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鬼鳴岬 3

 オランの街は、人口十万を遥かに超える大都市である。豊富な海洋資源に海エルフとの貿易、さらにクロスロードの物流は海運が中心であり、南の玄関口であるこの街は、栄えるもの当然の好環境であったのだが、オラン人特有の賑やかさと開放的な気風というものは、街中の喧騒から生まれたものではなく、やはり、この地中海から吹き込む、なんとも大らかな浜風に育まれたものであろう。


「私はね、そう思うのですよ、いや、実に良い街です……ラゾニアも港町ではありますが、あの国はむしろ、どこか閉鎖的なところがありまして……真面目な者は、多いのですがね」


「ふふ、こんな処へ連れ出して、何を言い出すかと思うたら……相変わらず前置きの長い奴よ……良い良い、実はの、その件についてなら、もう、猫の手紙で知っておるのだよ」


 田ノ上老は旧友を伴い、オランの浜辺を歩き進めていた。風に当たって酔いを醒ますといった名目であったのだが、おそらく皆には勘付かれている事であろう。


「え? あぁれ、さてはゴヨウさんに、意地悪をされてしまいましたか……あはは、これは何とも……しかし、ね、ヒョーエも相当でしょう、知っていたならば、もっと早くに言ってくれても良いでしょう」


 しかし、嶋村老の告白は、無駄に終わったようである、打ち明けぬ訳にはいかぬと腹を決めてはいたのだが、その隠し事は、どうやら既に野良猫に暴露された後であったようなのだ。白髪混じりの丸狸は、頭を掻き掻き、なんとも、ばつの悪そうな顔つきなのである。


「ふは、すまんすまん……実はの、猫の奴めが、ただ働きさせられた仕返しをしたいとの、そう言うでの」


 街の賑わいを避けるように歩き続けた二人であったが、夏のオランの海において、喧騒から離れるというのは、どだい無理な話であったようであり、諦めた彼らは適当な石台に腰を落ち着けていた。浜辺を見渡せば、海沿いに並ぶ屋台にも、糸を張った砂浜の上空にも、呪い光がいくつも浮かび、その下で人生を謳歌する若者達を浮かび上がらせているのである。


 海蛍(うみほたる)と呼ばれるこの光景は、オランの夏を象徴する風物詩であったのだ。


「そうでしたか……いや、これはしかし、また、つまらぬ遠慮をしてしまいましたね……」


「人生、そんなものよ、もう、老い先も短いのだ、細い事は気にせぬ方が良いさ……儂とて道を違えてばかり……いや、たどり着いた先が、二人して今更に結婚だとは、可笑しな話であるがの」


 くすり、と笑い合う初老の男達は、はるか遠い昔の事、若かりし日のままに、互いの掌を交互に叩いてみせる。今も昔も、変わらずに仲の良い二人ではあるのだが、かつて木剣を手に取り、地稽古にて向かい合いった際には、全くに殺し合いかと思える程の、激しい戦いを見せていたのだ。


「あぁ、しかし懐かしい……ヒョーエ、覚えていますか? 初めて出会った時の事など」


「もちろんよ、うふふ、あの頃のお主は、なんと口ばかりでのぅ……お上品な町医者の息子が、何を剣術か、などと思っての、必要以上に叩きのめしたものだ」


「なにを、それは最初の一月だけでしょう、昔のヒョーエは剣が雑でしたからね、よく見て突けばね、それはもう簡単に、のす事が出来ましたよ」


「……あぁん? 」


「なんですか」


 いや、なんともなれば、今からでも殺し合いを始めてしまうかも知れない。互いに今は活力が漲っているのであろうか、その精神、瞳に宿る確かな炎は、まるで若き日の煌めきを取り戻しているかのように、熱を持ち始めるのだ。


 しかし。


「……ふふっ、やめておきましょう、アドルパスにも言われてしまいましたが、この腹では、もう勝負にもなりませんし……今は止める鬼も、居りませんからね」


「おう! 懐かしいの『止め鬼』か! しかし……むぅ、今にして思えば、勝ち逃げされたのは、あやつだけであったのぅ……口惜しや」


「うふふ、ですが、そうですね……キネン先輩、あのような事が無ければ……今頃、どこでどうしているのでしょうか」



 かつて二人が師事していたのは、田ノ上念流『剣聖』クンタラ マヌマスという人物であった。人との関わりを嫌い、純粋に剣力を高めようと、人里離れた山奥に道場を構えていたのだが、その腕前は本物であり、その教えを受ける為、国中から強者が集まって来たものである。


 現在のクロスロードで、市井においては田ノ上念流が主流となっているのも、まさに彼の影響といえるのだ。二人が師事した時には、既に高齢であった師であるのだが、彼ら程の才ある若者ですら、この剣聖から一本を頂戴する迄に、十年という月日を費やしていた。


 クンタラ本人は物言わぬ落ち着いた男であったのだが、その稽古は苛烈を極め、まるで人が変わったかのように、時に激しく、時には柳のような剣にて、弟子達を散々に痛めつけるのだ。当然に弟子の数は少なかったのであるが、その中でも一段飛び抜けた者たちは、口伝にて奥義を授かり、自らの道場を起こすか、騎士として国に仕えるか、もしくは道場に残り、更なる高みを目指して修業と後進の育成に励むのである。


 その、道場に居残った高弟の一人こそが『止め鬼』こと、キネン グリンゴであった。元々は、倒れた練習生に容赦無くとどめを刺す姿から付けられた渾名であったのだが、最後には、何かにつけて喧嘩の絶えぬ田ノ上と嶋村を、叩きのめして止める姿の方が、道場では有名になっていたであろうか。


 このように田ノ上ヒョーエと嶋村ナリアキラ、性格から剣筋まで、まるで正反対の二人ではあったのだが、彼らは互いを好敵手と認め合い、互いに高め合い、その技を磨いてきたのであった。




「キネン グリンゴ、か……あの頃は、なんと馬鹿な男じゃと思うておったが……今にして考えれば、のう? 」


「そうですね、好いた女と駆け落ちしたのです、私達よりも、ね、随分と、人間であったのですよ」


 優しく想い出をなぞる浜風に、二人の男は同時に息を零したのであったが、次の瞬間には、一体どのような技であるものか、上体を揺らさずに立ち上がると、同じ方向に、その眼を向けるのである。


「聞こえた、かえ? 」


「間違いありません、微かではありますが、風に紛れて……これは悲鳴ですねぇ……どうしますかヒョーエ、二人とも無手ではありますが」


 しかし、どうやら返事を待つ必要は無いようである。何故ならば、既に旧友は走り出していたのだから。


(やれやれ、本当に、変わりませんねぇ……果たして、人助けするつもりがあるのやら)


 けだものは、ただ単に血の匂いを嗅ぎつけただけなのか。


 夜の浜を走り始めた肉食獣、その背中を呆れたように見やりながらも、丸い狸は追走を始めたのであった。





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