恩剣 三度笠 14
山賊からの手紙に指定された場所、その日時、コタン村の北に広がる丘陵地には、傘の先生こと、刀郷の姿があった。なんとも変わり果てたその見栄え、丁寧に整えてあった髷は解れ、顔中は痣だらけ、松葉杖だけは残されていたものの、それを支える左手には、殆ど力の入らぬ様子なのである。
「いょう、刀郷の先生よ、こりゃまた随分と、洒落た姿になってるじゃねぇか」
現れたのは、いかにも山賊でございと、いわんばかりの風体の男であった。騎馬の上から、黄ばんだ歯も剥き出しに笑うその表情は、何か楽しげでさえあり、彼らの刀郷に対する悪感情を、分かり易く伝えているのだ。
「……う、ぁう、ぐ」
頭目と思しき、体格の良い男を見上げ、刀郷が何かを口にする。しかし、口内は酷い有様なのであろうか、上手く発生する事もままならぬのであった。もっとも、首に巻かれた荒縄は、かなりきつく締め上げられており、怪我が無くとも喋れそうにないのであるが。
「あ、あの……へぇ、ちゃんと、連れて来ましたんで、あの、おらは、もう、戻ってもえぇんでしょうか? 」
刀郷の首に絡まる荒縄は、いかにも小心そうな農夫の手に握られている、日々の畑仕事にて鍛えられているのだろう、なかなかに体格は良いのであるが、その背なを丸めて謙る姿は、ひと回りもふた回りも、矮小に見えるであろうか。
「ん? おお、お前さんに用は無えからよう……だが、せっかく面白い見せもんを、逃す手も無えんじゃねぇのか? 」
「あ、へぁ……そんな、おらはただ、村長さんに頼まれただけでして……」
おどおどと、居心地悪そうに周囲を見回す若い農夫に、山賊達から笑いが漏れる。やはり、荒事どころか、今まで喧嘩すらした事が無いのであろう、長閑な農村にて暮らす人間に、今の殺伐とした雰囲気は、さぞ胃の腑にもたれるものであるだろう。
なにしろ周囲を囲むのは、笑いながらに命さえ奪う、悪鬼の如き生き物なのだ、まさに住む世界が違う存在であり、いっときたりとも、関わりを持ちたく無いと考えるはずなのである。
だが、彼の中身が卑しい野良猫であるというならば、話はまた別なのだ。
(二十……三か、遣えそうな雰囲気なのは、精々が四、五人……逃してならぬのは……頭目と、もうひとり)
怯える演技の皮の下には、これから吸い上げる命の算盤を弾く御用猫。チャムパグンの呪いで変装し、これまた怪我の擬装をした刀郷を、ここまで歩かせて来たのは、まさに山賊達にとっての黒い悪魔であった。
後詰めとして、オコセット達を二手に別れさせており、敵の後背を突く策も用意していたのだ、確かに数的不利はあるのだが、目の前の戦力を確認し、御用猫は勝利を確信し始めていたのである。
いたのではあるが、しかし、だからこそ、野良猫の野生は違和感を覚えるのだ。
(こんな奴らが、噂の焼き馬車だとは思えぬ……少なくとも頭は愚図だ、間違い無い、あからさま過ぎて罠かとも思ったが……この様子では仕掛けもあるまいし……何より格が、無いではないか、これでは只の素人集団だろう)
野良猫には、皆目見当が付かないのだ、何かある、何かあるぞと思わされ続けた割には、出された食事は変哲のない、言い方は悪いが食べ飽きたような品書きであったのだから。唯一、頭目の後ろに控える細身の男からは、何か出来そうな雰囲気も感じるのではあるが、それならそれで、無能な頭を制御出来ぬ二流と言えるだろう。
(うぅむ……なんとも、やり難い……まるで、何かに付き合わされているようだが……仕方あるまい、流れにあわせて始めてしまおう)
あまり手間もかけられぬ事であるのだ、下手な時間稼ぎは疑いを持たれてしまうのだから。仕掛ける時宜は二つ、オコセット達が背後から現れるか、もしくは。
「さぁて、どうしてくれようか……今更オヤジの墓前に供えるでも無えし……いや、墓も無えか、かかかっ、どうするかなぁ、とりあえず……達磨にして飼うのも面倒くさい、あっさり殺っちまうか」
なぁ、と山賊の頭は仲間を見渡し、腰の長剣を引き抜いた。ぎらり、と陽光を跳ね返すその刀身は、今までの戦利品であろうか、賊が持つには少々似つかわしくない、上質な刀剣であるようだ。
「……え? あれ、お頭……手が……」
くるり、と宙を舞ったその剣を見て、仲間の一人が間の抜けた声を漏らす。
これが、開始の合図であった。溶けるように現れた刀郷の奇剣は、山賊頭領の右腕を斬り落とし、そのまま馬の尻に突き立つのだ。
「……なにしろ数が違いますんで、ご無礼いたしやす」
馬の嗎に紛れた彼の宣言は、破れた三度笠の下から零れ落ちた。状況の掴めぬ山賊達は混乱した様子であり、彼らが、なんとか抗戦を思い出したのは、刀郷に二人目が斬られた後である。
「こ、こいつ! 化けてやがった! 」
「構わねえ、やっちまえ! 」
怒声を上げて剣を抜いた山賊達であったのだが、次の瞬間には、突然に暴れ始めた馬に手を取られ、あるいは振り落とされ、まともな反撃も行えないのである。これは、御用猫が仕込んでいた『暴馬』の呪いであった。
「寄らばァ、斬るぞ! 」
背中の卑しいエルフを振るい落とし、御用猫も姿を滲ませる。先程までの怯えた若い農夫は、一瞬にして獰猛な眼を光らせた肉食獣と化すのだ。
暴れ馬の隙間を掻い潜り、御用猫は山賊達の膝を断ち割ってゆく、一度斬った相手は無視していた、所詮は唯の賊である、傷を負っても戦い続けるような気概は持ち合わせていないと判断したのだが、そもそも、この乱戦の最中で、とどめを刺す必要も無いだろう。
刀郷の方も、危なげなく戦闘をこなしている。もしも正面から押し込まれれば、彼に勝ちの目は無かったであろうが、腕剣を器用に使いこなし、山賊の足や馬自体を攻撃し、落馬した者には、鉄板入りの松葉杖を突き込んでいた。
「畜生、呪い師が居るのか! 」
「たった二人だろうが、慌てんな、一度離れて……」
しかし、ようやくに落ち着きを取り戻した彼らの背後から、馬の蹄鉄が地面を踏み鳴らす音が聞こえてくるのだ。これはオコセット達である、大きく迂回し、敵を挟撃する算段であったのだが、早過ぎれば相手に感付かれ、遅過ぎれば御用猫達が倒されてしまうだろう、まさに丁度の追撃であり、事前に地形を確認したとはいえ、彼の有能さが伺えるのだ。
(流石だな……ならば、あとは奴だけだ)
こうなれば、御用猫の仕事も終わりが近いのだ。本命である焼き馬車のリネンカップについては生き残りに口を割らせるとして、コタン村を襲う山賊退治を完遂する為には、禍根を断つ必要があるだろう、成り行きで受けた仕事とはいえ、獲物を逃さないのが野良猫の流儀なのだ。
例え山賊といえど、頭を張るには資質が必要なのである。これは貴族や商人、学生や幼児といえど共通の理なのだ、有象無象が集まったとて、集団としての統率は取れない、仲間をまとめ上げ、何かを行う事の出来る人間とは、ひと握りの才ある者だけなのだから。
野良猫の眼光は、一人の男を捉えていた。この山賊団の中にあって、一際異彩を放つ細身の男である、黒髪茶目の目立たぬ人相であったのだが、その身ごなしからは、隠し切れぬ鍛錬の匂いが、立つように鼻をくすぐっていたのだ。
「応ッ! 」
周囲の人馬を目隠しにして接近し、横薙ぎに振るった御用猫の一撃であったのだが、なんたることか、その男は不安定な鐙を踏みしめ跳び上がると、後方に回転しながら着地したのだ。にやり、と不敵に笑った男であったが、次の瞬間には、己の左足から親指が失われていることに気付き、その目に怒りの炎を燈らせる。
これは、御用猫の遣うカディバ一刀流『二輪咲き』である、振り切る瞬間に握りをずらし、威力と距離を稼ぐ技であったのだが、相手はその為に目測を誤り、足に傷を負ったのだ。
「む、忍術か? 」
怒りの表情のままに、その男は姿をぼやかしてゆく、おそらく戦えば、かなりの脅威であったろうが、どうやら相手には、端からその気が無かったようなのだ。
(えぇい、今は追えぬな……人死を増やす訳にもいかんか)
御用猫が戦場から離れれば、それだけ仲間に被害が増えるであろう、ただでさえ死にたがりの刀郷を抱えているのだ、現状では、残敵の掃討を優先する他ないのである。
結局、山賊達は戦える者が五人になったところで降伏した。膝を割られた頭目の手当を済ませると、手遅れであろう怪我人にとどめを刺し、生き残った八名は、オコセット達に縛り上げられ、コタン村へと連行されていったのだ。
傭兵の方は死者が一名、昨日に、指を咥えて眠りについた山髭の男であった。




