鬼鳴岬 1
「おお、おぉ、よう来たよう来た、ふたりとも久し振りじゃのう……サクラは少ぅし、大きくなったかの? 」
「ふぐっ! ……い、いえ、お久しぶりです大先生、ですが! 折角の再開だというのに、ゴヨウさんのようなおふざけは、やめてください、私はもう十四になったのです、春には成人なのです、いい加減に子供扱いは……」
照り付けるようなオランの太陽の下、サクラとリチャード少年を出迎えたのは『石火』のヒョーエと呼ばれる剣士であった。白髪混じりの短い総髪、このオランでは少々浮いた格好である、地味な着流しを身に纏い、人好きのする笑顔を浮かべた初老の男である。
だが、彼こそは田ノ上道場の主にして、クロスロード救国の大英雄、その一人であるのだ、かつては『剣聖』とも呼ばれていたこの剣士、表舞台から身を引くまでは、『電光』の騎士アドルパスと『石火』の剣士田ノ上ヒョーエ、クロスロード最強は果たしてどちらであるかと、議論が盛んに巻き起こり『電光石火』の威名は、遠く隣国にまで轟いていたのだ。少しばかり日焼けした様子の田ノ上老は、以前と変わらぬ壮健さであり、サクラを撫でる為に差し出された腕にも、弛まぬ鍛錬の痕跡が窺えるであろうか。
「ふふ、逆ですよ、サクラが珍しく西服を着ているから、大人っぽく見えたのでしょう……お久しぶりです大先生、若先生は少しばかり仕事が長引いているご様子なので、先にお邪魔してしまいました」
「よいよい、気紛れな野良猫の事は心配しておらぬよ、道場の方もな、ハルヒコに任せておけば万事問題ないであろ……あれは、なかなかに良い筋をしておる、若いうちから鍛えたかったものじゃ……ちと、固すぎるのが欠点じゃがの、あとはそう、話が長過ぎるわ」
からから、と笑う田ノ上老は、むしろ若返ったようにも見えるだろうか、少年少女は顔を見合わせ、こちらも、くすり、と笑い合う。今は、後妻であるティーナが身重の為、里帰りに付き合った形でのオラン滞在であったのだが、南国情緒溢れるこの街の陽気は、彼に充分な活力を与えているのであろう。
「それで、大先生、ハーパス様には若先生と合流してから、挨拶に伺いたいと思うのですが……オランでの滞在場所について、その」
「ふむ、義兄殿を頼るつもりであったが……さては猫の奴めが嫌がったな? やれやれ、相変わらず困った男よ」
しかし、言葉の割には笑顔のままの田ノ上老である、彼の妻であるティーナは、腹違いとはいえ、オラン太守の妹であるのだ、面倒ごとを嫌う野良猫が、領主の館への滞在を拒否する事など、おそらくは最初から予想できていたのだろう。田ノ上ヒョーエは手近な日傘席に二人を招き、店員に果実水を注文しながら、宿泊先の段取りを始めるのだ。
「とりあえずは、嶋村夫婦の使っておる宿に行ってみるか、あすこは猫の奴めが紹介したらしいしのぅ、確か、オランの浜風亭であったか? 」
「浜風の女亭、ですね、若先生が以前に言っておられました、少しばかり人数が多いので、直ぐにでも訪ねてみます、確か大部屋もあった筈ですので、そちらが空いていれば良いのですが……」
当たり前のように続けるリチャード少年であったのだが、それを耳にする二人は、なんとも微妙な顔つきを見せるのだ。もしもこの場に御用猫が居たならば『怖いからやめてくれ』と口にした事であろう。
「……まぁ、リチャードも変わらぬようでなによりじゃ……で? 大人数というたかえ、誰か来るのか? リリィやフィオーレは仕事があろうし、ハボック達あたりか、それとも……」
「はいはーい! きぃだよー! 」
突然に、隣の席から手を挙げた者がある。まだ年若い娘であったのだが、緩く波打つ金髪を後ろで括り、いかにも活発そうな、まるで子供のように口を大びらき、満面の笑みを浮かべているのだ。
珍しくも、驚きの表情を見せる田ノ上老なのである。彼ほどの達人なれば、例え志能便や高名な剣士とて、その気配を感じさせずに近付く事は不可能であったのだが、なんとも無邪気なこの少女は、そういった隠形術とはまるで無縁の素人であり、一般人を装い、簡単に間合いを詰めていたのである。
いや、もしも装っていたのならば、たちどころに看破されていただろうか、この、ひまわりの様な笑顔の少女は、なんとも純粋に、悪意なく、単純な悪戯心にて接近していたのだ。一度は驚いた田ノ上老であったのだが、その少女を上から下まで眺めると、何か納得した様な顔つきにて、ぽつり、と小さく零す。
「ふむ、猫の新しい女か……しかし、良いのぅ……これは、なかなか、良いのぅ」
少女は、開放的な地元オラン人でも、少々躊躇しそうな程に生地の少ない水着を身に付け、その、たわわに実る二つの果実を、見せつける様に揺らしていたのだ。
「大先生! 何処を見ているのですか! ゴヨウさんではあるまいし、はしたない! あぁはしたない、いやらしい! ……あと、きぃさんは服を着なさい! 」
「えぇー、今から泳ぐんだし、よくなくない? 他にも水着の女の子、いっぱい居るよー、それにそれに、猫ちゃんも『オランならばお前の格好も違和感ないだろうし、寒くなる前に堪能しておきたいな、一緒に来るか? 』って、言ってたよ」
「なぁっ!?」
途端に騒がしくなる傘の下である。はるか後方からは、そろそろ良いかと言わんばかりに、みつばちらも姿を現し始めるのだ。奇人変人の集まりである、御用猫お抱えの志能便たち、普段は単品で現れる彼女らが、今は一堂に会しているようなのだ。
おそらく、この旅の間中は、喧騒が収まることも無いであろうかと。
(あぁ、このような形で自分の力不足を実感するとは……若先生、早く来てください……)
リチャード少年はひとり、頭を抱えるのであった。




