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鬼鳴岬 7

「おお……なんじゃ猫か、久しぶりじゃの、よう来たわ」


「おかしいにも程があるな」


 オランに到着した御用猫を出迎えたのは、しかし、なんとも気合の抜けた田ノ上老であった。いや、出迎えたとさえ言えぬであろう、何しろ領主の館を訪ねた野良猫は、その足で、離れに用意された夫婦の仮住まいまで訪ねていたのだから。


「ごめんね先生、なんか大先生ったら、こないだサクラと会ってから、ずっとこんな調子なのよ」


「おかしいにも程があるでしょう! 」


 苦笑しながら弁明するティーナに、今度はサクラが噛み付いた。礼儀として、まずはハーパスへの挨拶をしようと、御用猫は真っ直ぐに領主の館へと向かったのであるが、何故だか途中で彼を待ち構えていたのは、サクラとリチャード少年なのである。


 もっとも、この少年の気の回りようについては熟知していた野良猫である、出くわしたとて驚きもしなかったのであるが、彼が訝しんだのは。


「あの、ゴヨウさん……その、何か言うことは、ありませんか? あるでしょう、あるはずです」


「あのなぁ、土産ってのはな、待ってた者が貰うものだぞ? いや、お前も待ってはいたのか……しかし、旅に出たのはサクラもそうであろうに、全く、卑しいやつめ……分かった分かった、後で何か買ってやるから、先に親父殿へ挨拶させてくれ」


 頭を撫でようと伸ばしたその手は、サクラに強く(はた)かれ、途端に噴火する少女なのである。しかし、御用猫に文句を言いながらも、彼女は離れる事なく、ずっと後ろを付いてくるのだ。


(相変わらず、訳の分からぬ奴だ……もしかして腹が空いてるのか? ならば丁度良い、ハーパスの処に長居したくは無いし、リチャードに頼んで飯を食わせておこう)


「お断りします、あと、そうではありませんからね」


 目を合わせた途端、即座に拒否される御用猫なのである。こうなればもう、彼には苦笑する事しか許されぬであろうか。


 オラン太守の館は、街の中心から外れ、やや海寄りに存在する。様式に拘るクロスロードでは珍しい事であるのだが、しかしこれは、会えて王道から外した訳でなく、街の防衛上の都合という訳でも無い、だだ単にオランという都市が予想以上に発展した為であり、そして現在も拡大を続けている以上、迂闊に移設も出来ないというだけの話であったのだ。




「ああ、結婚式以来か、久しぶりだな『御用猫』よ、壮健そうでなにより」


「ハーパス様も、お変わりなく」


「ははは、なにを堅苦しい」


 広い客間にて待ち構えていたオラン領主ハーパスは、御用猫の姿を見るなり立ち上がると、気さくな笑顔にて肩を叩くのだ。元々がこうした軽い男ではあるのだが、そうした仕草にも、どことなく芝居掛かった、大袈裟なものを感じるだろうか。


『太守様に役者はいらぬ、彼の姿が劇になる』とは、オランでの演劇帰りに客が歌う冗句であった、確かに、ハーパス程の絵になる男前を揃えるのは、中々に大変な事であろう。彼と、その妻である海エルフのラーナ、美男美女ふたりの恋物語は、オランでも辛島ジュートの冒険譚と並び、人気の演目となっていたのだが、流石に本人が近くに居るのである、役者選びにも気を遣うようで、最近では彼自身を舞台に上げてはどうかなどと、笑い話になるほどであった。


(ふむ、案外、すんなりと引き受けるかも知れないな……ふふ、そういったものも、好きそうではあるし、な)


「ところで、今日は何処に泊まるつもりだ? 実はな、田ノ上様の様子がおかしいのだ、ここしばらくは、何か覇気の無い……なので、な、ここは男衆だけで、ひとつ話を……」


 肩を組み、声を抑えてハーパスが話しかけてくる、御用猫は片眉を上げ、僅かばかり考えたのだが、なんの事はない、彼はどうやら、久し振りに夜街へ繰り出そうと提案しているのだろう。その上がった口角が証左であろうと、御用猫も頷き笑みを返すのであったが。


「……あなた? 」


 胸元の大きく開いたドレスから健康的な色合いの果実を覗かせ、にっこりと笑うラーナの姿に、二人の男は揃って背筋を伸ばすのだ。以前に会った頃は、もう少し、おどおどとした、大人しめの女であった筈なのだが、彼女も今は『トライデント』氏族の族長である、更に妊娠もしているとなれば、こうして強くなるのも、至極当然と言えるだろう。


「さて、私どもはこれにて……奥方様も、どうか、お身体をご自愛ください」


 姿勢を正して頭を下げると、御用猫は客間を後にする。比較的とはいえ、オランの仕来りは緩いものであるのだ、堅苦しい作法を嫌う野良猫とて、一晩二晩の滞在くらいは、構わぬ筈であったのだが。


(……まぁ、父親を斬った男が同席、というのも、な)


 ラーナ自身は知らぬ事であろうが、彼女の父である前族長ケネマースは、かつて『オランの海狐』と呼ばれる海賊を組織し、ハーパスの父である、前オラン太守を暗殺しようと企てていた。その思惑は御用猫達の手により阻止されていたのであるが、やはり、成り行きとはいえ、御用猫にも(わだかま)りというものは、確かにあるのだ。


 いや、もしかすれば、彼女も気付いているのかも知れない。決して表に出す事も、恨みに思う事も無く、飲み込む事さえ出来ぬ気持ちを、腹の底に抱えているだけやも知れぬだろう。


「……まぁ、所詮は卑しい野良猫だ、この先そうそう出会う事も、あるまいて」


「何がですか? また余所事ですか、そんなことより他に、考える事があるでしょう、何か言う事は無いのですか? 」


 離れに向かう間にも、サクラの文句は途切れる事なく続き。


「……まぁ、のんびりしてゆけ、泊まるのは浜風であったか? 気が向いたら、後で顔を出すからの」


 そして、出迎えた田ノ上老の態度は、これなのである。


 御用猫にしてみれば、田ノ上老の事は、内心で密かに父とさえ思っているのだ。久し振りにその顔を見るのは、実のところ非常に楽しみな事であり、ここしばらく落ち込んでいた彼の心が、ようやくに浮上してきたのも、オランに近づいていたからであり、待ち望んでいた再開が目前に迫って来ていたから、なのであった。




「先生、御用猫の先生ぇー、まだ拗ねてるんでごぜーますか? 元気出しましょうよ、もっと前向きに考えましょうよぅ、明日は海で泳ぐんでしょ、わいもひと肌ぬぎますから、キャッキャウフフしたるから、今日は美味しいご飯食べて、ゆっくり寝ましょうよぅ、というか、早く食わせてくだせー、即身仏になる」


「いや、拗ねて無いし自分で食えよ」


 憮然とした表情のままに、みつばちからの酌を受ける御用猫は、誰がどう見ても『拗ねている』と、表現するであろうか。もっとも、この場に居る大半の者達にも、それは当てはまるのだ、まるで野良猫の不機嫌が伝播したかのように、皆は言葉少なく、珍しくも静かな夕食の時間であったのだ。


「……んもぅ、やだやだ、こんな空気! 猫ちゃんも、いい加減に機嫌直すの! お爺ちゃんにだって、疲れてる事くらいあるでしょ」


 遂に痺れを切らしたか、御用猫の隣に座る黄雀が悲鳴をあげた。彼の袖を掴んで揺すり、ぐりぐり、と頭を擦り付けてくるのだ。


「別に、機嫌は悪く無いが」


「うーそーだー、はい、うそうそです……あのね、猫ちゃん、こーゆー時はね、ひとつずつ片付けていくの、自分からやっつけないと、いつまでもすっきりしないの、分かった? ……それでね、こないだね、狸のお爺ちゃんと出かけてから、ふたりとも様子が変だったの、あっちに聞いたら、きっと何か分かるよ、明日から調べてみようよ、きぃも手伝ったげるから」


 きぃきぃ、と鳴き声をあげる黄雀に、御用猫は嶋村老への挨拶が、そういえばまだであったと、ようやくに思い出す。


(むぅ、いかんな、そんな事まで失念していたとは……やれやれ、我ながら少々、子供染みていたか)


 なにやら、自分でも可笑しくなった御用猫は、こきこき、と首を鳴らして気持ちを切り替える。そうして周りを見てみれば、これは確かに。


(なんと、空気の重い席では無いか)


 そう、気付くのである。


「そうだな……よし分かった、世話の焼ける親父殿の悩みとやら、少しばかり調べてみるか……きぃちゃん、ありがとな……皆も悪かった、遊びに誘っておきながら、これでは楽しむものも楽しめまい」


「まったく、世話が焼けるのは、どっちでしょうかねぇ? ぐへへ、先生ぇ、はよはよ、はらへった」


 かちかち、と歯を鳴らす卑しいエルフの口に刺身をねじ込み、御用猫は初めて皆に笑顔を見せる。途端に周囲からも安堵の息が漏れ、口々に彼の文句を言い始めるのだ。


「あぁ、悪かった、悪かったよ、こないだからな、嫌な仕事が続いていたからな……少々、気が滅入っていたのだ、明日からは……あ、そうだ、例の件もあったな、さんじょう、向こうはお前に任せるから、代金は……」


「はいはーい、猫ちゃん猫ちゃん、その話は、あとあと、だよ? その前にね」


 早速に段取りを始めた御用猫を遮り、しゅぴっ、と黄雀が手を挙げる。立ち上がった彼女は、向かいの席からサクラを引っ張り出すと、彼の横に立たせるのだ。


「はい、ひとつずつ、だよ……どう? なにか言うこと無い? どうどう? 見た感じ、どんな感じ? 」


「ん? どう、と言われても」


 餌付けをしながら、御用猫は空いた手で顎を摩る。何やら黄雀に喚いていたサクラであったが、彼と目が合った瞬間に黙り込むと、僅かに視線を逸らし、スカートの端を握り込んだ。


 オラン旅行に際して、海にそぐわぬからと、普段の着物を脱ぎ捨てたサクラは、肩を出した白いブラウスに、海色の短いスカートを合わせている。足元には白い皮ひものサンダル、そして、自分で改造したのだろうか、髪を束ねる赤い組紐には、御用猫から貰った月狼の牙があしらえてあった。


 サクラはしばし、落ち着かぬ様子にて視線だけを彷徨わせたのち、遂に御用猫の長い沈黙に耐えかねたのか、もじもじ、と細い身体を捩り始めたのだが。


「……別に……いつもと変わらないだろう」


 その言葉を耳にすると、明らかな落胆の表情を浮かべるのである。


 もっとも、今にも泣き出しそうなサクラをよそに、他の者は呆れたような、笑っているかのような顔つきであり、この先の展開を予想できぬのは、当の本人だけであろうか。


「なにしろ、サクラはいつでも可愛いのだからな」


 ぐい、と手を引かれ、隣の席に座らされる少女の顔には、次に困惑の色が浮かび。


「ただ、色々とお洒落はしているようだな……もちろん、サクラの愛らしさには敵わぬが、それを褒めて欲しいというならば……そうだな、後でゆっくりと、愛でてやろうか」


「ごばっ!?あ、あばっ、あばばばばっ」


 声にならぬ、潰れたような息を漏らし、真っ赤に熟れて震えるばかりであるのだ。


 浮かれ、落ち込み、理由は違えど、少々頭の回らなかった野良猫ではあったのだが、こうして落ち着きを取り戻せば、サクラを揶揄うのも、普段通りの事であろう。


 途端に騒がしくなるテーブルではあったのだが、一人離れて食事に夢中の大雀と。


「……若先生、あとでお話があります……少しばかり、長くなるかも知れませんが」


 極限まで冷えたような眼をした、リチャード少年だけが、異彩を放っていたであろうか。



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