恩剣 三度笠 18
御用猫がコタン村へたどり着いのは、それから一時間ほど後の事である。オコセット以下、傭兵達は、村の中央に集まっており、篝火の元でもてなしを受けていた、どうやら慰労と慰霊を兼ねた簡単な酒宴であるらしく、有り合わせの料理と酒を、おそらく今回の順番であったのだろう、村の若い娘達が給仕していたのだ。
「お、おぉっ! 先生! 猫の先生! 良かった、無事だったかい……いやぁ、先生のこった、まさかの事は無いだろうと思ってはいたんだが……破れ傘は、どうしたんね? 」
ビール片手に駆け寄って来たオコセットは、まず、御用猫の分であろうジョッキを彼に押し付け、酔いと安堵の笑顔にて、野良猫の肩を叩くのだ。どこかの加減知らず達とは違い、気安い叩き方であったのだが、これは彼に怪我が無いかを確認したのであろう。
(真っ先に駆け寄って来たのも、皆の視線を遮るためか……ふむ、相変わらず気が利くな、まぁ、刀郷が居ないのだからな、何かあったとは理解していよう)
その証拠に、オコセットの最後の言葉は、あからさまに声量を抑えたものである、これは、今の内に話を合わせようとの意思表示でもあるのだ。
「傘の先生は旅に出たよ、遠くにな……それより、ムラシゲはどこだ、こうなれば無理にでも背中を確認したい、場合によっては、もうひと仕事になるぞ、酒が入ってる様子だが……いけるか? 」
なので、御用猫も声をひそめる、ただ、その表情だけは見事な笑顔を造り出しており、オコセットの肩を叩き返す様は、遠くからでは、無事な再会を喜び合うようにしか見えないだろう。
「……なんていうか、器用だよな、先生は……おっと、そうそう、村長だったな、今は自宅に戻ってるが、猫の先生が帰ってきたら、挨拶したいと言ってたからな、これは丁度良い理由になる、こっちから向かっちまおう……今なら人目にも付かないし」
「ん、良いな……ただ、ムラシゲと山賊の繋がりは微妙なところだ、刀郷とムラシゲもな、奴らがどこまで連携してるのかが分からん、山賊の中には忍者までいたのだ、早めに仕舞いを付けよう……最悪、村人も幾らか斬るぞ、どこまでが敵か見当もつかないのだからな、注意してくれ」
この返答には、オコセットの酔いも一気に醒めた事だろうか、宴の席を背にしていた彼は、遠慮なく盛大に渋面を作り出す。
「かあ、仕方ない……おぅい、お前ら! おいら達は村長さんとこへ挨拶してくるからよう、まぁ、のんびりしててくれ、あと『今日は夜明けまで騒ぐ』からな! そのつもりでおいてくれよ、飲み過ぎたら最後までもたないぞぉ」
一瞬だけ、ざわついた傭兵達であったのだが、呪い師の男が立ち上がって音頭をとると、思い出したかのように手を叩き、再び騒ぎ始めるのだ。仲間を一人失っているとはいえ、流石は歴戦の強者達であろうか、笑いながらも、その目に警戒の光がともり始める。
「……へぇ、大したもんだ、さり気なく癒しの呪いまで用意し始めたぞ、いまのは合言葉か? もしかして最初から決めてたのか」
「まぁねぇ、護衛の仕事ってのは、飲み会が敵だからねぇ、こんなのも、たまにあるんだ……なはは、皆に教えといて良かったよ」
すぱん、と御用猫の尻を叩き、オコセットは、ゆるりと歩を進める。やはり出来た男だと感心しながらに、御用猫は後を追うのであった。
「あ、あぁ、あんたさん、ご無事でしたか……墓を掘るとか聞いてましたが、良かった良かった、おかげさまで、この村も救われました、はい、どうかね、あとはゆっくりとお休み頂いて、明日にでも、ちゃんとした祝いの席を……」
「中は一人か……オコセット、見張りをたのむ」
「嫁と娘は、料理の手伝いだとよ、さっさとやっちまおう」
「ひいっ! 」
挨拶も終わらぬうちに、突然、腰の太刀を引き抜いた男を見て、村長のムラシゲは尻餅をついた。一瞬にして青ざめる彼の顔は、もしも、これが演技であるならば、超一流の役者になれるであろうかと、御用猫は警戒を緩めるのだ。
「心配するな、命までは取らないさ……背中に何も無ければ、であるがな」
「ひっ、そ、そんな! ありません、ありませんよ、ほら、いま、ここに! 」
かたかた、と震える手でボタンを外し、手間取りながらもムラシゲは上着を脱いでゆく。だが、それを見るまでもなく、彼の背には何も無いであろうと、御用猫は理解するのだ。
(このように怯える小心者が、荒くれどもを統率出来よう筈もない……いや、そうか……抑えられなかったのか、おそらく前の頭目『焼き馬車』のリネンカップは、既に死んで……)
そこまで考えると、御用猫の脳内で答えが弾き出された。山賊がコタン村を襲い始めたのが五年前、ノーラの父が死んだのも五年前、そして刀郷が、ノーラの父を斬ったとするならば、答えは、おそらくそうであろう。
リネンカップは、コタン村の住民であったのだ、貧しい村を救う為に山賊を始め、その上がりで村は潤っていたのだ。しかし、部下の反乱か刀郷の成り行きか、彼は命を落とす事となり、ムラシゲひとりの力では、代償も無しに野蛮な山賊達を抑える事など、とうてい無理な話であったのだ。
「ほ、ほら、ほら、どうでございますか、何もありませんでしょ? 焼印も、鞭の跡も、なにも」
「……焼印だと? 随分と、良く、知っているのだな」
「あっ」
これは村が望んだ事か、それとも、いつの間にか足抜け出来ぬ地獄に嵌ってしまっただけなのか、卑しい野良猫には分からぬ話であり、そして、それはもう、一介の賞金稼ぎに過ぎぬ、彼の領分を越えた話でもあるだろう。
「リネンカップが死んでるならば、俺の仕事は空振りなのだが……まぁ、一発殴るくらいは、許されるだろうさ」
ごすっ、と鈍い音が響き、上半身裸のムラシゲは土間の隅まで吹き飛ぶと、そのまま動かなくなってしまった。
歳の割には、綺麗な背中であった。
「多分、ひとりだけ、いいもん食ってたんだろうなぁ」
「かもな……さて、悪いが直ぐに出発しよう、山賊はともかく、村人を斬るのは、少々、気分が悪くなるからな」
「少々で済むのかよ、怖いねぇ、おいらは絶対に御免だぜ……なら、先に出るから街道で適当に合流しようか……先生にゃ、まだ野暮用が残ってるんだろ? 」
後でな、と言い残し、オコセットは宴に戻ってゆく。一方、彼と別れた御用猫は、足取りも重く村の外れ、主人の居ない穴ぐらへと向かうのであった。
「傘の先生はな、旅に出るそうだ……もう、お前に会うことも無いだろうと、元気に暮らしてくれよと、そう、言付かっている」
やはり、ノーラはそこに居た。薄暗い洞の中、普段は他愛もない話をしていたのだろう、その空間にて、卓袱台の上に湯呑みを並べ、刀郷の帰りを待っていたのだ。
最初、御用猫が穴ぐらに入って来た時には、飛び上がらんばかりに立ち上がり、彼に抱きつこうとさえしたのであるが、その姿が待ち人では無いと知ると、途端に落胆し、膝を付いて目を伏せるのであった。
「所詮な、刀郷は流れ者なのだ……やくざな自分を変えられぬ以上、お前の側に居る資格は無いと思っていたのだろう……無理にでも引きずって来たかったのだが……悪かったな、俺も根負けしてしまっ……」
「……死んだんでしょ? 」
ぽつり、と零したノーラの一言に、今度は野良猫の心臓が跳ね上がった。顔を上げたノーラの目には、確かに涙が溢れていたのだが、その口元は一直線に結ばれており、彼女の、なにか、決意とも思える心情を、強く明確に、御用猫に伝えてくるのだ。
「分かってる、分かってた……傘の先生は、死ぬつもりだったもの……わたしじゃ、生きる理由に、ならないのも……ぐっ、分かってた」
一度だけ喉を詰まらせ、ノーラは立ち上がる。ぐしぐし、と乱暴に涙を拭い、ぼんやりと呪い灯の浮かぶ天井を見上げるのだ。
それは、次の涙を拒否する為。
「大丈夫、わたしは頑張るから……ここで待ってたのは、わたしの最後の弱さ……傘の先生には、もう……たくさん、貰ったから……ぐっ、もう、ひとりでも、大丈夫、だから……」
きつく目を閉じ震えるノーラは、夢見る少女から、大人の女へと変わる途中であるのだろう、彼女は、ここに、子供の自分を置いてゆくつもりであったのだ。
強い女であるのだ、これは、刀郷から受け継いだ、一本の筋を通しているのだろうか。
しかし、だからこそ御用猫は彼女の頭に、そっと手を乗せ、優しく語りかけるのだ。例え、いつかは大人になるとしても、それは無理に変わるものでもないだろうと。
「こら、子供が無理をするんじゃない、お前が刀郷の真似をするにはな、あと十年ほどには、生きる必要があるのだからな……だから、今は泣いておけ……なに、見ているのは俺たちだけだ、こちとら所詮は流れ者だからな、誰かに知られることも無いだろう」
ひとり孤独に、愛を知らずに生きた野良猫だからこそ、仲間には優しくできるのだろう。この、純朴で真っ直ぐな少女には、涙を堪えて歪んでしまった、自分のようにはなって欲しくないと、彼は、そう考えたのだ。
「うっ……先生、せんせぇ……あぁ、うわあぁぁっ」
「よしよし、大丈夫だ、お前は泣けるのだ、ぜんぶ吐き出して軽くなったなら、少しずつ前に進めるだろうさ」
ついに御用猫にしがみ付き、三つ編みの少女は大声で泣き始めた。藁の上に座り込み、ノーラを抱えてあやす男の姿は、おそらく、刀郷こそが、彼女にしてやりたかった事なのであろう。
「……汚い野良猫の先生では、代わりにもならないだろうがな……何か困った事があったなら、クロスロードのマルティエという店を訪ねてこい、もちろん金は貰うが……まぁ、傘の先生は、ご同類だったからな……奴に免じて、一度くらいは、ただ働きしてやろう」
短い嗚咽としゃっくりを繰り返し、ノーラは震えながらに何度も頷いているのだが、その身体には、確かに熱い血潮がみなぎっているようであり、御用猫は、まるで彼女の生命力を、直に感じるようであったのだ。
(ムラシゲは小心者だ、バルタバンダに相談し、何らかの提案を受け入れたのであろう……どうせ、碌な事ではあるまいが……しかしなんとも、やり口が気に入らんな……これでは、ふくろうやダラーンの方が、まだ、ましに思えるではないか)
子飼いの忍者にまで手を付けたのだ、これは完全に敵対してしまったであろう。表向きは評判の良い商会であるし、価値の無いコタン村をどうこうしようなどとは思えぬが、関わってしまった以上は、気に留めておく必要があるだろうか。
ノーラの背中を撫でながら、そのような事を考える御用猫であったのだが。いつのまにか、彼女の呼吸も落ち着いてきており、泣き疲れて寝てしまうような事態は訪れそうもない。
(ふふ、やはり強い女であるな……これはやはり、先生の教育が良かったのであろう)
色々と面倒ごとは増えてゆくばかりであるのだが、少なくとも彼女に関しては、もう自分が心配する必要も無いであろうと。
御用猫は、そう確信するのであった。
一度で手無し
二度で足無し
三度斬られりゃ命は無いが
受けた恩義はしのげぬ雨と
破れ渡世の三度笠
御用、御用の、御用猫
明日は飲み会なのでお休みしますん
元気だったら書くかもしれますん
書かないかもしれますん
わかりますん
かしこん




