うで比べ 2
クロスロードの南町五番街を、息を切らして駆けてゆく少女が一人。いや、深緑のローブを目深に被り、風でめくれぬように片手で押さえている以上、傍目には、それが少女かどうかの判別は難しいであろうか。
しかし、もしもその外套を取り払ってしまえば、道行く通行人のうち、十人が十一人共に振り返り、思わず二度見する事であろう。なにか跳ねるようにも見える軽やかな足取りにて、その人物は真っ直ぐに目的地を目指している。
「猫、久しぶりだ! 」
ぱあん、と軽快な音を響かせ、マルティエの店に飛び込んできたのは、栗色の髪をした一人の女性騎士であった。
「ああ、久しぶり、リリィは今日も可愛いな」
「ぎゅう」
勢い込んで飛び込んできたは良いものの、栗色の少女は、目当ての男の軽口に、いとも容易く撃沈されてしまうのだ。なにやら、しゃがみ込んで首を振ってはいるのだが、御用猫の膝の上に、だらしなく卑しいエルフが寝そべっている事や、そもそも男の表情に、かけらほどの下心も見て取れぬ事など、おそらくは思考の端にもないのであろう。
「ちょっとリリィ! 他のお客さんに迷惑だから早く座んなよ、あと、アンタもいい加減にしときなよ? お盛んなのは結構だけどさ、いつか刺されても知らないからね? 串刺し王女の異名は、たぶん伊達じゃないと思うよ? 」
「おいよせ、なんとなく想像できるから」
侍女服を着込んだ赤毛の女に促され、首をふりふり立ち上がったのは、リリィアドーネ グラムハスル、この大都市クロスロードおいて、人気を二分する程に有名な女性騎士である。すらりとした体躯には、およそ国中の美術家が、溜め息をついて再現を諦めるほどの美貌を乗せ、その剣力も相まって『クロスロードの至宝』だとか『四美姫』などと好事家達から讃えられている。
もっとも、特に普段の言動を知る騎士仲間達からは『串刺し王女』などと呼ばれており、稽古の時間を意図的にずらされる程度には、恐れられているのだが。
「そ、それで、用件はなんだ、猫の方から私に頼み事など……いや、そうか、勅命か、辛島ジュートとしての内密な案件であるならば、これはテンプル騎士として、断る理由も無いのだが、そうだな、そう、きちんと団長にも許可は得ているのだ、うむ、そうだ、なんでも言ってくれ」
御用猫の指定席である、階段前のテーブルに腰を下ろすと、硬い言葉と小さな声量とは裏腹に、なにやら彼女は興奮が抑えきれぬといった態であり。
(うぅん、まだまだ子供だなぁ……確か今年で十九であったか? ……ま、サクラと大差無いな)
くい、と猪口を傾ける御用猫には、普段から見慣れた光景ではあるのだが、もしもリリィアドーネの同僚がこの姿を見ていたならば、他人の空似だとまなこを擦るであろうか。
「まぁ、そんな大した話では無いのだよ、ちょいと気になる騎士がいてな、そいつは貴族様でもある事だし、リリィならば、接点もあるかと思ってな」
先日の話を受け、取り敢えず御用猫は、ジッタンビットの調査を行うことにした、もちろん、他人の縁談を壊すような真似をするつもりなど無かったのであるが、そこは他ならぬ友人の頼み事でもある、ウォルレンの相手がどのような人物であるか、その経歴に瑕疵は無いのか、その程度ならば、調べても構わないであろうと考えたのだ。猪口を持ち上げ笑顔を浮かべる御用猫に、栗色の少女は、はにかみながらも真っ直ぐな視線を返してくる。
もしかすれば、彼が、わざわざリリィアドーネを呼び出したのは、最近話す機会の無い、この真っ直ぐな少女の顔を久しぶりに見たいと、どこか心の内で思っていたからなのかも知れない。そもそもが有名な貴族の娘の身辺調査など、彼の抱えている忍者達に頼めば、それこそ一晩で丸裸にしてしまうであろう。
そこに思い当たってしまったのか、やや苦笑混じりに告げた彼の言葉には、いつもの遊びも少ないようである。
しかし。
「……知らない」
ぽこん、と頬を膨らませた串刺し王女の返答は、なんとも素っ気ないものであったのだ、わざとらしく視線まで逸らし、これでは本当に子供のようである。
「ん、まぁ、そうだろうな……いくら同じ女騎士といえど、テンプル騎士と青ドラゴン騎士では、知り合う機会も少ないだろうな……うぅん、ならばニムエに聞いてみるか、あいつならば顔も広かろう……」
「あ、い、いや待て、娘の事は知らないが、マスカンヴィット伯爵ならば知っている、昔、何度か父と剣術の指導について語り合っておられたのだ、私とも相識がある、もしも調べごとであるならば、娘御と、直接に話すことも可能だと思うぞ! 」
やにわに、立ち上がらんばかりの勢いで主張し始めたリリィアドーネの頭を、先程の侍女が片手で押さえつけて座らせる、反対側の手には盆に載せられた料理を抱えていたのだが、これは彼女の為に用意されたものであろう。
(……注文はしてないんだけどな)
「リリィ、お客さん、迷惑、騒がない、分かった? 」
「ぐぅ、す、すまないドナ、確かに、少々はしたない真似をした」
まるで牙を向いたような笑顔にて、赤毛の侍女が言い聞かせる、ドナと呼ばれたこの女性は、最近になって、このマルティエの亭で働き始めた従業員ではあるのだが、元が傭兵であるだけに、なかなか肝が座っているのだろう、クロスロードの最精兵たるテンプル騎士、そして上級貴族でもあるリリィアドーネを前にして、まるで旧来の友人であるかのような態度なのだ。
もっともこれは、ドナの遠慮の無さとリリィアドーネの真っ直ぐさが噛み合った結果、というよりも、ただ単純に、二人が思いのほか仲良くなっている、というだけの話であろう、互いにどこか似た所があると感じたものか、彼女らの間には、なにか奇妙な友情が生まれているようなのだ。
「はいよ、アジの揚げたやつ、食べてみてよ、これはおまけだからさ……アタシが作ったの」
「む、もう、そこまで手を広げているのか? うぬ、揚げ物か……私は、なかなか時間が取れないから……」
さくり、とパンの衣に箸を突き、その感触にリリィアドーネは、思わず感嘆の息を漏らす。その表情だけで通じ合ったものか、胸の前で盆を抱きしめた赤毛の女は、恥ずかしさの中にも、充分な満足感を浮かべる笑顔をみせるのだ。
「ああ、大した出来栄えだよ、見事なものさ……個人的には、しばらく、その料理は見たくもないのだがな」
「ちょっと! 余計なこと言うんじゃないよ、大体、文句ならトウタに言いなよ、あいつが最近おまけとか言って、アジばっかり持って来るから、料理が偏って……」
「意外に、ドナも罪な女だよなぁ、トウタのやつめ、生意気に色気付きやがって……でも、ミザリが泣く前に、純粋な少年を解放してあげてね」
瞬時に髪色よりも赤くなったドナが、何か反論しようとしたのだが、その前に厨房の方から幼い怒声が割り込んでくる。その叫びに気勢を削がれたものか、皆は、へにゃり、と顔を緩ませ、たちまちに笑い始めるのだ。
柔らかな空気の満ちる店内に、しかし、ただ一人、リリィアドーネだけが顔をしかめており。
「……やっぱり、知らない」
ぽこん、と再びに、頬を膨らませていたのだった。