側妻だからといって、あまり苛めるな……リリィアドーネよ、これは俺にも関わりのある件だ、名前を出して構わんから、辛島に言ってなんとかさせろ、まぁ、あいつなら上手くやるだろう」
石像のごとく固まっていた彼女であったが、はっ、と気を取り戻したのは、辛島という名に反応したからであろうか。
しかし、彼女にしては珍しく、上司二人を前に、いささか納得のゆかぬ表情なのは、側妻という言葉にも反応したからであろう。
「は、知らぬ事とはいえ、団長達にまで、ご迷惑をおかけする事態を引き起こしたのは事実です、今回の件は、私の責任において、必ずに」
その薄い胸の前で右手を水平に構え、クロスロード式の敬礼を残すと、リリィアドーネは即座に振り向いた。しかし、その足が急ぐのには、他にも理由もありそうであったのだが。
「それと、ひとつだけ、ジュートに伝えて頂戴……手篭めにする以外の方法でよろしく、とね」
「それは、必ずに! 」
慌ただしく退室するリリィアドーネは、儀礼に反せぬ、ぎりぎりの速度で歩み去っている様子であった。
「マスカンヴィット伯爵か……俺も若い頃は世話になったのだ、出来得る限りのことは協力したいが……しかし、あの娘ごは、どうか」
「ふふ、ご自身で言われた事でしょう? どうかご心配なく、ジュートなら上手く収めてくれますよ」
きい、と背もたれに細い身体を預け、アルタソマイダスは、薄い唇の間から淑やかに息を吐き出す。その仕草ひとつだけにも、何か色香のようなものが含まれており、長くに見守ってきたアドルパスでさえ、彼女の美しさには、日増しに磨きがかかっているように感じるのだ。
(中身が、もう少しだけ、しゃんとしておれば……俺も今頃は、孫に囲まれて……ゆっこに寂しい思いもさせぬであったろうか)
「……アドルパス様、なにか? 」
その巨体を、どきり、と跳ねさせ、巨漢の騎士は退室してゆくのだ。
高望みはせぬべきか、孫は一人で諦めるべきか、などと考えながら。