鬼鳴岬 6
悩みに悩んだ末、御用猫は先程の男達を尾行する事に決めた。後をつけるならば、少々遅きに過ぎる決断ではあったのだが、彼らには既に黒雀の微香毒が擦り付けられており、一晩はその足取りを見失う事も無いだろう。
もっとも、例え即断にて追い掛けようとしたとて、大飯食らいが三匹も腹を空かせていたのでは、彼も動くに動けなかったのだろうか。御用猫は、膝の上で機嫌良く左右に頭を振る、黒髪の少女を撫でながら、新たに現れた志能便達の食事を追加注文してゆくのだ。
小柄な黒髪の方は黒雀、夏らしい薄手の白いワンピースに身を包み、左目に着けた眼帯の他は、まるで人形のように精緻な造りの美少女である。もっとも、可愛らしいのは見た目だけであり、いざ戦いとなれば、黒エルフ種族特有の、梵字の如き呪い紋を全身に浮かび上がらせ、笑いながらに命を奪う殺戮者であった。
濃い金髪の大柄な女が大雀、尖った短い耳に膝まで届く長い腕、彼女は山エルフと呼ばれる種族であるのだが、クロスロードでは嫌われ者の種族であり、その為に両肩からカーテンの様なマントを下げて、種の特徴を隠している。こちらも雀蜂と呼ばれる暗殺専門の部隊に所属しており、無情無血の殺人者ではあるのだが、黒雀と違うのは、殺しを楽しむでも無く、かといって戦いに酔うでも無く、ただ単純に、弱者を踏み付けるのが、自らの優位性を実感するのが好きな女であった。
今も際限なく胃袋に食事を流し込む大雀を眺め、御用猫は鼻から息を抜く、卑しい野良猫にしては珍しい事であるのだが、目の前の大女は、あまり好みの手合いでは無いのだ。御用猫にも苦手とする人間は多々存在するのだが、こうして悪感情を持つまでとなると、その数は限られるであろう。
「というかな、なんでお前まで来てるんだよ、呼んだ覚えは無いんだが」
「ほれふぁ、ほごご、もごふごふももへすから、ほめんなふぁい」
「ちゃんと喋れ」
御用猫が摘みの枝豆を親指で弾くと、大雀は、ひょい、と首を伸ばし、額に当たる軌道の豆弾を咥え取る。当たるはずもないだろうと、分かった上で放った攻撃ではあるのだが、こうも易々と防がれるのも、それはそれで腹立たしい彼である。
「護衛、人数おおいから、たりない」
「うわぁ、黒雀に通訳される日が来るとはなぁ、先生嬉しいよ」
餌付けの手を止め、黒い悪魔の頭を撫で摩る御用猫に、大雀が気持ち悪いと悪舌を伸ばす、どうやら、はっきり喋ろうと思えば喋れるらしい。きゅっ、と目を閉じ、幼稚な怒りを堪える御用猫に、肉を噛み千切りながら山エルフの女は問い掛けるのだ。
「ごめんなさい、心からの本音が漏れました、でも、どうするんですか、さっきの奴ら、叩き潰すのは簡単ですが、面倒だからしたくありません、追い掛けるなら黒雀と二人で行ってきてくださいね、あ、でも先生に死なれると怒られるので、雑魚相手にも必死でやれよ? ごめんなさい」
「面倒なのは同意だが……あの口ぶりでは、オランに向かう途中だろう、そして、そこにも仲間がいる可能性が高いのだ、ならば纏めて網にかけたい……黒雀、遊びといって連れてきたのに悪いが、ひとつ頼めるか? 」
「うぃ、まかせる」
こくり、と素直に頷く黒エルフの少女である。最近では物騒な言動も減っており、こうして役立たず二人の間に入れてしまえば、なんと有能な人材であろうかと、御用猫は感動すら覚えるのだが。
「居場所、吐いたら殺していい? 」
「そうだね、殺さずに尾行しようか」
やはり本質は、そうそうに変わるものでも無いのだ。
いやいや、と首を振る小エルフの頭を握り、少々手間だが、自分が変装して一味に取り入るべきか、などと真剣に御用猫が思い始めた頃、宿屋の木扉がそっと開き、黒髪の女が顔を覗かせた。細身で背の高いその女は、新規の客かと問い掛ける主人に手を振ると、御用猫の座るテーブル席を指差し、一品料理を追加して頭を下げてから、なにか困ったような笑顔にて近付いて来るのだ。
「お久しぶりです、御用猫の先生、姉様に代わり、お迎えに参りました、今回の慰安旅行、私まで誘っていただき、ありがとうございます……あと、先程の男達ですが、虫を付けておきましたので、オランまで見失う事は無いと思います、ですが、相手方に呪い師が居ないとも限りません、オランに到着してからは目視にて追跡すべきでしょう、なので距離は離さぬ方が良いかと」
「おぉ……」
なんたる事か、この真に有能なくノ一は、指示した訳でも無いというのに、挨拶前に一仕事済ませてきたと言うのだ。みつばちとは双子であるというのだが、全くと言ってよい程に同じ顔から、何故にこれほど違う言葉が生まれてくるものか。
「あ、あの、先生? ……ごめんなさい、差し出がましい真似を、してしまったのでしょうか」
息を漏らしたままに固まった男を前にして、不安になってきたのだろう、額にかかる前髪を何度も払い、くノ一は困り顔を見せている。
「いや、とんでもないぞ、俺はな、今な、いったいどうすれば、お前とみつばちを、自然に配置交換できるものかとな、真剣に考えていたのだ……いや、まじで」
「あ、あはは……それは姉様に、怒られちゃう」
困ったような、しかし、何か照れたような顔つきにて女が笑う。御用猫は彼女に席を進めると、自らの猪口を差し出し、その中に酒を注ぐのだ。
(さんじょう、なんと恐ろしい女よ……僅かな期間で、マルティエの隣に並ぶとはな)
御用猫は、姉に似て美しい顔立ちの女忍者を笑顔にて見つめると、満足そうに何度も頷くのだ。どうやら彼の中で、さんじょうと言う名の女は、着実に、その位階を上げている様子であったのだ。
「ふゆかい」
何事かを察したものか、黒雀が右眼に剣呑な光を灯らせ始めたのであるが、その眼光に怯えるは、正面に座るさんじょうばかりであり。
御用猫の方は、まことに機嫌良く、今宵の眠りに就けそうなのであった。




