恩剣 三度笠 17
「……まぁ、こんなもので良いだろう」
意外に筋肉質であった刀郷の亡骸を地に返し、御用猫は墓標代わりにでもなればと、土饅頭の真ん中に、彼の腕剣を突き立てた。
既に、辺りは夜と変わらぬ薄暗がりにて、その墓の出来映えも分からぬのではあるが、御用猫は自らの仕事に満足を覚えると、村へ戻る為に、鍬と卑しい荷物に手を伸ばす。
「……いいのかぁい? 穴は一つでさぁ」
「むっ!?」
突然、背後から掛けられた声に、野良猫は鋭く反応した、振り向きながら即座に抜刀し、その勢いをもって斬りつけるべく、声の主との距離を測るのだ。
しかし、なんたる事か、半ばまで抜いた彼の愛刀は、その動きを途中で、ぴたり、と止め、主人の意に反し、鞘の中へと戻ってゆくのである。いや、これは刀だけでは無い、御用猫の肩から下が、まるで巨人の見えない手に握り込まれてしまったかのように、きつく締め上げられてゆき、ついには身動きすら儘ならぬ程に拘束されてしまったのだ。
「お前の分が、足りないよなぁ? ……まぁ、たとえ穴が足りてたとしても、面倒だから入れてはやらないけどなぁ」
ぐっぐっ、と痰が絡んだような笑いをあげながら、何者か暗がりから這い出てくる。黒髪茶目で細身の男、決して目立つ風貌ではあるまいが、よくよく観察してみれば、そこにはどこか、造り物めいた態とらしさを感じるかも知れない。
「……やはり、忍者の類いであったか」
昼に取り逃がした、山賊の副頭である。
「ご名答ぉ、名乗りまするは戊ゴロウ……両親の仇、取りに来たでぇ」
「両親? 誰の事……あぁ、足の指か……なかなか面白い奴だな……しかし、悪いが今はな、笑ってやれる気分ではない、最後の機会も、お前には、与えてやれんな……」
どうやらこの男は、乱戦の最中に斬り飛ばされた、足の親指と人差し指の事を恨みに思い、こうして舞い戻って来たのだろう、いや、最初から機会を窺っていた可能性の方が高いであろうか。そう考えた御用猫は、癖で顎をさすろうとしたのだが、全くに動かぬ上半身を思い出し、その代わりに深く溜息をついた。
(ずっと様子を見ていたならば、隙をみて手裏剣でも投げれば良かったものを……それとも、この怪しげな忍術を遣う準備か? 確実に仕留める為に……いや、違うな、こいつは)
「……成る程な、いたぶって殺す為に、わざわざ面倒な手順を踏んだか……失敗を、取り戻したいのだな? 忍のくせに、ぺらぺらと名前を謳うのも、不覚をとったと、恥をかいたと理解しているからだ、相手と自分に、言い訳が、したいのだろう? ……なんと、小さい男だな」
まるで、みつばちのような無表情。御用猫は、淡々と言い聞かせた、相手の心情を読み上げた、言葉遣いこそ普段の彼ではあったのだが、これは、余程に腹を立てているのかも知れない。
しかし細身の忍者、戊ゴロウは、へらり、と笑い、さして気にした様子も見せていない。当然ではあるだろう、なにしろ憎き仇は完全に拘束されており、例え何を言われたとしても、それは負け犬の遠吠えにしか過ぎないのであるから。
「上からはぁ、御用猫に気を付けろって言われてる……ロッカにも小言を言われてさぁ……なにしろ、うちの下忍が何人も斬られてるからなぁ……兄貴が話した感じでも、油断のならない印象だったと聞いてるさぁ……だけどぉ、だからこそぉ」
ゆっくりと近付いてくる戊ゴロウは、左手に小さな藁人形を握っていた、おそらくは、これが忍術の正体か。彼は腰から短めの直刀を引き抜き、一度見せびらかすように振るったあと、それを無造作に肩に乗せた。
「あのまんま帰ったんじゃ、俺の、面の目が、立たねぇっての! 出会った時には注意しろよと言われてさぁ、はい、偶然出会いました、はい、足の指を斬られました……なぁんてな、言えると思うのかよぉ! 」
「言えば良いだろう、お前が無能な事くらいな、皆は……とっくに知ってるぞ? 」
ついに、にやりと卑しく笑う御用猫を見て、戊ゴロウは激昂するのだ。忍の一族として、幼少期より辛い修行を受けてきた彼ではあったのだが、確かに、他の兄妹と比べてしまえば、その評価は一段低いかもしれない。
「達磨にしてぇ、転がしてやるよぉ! 」
しかし、その劣等感が産み出した異能の技は、恐るべきものであった。強い恨みを込めて編み上げた藁人形は、完全に敵と同化しており、こうして彼が握っている限り、決して逃れる事は叶わないのである。
青筋を立てて走り込んでくる忍者は、まず御用猫の足の指を斬り落とすつもりなのであろう、目線を下げて、彼の顔すら見ていない。
なので、当然に見えてはいなかったのだ。
「応ッ!!」
目の前の賞金稼ぎが、腰の刀に手を伸ばした瞬間も。
ゴロウの剣を躱しざま、低い姿勢の相手に合わせた、滑り込むような横払いの一閃は、見事な振り抜きにて忍者の両足を、一度に斬り飛ばしたのだ。
「えぶぶっ……にゃっ!?なんで! 冷やい! 熱いぃ! 足が……俺の足ぃ、なんで、なんで動けるのぉ!?」
つんのめって倒れた忍者は地面を舐め、御用猫と自らの失った両足を、何度も何度も交互に見やる。完全に混乱している様子であり、視線を彷徨わせながらも、左で握る藁人形を確かめるように、繰り返し強く握りしめるのだ。
「言っただろう、皆が知ってる、とな……相手の人数くらい把握しておけ、間抜けめ」
「人数の問題じゃないよぉ! 」
ひゅん、と振るった御用猫の太刀は、それ以上、物言う事を許さなかった。
「……先生ぇ、いーんですか? 色々聞いた方が良かったんじゃありませんか? 」
「仮にも忍者だ、そう簡単に情報を……いや、違うか……正直言って気分が悪い、これ以上は聞きたくもないな」
忍び装束で血脂を拭き取り、愛刀を腰に戻した御用猫は、溜息を吐きながら、地面に伸びる卑しいエルフを拾い上げた。どうやら今回の仕事料は、全てチャムパグンに支払わなくてはなるまいか。
「ほぉん? なんすか、今日はやけに素直でござんすね? 」
「どうせ、お前には心を読まれるんだし、隠す意味も無いだろう……さ、腹減ったから帰ろうぜ……こいつの穴は……もう、面倒だ」
おそらく、この忍者はバルタバンダ商会の手の者であろう、山賊内部に潜入させたのは、溜め込んだ宝が目的か、それとも焼き馬車を利用する為か。どちらにせよ、最初から仕組まれていたのは間違い無いのだ、彼らの意図が気にならぬといえば嘘になるであろうが、それはもう、野良猫の領分を超えた話であるのだ。
そして、御用猫が頭を悩ませなければならないのは別件なのである。なにしろ、これからノーラに会って、刀郷が旅に出たと伝えなければならないのだから。
適当な嘘をつく訳にもいかぬし、追いかけたいから行き先を教えろ、などと言われた日には、答えに窮する事になる。いっそのこと、彼は死んだと伝えた方が、はるかに面倒は少ないかも知れないのだ。
「はぁ、今回の仕事は散々であった……儲けにもならぬし、なにしろ、気が重い……」
「もう、そんなこと言わないで、もう少し頑張ってくだせーよ、オランに行ったら、わてくせが癒してあげますから、サービスしますよー、布面積減らしますよー、こんなこと滅多にないですよー」
肩に担いだ卑しいエルフは、これ程に落ち込んだ様子の御用猫に対しても、全く空気を読む事なく、普段どおりであった。彼の頬をぺちぺちと触りながら、腰をくねらせて奇妙な動きを見せている。
(本当にな、こういった時ばかりは、お前に救われるよ……普段は可愛げも色気も無く肉も少ない、おまけに無駄飯食いの卑しい役立たずだが、連れてきて良かった)
「おい、微妙な感謝の仕方はよせ、あと、ちゃんと声に出して……うひゃっ」
チャムパグンを肩に担いだまま、勢いよく御用猫は走り出す。
まるで、陰惨な現場と陰鬱な空気を振り切るかのように。




